第三話 慢心の代償(1)
要塞司令部との通信が繋がらない、という話を聞いた時、レオンハルトは悪い予感が当たったのだろうとため息をついた。基地司令のランバート大佐は余裕の態度を崩していなかったが、アイギス隊の面々――特にラピス戦線を戦った四人は、この事態が容易ならざるものであると考えていた。
果たして、三十分ほどして再びやって来たランバート大佐の表情は蒼白を越えて土気色になっており、もたらされた情報は回廊要塞の無力化であった。
基地職員が誰も呼びに来なかったために気づかなかったのだが、滑走路は復旧している。レオンハルトはすぐさま出撃に移ろうとしていたのだが、そこへ上司であるヒサカタ准将がやって来た。
「少佐、ちょっと急ぎすぎだ。方針も定まっていないのにどうするつもりかね?」
「自分が与えられている任務はあくまでもブリタニア軍の支援ですから」
レオンハルトがすました顔で答える。ヒサカタ准将は苦笑いを浮かべながら言った。
「それはそうだが、戦闘が終わったらここに帰ってくるつもりか? その頃には陥落しているぞ」
「出撃した後でも、通信で伝えていただければ十分なはずです」
「先ほどは要塞司令部と通信が繋がらなかった。今は復旧しているが、また妨害されるかも知れないだろう」
レオンハルトが黙り込む。通信のことが頭から抜けていたのは、少し焦っていたからだろう。
「撤退先はハンプルトン基地だ。我々、第6航空団はそこを新たな拠点とすることになる」
「了解しました」
レオンハルトたちが敬礼すると、ヒサカタ准将は嫌みなくらいに様になった敬礼を返した。去り際にカエデへウインクしたのも、これまた嫌になるくらい似合っていた。
「なあ、あれ本当にニホンのお貴族様なのか? ずいぶんと軽いようだが」
「……言葉は慎め。仮にも上官だぞ」
ジグムントをたしなめるが、レオンハルトも言葉や口調に表れている。カエデは苦笑いをしていた。
待機室を出て、準備を終えていたF-18Jに乗り込んで出撃する。航空整備士たちは出撃するアイギス隊に敬礼した後、慌ただしく撤退の準備を始めた。
『アイギス1、クリアード・フォー・テイクオフ』
アイギス隊が南の空へと飛ぶ。待ち受ける空は、彼らの前途を示しているかのように暗雲に包まれていた。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。我が軍は戦いを優位に進めていたはずだったではないか。プリンス・オブ・グウィネズ連隊第1大隊の大隊長であるリンゼイ中佐は、砲撃によって無残な有様となった戦場を呆然と見つめていた。
塹壕と廃墟を利用して、迫り来る共産主義の手先を撃退する。回廊要塞からの支援砲撃もあって、これまでの戦いはブリタニア陸軍が優位に進めていた。
だが、空から降ってきたあの砲撃が全てを変えてしまった。為す術なく砲撃を受け続けた回廊要塞は戦闘能力の過半を失っている。要塞前面に網の目のように張り巡らされていた塹壕も至る所に大穴が開いており、むしろリンゼイ中佐がいたところが爆撃されなかったのが不思議なくらいだ。
空から陸軍を守り、攻撃機を寄せ付けることなかった頼もしい王国空軍の戦闘機は、あの空飛ぶ船を攻撃しようとして、一方的に撃墜されてしまった。もはや、陸軍を守るものはなく、前面の敵は温存した戦力で突撃を始めている。
そこまで理解したリンゼイ中佐は、生き残っていた周囲の部下たちに撤退を命じた。
「撤退だ! 撤退しろ!」
大隊の兵士たちは弾かれたように装甲車に乗り込み、要塞に向けて発進する。リンゼイ中佐も近くの偵察装甲車に乗って、レウスカ人民軍の執拗な砲撃の中を疾走した。
直撃を受けた装甲車が爆発し、横転する。背面は装甲がそこまで厚くないため、この砲撃の中を撤退するのはとても危険だ。
至近弾がリンゼイ中佐の乗る偵察装甲車を揺らす。操縦手が対砲レーダーを確認しながら、必死にハンドルを切る。だが、それも長くは続かない。後方から接近するレウスカ人民軍の戦車が放った砲弾が、偵察装甲車の左三輪を吹き飛ばし、走行不能にした。
「総員脱出! 全力機動で逃げろ!」
リンゼイ中佐の叫び声と共に、偵察装甲車の乗員が飛び出し、装甲服の安全リミッターを解除して全力機動で逃げていく。しかし、戦車の装甲をも貫く機銃弾が放たれ、次々に乗員たちが地面に倒れ伏す。
唯一残ったリンゼイ中佐は、近くの塹壕に飛び込み、携帯している武装を確認する。短機関銃と無反動砲が一丁ずつだ。
「何とかなれば良いんだが……」
手鏡を使って塹壕の外を確認する。レウスカ人民軍のT-74戦車三台が近くにいる。
リンゼイ中佐は戦域情報システムの詳細マップを呼び出し、周囲の地形や塹壕を確認した。もちろん、先ほどの砲撃によって消滅した塹壕もあるが、ある程度周囲の様子が掴めれば良い。
タイミングを計り、無反動砲を一番後ろのT-74に向けて放つ。同時に、右方の塹壕跡に向かって飛び出しつつ、対戦車弾を装填する。放たれた対戦車弾が命中すると、砲塔下部に収納された砲弾に誘爆し、砲塔が吹き飛ぶ大爆発を起こした。一瞬遅れて、二台の戦車が先ほどまでいた塹壕に砲撃を加える。塹壕が跡形もなく吹き飛んだ。
「危なかったな……。あまり冒険はできないか」
二台の戦車を一直線上に捉えられる地点まで移動し、再び無反動砲を発射。T-74に命中した爆発音を聞きながら、塹壕の中を移動する。最後の戦車も無反動砲で沈め、ようやく周囲の敵がいなくなった。塹壕から這い出て、視界を確保しつつWAISを確認する。近くに撤退中の味方装甲車がいた。
「よし。合流だ」
無反動砲を装甲服に収納し、味方へ向かって移動する。リンゼイ中佐は、味方と合流した後、無事に撤退することができた。
だが、それは幸運な一例に過ぎず、回廊要塞前面に展開した部隊の内、生き残れたのは実に三割という前代未聞の損害を出していた。
レウスカ人民軍は、攻撃再開から一時間で要塞正面に到達。ブリタニア陸軍は回廊要塞からの絶望的な撤退戦に突入した。
その頃、コリドー空港を飛び立ったアイギス隊は、回廊要塞上空で撤退援護のための戦闘を繰り広げていた。回廊要塞管制部はシチシガの二度目の砲撃で吹き飛んでいるが、ヒサカタ准将の手配で南ブリタニア防空本部がアイギス隊の誘導管制を行っている。
『サウス・コントロールよりアイギス・スコードロン。敵機接近。距離5000、数は十六』
「了解」
大規模な空戦をあまり経験していない新入りパイロットたちも飛んでいる。レオンハルトとしては、彼らを無事に地上へ帰さなければならないという使命もあり、重圧を感じていた。
今になって、ようやくルドヴィク中佐の苦労が分かる。彼のおかげで、自分は気負うことなく戦えていたのだと実感していた。レウスカ空軍の戦闘機や攻撃機を退けながら、僚機への指示も続ける。非常に骨の折れる仕事だ。
「アイギス7、後ろにつかれるぞ。アイギス8、援護を」
「アイギス1よりアイギス12。突っ込みすぎるな。こっちの方が数は少ない」
「待て、あれは陽動だ。上空を見ろ」
不慣れな戦いを続ける新入りたちをカバーしつつ、敵の攻撃を避ける。攻撃はカエデに任せていた。二番機の面目躍如とばかりに次々とレオンハルトを狙う敵機を葬り去る。
『アイギス2、調子が良いな!』
『アイギス3、9時方向に敵機』
『分かってるよ、アイギス4』
ジグムントとイオニアスのコンビも相変わらずだ。先日の戦闘でもそうだったが、ますますコンビネーションが良くなっている。ジグムントが敵機を追い回して釘付けにし、そこをイオニアスが仕留めるという猟犬とハンターのような戦い方だ。
背中を預け合い、互いを狙う敵を切り裂くような戦法のレオンハルト・カエデのコンビとはまた違った戦い方である。
ラピス戦線を経て、練度を高めた四人に対して、やはり経験不足の新入りたちは目の前の敵に集中しすぎるところがある。戦闘を続けていれば、その内コツを掴むだろうが、そこまで生き残れるかどうかはレオンハルトがどれだけ的確な指示を出せるかにかかっている。レオンハルトはそう思っていた。
防空本部からのデータリンクでWAISの情報が更新される。攻撃機の大部隊が護衛機と共に接近していた。
『こちら、サウス・コントロール。敵攻撃機の接近を確認。回廊要塞からの撤退はもうすぐだ。何としても食い止めてくれ』
防空本部からの通信に、レオンハルトは迷う。新入りたちを攻撃機の対処に回すか、それとも護衛機と対峙させるか、ということを考えていた。
熟慮の末、自分とカエデだけで護衛機に対処し、残りを攻撃機排除にあてるという決定を下した。ジグムントとイオニアスに新入りを援護させるという意図がある。
これを伝えたところ、珍しくイオニアスが通信を入れた。
『反対だ。護衛機も数が多い。二人だけでは対処できない』
確認できるだけで攻撃機の数が十二、護衛機も同数という状況を見れば、イオニアスの言葉は正しかった。反論しようとするが、新入りを不安に思っていることは口にできない。レオンハルトが黙り込んでいると、イオニアスが続けて口を開く。
『部隊が新しくなって、不安を感じているのは分かるが、俺たちはプロだ』
「――お前」
『そうですよ、隊長。ちょっと心配しすぎです』
カエデの言葉に思わず絶句してしまう。自分は心配しすぎだったのだろうか、と。
『半々で行こうぜ、隊長。攻撃機の方は俺たちに任せろ』
『アイギス5から8までは護衛機を、アイギス9から12までは攻撃機を担当。これでどうです?』
「――参ったよ。私が間違っていた。そうだな、隊長として部下を信頼しなければいけなかったんだ」
苦笑いでカエデの提案に応じる。二手に分かれ、一方をジグムントが率いることとなる。
「気を取り直して、お客さんを歓迎するぞ。アイギス3、そっちは任せた」
『ああ、任されたよ。――アイギス3、交戦!』
『アイギス4、交戦』
ジグムントに率いられて、攻撃機の飛ぶ低空へと加速していく。レオンハルトたちも、攻撃機の上空を援護する護衛機への攻撃にかかる。
護衛機は、レウスカ空軍の主力であるBol-31とも、統一連邦が投入したSt-37とも違う新たな戦闘機だった。
「また新型か……。だが、今は戦うだけだ。――アイギス1、交戦」
『アイギス2、交戦』
交戦宣言と共に、レオンハルトの合図で一斉にミサイルが放たれる。ミサイルは敵に向かって直進するが、一定の地点で途端に目標を見失ったようにバラバラな軌道を飛び始めた。どうやらレウスカ空軍の新型戦闘機も、あのファントムと同じような電子妨害装置を積み込んでいるらしい。
1980年代以降、電子妨害装置の急速な発達によってミサイルの優位性が徐々に低下しつつあったが、今回の戦争ではそれが如実に表れている。その結果が、第4世代戦闘機同士による、本格的なドッグファイトの出現だ。
空戦性能の維持に努めた戦闘機は、この戦争で評価を上げている。しかし、ミサイル搭載能力や、誘導性能の強化に腐心した機体は、ドッグファイトでの一方的な敗北を喫している。
この点に関して言えば、第231飛行隊に配備されたF-18Jは、最強の制空戦闘機と評されるだけあって、なかなかのドッグファイト能力を有している。対して、レウスカ空軍の主力機であるBol-31は加速力こそ世界随一の性能であったが、ドッグファイト能力には欠けており、F-18Jに対して、キルレシオで大差をつけられている。
ここに登場したのが、統一連邦が開発したSt-37だ。St-37は第4世代戦闘機の中でも後発の存在で、第4.5世代戦闘機とも呼ばれる、ミサイルの搭載量を減らし、ドッグファイト能力を高めたタイプの戦闘機である。
第4.5世代戦闘機はレーダーに対するステルス性能も付与されるようになっており、ますます空戦のドッグファイト傾向が強まる一因となっている。
レウスカ空軍は、老朽化しつつあるBol-31を更新するために、統一連邦で開発が打ち切られた戦闘機計画を流用し、国産戦闘機の開発を進めていた。
そして、その開発が終了し、初めて実戦投入されたのがブリタニア戦線であり、第三次回廊要塞攻防戦の最終盤だった。
レウスカ空軍が満を持して投入した戦闘機の名は、KZL-90戦闘機、通称は竜巻。このKZL-90が、St-37共々、宝石戦争前期から中期にかけての環太平洋条約機構を、大いに苦しめることとなる。
さて、そのKZL-90の初陣の相手となるレオンハルトは、ファントムとはまた違った新型機の遭遇にも怯むことなく戦闘を進めていた。ミサイルが通用しないと分かった時点で、戦法を切り替えてドッグファイトへ移る。
敵の数が二倍なので、機体性能がほぼ互角となったこの戦闘では、本来ならばレウスカ空軍側が勝ってもおかしくない。
だが、アイギス隊は互角以上に戦い、敵を圧倒していた。ラピスの激戦をくぐり抜けた二人だけでなく、新入りパイロットも二機を相手に互角の戦いを見せたのである。
そもそも、新入りとは言え、教導部隊での厳しい訓練を勝ち抜いてきたエリートだ。ある程度の戦闘経験を積めば、質より量を重視する傾向のあるレウスカ空軍に負けないパイロットとなる。
護衛機を牽制している間に、ジグムント率いる分隊が攻撃機を襲う。護衛のない攻撃機は、足が遅いだけのただの的だ。逃げ回る攻撃機を徹底的に追い詰め、レオンハルトたちが二機を撃墜し、三機を撤退に追い込んだ頃には、残すところ一機となっていた。
『やたら逃げ上手な奴だったが、これで終わりだ!』
ジグムントがトリガーを引き、攻撃機を蜂の巣にする。これで全ての攻撃機を撃墜したことになる。
『敵が撤退します!』
「よし。とりあえずこれで一休みだ」
護衛対象を失ったKZL-90も反転して去って行く。レオンハルトが僚機の無事を目で確認していると、通信が入った。
『こちらサウス・コントロール。アイギス1、良くやってくれた。君たちのおかげで残存部隊はひとまず安全地帯まで撤退できた』
「これで仕事は終わりか?」
『ああ。上もようやく増援機を出してきた。撤退は続いているが、後はこちらの空軍が処理をする。君たちは補給を――』
不自然に通信が途切れる。電子妨害か、とレオンハルトが周囲を警戒する。少しして再び防空本部との通信が繋がったが、彼の声からは動揺が伺えた。
『すまないが、もう一働きしてくれないか? 増援がやられた。例のファントムが現れたらしい』
「補給は? 燃料はともかく弾薬がないぞ」
『近くの空港に輸送機を回す。そこで補給を受けてくれ』
防空本部の戦術コンピュータとデータリンクし、目的地が表示される。ここから20キロほど北東にある民間空港だ。
『要塞からいろいろ積み込んで逃げ出してきた輸送機でね。弾薬もたくさん積んでいるそうだ』
「そりゃありがたい」
レオンハルトがそう言うと、皮肉の成分を感じ取ったのか防空本部の管制官は苦笑いをした。
『我が軍が不甲斐なくてすまないな。地上で会ったら一杯おごるよ』
「その約束、忘れるなよ。私だけでなく、全員分だ」
管制官が笑いながら、分かった、と答えて通信を切る。
開戦以来、ずっとこんな感じだ。いつもついていない。レオンハルトはそう思いながら、機首を北東へと向けた。
「アイギス各機。補給を済ませたら、また戦闘だ。サウス・コントロールとの約束もある。生きて帰るぞ」
全員が了解、と答え、レオンハルトに続く。
戦場はブリトン地峡から、いよいよブリタニア本土へとその舞台を移すこととなる。