最弱勇者
わたしは勇者。
あっちの世界とこっちの世界を行き来して、少しずつ冒険を進めてた。
そして昨日。
お約束通りの美形な仲間たちと力を合わせ、お約束通りの美形な魔王を討ち取ることに成功したのだ。
だから昨夜は目的の達成感と、これで帰れるという安堵感から仲間たちとお祭り騒ぎをして眠りについた。
これでもう呼ばれることは無いと思う。
こっちの世界に必要だったのは“魔王を倒せる勇者”だったのだから。
魔王のいない世界にわたしは必要ない。
あとは王様に会ってあっちの世界に帰してもらう。それだけだった。
うぅっ、と呻きながら目が覚めた。
はめを外しすぎたのか頭がずきずきする。
痛む頭に片手をあてぼんやりと目を開けば、そこは暗くて空気の停滞した様子に室内と見当をつけた。
ゆっくりと上半身を起こし、月明かりも何もないのに微かに見える床を目を凝らして見つめる。
見えたのは木目で、30センチほど離れたところへ向かってさらに暗くなっていく。
手の平と体の下に感じる、柔らかな敷物の下が硬い床だということは心のどこかでわかってた。
よろよろと立ち上がり、壁を探そうと手を伸ばす。
伸ばした指先が翳って見えて、その様子に体を見下ろせば、わずかな明かりの下にいるくらいには闇の中でドレスが白く浮かび上がっていた。
ドレス?
まじまじと見下ろし、着た覚えのないシンプルなドレスをつまむ。
もしかして魔王を倒したご褒美?と思ってから、それはないと首を振った。
それにこれでは暗闇に浮かび上がる亡霊ではないか。
きっとあの三人のドッキリだ。
あいつらはすぐ調子にのってこんな悪ふざけをするんだから。
魔法の効きすぎる体質に辟易しながらはあーっとため息を吐いたとき、間近でコツ、と硬質な足音がして顔を上げた。
暗闇にゆっくりと現れた姿には飽きるくらい見覚えがある。
それは共に魔王を倒した仲間の一人。
ほっとして伸ばしかけた手が、止まる。
いつもと違う様子に伸ばしかけた手を戻した。
真面目な顔で目の前の男が一歩近づいた。
「王はあなたがどれほど苦労したのかを知らない。」
緩く束ねた銀色の髪に青い瞳。
いつも元気づけてくれた、穏やかで冷静な最強の魔法使い。
「王はあなたがどんなに傷ついたのかも知らない。」
どきっと驚いて、右から聞こえた柔らかな声にそちらを振り向く。
少し長めの榛色の髪に緑の瞳。
いつも温かく見守ってくれた、優しい兄のような最高位の癒術師。
「王はあなたがどれほど泣いたのかすら知らない。」
反対側から聞こえた落ち着いた低い声に慌てて振り返る。
切り揃えた長い金髪に灰色の瞳。
いつも傍にいて守ってくれた、勇敢で恐れを知らない最上の騎士。
「そして、お前がどれほど弱いかということも。」
背後から聞こえた聞き覚えのある声に、恐る恐る振り返る。
燃えるように波打つ赤い髪と感情の読み取れない金色の瞳。
倒したはずの、魔王。
「どう、して・・・?」
呆然ともれたその呟きに後ろで魔法使いがくすっと笑った。
「私が提案して、彼にも協力してもらったんです。」
横に並び、注意をひくように魔法使いの指先が動くと、そこを中心とするように徐々に周囲が明るくなっていく。
柔らかで温かそうな毛布。
毛足の長い絨毯。
天蓋つきの大きなベッド。
石造りの壁。
鉄格子のついた嵌め込み窓。
開いた扉にぶら下がった大きな錠前。
そして床一杯に描かれた魔法陣。
思わず一歩踏み出して見た窓の向こうは、抜けるような青空と眼下に広がる藍色の海だった。
「なんで・・・」
わたしはあっちの世界に帰るのに。
今までと同じようにあっちの世界へ帰るのに。
「王への報告は済んでいる。あなたは魔王と相打ちになったと。」
「あなたを娶るつもりだった王は大変残念そうでしたよ。」
騎士と魔法使いの言葉に二人をゆっくり振り返る。
王様しか使えない召喚と送還の魔法。
王様にその気がなかったなら・・・
それじゃあわたし、もう帰れない?
少しだけ呼吸が速くなって強く胸を押さえる。
「心配しないで?」
癒術師が一歩近づいて、わたしの空いた右手に優しく触れる。
術を使ったのか、少しだけ落ち着いた。
「あなたのことは僕たちが一番わかっているから。」
その手をそっと引き上げ軽く口付けを落とすと、頬擦りをするように頬をあてて癒術師は微笑んだ。
その底知れなさに、思わず背筋が震えて手を引き抜こうと力をこめたがびくともしない。
背中を這い上がる何かと焦りで、少しでも距離をとろうとした体が何かにぶつかった。
壁とは違う感触にはっと振り返る。
「また落ちてたんだな。」
毛布を拾い、仕方ないなと困ったように微笑む騎士は普段と変わらないように見えたが、みんながおかしい!と言う前に毛布ごと強引に抱きかかえられる。
同時に癒術師に手を放され、落とされることなどないのはわかっていても慌てて首に抱きついた。
「勇者はいつもベッドから落ちているのか?」
「ええ、彼女は少し寝相が悪いんです。」
呆れたような魔王に魔法使いが笑って答える。
野宿のときは大変でしたと聞こえて、少し腹が立って騎士の肩越しに二人を睨んでやると、二人が肩を竦めてお互いを見た。
なんだ、あの仲良し加減は。
天蓋つきの大きなベッドに丁寧に下ろされたけど、お礼を言うような場面じゃないと思う。
急いで毛布を剥ぐと、さっとみんなから距離をとった。
開いた扉まで走ればたぶん逃げ切れる。
ちらっと扉までの距離を確認して、あれ?何だか眠く・・・え?
唐突に足先から力が抜けていってベッドの上に倒れこむ。
「私たちはあなたが、あなたのことを何一つ知らない王のものになるのは我慢できなかったんです。」
「許してくれなくてかまわない。」
「そのかわり僕たちがたくさん愛してあげるから。」
「・・・すぐにあの王も忘れるだろう。」
頬や手に感じる柔らかな感触と、どこか寂しそうな彼らの声を聞きながら重い体のままに意識も沈んでいく。
「なーんて。わたしがこんなことでへこたれると思ってるなら大間違いよ!絶対ここから脱出してやる!あんの変態わんこどもめっ!!」
今日もガチャガチャと鎖を踏みつけながら、塔の外へと向かって吼えていた。