第七話 キングストンの戦い(2)
ブリタニア空軍が国内の残存兵力を結集したイートン基地には、日本から援軍としてやって来た第6航空団もいる。アイギス隊以外の飛行隊は、ここまでの戦闘で少なからぬ損害を受けているが、それでも駆り出さなければならないほど、状況は逼迫していた。
アイギス隊を含めた四つの飛行隊は、地上攻撃支援に手一杯なブリタニア空軍に替わって制空権維持の任務に当たっている。出撃、戦闘、補給、出撃の繰り返しにパイロットたちは疲弊していたが、その中にあっても疲れを表情に出すことなく任務をこなしているのは、飛行隊長の四人だった。
戦闘を終え、補給に戻ってきたレオンハルトとカエデのところへ、赤ら顔の男が近づいてくる。第232飛行隊ネストルの隊長であるボネッリ中佐だ。ボネッリ中佐は敬虔なレモラ・カトリック教徒であり、第6航空団に配属されている従軍牧師の補佐も務めている。
「レオ、カエデ。無事に帰って来られたみたいだね」
「ええ。またすぐ出撃ですが」
「それは仕方ないことさ。僕たちが戦わなければ友軍に被害が出てしまうからね」
笑顔を絶やすことのないボネッリ中佐だが、その笑顔は少し曇っている。出撃に次ぐ出撃で彼も疲れているのだろう。笑顔が曇る程度で抑えているのはさすがと言うべきか。
「そろそろ出撃だ。また会おう、レオ、カエデ」
「はい、中佐」
「ご武運を」
ボネッリ中佐が僚機のパイロットを引き連れ、エプロンに駐機している自分の機体へと歩いて行く。ボネッリ中佐とその僚機は、機体に乗り込むとすぐに滑走路へと向かい、飛び立っていった。
二人はボネッリ中佐を見送った後、搭乗員待機室に入る。待機室には、第161飛行隊スピカと第162飛行隊リゲルのパイロットが二人ずつ、わずかな休息の時間を過ごしていた。その内の一人がレオンハルトに手を挙げた。
「やあ、レオ。おっと、今はエルンスト少佐だったな」
「堅苦しいのは止めてくれ。私とお前の仲だろう?」
レオンハルトに親しげに話しかけるのは、リゲル隊のパイロットであるエッケルト大尉だ。エッケルト大尉は、レオンハルトと同じ亡命西ベルク人ということもあり、仲が良い。訓練の際にも、しばしばレオンハルトに話しかけており、不遜なところのあるレオンハルトが航空団全体に馴染むことに一役買っている。
彼ら亡命者、とりわけ統一連邦や西ベルクなど共産圏から亡命してきた者は、ただでさえ良好とは言い難かった立場が、この戦争によって急激に悪化している。日本本土では、外国人排斥運動の兆しも見えつつあり、それに乗じた反体制派のテロを警戒して帝国公安局が至る所で市民の言動を監視しているという。
軍人貴族というやや変わった立場の出自であるカエデには、そのような噂も耳に入ってきていた。
もう一つ、ここ最近カエデを悩ませていることがある。係累のヒサカタ准将がもたらした情報だ。
西ベルクの国家保安省が『エルンスト』というスパイを送り込んできた――
カエデの直属の上司であり、空におけるパートナーでもあるレオンハルト・エルンスト少佐を嫌でも思わせる内容だ。
だが、仮にレオンハルトがシュタージのエージェントだったとするならば、なぜ空軍のパイロットとして前線を飛んでいるのだろうか。司令部要員ならばともかく、前線を飛ぶパイロットとしてはスパイが工作する余地は少ない。あるとすれば、不自然なまでに環太平洋条約機構側の空軍が負け続けていることだが、確証に欠けている。そもそも、負けているのは空だけではない。
いつの間にか考え込んでいたからだろう。立ったままのカエデに待機室の五人が注目している。
「クシロ、どうした?」
「あっ……。いえ、何でもないです。ちょっとボーッとしていただけで」
「そうか? まあ、飛びっぱなしだからな。準備完了まで三十分ほどかかるそうだ。仮眠しておくと良い」
「はい。そうします……」
カエデは慌てて微笑んだ後、待機室の隅にあるソファーに座る。壁にもたれかかって目を閉じたカエデの隣には、当然のようにレオンハルトが陣取っている。
「ふむ。これはひょっとすると――」
レオンハルトのつぶやきを最後まで聞くことなく、カエデは眠りに落ちた。
三十分ほどの補給と整備が終わり、レオンハルトとカエデは再び戦場へ向かうべく、滑走路を飛び立った。
レオンハルトは、先ほどのカエデの様子について考えていた。同じ西ベルク出身のパイロットと話していた自分を見て、カエデは何かを考え込んでいた。西ベルク、という事柄に反応していたのは間違いないだろう。ならば、カエデが考えていたのはおそらく――
レオンハルトの思考を、通信が遮った。
『アイギス2よりアイギス1。そろそろ指定された空域です』
「ん? ああ、すまない。少し考え事をしていた」
『少佐も、ですか? でも、もう戦闘は始まっていますからね』
「分かっている」
通信を切り、戦域情報システムを確認する。指定された地点は、防衛ラインの中央よりやや南に位置するS4ポイント付近だ。攻撃機が確認されているという空域を哨戒飛行し、敵を見つけ次第、撃破する。ブリタニア空軍の首都防空本部は実に簡単に命令してくれたものだ。増援に対する遠慮というものは全く見えてこない。
それだけ余裕がないのだろうが、酷使される側としては、たまったものではない。
『スカイベースよりアイギス1。聞こえるか? 私が君たちの管制誘導を担当する』
「やあ。つくづく縁があるな。首都防空本部じゃないのか?」
『キングスコントロールは我が空軍をいかに消耗させないか、ということで頭が一杯らしくてね。第6航空団の管制任務は私が扱うことになった』
スカイベースは、さらりと首都防空本部を皮肉る。援軍を粗雑に扱う防空本部に、彼も釈然としないものを感じているのだろうか。そう考えていると、再びスカイベースから通信が入った。
『スカイベースよりアイギス1。敵航空部隊の接近を確認。対処を頼む』
「了解した」
データリンクしたWAISを見ると、四機ほどの敵性航空機が前方にいる。レオンハルトはスロットルを開けて加速しながら上昇し始めた。敵よりも高い位置をキープしつつ、後方に回り込む。四機のBol-31がはっきり見え始めたところで、レオンハルトは機首を下げ、敵へ向かって一気に下降していった。
後方から突如として襲われた四機のBol-31は懸命に回避しようとするが、二機が命中弾を受けて墜落していく。残る二機は回避こそできたが、大きく体勢を崩している。カエデの機関砲が火を噴き、体勢を崩した二機を、そのまま地上へと叩き落とした。
『ナイスキル』
『いい仕事だ、アイギス1。その調子で頼むぞ』
「何かあったら通信を入れてくれ」
スカイベースが機嫌よく了承すると、レオンハルトは通信を切った。再び哨戒飛行に戻る。
十分ほど哨戒飛行を続けるが、敵の航空部隊は見当たらない。一方で、地上から漏れ聞こえる通信の内容は、ブリタニア陸軍の不利を伝えていた。
レオンハルトたちが上空を飛んでいるS4ポイントもレウスカ人民軍の激しい波状攻撃の前に、著しく戦力を消耗しているようだ。
「地上は長くないだろうな……。ところで私たちは地上支援をしなくても良いのか?」
『命令は受けていませんね。一応、対地兵装も用意していますが……』
レオンハルトはスカイベースに通信を入れる。少しのタイムラグの後、通信が繋がった。
「アイギス1よりスカイベース。地上支援の必要はないか?対地兵装は用意してある」
『少し待て。――確認した。地上支援はブリタニア空軍が受け持つとのことだ。攻撃機が適宜向かうそうなので、遭遇したら支援を頼む』
「了解した。――そんな余裕はないはずだがな……」
通信が切れた後、レオンハルトはぼそりとつぶやく。どうにもブリタニア空軍上層部が考えていることが分からなかった。撤退戦で酷使されたかと思えば、重要なはずの首都防衛戦では任務を限定している。
その後、レオンハルトとカエデはS4ポイント周辺空域を飛び続けたが、補給のために基地へ戻るまで敵に出会うことはなかった。
イートン基地へ戻り、補給を終えた二人は、今度はS2ポイントへの出撃を命じられた。S2ポイントでは、レウスカ人民軍の激しい攻勢をなんとか防いでいる地上部隊に、敵の攻撃機部隊が迫っているという。
休憩もそこそこに、レオンハルトとカエデは再び機上の人となる。F-18Jの巡航速度ならば、敵の攻撃機が接近するまでにS2ポイントへ到着できるはずだ。
『スカイベースよりアイギス1。敵の攻撃機は四機、護衛が四機の計八機だ』
「おい、少し多すぎるぞ。増援を回してくれ」
『すまないが他の戦線でも攻撃機が確認されている。増援は送れない』
スカイベースの声は、心底申し訳ないという気持ちがこもっており、レオンハルトもそれ以上を言うことはできなかった。了解、と伝えると、そのままS2ポイントの方へゆっくりと旋回する。砲火の光があちらこちらから見える戦場の上空を飛んでいく。
所々、防衛ラインが突破された地点には攻撃機や攻撃ヘリが展開し、レウスカ人民軍が戦線内部へ浸透するのを防いでいた。
『隊長、これは――』
「――今日限りだな。それ以上は無理だろう」
レオンハルトが断言する。あくまで空軍のパイロットでしかない彼らから見ても、地上部隊の敗北は明らかだった。
二人は食い破られつつある戦線を南下していく。やがて、S2ポイントがレーダーマップに表示される。
「アイギス1よりスカイベース。指定された空域に到着した」
『スカイベース、了解。地上の指揮所から送られてきたデータを転送する。以後、S2指揮所とデータリンクし、敵の動きを確認せよ』
「了解」
S2指揮所の戦術コンピュータとのデータリンクが始まる。偵察兵によって遠方監視を行っている地上からのデータは正確とは言えないが、貴重なものだ。
偵察兵のデータによれば、攻撃機はあと一分もしない内に視界に入るはずだ。レーダーでは確認できていないが、最近はレーダーも当てにならない。ここは偵察兵を信用すべきだろう。
『前方に航空部隊確認。敵味方識別装置の反応…… ありません!』
「よし、この際だ。大盤振る舞いと行くぞ。全兵装使用許可」
『了解!』
レオンハルトとカエデが敵部隊をロックオンし、抱えているミサイル全弾を発射する。八発ずつ、計十六発のミサイルは雲を引きながら、敵部隊へと突き進んでいった。
敵まであと少しというところで、電子妨害によってほとんどのミサイルが見当違いな方向へと飛んでいく。だが、三発のミサイルだけは妨害をものともせず、編隊中央の攻撃機に突き刺さった。
激しい爆発が遠くからでも分かる。隣を飛んでいた機体が爆発に巻き込まれ、コントロールを失って墜落していった。
「何だ? 珍しくミサイルがきちんと誘導されたな」
『――こちら、S2指揮所。上空の支援機、偵察兵が最終誘導を補助する。その調子で攻撃してくれ』
突然、地上の指揮所からの通信が入る。どうやら、前線で隠れているはずの偵察兵がミサイルの誘導を地上から補助したようだ。だが、ミサイルはすでに全弾使い切ってしまっている。何とも間の悪い話だった。
「あー…… すまないが、ミサイルは今ので全部だ。誘導してくれるとは思っていなくて、な」
地上の指揮所からは通信が返ってこない。レオンハルトの答えに呆れてしまったのだろうか。
とはいえ、仕事に変わりはない。二機の攻撃機と一機の護衛機を撃墜したが、残りはまだ五機だ。敵の方が数は多く、決して油断できない。
攻撃機が編隊から外れ、三機の護衛機がこちらへ向かってくる。攻撃機には近づかせない、ということだろう。
だが、レオンハルトは敵の動きに乗ることなく、スロットルを全開にして攻撃機へと迫った。当然、カエデもこれに追随する。護衛機は慌てて二人を追尾しようと旋回するが、F-18Jの加速は段違いだ。レオンハルトとカエデは護衛機を振り切り、懸命に逃げる攻撃機に襲いかかった。
機関砲が火を噴き、旋回性能の低い攻撃機は機銃弾を避けきれずに被弾する。たちまち抱えていた爆弾に誘爆し、機体が粉微塵に吹き飛んだ。
トリガーを引いてすぐに離脱していた二人は、そのまま護衛対象を失った三機に向かって旋回する。鮮やかなインメルマンターンの後、至近距離でのドッグファイトが始まった。
「私が二機。アイギス2は一機をやれ」
レオンハルトの通信にカエデは答えない。訝しみながらも、敵の攻撃を避けるためにサイドスリップ。そのままヘッドオンでそれぞれ一機ずつ撃墜したレオンハルトとカエデは、残る一機を挟み撃ちにした。
焦って逃げようとする敵機に対して、二人は巧妙に射線を避けて同時にトリガーを引く。敵も懸命に回避しようとしたが、甲斐なく主翼をもがれて墜ちていった。
『アイギス2、スプラッシュ1。協同撃墜ですね』
「……悪かった。謝るから機嫌を直してくれないか?」
『知りません』
カエデの返信は冷たい。どうやら、レオンハルトの分担が気にくわなかったようだ。
『S2より上空の戦闘機。支援に感謝する!』
「あ、ああ。……それどころじゃないんだが」
『ん? 何か言ったか?』
「いや、何でもない」
地上との通信を切り、補給のために基地への針路を取る。補給が終われば、また任務だ。
だが、レオンハルトにとって、この日の戦闘はこれが最後だった。ひたすら哨戒飛行を続け、フラストレーションが溜まる一方の任務をこなしただけである。カエデの機嫌も全ての任務が終わるまで直ることはなかった。
この日、レオンハルトたちアイギス隊は戦線各所で攻撃機排除の任務に就き、いずれも成功させている。アイギス隊や他少数の部隊の活躍によって戦線は支えられていたが、長く続くものではない。
レオンハルトが予測した通り、キングストンの防衛ラインは一日で崩壊した。戦線は次々に突破され、ブリタニア陸軍はキングストン外周まで退却している。
キングストンはレウスカ人民軍の大部隊によって完全に包囲され、ブリタニア陸軍は壊滅の危機に立たされることとなったのである。




