第十一話 第一次ヴェルサイユ市街戦(3)
ジョンソン中将がコルネイユ中将から指揮権を移譲された――ベルリオーズ大佐の回顧録によれば奪取した――後、彼は参謀たちとの協議を始めた。
「撤退とのことですが、順序を考えませんと。まずは――」
「まずは司令部だ。司令部を先に脱出させる」
参謀たちは愕然とする。ジョンソン中将は、真っ先に逃げることを公言したようなものだ。
「閣下、司令部が真っ先に逃げ出せば、兵士の信頼を失います。最後に撤退せよ、とは言いませんが、せめて一番に逃げるのだけは――」
「逃げるのではない! 撤退を円滑ならしめるためには司令部が先に脱出してから撤退の指揮を執らねばならん!」
ジョンソン中将の論は正しくもある。無秩序な撤退を行えば、損害は凄まじいものとなる。だが、司令部が真っ先に脱出するというのは、前線で戦う将兵にしてみれば、司令部が自分たちを置き去りにしたと思ってしまうだろう。
ジョンソン中将は参謀たちの進言に取り合うことなく、頑なに自説を主張し続ける。結果、参謀たちが折れ、司令部の脱出が決まる。
これでようやく撤退案の話し合いに移れるとため息をついた参謀たちだったが、ジョンソン中将はさらに参謀たちを凍り付かせるような案を出した。
「今回の敗戦、その責任は君たちラピス国防軍にある。撤退は環太平洋条約機構軍から行う」
この発言には参謀たちも強く抗議した。指揮権が得られなかったことに不満を持ち、司令室にいなかった男が何を言うのか、という思いもあっただろう。
さすがのジョンソン中将も参謀たちの猛反発の前に自案を押し通すことはできず、折衷案として地上部隊はPATO軍を先に撤退させ、その代わりにPATO空軍部隊を撤退支援のために最後まで残す、という案を出した。
参謀たちはここでさらに反発して撤退が遅れるのを恐れ、これを了承。撤退作戦が各級部隊に通知された。
オペレータが前線部隊の指揮官から間接的に、あるいは直接的に司令部が真っ先に撤退する事への文句を受ける中、司令部の脱出準備が始まった。
ジョンソン中将は、パトリエール総統に撤退を伝える、として早々に司令室から立ち去っており、撤退準備の指揮を執っているのは、ジョンソン中将から委任されたベルリオーズ大佐だ。
持ち出す書類と処分する書類とを分けているところへ、コルネイユ中将がやって来た。彼は指揮権を移譲しているために、司令部での役職を失っているのだが、前司令官として撤退準備を手伝っていた。
「大佐。君には迷惑をかけてしまったな」
「閣下、迷惑などと……。むしろ閣下の補佐役として実力が不足していたこと、誠に申し訳なく思っております」
コルネイユ中将の疲れた表情は、戦闘開始前から比べて、めっきり老け込んだように感じさせた。
「私はここに残って最後の守備隊と行動を共にするつもりだ」
「な――」
ベルリオーズ大佐は思わず絶句してしまう。
「この市街地に被害を与えないためにも、最後に残った部隊は降伏せねばならん。せめて敗戦の将として最後の責任を取りたいのだ」
そう言うとコルネイユ中将はベルリオーズ大佐の手をがっしりと握った。
「こんなことを言う資格もないのだが、後を頼む」
「……了解しました」
コルネイユ中将は頷くと、撤退準備へと戻っていった。これが、ベルリオーズ大佐が生前のコルネイユ中将と交わした最後の会話であった。
一時間後、ヴェルサイユ広域防衛司令部はその役割を終え、撤退作戦本部へと看板を掛け替えてラピス北東部の街ルーアンへと脱出した。
ジョンソン中将は一足早くパトリエール総統ら政府高官と共に大統領専用機でルーアンへと飛び立っており、司令部要員のさらなる反感を買っている。
司令部の脱出と同時にPATO軍部隊の脱出が始まった。ラピス国防軍部隊が殿軍を務める一方、撤退を拒んだ一部の将兵は、コルネイユ中将と共にヴェルサイユ市に残り、レウスカ人民軍との停戦交渉を始めている。
撤退開始から二時間が経った午後4時、レウスカ人民陸軍の第1軍司令官クラトフスキー大将は、コルネイユ中将との停戦交渉を一方的に取り止め、ヴェルサイユ市に残った将兵を捕虜として拘束した。
そして、ヴェルサイユ市街から脱出したラピス軍はレウスカ人民軍の追撃を受け始め、これを上空から支援することとなったのが、第231飛行隊アイギスを始めとするPATO空軍であった。
夕暮れに染まる大地を敗残兵の群れが疾走する。古来より撤退戦は多くの被害を出す戦いであり、現代戦においては特に航空機による地上攻撃が甚大な被害をもたらす。
それを防ぐのが殿軍となったPATO空軍の任務であり、不幸にもPATOに派遣されていたアイギス隊の任務だ。
彼らはレウスカ人民軍の戦車部隊が迫るヴェルサイユ国際空港を飛び立った後、三手に分かれて撤退を続けているラピス軍の内、高速道路A2号線を撤退する部隊の上空を飛んでいる。
今のところ敵の襲撃はない。だが、ヴェルサイユ国際空港を占領したレウスカ人民軍が追撃部隊を繰り出すのは時間の問題だ。PATO空軍はこの撤退作戦に早期警戒管制機を投入し、可能な限りの迎撃態勢を取っていた。
『こちら、ルナール6。レーダーに異常ありません。アイギス1、そちらはどうですか?』
『問題ない。周囲に敵の姿はないぞ』
AWACSがレーダーを確認し、現場を飛ぶパイロットが肉眼でレーダーに映らない敵を探す。新型機の登場によってPATO空軍が取り始めた警戒態勢だ。
しばらくの間、何事もなく撤退が続く。ジグムントが私語を始め、ルドヴィク中佐に怒鳴られた直後、再びルナール6からの通信が入った。
『ヴェルサイユ国際空港から、敵の大規模編隊が出撃しました。戦闘準備をお願いします』
『遂に来たか』
編隊飛行をしていたアイギス隊が散開する。攻撃機の接近を監視するためだ。
五分ほどで、レーダーに反応が出る。三十機ほどの編隊であり、攻撃機とその護衛機だろうと推測された。
『ルナール6よりアイギス1。全兵装使用許可』
『了解。アイギス各機、派手にやれ!』
ルドヴィク中佐の通信と共に、アイギス隊が一斉に反転する。レオンハルトもカエデと共に敵編隊へと機体を加速させた。二人は、低空から敵編隊へと向かう。ルックダウン能力のないBol-31に対する有効な戦術だ。
対するレウスカ空軍機も、無抵抗ではない。レオンハルトに接近された敵は、同じく低空へと降りてきた。そのまま低高度でミサイルを撃ち合う。
警報音が鳴り響く中、レオンハルトは上昇。正面から飛んできたミサイルが後ろから追尾する。1000フィートばかり上昇した後、誘導妨害装置を起動し、機体を斜めに傾けて急降下する。ミサイルはこの動きについて行けずにそのまま逸れていく。レオンハルトは機体の向きを変え、低空でミサイル回避をしていた敵機に上空から襲いかかった。
敵機を正面に捉え、トリガーを引く。数百発の機銃弾がBol-31の主翼をもぎ取り、コントロール不能となって地表に激突した。
「アイギス5、スプラッシュ1」
『グッドキル、グッドキル』
操縦桿を引き、機体を水平に戻す。カエデもヘッドオンで敵を撃墜し、レオンハルトに合流する。
『その調子で頼むぞ。アイギス5』
三機の敵を相手に奮戦するルドヴィク中佐はそれでも涼しげだった。僚機となっているアイギス7は、敵の猛攻の前に逃げるのが精一杯のようだ。
『アイギス7、大丈夫か?』
『すいません。少しきついです』
回避機動によって強烈なGを受け、苦しそうな声で応じるアイギス9。ルドヴィク中佐はしょうがねぇな、と言って自分を取り囲んでいた敵機を振り切ろうと加速した。とっさに食らいついてくる敵に対して、急減速をかけオーバーシュートさせようとするが、別の敵機の牽制攻撃によって主翼の先端を撃ち抜かれた。
『ちっ。しくじったか。――ああ、心配はないぞ、編隊各機』
機体を再び加速させながら、余裕たっぷりな声で無事をアピールする。機体は少しばかりバランスを損ねているようだったが、傍目には通常の戦闘機動を続けている。
命中弾を与えた敵に対して、お返しとばかりにミサイルを発射する。敵機は回避しようと急降下したが、ミサイルはその向こう側にいた敵の僚機に向かっていた。
慌ててフレアを射出するも、時すでに遅く、ミサイルは機体の横面に直撃して爆発する。
『ナイスキル、アイギス1』
『まだまだだがな』
ルナール6の通信に軽口で答える。普段ならば、めったにないことだ。レオンハルトは、ルドヴィク中佐がいつも以上に余裕を見せていることに気がついた。
ルドヴィク中佐なりに今回の戦闘に対する危機感があるのだろう。だからこそ、隊の士気を維持するべく、いかにも余裕があるように印象づけている。
パイロットとしてはともかく、指揮官としてはルドヴィク中佐に遙かに劣るだろう。レオンハルトがそんなことを考えていると、ルドヴィク中佐はさらに獅子奮迅の活躍を見せ始めた。
ミサイルを回避するために急降下した敵に対して、スプリットSで後ろを取りに行き、上昇しようとした敵機を機銃で仕留める。その直後、いつの間にか後ろにいた敵機を急加速からの急減速でオーバーシュートさせ、これまた機銃掃射で主翼と尾翼をもぎ取った。きりもみしながら墜ちていく敵を見届けることなく、アイギス9の援護に向かう。
二機の敵に追われているアイギス9に下から合流するような軌道を飛ぶ。接近をレーダーで感知したのか、敵の一方が減速したところを待っていたかのように、ルドヴィク中佐は機首を上に向けた。敵機が正面に来る瞬間、トリガーを引く。敵機が抱えていたミサイルに命中し、爆散した。
『今だ! アイギス9、やれ!』
アイギス9が急旋回する。僚機が墜とされたことに気が逸れていたのか、敵機はその機動についていくことができず、アイギス9が敵機の後ろを取った。同時に、アイギス9の機関砲が火を噴く。機銃弾は敵機のエンジンに突き刺さり、爆発を起こした。推力を失った敵機が墜落していく。
『ありがとうございます、隊長』
『油断するな。まだまだ敵は多い』
ルドヴィク中佐の言葉通り、敵は未だ二十機以上を数えている。おまけに攻撃機も護衛機に守られながら地上部隊への攻撃の機会を窺っていた。攻撃機部隊が低空飛行で地上部隊へと接近する。それを見たアイギス16が攻撃機部隊を止めようと機首を下げた。
『アイギス16! ブレイク!』
僚機のアイギス14が叫ぶ。攻撃機に気を取られたアイギス16は、敵の護衛機に後ろを取られていた。アイギス14の警告と同時にブレイクしようとしたが、すでに遅かった。
『な――』
ミサイルが直撃し、爆発する。脱出する時間は、なかった。
『アイギス16、ロスト』
『……気を引き締めろ。油断は身を滅ぼす』
開戦前、十六人いたアイギス隊のパイロットはこれで九人に減ったこととなる。ほぼ半数のパイロットが戦死しているのだ。部下を大事にしていたルドヴィク中佐としては、やりきれない気持ちで一杯だろう。だが、ここは戦場だ。感傷に浸っている暇はない。
先ほどにもまして、ルドヴィク中佐は奮戦する。感傷を振り切るような必死さだった。レオンハルトはその姿に危機感を覚えた。
「アイギス1、まだ先は長い。落ち着いていきましょう」
猛攻撃で立て続けに四機を撃墜したルドヴィク中佐に対して、落ち着くよう語りかける。だが、ルドヴィク中佐はそれに答えることはなかった。
『アイギス5……』
「分かっている。だが――」
『敵の増援を確認! ファントムだ!』
レオンハルトとカエデの会話を遮った通信は、アイギス隊に少なからぬ動揺を与えた。
敵の攻撃機は、ルドヴィク中佐の奮闘と地上部隊の濃密な対空砲火によって攻撃を諦め、すでに撤退を始めている。護衛機も数を減らし、ようやく一息つけるだろうかと思ったところへの、仇敵だ。
ルドヴィク中佐が、増援にやって来た二機のファントムへと機首を向ける。ルドヴィク中佐らしからぬ、慎重さに欠けた行動だ。レオンハルトは焦燥感を強める。
『全機、俺に続け。あいつらをここで墜とすぞ!』
レオンハルトが止める間もなく、ルドヴィク中佐は敵へと突入していく。その瞬間、アイギス隊を機銃弾の嵐が襲った。
『な、何だ!』
『主翼をやられた! コントロール不能!』
突然の攻撃によって、アイギス隊の三機が立て続けに撃墜される。幸いというべきか、パイロットの三人は緊急脱出している。
「中佐、上だ!」
レオンハルトが思わず叫ぶ。上空からは、アイギス隊に向かって二機のファントムが急降下していた。




