第十二話 第一次ヴェルサイユ市街戦(4)
上空からの攻撃によって事態は一変した。二機の新型機が現れたことで、アイギス隊は大混乱に陥ったのである。二機のファントムはアイギス隊を上から下へ通り抜ける。通過の瞬間に放たれたミサイルは、レオンハルトの目の前を飛んでいたアイギス11の機体を打ち砕いた。
『罠だったのか!』
『アイギス5、回避を!』
「分かっている……!」
レオンハルトのコックピットにもミサイル警報音が鳴り響いていた。チャフとフレアを撒き散らしながら、寸前でミサイルを回避する。レオンハルトの後ろに続いていたカエデやジグムント、イオニアスも無理矢理なブレイクでミサイルを回避した。
「百合のマーク! 奴らか!」
回避しながら敵機を視認する。開戦以来、レオンハルトとは何かと因縁のある敵機だ。
機体を水平飛行に戻せないまま、敵の攻撃は続く。ブレイクで減速したレオンハルトの機体に複数の機銃弾が穴を開けた。
「くっ……」
『大尉!』
思わずカエデがレオンハルトを階級で呼んでしまう。レオンハルトの機体は、飛行こそ可能だが、戦闘機動がためらわれるくらいの損傷を負っていた。それでも、レオンハルトは機体になるべく負荷をかけないように敵の攻撃を回避するという高度な芸当を見せていた。
一方、ルドヴィク中佐はアイギス隊の注目を引きつける役目を担っていた二機のファントムとのドッグファイトに突入していた。機体性能はこれまでの戦闘からほぼ互角だと考えられている。一対二である上、ルドヴィク中佐の機体は先ほど主翼の先端を損傷している。
非常に不利な状況であったが、レオンハルトは回避に手一杯であり、他の三人もファントムに翻弄されている。援護は無理だった。
『隊長!』
『騒ぐな。俺なら大丈夫だ』
ルドヴィク中佐はそう言うと、機銃弾の嵐を回避しながらも攻撃を続ける。急旋回を繰り返し、巧みに敵の偏差射撃を逸らしていく。それはもはや芸術的と言っても良いほどの見事な動きだった。
早期警戒管制機からのデータリンクもあまり意味をなさない中、ルナール6からの通信が入った。
『ルナール6よりアイギス! あと少しだけ耐えてください! 救援機が発進しました!』
実はこの時、三手に分かれていた殿軍はそれぞれファントム編隊の攻撃を受けており、ラピス特別展開部隊の空軍作戦本部は混乱状態にあった。この状況を見て、ラピス国防空軍の一部の戦闘機部隊が殿軍支援のための出撃を上層部に直訴し、これを認められている。ルナール6が言った救援機とはこのことだ。
救援機が到着すれば、状況次第では敵が撤退するだろう。そこまで耐えられるかどうかは分からなかったが。
「救援か。そこまで耐えられれば良いのだが」
『不吉なこと言うんじゃねぇよ!』
いつものようにジグムントが叫ぶ。ルドヴィク中佐を除く四人は、戦況的にはともかく精神的には余裕を維持していた。
だが、ルドヴィク中佐は増援の報にも、了解、と応じただけで特にコメントすることがなかった。ルドヴィク中佐は、精神的な余裕を失いつつある。レオンハルトはさらに危機感を募らせた。
五分ほど、ひたすら耐える一方の戦闘が続く。何度も至近距離を機銃弾が通り抜けていき、未だ自分が飛んでいるのが不思議なほどの攻撃に曝され続けている。
『くそっ! もう限界だぞ!』
ジグムントが叫ぶ。他の面々も、度重なる無理な機動で体が締め付けられ、意識を失いそうになっている。
もう、駄目か。レオンハルトがそう思ったその時、レーダーに味方の反応が映った。
『味方だ!』
ジグムントが歓喜の声を上げる。レオンハルトもようやく一段落か、とため息をついた。
救援機の到着で気が緩んだのだろう。あるいは、ここまでの戦いで蓄積された緊張の糸が切れてしまったのかも知れない。ルドヴィク中佐とドッグファイトを繰り広げていた敵機の放ったミサイルが、ルドヴィク中佐の至近で炸裂した。破片がルドヴィク中佐の機体を切り裂く。
ルドヴィク中佐の機体は、明らかに飛行を維持できないレベルの損傷を負っていた。レオンハルトは機銃掃射で敵を追い払うと、即座に通信を入れる。
「アイギス1、脱出を」
『――電気系統をやられた。座席が飛ばん』
ルドヴィク中佐の言葉に空気が凍り付く。敵編隊は増援の接近を探知したのか、すでに帰投し始めていた。
『それは――』
『レオ、遺言だ。至らん隊長だったが良く支えてくれた。後を頼むぜ』
「ルドヴィク!」
レオンハルトは思わず名前を叫ぶ。
『カエデ、ジグムント、イオニアス。お前らもレオを頼むぞ。こいつは肝心なところで抜けてやがるからな』
『隊長!』
通信が途絶えた。機体は炎と煙に包まれながら、ゆっくりと降下していく。そのまま地表に激突し、爆発した。
『……アイギス1、ロスト』
反応の消失によって、ルナール6も状況を把握する。彼女の声は震えていた。
『こちら、シュレンヌ1。今、墜落した機体のパイロットは脱出したのか?』
「……いや、脱出は、していない」
『そうか……。間に合わなくてすまなかった』
「いや、良いんだ。救援、感謝する」
救援機が編隊に加わり、ルーアンを目指す。以降は、ラピス空軍機が殿軍に加わったためか、レウスカ空軍による追撃はなかった。
第一次ヴェルサイユ市街戦はこうして終結した。ラピス国防軍は戦力の30パーセントを喪失。ラピス特別展開部隊も少なからぬ被害を受け、それぞれ本国へ帰還することとなった。
第231飛行隊も日本本土への帰還が決定した。パイロット十六名の内、ルドヴィク中佐を始めとする九名が戦死し、撤退戦でベイルアウトした三名も戦傷退役を余儀なくされている。事実上の壊滅であり、部隊再編のための後方配置が妥当である、と判断されたためであった。
レオンハルトたちは、およそ半年の間、前線から遠ざかることとなる。
ヴェルサイユ上空をレウスカ空軍機が悠々と飛んでいる。まさしく、この都市がレウスカ人民軍の占領下に置かれたことを示す光景だ。
あれほどの激戦であったにも関わらず、市街中心部は大きな被害を免れている。戦闘がヴェルサイユ城壁の外側で終始したことと、ヴェルサイユに残った守備隊が徹底抗戦を選択せずに停戦交渉を行ったことが理由であろう。
ヴェルサイユ中心部の総統官邸では、第1軍司令部が軍政本部設立のための準備が行われている。その宮殿の一室に、統一連邦軍のレウスカ義勇軍団の指揮官であるサプチャーク中将が執務室を構えていた。
占領から間もないにも関わらず、すでに長年使っているかのように部屋に馴染んでいるサプチャーク中将の前には、ソーニャ・ヴィクトロワとヴィクトル・セレズネフが立っている。
彼らは、ラピス占領において大きな戦功を挙げたパイロットとして全軍にその名が知れ渡っている。特にソーニャはその端麗な容姿とパーソナルマークから「白百合」と呼ばれ、男性将兵の人気を集めていた。
そんな二人が、雲の上の存在と言っても良いサプチャーク中将に呼び出されているのは、勲章授与のためだ。
階級がはるかに上のサプチャーク中将に対して、二人は直立不動の体勢を取っている。だが、そのことを抜きにしても、サプチャーク中将が放つプレッシャーは並の人間ならば恐縮せざるを得ないほどのものだ。
「さて、同志ヴィクトロワに同志セレズネフ。君たちに勲章が届いている」
「大変光栄であります」
「うむ。君たちの前線での活躍は特筆すべきものがあった。よって栄誉勲章一級が授与される」
栄誉勲章は、統一連邦陸軍の下士官・兵、あるいは空軍尉官に授与される勲章で、積極的に戦いに臨んだことを称えるものだ。授与数の多い勲章だが、一級ともなるとさすがにそれなりの希少価値はある。
要するに、上層部が感心するくらいの戦果を挙げたことを示すものであった。
サプチャーク中将の副官が二人に勲章を渡し、二人はそれを自身の胸元に取り付けた。
「君たちには、私だけでなく軍上層部も大いに期待している。これからも職務に励みたまえ」
「はっ。ソヴィエト万歳」
ソーニャとヴィクトルが揃ってお決まりの文句を言うと、サプチャーク中将は皮肉げに微笑みながら復唱した。
部屋を退出し、長い廊下を歩く。しばらく歩いた後、ヴィクトルがおもむろに口を開いた。
「何というか、怖い人だったな」
「ええ。最後、やっと笑ったけど、余計に背筋がゾクッとしたわ」
ソーニャが周囲を気にしながら小声で答える。ここでは誰が聞いているか分からないからだ。
「例の噂、聞いてるか?」
「噂? ……ああ、守旧派のこと?」
統一連邦の最高権力者たるメニシチコフ書記長が進めるペレストロイカに反対する、軍内部の勢力。守旧派と呼ばれる彼らが、何らかの策謀を企てているのは、公然の秘密であった。
サプチャーク中将も守旧派に属する軍人だ。そもそも、この義勇軍団の派遣自体が、東西の軍事的緊張を煽ることで発言力を得ようとする守旧派のシナリオの一つでもある。当然ながら、サプチャーク中将も守旧派が企てる策謀に参加していると考えられるだろう。
「ラピスを占領したことで、戦争も一段落つくだろう。このまま終戦となってくれれば良いのだが」
「ええ。私もそう思う」
二人はそんな会話をしながら、総統官邸を後にした。
彼らの願いは結果として叶えられることはなく、二人はその後もPATO軍との小競り合いのたびに出撃を余儀なくされることとなった。
第一次ヴェルサイユ市街戦終結後の7月1日、ルーアンに撤退したラピス国防軍と政府高官は、協議の末にレウスカへの降伏を決定した。この際、パトリエール総統の決定に対して、国外派遣されている第1軍団司令官のジャリー中将が反乱を起こし、これに同調したラピス国防軍の将兵が続々と国外へ脱出している。
ラピスは国を二つに割ることで、戦後の復興を容易ならしめることを選んだのだった。
7月3日、ラピス全土はレウスカ人民軍の手に落ち、レウスカ軍政の下、ラピス共産党急進派の傀儡政権が樹立された。これに対して、オーヴィアス連邦に亡命していたゼレール外相が自由ラピス政府の設立を宣言し、ジャリー中将が合流している。
さらに7月5日にはバーレン王国首都のフェンハウゼン前面に迫ったレウスカ人民軍に対して、バーレン王国国王マウリッツ4世が降伏を宣言した後、専用機で首都を脱出した。
バーレン王国陸軍のメンゲルベルク元帥が降伏文書に調印し、臨時政府の主席となった一方で、陸軍中尉にして王太子であるフレデリック・ファン・デ・ケルクホフが王国軍臨時大元帥として、陸軍の大部分を率いて国土南部のヘット・ステーフ要塞線での抗戦を宣言している。
ここでレウスカ人民軍の進撃は、一時的に停止している。国連総会において、レウスカ人民共和国に対する非難決議が採択されたことがその理由だろう。この際、統一連邦がPATOとの全面戦争回避のために非難決議に賛成しており、これこそが最大の決め手だったと主張する専門家もいた。
レウスカ人民共和国のミハウ・ラトキエヴィチは、この非難決議に直面してPATO諸国との停戦交渉開始を承諾した。以降、三ヶ月にわたって両軍がにらみ合いつつも、大規模に戦火を交えることはない、という、いわゆる「ファニー・ウォー」の状況が訪れる。
多少の小競り合いを繰り広げながらも停戦交渉は続いていたが、PATO諸国の全面撤退要求を受け入れなかったレウスカ側は、10月15日に交渉を一方的に凍結。戦闘再開を宣言した。
この事態を想定していたPATO軍は、翌日から始まったレウスカ人民軍の大規模侵攻作戦に対して、かろうじて敗北を免れたものの、戦力を消耗。
一方のレウスカ人民軍は国家総動員によって前線へ将兵を供給していたため、波状攻撃を敢行。その結果、10月末にはラピス北部のブラバント共和国を始めとする西部諸国が陥落、ブリタニア王国とブランデンブルク公国の二大国が“西部戦線”においてレウスカ人民軍と向かい合うこととなった。
大陸中央部の“東部戦線”でも、レウスカ人民軍の攻撃がPATO軍に消耗を強いており、11月中旬には中央ローヴィス連邦が首都機能を、大陸中央部を貫くヨーツンヘイム山脈の麓にあるウプスラに移転。山岳地帯での抗戦を選択している。
東部戦線は、レウスカ人民軍が東ローヴィス連合とオーヴィアス連邦の国境が接する三角地帯に達したことで停滞を迎えたが、西部戦線は二大国の国境における要塞攻略戦が激化していた。
11月14日にはブランデンブルク公国の国境地帯に横たわる世界最大の要塞群であるキルヒバッハ要塞線への総攻撃が始まり、11月20日には同じくブリタニア半島とローヴィス大陸をつなぐ地峡に築かれた回廊要塞への第一次攻撃が行われている。
このような状況の中、日本帝国軍統合参謀本部は友邦支援のために空軍派遣を決定。第6航空団に白羽の矢が立った。再編を終えていた第231飛行隊アイギスも、この一員としてブリタニアへ派遣される。
レオンハルトは新たな戦場を飛ぶこととなったのである。