第一話
真夜中過ぎ。外灯に照らされた石畳の道に、低く靴音が響いた。
そこは、外灯以外は何も無く広々としているのだが、真夜中と言うこともあって狭苦しく感じる。
天空で淡く光っている月は、いまは雲に邪魔されてその姿を隠していた。
ここが辺境の地ならば、いつ盗賊や獣が襲い掛かってきてもおかしくはない。だが、ここは王都。そのような心配は無用だろう。
靴音は、ゆっくりと慌てる様子もなく、夜の静寂に響き渡る。黒いフードをすっぽりと被った、小さな華奢な影――その歩みが、不意に止まった。
小さな影の主は、おもむろにフードを外す。その時、雲に隠れていた月が顔を出し、地上に淡い光りを投げかけ、年端のいかない少年の顔を映し出す。
「もうすぐ、彼奴が現れる頃だな。だが、それにしても……」
王都の中心部から離れた場所であるが、妙に静か過ぎる。いや、気配がないというのだろうか……。一抹の不安がよぎった。
不安を覚えながらも、刹那上空へと飛躍――外灯の頂に微かな音を発てて、立った。暗闇に溶け込んだフードをそのままに、ズボンのポケットに手を突っ込む。
「二人……いや、三人か」
少年は透き通るようなソプラノでそうつぶやくと、自分の置かれた状況に冷静に対応した。どうやら、彼の命を狙うものが現れたようである。
彼を狙っている相手は単体でしか行動しないはずだ。複数の気配がしたということは、恐らく彼奴とは別口。
「難儀なことだ」
そう呟くと同時に、飛来した投げナイフを叩き落とす。
ナイフの落ちる僅かな金属音が、静かな石畳に木霊する。
「おや、おや、困っているようだね」
少年が、石畳に落ちたナイフに目を落としていると、上空から声が聞こえた。
その声の主は、少年を見下していた。彼は自然と、背筋に緊張を覚える。
「別に。困ってはいない。こんな物騒なモノを、問答無用で投げ付ける奴らには、どんな礼が良いかと考えていただけだ」
声の主を鋭く睨め付けると、少年は、まるで天使の様な微笑みを浮かべた――。
「まぁ、そう言わず。私の背に乗りなさい。またナイフが飛んでくる前に」
彼、大鷲はそう言い、広い羽を広げて少年の近くに舞い降りて来た。
少年は大鷲のことを暫し見つめていた。手は腰にあるレイピアにかかっている。警戒を解かない少年。しかし大鷲は動じることもなく、再び語りかけた。
「さあ、早く。新しい追っ手が来たようだ」
大鷲の言葉に、少年は外灯の上から下を覗く。薄い月明かりを通して新たな敵の影が見えた。さっきの連中の倍の数はいそうだ。
「よし、分かった。では任せるぞ!」
追っ手の方を見ながら、少年は応えた。そして、直ぐさま大鷲の背に飛び乗った。
少年が乗ったのを確認して、大鷲は素早く、空へ大きく羽ばたいた。
大鷲は、ぐんぐんと高度を上げて行く。
振り落とされないように掴まる少年の、黒いフードが風にはためきめくり上がる。淡い月明かりの下現れたのは、金色に輝く頭髪とその瞳――
「ほう――まるで、トパーズだな」
大鷲が、愉快そうに笑った。
「見えるのか?」
少年は、背に乗っているにも関わらず瞳の色を当てた大鷲に対してそう尋ねた。
「見えるさ。私の目は全てを見通す。見えないものといったら、そう―――心の中くらいか」
「心の中か……」
少年は呟き、視線を暗闇の中に漂わせる。
「僕は一度心を読める人物に会ったことがある。あの人は魔法を使って人の頃を読みとった」
「それは興味の沸く話だ。どうだ、この老いぼれに一つ聞かせる気はないか」
「老いぼれなのか?」
「不老不死ってやつだ。何百年も生きていれば、老いぼれも若いもなにも」
「そうか……」
魔法、それは太古の昔に滅び去った古代魔法王国の大いなる遺産である。だがいまでは、資料も少なくそうやすやすと魔法を扱える人間はいない。
少年はその美しい瞳を閉じ、静かに追憶の彼方へと思考をめぐらせた。
「あの人――、あの人は僕が唯一出遭った、否、出遭う事のできた魔導師……。あの人は、僕の心を読んだ。その時、酷く冷たい目で言ったんだ」
「何と?」
大鷲の質疑に、一拍おいてから少年は応える。
「――自分自身を信じていない。だから……、お前は弱いんだ――と。鮮明に覚えてるよ」
「自分を信じること……何百年も生きている私でも、時に自分を信じられぬこともある」
大鷲は笑うかのように、くちばしを軽く開いた。
「若いお前には無理もないことだ」
少年を乗せた大鷲は大きく旋回すると、ゆっくりと山の頂に降りていった。
「……さて、ここなら追っ手はすぐには来るまい」
「恩にきる。ところで――聞いても構わないか」
大鷲は振り向いた。
「なんだね」
「貴方は……一体何者だ?」
「残念だが、答える事はできない」
怪訝そうな表情で、何故、と大鷲に問う少年。
「……お前に息災を――。……では」
大鷲は巨大な翼を広げ、上昇していった。