第五話 慢心の代償(3)
12月12日に始まったレウスカ人民軍のブリタニア本土侵攻は、それを阻むブリタニア王国軍との間の熾烈な争いとなった。ハヴァントシャーを始め、サウスランドと呼ばれる南ブリタニア一帯には、ブリタニア陸軍の第5機械化旅団、第7機械化旅団、第9機甲旅団が展開して、レウスカ人民軍第2軍の四個師団の攻勢を防いでいる。
だが、あまりにも戦力に差があるため、陸軍は各地で押されている。これを支えるのは空軍であり、空軍の地上攻撃機がレウスカ人民軍の攻勢を挫くことで、何とか戦線を保っている。
そこでレウスカ空軍は12月15日、ブリタニア空軍の息の根を止めるべく大規模な戦爆連合を組織して南ブリタニア一帯の空軍基地への空襲作戦を発動した。当然のことながら、レオンハルトたちアイギス隊もこの戦いに身を投じることとなる。
彼らの戦いの舞台はハンプルトン空軍基地。南ブリタニア防空本部が置かれ、第6航空団が根拠地とした、南ブリタニア最大の空軍基地だった。
空襲警報のサイレンがハンプルトン基地に響き渡る。アラート待機の戦闘機は、すでに敵機接近が確認された十分前に出撃していた。それ以外のパイロットたちも出撃準備をしていたため、続々と滑走路から曇天の空へと飛び立っていく。
『アイギス1、クリアード・フォー・テイクオフ』
管制塔の離陸許可を受けて、レオンハルトはスロットルレバーを開ける。F-18Jが加速し、滑走路からゆっくりと離れていった。
天候の悪い空に飛び立ったレオンハルトたちは、管制塔の管制区域を離れ、南ブリタニア防空本部の管制空域に入る。大規模部隊の接近、そしてそれに対抗するための大規模部隊の出撃によって、南ブリタニア一帯の通信は混雑していた。
配置を聞こうにもずいぶんと待たされる。ようやく繋がったのは、管制空域に進入して五分後のことだった。
『こちら、サウス・コントロール。すまないが部隊が多すぎてこちらも手一杯だ。早期警戒管制機を回しているので、第6航空団はそちらの管制誘導に従ってくれ』
「了解」
待たされたかと思えばたらい回しだ。全くもって彼らに責任はないのだが、何となく余所者の疎外感を覚えてしまう。AWACSとの通信は簡単に繋がった。
『こちら、スカイベース。なかなか縁があるな、アイギス1』
「全くだな」
『ようスカイベース! ウチの隊長との約束、覚えてるよな?』
通信に割り込んできたのはジグムントだ。いつも以上にテンションが高いが、大規模な空戦を前にして、無理に元気を出しているだけだろう。
『約束? はて、一体何のことだったかな』
『おい!』
『冗談だよ。約束を果たすためにも生き残ってくれ』
パイロットたちをリラックスさせるための会話だろうか。実際、先ほどまで緊張で沈黙していたパイロットたちが苦笑いしている。緊張をほぐすくらいの役目は果たしただろう。
『さて、状況を解説しておこうか』
そう言うと、スカイベースは現在の敵空軍の動向と、それに合わせたブリタニア空軍の対応を説明し始めた。
レウスカ空軍は、ハンプルトン基地を始めとする南ブリタニア一帯の六つの空軍基地を同時空襲するために、百数十機に及ぶ戦爆連合を繰り出している。この内、爆撃機八機を含む四十機ほどの部隊がハンプルトン基地を目指していた。
対するブリタニア空軍は、可能な限りの迎撃機をかき集めて出撃させているが、回廊要塞や撤退戦で失った機体は多く、数においては圧倒的に不利だ。ここに第6航空団が加わることで何とか数を補っているが、それでも不利なことに変わりはない。
陸軍が激しい攻勢を受けている以上、攻撃機を退避させることはできない。レオンハルトたちは、何としても基地を守る必要があった。
説明が終わると、戦術コンピュータがデータリンクを開始。数において実に三倍以上の戦力差がある。
『Bol-31とKar-55だな。実にレウスカ空軍らしい編成だろう』
どちらも統一連邦製の戦闘機と爆撃機だ。それも輸出向けに性能を落としたモンキーモデルである。機体性能で言えば、ブリタニア空軍主力戦闘機のスピットファイアⅡや第6航空団が運用するF-18Jの方が優れている。
だが、その差を埋めるのが数だ。この数で敵を圧倒する軍事戦略は、レウスカ人民軍だけでなく、統一連邦を中心としたトルナヴァ条約機構軍の共通した特徴でもある。
『敵編隊接近。距離10000。アイギス・スコードロン、交戦を許可する』
「了解。アイギス1、交戦」
スロットルを開け、加速しながらゆるやかに上昇。高度25000フィートを飛ぶ敵の爆撃機へと直進する。雲海を越えた先に浮かぶ複数の機影。間違いなく、敵だろう。爆撃機を残し、護衛機がこちらへと向かってきた。
「アイギス1より各機。散開しろ。私からの命令は一つだ。――死ぬな」
『了解!』
アイギス隊が散開し、一部が雲海へと潜り込む。電子妨害によってレーダーがあまり意味を為していない今ならば有用な戦術だ。
レオンハルトはカエデと共に雲海の上を疾走する。敵もこちらに対応して散開しているが、かなりの速さで突っ込んでくるレオンハルトたちに戸惑っているようで、八機が編隊として残っている。かなりの距離まで近づいたところで、レオンハルトは突然機首を下げて雲海へと突っ込んだ。
戦域情報システムの表示を確認しながら、ゆっくりと右に旋回、すぐに左へと機首を向ける。
「アイギス2。カウント5で上昇」
『了解。……5、4、3、2、1、今!』
一気に機首を上げ、雲海から突き出る。目の前には、突然消えたレオンハルトたちを警戒し、上昇しようとしていた敵機の後ろ姿があった。トリガーを引き、機関砲が火を噴く。続けざまに三機に命中し、爆散する。カエデも二機の敵を葬り去った。
残った三機は最初の爆発音と共にブレイクしている。だが、その先に待っていたのは、アイギス7とアイギス8だった。レオンハルトとカエデの後ろを飛んでいた二機は、レオンハルトが雲海に突っ込んだ時に旋回し、敵編隊の横へ回り込んでいた。そこへ、攻撃を避けようとした三機が向かってきたのである。
アイギス7とアイギス8は、敵が向かってきたことに動揺しつつも、何とか機関砲で撃墜した。レオンハルトが通信を繋ぐ。
「ナイスキル。その調子だ」
『は、はい!』
雲の中でもジグムントとイオニアスが激しい戦いを繰り広げている。アイギス隊が散開したのを見て、雲海へと下降してきた敵機がいるのだ。
「アイギス3、支援は必要か?」
『大丈夫だ! こっちも三機を墜としたぜ!』
視界が鮮明でない中、WAISに表示されている自分と僚機の位置を確認しながら、わずかなレーダー反応を頼りに敵機を追撃している。
レオンハルトはジグムントの方を大丈夫だろうと判断し、自らはカエデとアイギス7、アイギス8を率いて爆撃機へと接近した。ターボプロップエンジンを搭載したKar-55の低く特徴的なプロペラ音が聞こえてくる。
残っていた護衛機がレオンハルトたちを撃退すべく、鋭く旋回しながら正面から向かってきた。タイミングを計り、機関砲が火を噴く寸前に散開する。散開した四機は左右から同数の護衛機を挟み込むように旋回するが、護衛機はそのままスピードを上げて下降した。
旋回し、今度は上昇し始めた護衛機とレオンハルトたちが再び正面で向き合う。レオンハルトは護衛機の内、真ん中に位置する敵に照準を合わせてミサイルを発射した。放たれたミサイルは電子妨害によって敵機へと直進することはないが、進路上を飛び回るミサイルを避けようとするのは当然のことだろう。
回避した敵機に向けて、回避方向を予測したカエデの機銃掃射が浴びせられ、主翼をもがれた護衛機が失速し、墜落していく。
『グッドキル、グッドキル』
『爆撃機の尾部銃座に注意』
爆撃機隊はレオンハルトたちの斜め上に位置している。不用意に接近すれば、尾部銃座の歓迎を受けるだろう。
護衛機との戦闘は続く。ミサイルを回避した敵は機首を上げたまま、レオンハルトたちの後方へ回り込むように旋回しようとしている。焦ったアイギス8が旋回中の敵を攻撃しようとするが、それを待っていた護衛機は失速寸前の急旋回でアイギス8を攻撃した。
機銃弾がアイギス8の機体を切り裂く。黒煙を上げながら墜落し始めたF-18Jから、アイギス8が脱出した。
『アイギス8、イジェクト!』
「スカイベース、救援を頼む。大事な部下なんだ」
『任せてくれ。今、救援の手配をしている。幸い、我が領空での防衛戦だからな。すぐに助けられるはずだ』
スカイベースはそう言うと、地上部隊との交信を始めた。近くの陸軍に保護を頼むのだろう。
レオンハルトは頭を切り換え、目の前の敵機に集中する。残る護衛機は三機で、これさえ墜としてしまえば爆撃機はどうとでも料理できる。問題は雲の下で戦闘を続けていると思われるジグムントたちだが、たまに撃墜報告をしているため、優位に進めているのだろう。
三機の護衛機は、散開しながらも互いをカバーできるように飛んでいる。一機ずつ叩くとしても、僚機を失って動揺しているだろうアイギス7が上手く戦いを運べるかどうかは分からない。アイギス7に待機を命じようとしたレオンハルトの脳裏に、不意に先日のイオニアスの言葉が浮かんだ。
不安を感じているのは分かるが、俺たちはプロだ――。
アイギス7も戦闘のプロだ。今は動揺しているが、命令を受ければそれをこなすだろう。隊長として部下を信頼しなければならない。レオンハルトは自身で言った言葉を思い出し、苦笑した。どうも、自分は隊長としてまだまだ足りない。しっかりせねば、と気合いを入れ、命令を出す。
「慣れ、かもな。……アイギス2、アイギス7。一人一機だ。確実にやれ」
『アイギス2、了解』
『アイギス7、了解しました』
アイギス7の声は落ち着いていた。どうやら動揺していたのは自分だけらしい。
頭を振りながら、敵機へ向かって加速する。目標は護衛機の内、隊長機と思わしき中央の敵だ。敵機も散開したこちらに対応して一騎打ちの形となる。接近と同時に急旋回し、敵機の後ろを取ろうとするが、敵は急減速でこれに応じた。そのままシザーズ機動へともつれ込む。
低速度域での機動性は敵機の方が上だ。自然、レオンハルトは内側に回り込まれ、幾度も後ろを取られそうになった。そのたびに、レオンハルトは無理な機動で敵機の攻撃を躱し、シザーズ機動を続ける。レオンハルトの体を襲うGは強烈で、意識が遠のきそうになる。
レオンハルトの意識が遠のいた瞬間、敵機が後ろを取った。何とか対応するが、少し遅れたために主翼に穴を開けられた。
『隊長!』
「大丈夫だ。それよりもそっちを抑えておいてくれ。さすがに二機以上は面倒見切れないからな」
心配そうな声のカエデに軽口を叩く。だが、状況は良くない。主翼に開いた穴が、戦闘機動を制限してしまっている。そして、そんなレオンハルトに対して、敵は容赦なく攻撃を繰り出してくる。
ハイ・ヨー・ヨー、スプリットS、そしてシザーズ機動と、機体に負荷がかかる戦闘機動が連続する。このままでは、らちが明かないと考えたレオンハルトは、一か八かの勝負に出た。
シザーズ機動の最中、敵が後ろにつくと同時に減速。当然、敵もこの動きについてくるが、レオンハルトはそのまま減速を続ける。失速警報装置が作動し、機首が上がりかけたレオンハルトの機体のすぐ前を敵機が横切る瞬間にトリガーを引く。機銃弾が敵機に命中すると同時にスロットルレバーを開け、速度を回復。レオンハルトの機体は、爆発した敵機のすぐ下を通過していった。
破片が機体に突き刺さっているが、何とか飛行は維持できている。賭けは成功だ。
「アイギス1、敵機撃墜」
レオンハルトが撃墜を宣言するのと前後して、カエデとアイギス7も敵機を撃墜した。これで残すは爆撃機のみだ。
護衛機の不利を見て、すでに退却しつつあったKar-55の編隊を追う。機体が損傷しているレオンハルトはKar-55に接近することなくミサイルを発射し、カエデとアイギス7がそのミサイルを追うように八機のKar-55へと接近した。
『アイギス2、フォックス2』
『アイギス7、フォックス2』
Kar-55が回避不可能な距離まで近づき、二人はミサイルを放つ。ロックオンされたKar-55が懸命にフレアを射出しながら回避を試みるが、至近距離から放たれたミサイルは妨害の影響を受けることがない。
カエデとアイギス7が放った八発のミサイルは、編隊後方にいた四機にそれぞれ二発ずつ命中。主翼や尾翼をもがれたKar-55はコントロールを失って墜落を始め、爆弾倉に直撃を受けた機体は、誘爆を起こしながら空中分解した。
「ナイスキル」
『こちら、アイギス3! 敵機が逃げてくぜ。やったのか?』
「ああ。作戦成功だ」
『スカイベースよりアイギス・スコードロン。ナイスワークだ。これは君たちに大盤振る舞いをしなければならないな』
スカイベースの声は明るい。南ブリタニア最大のハンプルトン基地を守り抜くことができたからだろう。
『作戦終了だ。帰投してくれ。後は我が軍が引き継ぐ』
「頼んだぞ。私たちの戦果を無駄にしないように、な」
『分かっているさ』
快勝と言えるような勝利は久しく味わっていない。さすがのレオンハルトも高揚した気分でハンプルトン基地へと帰投した。
この日、ブリタニア空軍は各地でレウスカ空軍の戦爆連合を迎撃したが、その全てに勝利。空軍のみならず、ブリタニア王国軍全体が11月20日の回廊要塞攻撃開始以来の快勝に歓喜した。
迎撃に当たった飛行隊はそれぞれに祝杯を挙げ、レオンハルトたちも約束通りにスカイベースの奢りでその夜を飲み明かした。
だが、その翌日。酔いが醒めてしまうほどの出来事がレオンハルトたちに衝撃を与えた。
早朝、攻撃を開始したレウスカ人民軍を食い止めるべく、ハンプルトン基地を始めとする南ブリタニア一帯の空軍基地から攻撃機が出撃。そのほとんどが、ファントムとレウスカ空軍が新たに投入したトルナードの飛行隊によって撃墜されたのである。
航空支援を失ったブリタニア陸軍は各地で防衛ラインを突破され、ブリタニア陸軍地上部隊司令部は南ブリタニアの放棄と首都キングストン前面での最終防衛ライン構築を決定した。
地上部隊支援のために出撃した攻撃機部隊の壊滅と、それに伴う陸軍の南ブリタニア放棄。お喋りなジグムントすら絶句させたその凶報は、ブリタニア首都キングストンが、敵の手に届くところとなったことを意味するものであった。
アイギス隊を始め、第6航空団は撤退する陸軍を援護しながら退却。キングストン近郊のイートン空軍基地を拠点とすることとなる。
勝利に浮かれた慢心の代償は、非常に大きかった。