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宝石戦争(旧版・更新停止)  作者: 東条カオル
第一章 宝石戦争開戦
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第十話 第一次ヴェルサイユ市街戦(2)

 ヴェルサイユ広域防衛司令部が事態の急変に直面する少し前。ヴェルサイユの防空網に四機の輸送機が侵入した。だが、PATO軍のレーダーには何も映っておらず、付近を飛んでいたラピス空軍機も侵入した輸送機を視認することはなかった。

 それもそのはずであり、四機の輸送機は低空で防空網に接近し、レーダーの探知を免れた後、光学迷彩装置を起動させてから空域に侵入していた。


 光学迷彩自体は、東側諸国で開発された技術であるものの、実用化にはほど遠い段階だ。それを統一連邦は国内だけでなく、西側諸国から研究者をかき集めることで実用化にこぎ着けていた。


 四機の輸送機は、見咎められることなくティエール線を越え、ヴェルサイユ市街地上空を飛んでいる。輸送機の中では、統一連邦空挺軍の特殊部隊(スペツナズ)、第18独立親衛特殊任務連隊が出撃の時を待っていた。

 ヴェルサイユ中心部を通過した頃、機内に通信が入る。


『スペツナズ諸君、レウスカ義勇軍団司令官のサプチャークだ。聞こえているかね?』


 溌剌とした男の声が聞こえてくる。


『今回の任務、単体では小さなものでも、我が祖国の情勢に繋がる極めて重要な任務である。かかる任務に諸君を動員したのは、諸君の実力を信頼してのことだ』


 誰一人として喋ることなく、サプチャークの言葉を聞いている。ゆっくりと輸送機が高度を下げ始めた。


『諸君の活躍に期待している。ソヴィエト万歳(ウラー)

万歳(ウラー)!」


 機内の兵士たちが万歳を叫ぶと、輸送機のハッチが開いた。次々に兵士たちがハッチから飛び降りていく。

 ラピス軍に悟られることなく、戦場の後方に回り込んだスペツナズ。ヴェルサイユ広域防衛司令部に衝撃を与えた敵の正体は、統一連邦が誇る精鋭部隊であった。




 思わぬところから出現した敵部隊に硬直したヴェルサイユ広域防衛司令部の中で、いち早く動き出したのは、コルネイユ中将の信頼厚い作戦参謀のベルリオーズ大佐だった。


「敵が現れた原因は後回しだ! 動かせる部隊を探せ!」


 硬直していた参謀たちが弾かれたように動き出す。すぐに第2落下傘連隊の名前が挙がった。

 第2落下傘連隊は、海外派遣されている第9落下傘旅団の下級部隊であり、緊急時に対応するために残存している部隊だ。ヴェルサイユでの市街戦においては、投入するべき戦場がないことからラピス北東部のシュイップ基地に退避していた。

 コルネイユ中将も表情を改め、参謀と協議する。


「第2落下傘連隊で対処できるか?」

「正直な話、分かりません。ですが、第2落下傘連隊以外に対処できる部隊がありません」

「分かった。第2落下傘連隊を出そう。空軍に支援を要請しろ」

「はっ」


 参謀が通信機に飛びつき、第2落下傘連隊や空軍に現状を説明する。コルネイユ中将がその様子を眺めていると、ベルリオーズ大佐が歩み寄ってきた。


「閣下」

「ベルリオーズ君、よくやってくれた」

「いえ。それよりも、後方に回り込まれたことで前線部隊が動揺しています」


 確かに、前線からは突如として出現した敵の情報を求める通信が殺到している。放置しておくことはできない。


「どうするべきだと思う」

「前線を下げましょう。ティエール線も各所で分断されつつあります」


 WAIS(戦域情報システム)上ではティエール線を突破した敵が、ティエール線を維持する部隊の後方に回りつつあった。これを放置することはできないが、予備部隊はすでに投入している。

 悩んだ末、コルネイユ中将はベルリオーズ大佐の提案を承諾した。すぐに前線部隊へティエール線からヴェルサイユ城壁までの撤退命令が下る。


 ヴェルサイユ城壁はヴェルサイユ中心街を取り囲む城壁で、ヴェルサイユ伯が設置された頃に建造された歴史ある城壁だ。今では中心街と新市街を分ける境界線となっており、有事の際に軍事拠点として利用できるような改修を施された場所もある。


 撤退命令が下ると、地上部隊は空軍の支援の下、輸送ヘリや装甲車に乗って続々と中心街へと撤退を始めた。要塞線が敵に利用されないよう、要所では爆破処分が行われている。

 今後の展開としてベルリオーズ大佐が構想していたのは、要塞線攻略で少なからず消耗した敵を引きずり込み、兵站線を空軍や砲兵が叩くことによって、敵軍の士気を下げるという作戦だった。

 ティエール線ほどではないが、ヴェルサイユ城壁の軍事拠点もそれなりの防御力を誇っている。また、新市街南西部のあちらこちらに設けられたバリケードを利用して敵軍の進路を限定し、攻撃を容易にするという思惑もあった。

 唯一の懸念は新市街北東部のバルベス広場で交戦を続けている敵空挺部隊だった。今のところ、北東部に展開している部隊は戦線を支えているようだが、もともと後備役の部隊であったために不安は残る。


 第2落下傘連隊が早く到着してくれれば――。そんなベルリオーズ大佐の願いは、一本の通信によって打ち砕かれることとなる。




 シュイップ空軍基地。ラピス北東部の防空を司る空軍基地であり、また同じ敷地内にあるシュイップ陸軍基地と併せて、空陸一体作戦を遂行するための拠点ともなっている。


 今回、ヴェルサイユの戦いにおいて不要と判断された第2落下傘連隊は、このシュイップ基地で待機していたのだが、ヴェルサイユ広域防衛司令部からの緊急要請により、慌ただしくも出撃準備を行っていた。滑走路に駐機した五機のC-1G(エイジャックス)輸送機には空挺隊員が次々に乗り込んでいく。

 出撃準備開始から三十分ほどで、C-1Gは離陸体勢に入っていた。護衛には一個飛行隊がつけられ、四方を警戒している。


『ナヴァール5、クリアード・フォー・テイクオフ』

「ラジャー。クリアード・フォー・テイクオフ、ナヴァール5」


 最後尾となったナヴァール5の機長は、ベテランパイロットのカルノー少佐だ。パイロットとしての確かな腕を買われ、空挺部隊を輸送する第1輸送飛行隊のパイロットとなっている。


 滑走路を飛び立ち、編隊に合流する。十二機のオラージュ2000戦闘機が五機のC-1Gを囲むような隊形だ。


『こちら、ルーアン1。ナヴァール隊の護衛を担当する』

『ナヴァール1よりルーアン1。よろしく頼む』


 簡単な通信の後、ヴェルサイユへ針路を取る。彼らが向かっているのは戦場だったが、防空体制が充実していることや、PATO空軍とラピス空軍が制空権を維持していたために、緊張感が欠けていた。


 シュイップ基地を飛び立ってから十五分、ナヴァール5に搭乗している積荷管理者(ロードマスター)がレーダーの異常に気づく。


「キャプテン、レーダーに複数の反応が」

「何? ……本当だ。どういうことだ?」

「レーダー上では見えてもおかしくない距離ですが――」


 副機長も一緒になってレーダーと視界を確認する。だが、レーダーの反応らしき物体は見られなかった。不思議に思いながら、護衛の編隊に報告しようとしたその瞬間、2時方向を飛んでいた護衛機が突然爆発した。


「な、何だ!」

『て、敵だ! 敵がいるぞ』

『どうして気づかなかったんだ!』


 戦闘機パイロットたちの通信から動揺が伝わってくる。後ろだ、という誰かの叫び声が聞こえ、同時に護衛の戦闘機が次々に被弾し、コントロールを喪失した。反射的に、機体をサイドスリップさせる。今まで飛んでいた進路上を機銃弾が通り抜け、カルノー少佐の背筋が凍った。


 後方に敵がいる。それが分かった途端、輸送飛行隊はパニックに陥った。


『ルーアン1、何とかしてくれ!』

『機体を擦ったぞ!』


 輸送機パイロットたちの悲鳴に、護衛機が敵機の迎撃に向かう。WAISで確認できる敵機の数は、わずか四機だった。動揺していた編隊も、WAISの情報が表示された瞬間、安堵する。不幸にも撃墜された者もいたが、少数による奇襲攻撃ならば防ぐことは可能だと考えたのだ。


 だが、数で優るはずの護衛機は、たった四機の敵に翻弄され始めた。


 オラージュ2000は操縦性能が良く、パイロットからも人気の高い機体であったが、その機動性の高い機体が、敵機の機動についていけず、一方的に攻撃を受ける展開となったのだ。


『くそっ! こいつら、何なんだ!』

『ファントムだ! ファントムが現れた!』


 通信越しのパイロットたちの声は恐慌状態にあった。数で優位にあるにも関わらず、彼らは攻撃を仕掛けることができないでいる。

 一人、二人と致命傷を受けてコントロール不能に陥り、脱出していった。カルノー少佐は危機感を覚え、被弾に備えて高度を上げようとする。操縦桿を引き、上昇し始めたその時、目の前の輸送機が攻撃を受けた。機銃弾がエンジンに突き刺さり、爆発。左の主翼をもがれた輸送機は、炎を上げながら墜落していった。


『メイデイ! メイデイ! メイデ――』


 地上に激突すると共に通信が途絶える。爆発音は遅れて聞こえてきた。

 護衛機はすでに半分まで数を減らしている。輸送機に対する攻撃も激しくなってきた。ミサイル警報音がコックピットに鳴り響く。


「フレア射出!」


 大量のフレアを撒き散らしながら、必死にミサイルを回避する。何とかミサイルは回避できたものの、機銃掃射によって左翼のエンジンに命中弾を受けた。


「第1エンジン、出力低下!」

「停止しろ!」


 機体を強烈な振動が襲う。今度は右翼エンジンだ。


「右翼エンジン、二基とも停止しました!」

「不時着する! ロードマスター、空挺兵共に伝えろ!」

「は、はい!」


 ロードマスターが空挺兵に不時着をアナウンスする。カルノー少佐は操縦桿を握り直し、計器を凝視した。


「敵の攻撃は?」

「ありません。トドメを刺すつもりがないのでは?」


 そんな紳士的な敵なのだろうか、と思いながらも、そうであることを願わずにはいられない。


 僚機が次々に撃墜されていくのを眺めながら、カルノー少佐は高速道路(オートルート)への着陸態勢を取る。幸いなことに、道路上には走行中の車両がなかった。


「降着装置は?」

「表示は大丈夫です」

「よし。着陸するぞ! 総員、衝撃に備えろ!」


 カルノー少佐が叫んだ直後、激しい衝撃が機体を揺さぶった。凄まじいハードランディングであったにも関わらず、C-1Gの主脚は衝撃に耐え抜いた。

 しばらく道路上を走った後、停止する。ハッチを緊急開放して空挺兵たちを避難させ、全員の脱出を確認した後、自らも操縦席を出た。


「救援は?」

「基地と通信がなかなか繋がりません」


 携帯用の通信機を持ち出した副機長が困惑顔で答える。通信を続けるよう命じた後、空を見上げると、ルーアン隊とナヴァール隊の全機を撃墜した敵機が、南西へと飛び去っていくのが見えた。


 一時間後、救難信号を受けて緊急発進した偵察機によって、カルノー少佐ら生存者が発見され、救援部隊が派遣された。

 この惨事において、ナヴァール隊の輸送機五機の内、カルノー少佐機を含む二機が不時着に成功し、乗員十二名と兵員百八十名が生還している。

 だが、残りの三機は地面に激しく叩きつけられたために生存者はなく、護衛任務に就いていたルーアン隊も六名の戦死者を出した。

 戦闘地点に程近い村の名から、「メネルブの惨劇」と呼ばれることとなったこの事件は、第2落下傘連隊の増援を必要としていた第一次ヴェルサイユ市街戦の行方に大きな影響を与えることとなる。




「もう一度、言ってくれ。一体何が起きたんだ」

「第2落下傘連隊がレウスカ空軍機の攻撃を受けました。増援は、来ません」


 防衛体制の再構築を協議していたコルネイユ中将らに凶報が届いた。司令室が再び凍り付き、さしものベルリオーズ大佐も目を見開いて絶句していた。

 北東部で敵の攻勢を支えていた部隊はすでに限界を迎えている。第2落下傘連隊が到着しないとなった今、突破した敵が市街中心部になだれ込むのは時間の問題だ。


 コルネイユ中将は完全に思考停止に陥っている。参謀たちがすがるような眼差しで見ていることにも気づいていない。参謀の意見を上手く取り入れ、的確な指示を出すことができると、部下からも慕われているコルネイユ中将の、唯一の欠点は決断力に欠けることだった。


 司令室が静まりかえる中、唐突に扉が開き、初老の軍人が入ってきた。オーヴィアス国防陸軍の制服を着ており、階級章は彼が陸軍中将であることを示している。


「コルネイユ司令官、戦況はどうなっているのかね?」

「ジョンソン中将……」


 彼はジョージ・ジョンソン中将。オーヴィアス楼州軍のラピス軍団司令官であり、PATO軍のラピス特別展開部隊司令官を兼任している。


 本来ならば、この部屋にいなければならないはずのジョンソン中将が今まで不在だったのは、前線視察を行っていたからだとされている。だが、司令部の参謀たちは、戦闘突入前の作戦会議で指揮権を主張するも、受け入れられなかったことに対する不満の表明であると考えていた。

 そう思われるくらいに、彼は傲慢な態度を他人に示しており、今も形式上は上級者であるはずのコルネイユ中将に、部下に対するような口調で話しかけている。


 ジョンソン中将はWAISの情報が表示されたディスプレイを見て眉をひそめた。


「一体何があったのだ? 北東部の敵は突破寸前だぞ」

「第2落下傘連隊が敵の奇襲攻撃を受けました。北東部の敵に当てるための部隊は、ありません」


 ベルリオーズが蒼白な表情で説明する。途端に、ジョンソン中将は顔を紅潮させて怒鳴り始めた。


「何たる有様か! 当てにしていた部隊が到着しないので突破されます、だと? ふざけるな!」


 参謀たちはこの場にもいなかったジョンソン中将の叱責に不快感を覚えながらも、それを口に出すことはない。


「撤退だ! 撤退したまえ! もはや戦線の維持は困難だ! 包囲される前に撤退せねば!」

「で、ですが――」

「他に何か方策があるのかね? ないだろう! この役立たずめ!」


 抗弁しようとした参謀が罵倒を受け、顔を真っ赤にしながらうつむく。恥ではなく、怒りのためだ。他の参謀たちも黙ってはいるが、今まで司令部にいなかったジョンソン中将のあまりの言い様に怒りを覚えている者は多い。


「コルネイユ中将、今回の敗戦は貴官の責任だ。ここからの指揮権は私が持つ」

「……」

「異論はあるかね?」


 コルネイユ中将が黙っていることで、参謀たちも異論を唱えることはない。満足げに微笑んだジョンソン中将がコルネイユ中将に替わって司令席に着いた。


 後年、回顧録を執筆したベルリオーズ大佐は、第一次ヴェルサイユ市街戦について書かれた章でこう述べている。

 私たちは、何としてでもジョージ・ジョンソンへの指揮権委譲を避けるべきであった、と。

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