第九話 月の間作戦(2)
『親愛なる国民諸君。私はブリタニア連合王国国王エドワード8世である――』
エドワード8世のラジオ演説が始まると同時、キングストン市街を包囲するレウスカ人民軍に向けて、第一撃が放たれた。
ハーマン中将は自らが率いる特別集成部隊に対して、撤退作戦完了までの市街地外縁死守を命令。自らも陣頭に立って指揮にあたっている。
特別集成部隊は市街地の北東部・東部・南部の三か所に分かれており、レウスカ人民軍の主力であろう戦車部隊が控える南部には、第7戦車連隊を始めとした数十両に及ぶ機甲戦力が展開していた。
『C1、戸惑うな。一気に押しつぶせ』
『C4、反撃を受けています』
「支援砲撃用意! C4、カウントと同時に後退せよ!」
ハーマン中将が直々に率いる本部大隊は、撤退作戦で船に乗せることができなかった自走砲などの火砲を大量に装備しており、突破されそうな地点に対しての支援砲撃も行っている。囮となった特別集成部隊は、ブリタニア陸軍史に残るであろう敢闘を繰り広げていたが、戦力の差は埋め難い。
そこをカバーするのが、ブリタニア空軍の攻撃機部隊であり、その護衛として動員された第6航空団であった。
バークロー空港から次々にF-18Jの二機編隊が飛び立っていく。第6航空団の四つの飛行隊は、囮部隊と脱出部隊のどちらの援護にも動員されている。
レオンハルト率いるアイギス隊は、ブリタニア戦線における活躍を考慮され、熾烈な争いが予測される囮部隊の援護に回されることとなっていた。当然ながら、酷使される側であるアイギス隊のパイロットたちには不満が渦巻いていたものの、今はそれよりも彼らの注目を集めるものがあった。
「なあ、隊長。やっぱり、それ目立つぞ」
「そうか? 私としては気に入っているのだが」
パイロットたちの無言の圧力を受けてようやく切り出したジグムントに対して、レオンハルトは淡々と答える。
彼らアイギス隊の面々の目線の先にあるのは、真っ赤に塗装されたレオンハルトのF-18Jだ。灰色のF-18Jが並ぶ中、ほとんど赤一色で統一されたレオンハルトの機体は悪目立ちと言っていいほどである。
「いくら御大の頼みとは言え、断ることもできたんだろ?」
「それはそうだが、国防技研が開発した最新のステルス塗料だそうだからな。試してみるのも良いだろう」
そうじゃない、と言いたげなジグムントの様子にも気付かず、レオンハルトはとても上機嫌だ。
レオンハルトのF-18Jが、このようにパイロットたちの微妙な視線を集める真っ赤な塗装になった経緯は昨日にさかのぼる。
最新のステルス塗装が完成したのだが、試してみたくはないかね――
ヒサカタ准将の誘いに、レオンハルトは簡単に乗った。もともと好奇心旺盛だということもあるが、レオンハルトが何よりも惹かれたのは、このステルス塗装が赤色ということだった。亡命前、西ベルクで赤鷲と呼ばれていた身としては、赤いF-18Jが自分の象徴でもあるように思えたのである。
赤い機体を眺めて満足げに微笑むレオンハルトにブリタニア空軍の士官が駆け寄ってくる。
「エルンスト少佐、間もなく作戦開始ですので準備をお願いします」
「ああ、了解だ」
レオンハルトが機体に乗り込むと、他のパイロットたちもそれに続く。
しばらく待っていると、エドワード8世のラジオ演説が始まった。
『キングスコントロールよりアイギス1。出撃せよ』
「アイギス1、了解」
レオンハルトに続いて、次々にアイギス隊のF-18Jが飛び立っていく。
レオンハルトは全員がそろうまで空港近くを周回、四機ずつ三つのフィンガーチップ隊形を取って、指定されたキングストン南部の防衛ラインへと向かった。
『キングスコントロールより上空に展開する全ての空軍機へ。全作戦機の出撃を確認した。これをもって我々の業務を終える。以降の戦闘指揮に関しては早期警戒管制機の要撃管制官に任せる。諸君の武運を祈る。オーヴァー』
事実上の司令部撤退であったが、パイロットからの文句は少ない。敵に包囲された首都に残って防空戦闘を指揮するのは、いくらなんでも無理があるからだ。その代わりにブリタニア空軍は保有するAWACSの内、作戦行動可能な五機全てをこの撤退戦に投入している。
そしてアイギス隊の警戒管制を担当するのは、これまで何度もアイギス隊の管制を担当してきたスカイベースであった。
『スカイベースよりアイギス1。こんな事態になってしまったが、君たちには期待しているよ』
「あまり期待され過ぎても困るのだがね。まあ、日英友好のためだ。ひと踏ん張りするさ」
戦術コンピュータがデータリンクし、現在の戦況がディスプレイに表示される。地上部隊の先制攻撃が効いているのか、今のところはレウスカ人民軍からの反撃はないようだ。
『レーダーと地上偵察の両方から敵の動向を把握しているが、先の空中戦艦の例もある。君たちも周囲の確認を怠らないようにしてくれ』
「了解」
通信を切り、警戒飛行へと戻る。しばらくは気の休まらない状況が続くだろう。レオンハルトはそう思っていた。
だが、しばらく飛んでいても敵がやって来る様子がない。ブリタニア空軍の攻撃機が近接航空支援を開始しても尚、レウスカ人民軍からの反応はなかった。
『ブラボー1よりアイギス1。これより攻撃を開始する。援護は任せたぞ』
「任せておけ」
攻撃機がレーザー誘導による中高度からの爆撃を開始する。レオンハルトはレーダーだけでなく、自分の目でも周囲を確認するが、敵戦闘機の姿はどこにもない。
一方、近接航空支援は順調に進んでいる。攻撃機だけでなく、地上の偵察兵も加わったレーザー誘導によって、レウスカ人民軍の砲列に爆弾が降り注ぐ。陣地からレウスカ兵が逃げていくのが上空からでも分かる。依然として反撃をする様子はない。
『よし。攻撃を継続する。引き続き、援護を』
「了解」
攻撃機のパイロットが通信を入れてくる。冷静さを装っていたが、声からはうれしそうな様子が滲み出ていた。撤退に次ぐ撤退の末、首都を放棄するという事態にまで追い込まれてしまった彼らが、初めて一方的な攻撃を行っているのだ。無理もないだろう。
レオンハルトはそう考え、再び目を周囲へと向けた。
レオンハルトたちが反撃を受けることなくレウスカ人民軍への攻撃を進めている頃、キングストンの港には撤退するブリタニア陸軍の将兵が溢れかえっていた。
エドワード8世やベケット首相などの政府高官、セシル=フィッツモーリス大将を始めとする軍高官、そしてオーヴィアス連邦のバーンスタイン国防長官補佐官など市内に残っていた外交官らは、王室ヨットのブリティッシュ・エンパイア号に乗船しており、すでに出港している。
この他、およそ五千名に及ぶ将兵が手配された船舶で、ブロムフォードへの途上にあった。
だが、依然として一万五千名ほどの将兵がキングストンの港に残っている。
ブリティッシュ・エンパイア号の一室では、セシル=フィッツモーリス大将が参謀たちと撤退計画の見直しを進めていた。
「予想より船が足りません。往復しようにもおそらく時間が足りないでしょう。三回目の往復便は確実に捕まります」
「だが、他に手はない。囮部隊の奮闘に期待したいところだが……」
「今のところ、レウスカ人民軍が攻撃を開始したという情報は入っていません。向こうも混乱しているのでしょうか?」
急遽持ち込んだ司令部用のディスプレイには戦域情報システムの情報が表示されている。敵を示す赤色の分布は徐々に後退している様子だ。
「いずれにせよ、囮に期待するのもどうでしょうか。今すぐに破られてもおかしくないほどの寡兵ですよ」
「一万五千の兵を見捨てるしかないのか……?」
「撤退作戦自体も急いで立案したものですから、不備があったとしか言えません」
次第に責任逃れのための自己弁護へと議論の方向が変わり始める。
表情にこそ出してはいなかったが、セシル=フィッツモーリス大将が部下の醜態に嫌悪感を示し始めた時、電話のベルが鳴った。参謀の一人が電話を取る。
「はい。――え? あ、はい。分かりました」
参謀は、ブリッジからです、と小声で言いながら、電話をセシル=フィッツモーリス大将に渡した。
「セシル=フィッツモーリスだ」
『船長のグリーニングです。海軍本部から通信が入っていますのでブリッジまでお越しください』
「分かった。すぐにそちらへ向かう」
電話を切ると、セシル=フィッツモーリス大将は参謀たちに待機を命じてブリッジへと向かう。
ブリッジに入ると、船長のグリーニング代将が笑顔で迎え、通信用のヘッドセットを渡された。
「トーヴィー大将から通信が入っています」
「艦隊司令長官から?」
艦隊司令長官とは、数多い海軍軍人の中でも実戦部隊のトップに立つ役職であり、その上には制服組トップである第一海軍卿しかいない。形式上ではあるが、海軍が先任軍とされているブリタニア王国軍にあっては、事実上の王国軍ナンバー2と言っても過言ではない。
現在の艦隊司令長官はサー・アルフレッド・トーヴィー海軍大将であるが、彼はとても気難しい人物として身内の海軍軍人からも恐れられていた。
何事だろうか、と身構えつつ、セシル=フィッツモーリス大将は通信に応答した。
「陸軍大将、セシル=フィッツモーリスです」
『艦隊司令長官のトーヴィーだ。先ほど海軍卿経由でムーンチェンバー作戦の詳細を聞いた。こちらからも援護を回す』
「ですが、海軍はヘルフォルト海峡の防衛で手一杯なのでは?」
セシル=フィッツモーリス大将がそう聞くと、トーヴィー大将は不機嫌そうに鼻で笑った。
『海軍を舐めてもらっては困るな。友軍が危機に瀕しているのを見過ごすような海軍ではない』
「いえ、そういうわけではなかったのですが」
『ともかく、だ。フリゲート三隻とトライアンフを派遣する。輸送機も空港へ回すから、将兵の輸送に使ってほしい』
トライアンフはヘリコプター搭載型の揚陸艦で、「北海の悲劇」の際は本国に残っていたために難を逃れている。無理をすれば、二千名近くの将兵を収容可能だろうというのがトーヴィー大将の意見だった。
「陸軍の失態に対する海軍の尽力に感謝いたします」
『……海軍とて北海で醜態を晒している。名誉を取り戻すためにも、何としても勝たねばならん』
トーヴィー大将はそう言うと通信を切った。通信の内容が聞こえていたグリーニング代将が苦笑いしている。
「トーヴィー大将としても、首都陥落という事態に責任を感じておられるのでしょう。責任感の強いお方ですから」
「責任で言えば、陸軍の方が重いだろう。我々の最重要任務は国土を守ることだったにも関わらず、首都を失ってしまったのだからな」
セシル=フィッツモーリス大将が肩を落とす。これまで、どんな苦境に立っても表情に出さなかったが、周りにいるのが海軍の職員だけ、という今の状況がセシル=フィッツモーリス大将の心を緩めたようだ。
すでに撤退が完了した後、地上部隊司令官の地位を返上し、責任を取って退役するつもりであった彼としては、勝利に向けて執念を燃やしているトーヴィー大将が眩しく見えたのだろう。
セシル=フィッツモーリス大将は、グリーニング代将に礼を言ってヘッドセットを返し、参謀たちが待っている客室へと戻って行った。
客室に戻り、参謀たちに先ほどのトーヴィー大将との会話を伝えると、参謀たちは喜色も露わに撤退作戦の見直しを進め始めた。
その議論がまとまった頃、海軍の増援からの通信が入った。彼ら増援は、まずキングストンへ入港した後、二千余名の将兵を乗せてブロムフォードへ向かっているという。
また、海軍・空軍が総動員した輸送機が大挙してバークロー空港に到着しており、ピストン輸送を始めていた。航空輸送は、依然としてレウスカ人民軍に動きがないために開始されたものであり、当然ながら攻撃が再開されれば中断する他ない。
とはいえ、かなりのスピードで往復できる航空機の投入は撤退作戦の進捗に大きくプラスとなるだろう。
問題は、レウスカ人民軍がいつ攻撃を再開するのか。その一点に絞られたと言えるだろう。
ムーンチェンバー作戦に従事する将兵の多くは、レウスカ人民軍の動向を、緊張を持って見つめ続けていたのである。




