第六話 キングストンの戦い(1)
レウスカ人民軍が王手をかけたブリタニア王国首都キングストンは、ローヴィス大陸でもオーヴィアス連邦のニューリーズに次ぐ、屈指の世界都市である。
市街地は新市街と旧市街に分けられ、キングス湾に面し、ブリタニアの経済・金融の中心地となっている西側が新市街、国会議事堂や国王が居住するハリファックス宮殿など、歴史的建造物が立ち並ぶ東側が旧市街となっている。
南ブリタニアを放棄した陸軍は、市街地に被害を与えないために、キングストン郊外の丘陵地帯に防衛ラインを形成。ここまでの戦闘で大きく損耗したブリタニア空軍は、キングストン北部のイートン空軍基地に国内の稼働機全てを結集して決戦に備えていた。
また、ブリタニア海軍は、レウスカ人民軍によるブレントール帝国と東ベルクへの侵攻を警戒して、地中海北部のヘルフォルト海峡防衛に戦力を割いており、沿岸からの支援はあまり期待できない状況だ。
南ブリタニア放棄が決定された五日後の12月21日、レウスカ人民軍は遂にキングストン侵攻作戦を開始し、明けて12月22日、両軍はキングストン郊外で激突した。
ブリタニア戦線序盤のハイライトとなる、キングストンの戦いが始まったのである。
キングストンの戦いを指揮する作戦司令部は、キングストン新市街にある国防省オフィス地下二階の統合作戦司令室に置かれている。
陸軍の地上部隊司令部が作戦司令部としてそのまま流用されており、この戦いにおける最高指揮官は、地上部隊司令官のセシル=フィッツモーリス大将だった。この他、回廊要塞陥落の責任を取って一階級降格した、元回廊要塞司令官のハーマン中将も作戦参謀として、この作戦司令部に籍を置いていた。
司令室の大きなディスプレイには、兵士各員が戦域情報システム上で共有している戦況図がそのまま示されている。戦闘が始まって二時間ほど経つが、状況は芳しくなかった。
キングストン郊外の丘陵地帯には、複雑な塹壕地帯が形成されており、小高い丘を利用したトーチカも建造されているが、すでにいくつかの拠点が沈黙している。機甲戦力もレウスカ人民軍の物量の前に押されがちで、キルレシオでは圧倒的に勝っているにも関わらず、戦況としては押されている、という事態となっていた。
「ポイントD1から救援要請」
「F4、沈黙しました!」
「A2との通信途絶!」
オペレータが報告する内容は時を追うごとに悪化している。作戦司令部は矢継ぎ早に救援を出し、戦線の穴埋めを図っているものの、焼け石に水だ。かろうじて、残存するブリタニア空軍の地上攻撃によって防衛ラインの突破を防いでいる。だが、この状況が長く続かないことは、誰の目にも明白であった。
そこでセシル=フィッツモーリス大将は、早々に予備として後方に待機していた第7戦車連隊の投入を決定した。半ばヤケとも言える予備部隊の投入だったが、これは思わぬ成果を出すこととなる。
予備部隊投入から三十分ほど経った頃、戦況図が膠着状態を示し始めた。今まで押される一方だった戦線が持ちこたえている。理由はどう考えても予備部隊の投入であった。
ドラゴンガーズ連隊は四つの中隊から構成されており、それぞれ十二両のブリタニア陸軍主力戦車カレイジャスを装備している。連隊長のブロードリック大佐は、配下の戦車を三両ずつの小隊ごとに行動させ、戦線の穴を塞いで回らせている。
「もう駄目かと思いましたが、何とかなりそうですね」
「いや、あくまでも膠着状態になっただけだ。向こうの方が数は多い。持久戦ではこちらが不利だ」
「かと言って、上手い打開策があるわけでもありません」
「せめて陛下が避難してくれれば、防衛ラインの維持にこだわらずに済むのだが……」
参謀の一人が思わず口にしたように、ブリタニア国王のエドワード8世は未だハリファックス宮殿を離れていない。
すでに内閣や議会はブリタニア北部、ノーサンブリアの中心都市であるディングウォールへ脱出しており、キングストンに残っているのはベケット首相を始めとする数名の閣僚だけだ。陛下を置いて逃げるわけにはいかない、と首相官邸に残ったベケット首相はキングストンに残る住民への慰撫活動に専念している。
これら権威の象徴と国政の責任者が、どちらも戦火の迫った首都に残っているというのは、防衛を司る軍部として非常に頭の痛いことであった。
それに加え、オーヴィアス連邦からアーネスト・バーンスタイン国防長官補佐官が増援協議のために訪問しており、この補佐官の安全も確保しなければならない。課題は山積みだ。
「どうこう言っても仕方ないだろう。それよりも何とかして打開策を考えねば」
セシル=フィッツモーリス大将がそう言うと参謀たちも黙り込む。打開策が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。
そろそろ限界に近い。ドラゴンガーズ連隊長のブロードリック大佐は、サマセット指揮通信車の中から指示を出しながら、ともすれば渋面を浮かべてしまいそうになる表情を必死で隠していた。
予備部隊として投入されてから、かれこれ一時間ほど経っているが、戦況は全く変化していない。戦力差を考えれば上々な展開と言えなくもないが、無限に補給を受けられるわけでもない。
つらつら考えている間にも、あちらこちらから救援要請が送られてくる。
『ポイントD3よりドラゴンガーズ! 至急救援を!』
『ポイントB2、突破された! 退却する!』
「A1小隊、ポイントB2へ。B3小隊はそこが片付いたらポイントD3に向かえ」
WAISが表示された指揮通信車内部のディスプレイを睨みながら、次々に指示を出していく。その脇に設置されているディスプレイは、各小隊の隊長車に搭載されたカメラの映像を映している。今のところ、沈黙したカメラはない。
映像からは戦線各所で戦う戦車兵たちの奮闘が伝わってくる。起伏の少ない丘に急造された戦車用の待避壕に突っ込み、敵戦車を砲撃するとすぐに別の待避壕へと向かう。
レウスカ人民軍の主力戦車T-74は、輸出用のモンキーモデルということもあり、こちら側の主力戦車カレイジャスに有効な打撃を与えられていない。唯一の救いと言えばそれくらいだが、対戦車兵器を持って徘徊する敵の歩兵部隊がいる。油断は禁物だ。
そのため、各戦車には数名の随伴歩兵が必ず同行しており、タンクデサントで周囲を警戒している。彼ら随伴歩兵が身につけているのは、L301A1装甲服だ。HAC-1のブリタニア軍仕様として生産されている装甲服で、現場の兵士からの評判も良い。
日本軍が開発した装甲服は、徐々に地上戦の様相を変えつつある。歩兵が迅速に展開することのできる軽装甲戦力となったのだ。戦力としては格段に強化されている。それだけではない。拡張角膜やブレインデバイスに代表される生体技術の革新も、情報戦争の進展を強化していた。
そんなことを考えていると、再び救援要請が入ってきた。
『ポイントS2より緊急要請! 激しい砲撃を受けている! 誰でも良いから救援を!』
Sのフォネティックコードを充てられたポイントは、防衛ラインの中でも特に重要な地点である。当然ながら陸軍でも精鋭に値する部隊が配備されているのだが、その地点すら突破されようとしているらしい。
増援を送ろうにも、各小隊は戦線各所の穴埋めで手一杯だ。悩んだ末に、ブロードリック大佐は本部小隊の転進を命ずる。
「本部を前へ。ここを突破されるわけにはいかん」
「了解。前進します」
操縦手が覚悟を決めた表情で答える。幕僚もブロードリック大佐の命令に異議を唱えることなく戦況図を見ていた。
銃声と爆音が響く戦場を、指揮車と随伴する三両のカレイジャスが疾走する。徐々に救援を求めていたポイントS2の野戦陣地が見えてきた。
ポイントS2は丘を中心として塹壕が張り巡らされ、トーチカ群がその周囲を守っている。野戦指揮所は、これまた分厚いコンクリートの壁でできており、ちょっとやそっとの攻撃では壊れない作りになっていた。この野戦陣地に対して、レウスカ人民軍は断続的に砲撃を浴びせている。トーチカのいくつかは沈黙し、塹壕の中でも兵士たちの死体が山積みになっていた。
ブロードリック大佐は、野戦陣地がある丘の影に隠れるようにして敵部隊へと接近する。目標は、砲撃を続ける敵の自走砲部隊だ。
「通信妨害の準備は?」
「いつでもいけます」
「突入の合図と同時に十秒間だ」
指揮車に乗り込んでいるオペレータが頷いた。ブロードリック大佐が通信回線を開く。
「コマンダーより全車。カウント5で突入。5、4、3、2、1、今!」
ブロードリック大佐が叫ぶと同時に、敵陣に向けて妨害電波が放たれる。通信を遮断し、対抗処置が行われるまでのわずかな時間で敵へと接近するためだ。
指揮車を三両のカレイジャスが追い抜き、自走砲部隊に向けてトップスピードで駆けていく。ディーゼルエンジンが唸る音が指揮車にも響いていた。三両の戦車は、丘をぐるりと迂回すると自走砲部隊の斜め前から猛然と迫っていく。ブロードリック大佐は十秒間の通信妨害が終わると、指揮車を止めるように命令した。
「全車聞こえるか?敵の自走砲を叩いたら、今から示すポイントに突っ込んで隠れろ」
そう言うと、ブロードリック大佐は手元のタブレットを操作し、WAIS上に待避ポイントを表示させる。
時を同じくして、敵に迫った三両が攻撃を始めた。カレイジャスの行進間射撃の精度はなかなかに高く、発射された九発の内、八発が自走砲に命中している。命中弾を受けた自走砲の砲塔が高々と吹き飛ぶのを横目に、三両は指定されたポイントに全速で移動していった。
「こちら、ドラゴンガーズ。S2指揮所、応答願う」
『――こちら、S2指揮所。貴隊の支援に感謝する』
「礼には及ばない。それより、ウチの戦車が離脱するのを援護してくれ」
指揮所の司令は快く了承し、合図と同時にトーチカ群からの激しい砲撃が始まった。それを尻目に、待避ポイントにいた三両がS2陣地へと戻ってくる。
S2ポイントを脅かしていた自走砲部隊を排除した後は、再び戦線の少し後ろで戦況を俯瞰しながら部隊に指示を出す。先ほどの戦闘の間に、四両が大破している。乗員はいずれも戦死しており、ドラゴンガーズ連隊にも遂に被害が出たこととなる。
長くは持たないというのがブロードリック大佐の本音だ。上層部がどう考えているか分からないが、ブリタニア陸軍はじきに撤退へと追い込まれるだろう。S2ポイントも当座の脅威こそ去ったものの、失われた戦力は多く、ブロードリック大佐の本部小隊がいなければ突破されてしまう。
攻め寄せる敵戦車との激しい戦車戦を展開しているところへ、指揮所から通信が入った。
『S2よりドラゴンガーズ。攻撃機の接近を確認した』
「了解。……全車、急いで穴蔵に潜り込め!」
指示を出したブロードリック大佐も野戦陣地の脇に掘られた待避壕に急ぐ。上空からの攻撃を回避するために掘られたものだが、ないよりはマシ程度のものでしかない。待避壕に頭から突っ込み、ひたすら攻撃機が飛び去るのを待つ。十秒、三十秒、一分と数えても、地上攻撃が行われた気配がない。指揮所との通信回線を開く。
「ドラゴンガーズよりS2。外はどうなっている?」
『空軍だ! 空軍が来て、敵の攻撃部隊と戦闘してるんだ!』
「空軍だと?」
ブリタニア空軍は多くの機体を喪失し、制空権を失いかけていると言っても過言ではない。戦闘機は攻撃機の護衛に割くのが精一杯のはずだ。
『ああ。日本から来た援軍だ』
ようやくブロードリック大佐の脳内で状況が繋がる。正直、日本の援軍に期待していなかったブロードリック大佐としては、驚くべき状況だ。栄えある王国空軍はその翼をもがれ、東方の島国から来た援軍が我が国を守るために戦っている。
自分の国に誇りを持っているブロードリック大佐のような人間にとって、他国の支援によって何とか防衛ラインを維持しているという現在の状況は手放しで喜べるものではなかった。
複雑な思いを抱えながら、待避壕から出る。指揮車の上部ハッチを開け、見上げた空には任務を終えた二機のF-18Jが新たな戦場へ向かって飛んでいた。
ブロードリック大佐指揮するドラゴンガーズ連隊は、五十四両の戦車・自走砲を撃破し、この日の防衛ライン維持に大きく貢献した。この戦果は地上部隊としては最大のものであり、被害も防衛戦に参加した地上部隊の中では最も少ない。
そして、ドラゴンガーズ連隊と並び、レウスカ人民軍の攻勢を食い止めることに大きな活躍を見せたのが、アイギス隊であった。彼らはこの日、被害を出すことなく、戦闘に参加した部隊の中でも特に大きな戦果を挙げている。そしてその一つが、このS2ポイントの激戦だった。