第四話 慢心の代償(2)
ブリタニア連合王国は、ブリタニア半島にあるアーグランド・グウィネズ・ノーサンブリアとエールランド島にある南エールランドの、計四つのカントリーからなる連合国家だ。ブリタニア半島にある三つのカントリーは南にアーグランド、北にノーサンブリア、そしてアーグランドの東に突き出した半島に位置するグウィネズというように分かれている。
すなわち、回廊要塞の突破によって戦場となったのはアーグランドである。ここはブリタニア王国の人口の八割を占め、首都キングストンを擁するなど、文字通りブリタニア王国の中心地域だった。
現在、回廊要塞から撤退しているのは、要塞に駐留していた第13機械化旅団と要塞前面の戦闘に動員された第1機械化旅団だ。この二つの旅団は、回廊要塞に隣接したハヴァントシャー州を撤退し、キングストン近郊のイーストボーン陸軍基地とグロスター陸軍基地へ向かっていた。
そして、この撤退行軍の他にもレウスカ人民軍の侵攻から逃げようとする民間人の車列が高速道路だけでなく、一般道にもあふれている。
ブリタニア空軍打撃軍団司令部は、この緊急事態に際して撤退する軍と民間人を保護するべく、第11戦闘飛行隊と第27爆撃飛行隊を出撃させた。
だが、この部隊はハヴァントシャーに到達する前に、あのSt-37の飛行隊に遭遇して撃墜されている。南ブリタニア防空本部は、このSt-37の編隊の接近こそ分からなかったのだが、その後方にレウスカ海軍の強襲揚陸艦を中心とする小規模の艦隊がいることを掴んだ。
ブリタニア海軍の水上部隊が、この揚陸部隊と思われる艦隊の攻撃にかかるためには、St-37の編隊を排除しなければならないと判断され、この任務にアイギス隊が動員されたのである。
アイギス隊はハヴァントシャーのウィンチェスター空港での補給を終えた後、ハヴァントシャー西部沿岸へと向かっていた。
『スカイベースよりアイギス1。こちらのレーダーでは何も捉えられていないが、そちらはどうだ?』
「こちらも視認できていない」
『了解した。確認したら、情報を送ってくれ』
「了解」
彼らアイギス隊の誘導管制を担当している早期警戒管制機は、沿岸部での作戦行動のために出動している。このAWACSに乗り込んだ管制官が、ハヴァントシャー一帯上空を飛ぶ戦闘機の誘導管制を行っていた。
スカイベースというコールサインを使用しているこの男性は、軍人と言うよりは保育士と言った感じの朗らかな声をしている。普段は、何だ男か、と露骨に態度を変えるジグムントも、珍しくご機嫌に私語をして注意されていた。
アイギス隊は二機編隊単位に分かれて索敵をしている。ハヴァントシャー一帯に散った彼らは、互いをカバーするように飛んでいる。
最初に気づいたのは、ハヴァントシャー南部を西に向かって飛んでいるアイギス9とアイギス10だった。
『こちら、アイギス9。レーダーに反応のない未確認機を確認』
『アイギス10より各機。こちらも確認した』
その一報と共に、他のパイロットたちはその方面へと急行する。レオンハルトが巡航速度で向かっている間にも、通信は切迫した状況を伝え始めた。
『アイギス9より各機。やはりレーダーに反応なし』
『敵味方識別装置にも反応がない。未確認機を敵性機と判断する』
アイギス9とアイギス10が確認したのは、敵部隊だったようだ。戦域情報システムの情報が更新され、四機の敵性機が西から接近していることが分かる。
「アイギス1よりアイギス9。交戦は僚機が合流するまで控えろ」
『了解。敵機接近中につき、北東部に向けて後退します』
アイギス9の戦術コンピュータがデータリンクし、撤退進路と予測合流地点が表示される。一番近いのは、ジグムントとイオニアスの二人だ。
四機のSt-37はかなりのスピードでアイギス9を追いかけている。合流地点付近でアイギス9に追いつきそうだ。
三分ほど巡航速度で飛行していると、ジグムントたちが合流したという通信が入った。悩んだ末に、交戦を許可する。ジグムントたちと合流したアイギス9とアイギス10は、反転して四機のSt-37を迎え撃った。
なおもレオンハルトが戦場へと向かっていると、別のエレメントからも敵と接触したという報告が入ってくる。どうやら、こちらだけではなく、敵も分散していたようだ。ならば、アイギス9への合流も考え直さなければならない。
「アイギス7、接触した敵は何機いる?」
『二機です。こちらと同数』
「分かった。交戦を許可。敵は散らばっている可能性が高い。増援は来ないと思って戦ってくれ」
『了解』
通信が切れる。地図を見ながら、交戦中の敵味方の位置から、他の敵機がどこにいるのか割り出せないかと頭の隅で考えていると、視界に豆粒のような、しかし確実に空を飛んでいる物体が見えた。
カエデも発見したようで、警告の通信を入れてくる。レオンハルトは未確認機発見をAWACSに報告すると、機首をその未確認機へと向けた。
「アイギス1より各機。敵は広範囲に分散して展開している。各自の判断で交戦せよ。ただし、敵が多いときは無理をするな。他のエレメントと離れすぎないようにWAISを常に確認しろ」
編隊各機にそう伝えると、前面の敵との戦闘に思考を集中させる。
開戦以来、苦杯をなめさせられ続けたSt-37。だが、登場から半年が経ち、撃墜された機体を回収するなどしてPATOも分析を進めている。分かったことは、PATO諸国よりも進んだステルス技術を統一連邦が有していることと、空戦性能の高さ、そして何より低速度域での非常に安定した飛行性能があることだ。
ただ、そんなSt-37も高速度域での機動性はF-18Jに一歩及ばない。レオンハルトは1000フィートほど上昇し、アフターバーナーも使用して、敵機へ向かって一気に加速した。少しだけ上昇して一気に下降するハイ・ヨー・ヨーで敵へと詰め寄りながらミサイルを発射。同時に敵機が回避するだろう方向に機首を向け、トリガーを引く。ミサイルは逸れたが、機銃弾が主翼の先端を撃ち抜いた。
「惜しいな。あと少しだったか」
レオンハルトとカエデはそのままのスピードで敵機とすれ違い、機首を上げて反転。きれいなインメルマンターンで敵の上空を取ろうとする。
一方、先手を取られた敵も黙ったままではやられなかった。失速寸前の状態から旋回し、反転中のレオンハルトに向けて機関砲が火を噴いた。
ギリギリでこれを躱したレオンハルトが敵と向かい合う。先ほどは気づかなかったが、ラピス戦線で因縁のあった百合のマークが描かれている。
「あいつか! アイギス2、そっちはどうだ?」
『鴉のマークです!』
たびたび苦しめられてきた宿敵。だが、ラピス戦線の時のようにはいかない。PATOの解析によって、どのような戦い方が最も有効なのか、ということは判明している。
「アイギス2、速度を緩めるな。ヘッドオンで攻撃を叩き込め!」
『了解!』
St-37は低速度域での機動性能に優れている。失速寸前の状態でも旋回が行えるほどであり、パイロットからすれば、オーバーシュートを狙われる危険性が高かった。故に、速度を落とすことなく、一撃離脱戦法ですれ違いざまに攻撃を行う。これこそが、PATO軍の分析結果からレオンハルトが結論を出した、対St-37専用の戦法だった。
今回は、その戦法が通用するかどうかという戦いになる。通用すれば、少なくとも空軍の劣勢は覆すことが可能になるだろう。
知らず、操縦桿を握る手が震える。それを抑え込みながら、スロットルを開けて加速する。“百合”は先ほどの攻撃から上手く立ち直れていないようだ。こちら側の速さに対応できずに攻撃しかねている。
すれ違う瞬間にトリガーを引く。今度は機体の側面を掠った。“百合”のSt-37が煙を噴きながら離れていく。
「当たらんな……。こうも速いと攻撃を当てるのも一苦労か」
レオンハルトがつぶやいた通り、敵は高速度域でのF-18Jの機動について来られない。これは確実だ。ただ、戦闘の速さにこちらの意識もついて行っていない。一瞬で通り過ぎてしまうために、非常に照準を合わせづらいのだ。
とはいえ、攻勢航空作戦ならばともかく、今回のような防衛が主体となる作戦ならば、敵を釘付けにして作戦目標を遂行させないことが重要事項だ。一種の膠着状態を作り出すこの戦法も、防空作戦ならば問題ないと判断できる。
戦闘が終わった後の報告書のことを考えながら、レオンハルトは再び攻撃に移るべく旋回する。
だが、二度も至近弾を受けた“百合”は戦闘を継続するつもりはないらしい。反転することなく、そのまま西へと逃げていく。
『隊長、どうします?』
カエデが機体をレオンハルトに寄せながら聞いてくる。追撃してもいいところではあるのだが――
『アイギス6よりアイギス1。敵に囲まれました。援護をお願いします』
隣接する空域を飛んでいた僚機から通信が入る。どうやら苦戦しているようだ。助けに行かなければなるまい。
「追撃はしない。助けに行くぞ」
『了解です』
去って行く敵機を見据えながら、ゆっくり旋回する。WAISを確認すると、アイギス6はアイギス5と共に四機の敵を相手にしているようだ。
「アイギス1よりアイギス5、6。今から行く。後少しだけ踏ん張れ」
そう言うと、巡航速度まで加速し、北東の空へと飛んでいった。
この日、アイギス隊は三機のSt-37を撃墜し、開戦以来、あれだけ苦しめられていたSt-37の編隊を撃退することに成功した。
一方、強襲揚陸艦を中心とした敵艦隊も早々に撤退したようで、ブリタニア海軍の水上部隊が到着した頃には、南へと引き上げていた。
アイギス隊の重要な作戦目標である、撤退中だった二つの旅団は、無事に目的地に到着し、避難民の群れもレウスカ人民軍の攻撃を受けることなく方々へと逃げることができた。
一方、レウスカ人民軍はブリトン地峡を制圧した後、ハヴァントシャー南部の街ワーリントンを占領し、ブリタニア本土侵攻に向けて軍を展開させている。
ブリタニア陸軍地上部隊司令部は国内に駐留する即時展開可能な全部隊を投入してレウスカ人民軍を食い止めることとし、同時に国外展開している部隊の一部を帰国させることを決定した。
だが、帰還を命じられた第19機甲旅団がブリタニアの地を踏むことはなかった。
12月10日、第19機甲旅団を載せた揚陸艦ラーストンベイを始めとする第4水上部隊が、ローヴィス大陸の北に広がる北海を航行中に、護衛艦もろとも撃沈されてしまったのである。
北海の悲劇と言われることとなるこの事件は、王国海軍は敗れず、と自負していた海軍上層部に衝撃を与えることとなる。
冬の北海は荒れやすいと昔から言われている。揚陸艦ラーストンベイの艦橋では、艦長のラッセル大佐が荒れてきた夜の北海を眺めていた。
このラーストンベイを始めとする四隻の揚陸艦は、第19機甲旅団を載せてオーヴィアス連邦から本国への航路にあった。戦時中とは言え、北海はブリタニア海軍が完全に制海権を掌握している。護衛も二隻のフリゲートがついており、ラッセル大佐は無事にブリタニア本国へ到着することを疑っていなかった。
本国では陸軍と空軍が苦しい戦いを強いられている。それに比べて、ブリタニア海軍はレウスカ海軍を全く寄せ付けることなく、未だ敗北を知らない。陸軍も空軍も実に不甲斐ないものだ、と馬鹿にしながら、レーダーを確認していた。
レーダーに映らない新型機の登場はラッセル大佐も知っていたが、そのことに関しては護衛のフリゲートが何とかするだろうと考えていたのだ。
当直士官が艦橋にやって来て、業務の引き継ぎを行っていた時、異変は起きた。
「レーダーに反応! 距離10000!」
「何だと? ……全く。空軍は何をしているんだ」
レーダーを見ると、確かに反応がある。数は四つ。この規模ならば、護衛のフリゲートで十分に対処が可能だ。それにしても、敵は一体全体どこからわき出てきたのか。海上ならばもっと遠くから探知できてもおかしくないはずなのだが。
そんなことを考えていると、護衛のフリゲートが艦対空ミサイルを発射した。命中するかどうかは不明だが、護衛艦がいることを相手に警告できるだろう。
ミサイルの反応をレーダーで追う。放たれた八発のミサイルは順調に敵機へと向かっている。そのままミサイルは敵機へと直進し、命中した。
「ずいぶんと拍子抜けだな」
「全くです。空軍はこの程度の敵も撃退できないのでしょうか」
ラッセル大佐が呆れていると、当直士官もこれに同調した。改めて業務の引き継ぎに戻る。
引き継ぎを終え、自室に向かっていたその時、爆発音が聞こえた。近くだ。揺れがないことから、この艦でないことは分かったが、何か事故でも起こったのか。
艦橋へと戻ったラッセル大佐は、信じられないものを目にする。
「あれは…… どういうことだ。一体何が起きている!」
二隻のフリゲートの内、一隻が激しい炎を上げながら燃えている。戦闘能力は完全に喪失しているだろう。
呆然とその光景を見ていると、もう一隻のフリゲートが爆発した。事故ではない。確実に敵の攻撃だ。しかし、レーダーには反応がなかった。
「最大戦速でこの海域を脱出しろ!」
ディーゼルエンジンをフル回転させ、18ノットの最大戦速で航行を始めるが、航空機から逃げられるはずもない。次々にミサイルの攻撃を受け、揚陸艦は炎上。ラーストンベイも船尾に命中弾を受け、航行不能に陥った。
「艦長、あれを!」
艦橋から上空を見ると、黒塗りの戦闘機が四機、空を飛んでいる。次々にミサイルを放っては、艦隊にトドメを刺していた。四機の内、一機が高度を下げる。艦橋に向かって真っ直ぐ飛んできた。
「いかん! 総員退避! 総員退――」
戦闘機の機関砲が火を噴き、ラーストンベイの艦橋を粉々にする。ラッセル大佐は、艦橋にいた乗務員と運命を共にした。
12月10日の夜に発生した「北海の悲劇」は、揚陸艦四隻とフリゲート二隻、そしてその乗員と兵員併せて2500名あまりの犠牲を出すという、王国海軍史上でも類を見ない悲惨な事件となった。
ブリタニア軍がこの衝撃から立ち直ることのできない中、12月12日、レウスカ人民軍はブリタニア本土への侵攻作戦を開始した。