4 イーラスからの提案
「それは酷いね。この国の未来を担う貴族が学ぶ場所とは到底思えない」
ティリアから学園での話を聞いたイーラスは唸りながら大きく息を吐いた。しかも、長い前髪で見えないが眉間には盛大にシワが寄っている。
長く仕えている使用人たちはその雰囲気を敏感に察してサッと距離を取ったが、初対面のティリアが気づけるわけもなく。
「あの、そういうことで、今晩は泊まる場所がなくて……」
最後まで言わせないとばかりにイーラスが言葉を挟んだ。
「それは気にしないでいいよ。今の君に必要なのは休養だ。君の実家への連絡や婚約については私が対応するから、しっかりとこの屋敷で休んだらいい。そうだ、何か必要なものはあるかい? もしくは、欲しいものとか?」
「え?」
思わぬ提案にティリアの紫の瞳が少しだけ丸くなる。
ずっと無表情だった少女の顔が僅かにでも崩れたことにイーラスはもう一息とばかりに話を進めた。
「その様子だと、せっかく王都に出てきたのに遊べていないんじゃないかい? 服とか食べ物とか王都でしか手に入らないものもあるし、店を見て周るだけでも楽しいよ?」
たしかに実家があった辺境とは比べ物にならないほど王都は栄えており、人と物にあふれている。
でも、ティリアが王都に来たのは勉強をするためであり、観光が目的ではない。
「提案は嬉しいのですが、私は勉学のために参りました。私を王都へと送り出してくれた両親や領民のためにも遊んでいる時間はありません」
まるで優等生の模範解答のような内容。
ある意味、予想範囲内だった答えにイーラスは少しだけ眉尻をさげながら苦笑した。
「若いのに真面目だねぇ。若い時間は限られているんだし、もっと青春を謳歌しないと」
「青春を謳歌……ですか?」
声だけでキョトンとするティリアにイーラスが悪い遊びに誘うように話す。
「そう。今しか感じられないこと、楽しめないこともあるからね。そうだ、明日は街に遊びに行っておいで。あ、お小遣いもあげるから、遠慮せずに好きな物を買ったらいいよ」
想定外の提案に無表情のまま紫の瞳が困惑に染まる。
「そんな、悪いです。いきなりこのようなことになって、ただでさえご迷惑をおかけしているのに……」
態度は淡々としているが、どことなく萎縮しているティリアにイーラスは大きく手を振った。
「悪くない、悪くない。これまでの君の頑張りへのご褒美だと思って自由を満喫したらいいよ」
「ですが、初対面の方にそこまでしていただくわけにも……」
そう言いながら白銀の髪が困惑するように俯く。
その様子にイーラスは軽い口調で言葉を続けた。
「初対面だけど、私は君の婚約者になったわけでしょう? なら、婚約者として君の身の回りの物を揃えさせてよ。あ、でもこんなオジサンが婚約者なんて年が離れすぎて嫌か……そうだ、親戚のオジサンだと思って。それなら、甘えられるでしょう?」
その言葉にティリアが慌てて顔をあげて否定した。
「嫌ではありません!」
思ったより大きな声が出たのか、ティリアが反射的に口を手で隠す。
それからパッと顔をさげて謝った。
「す、すみません、はしたなくて」
膝の上に置いた手をキュッと握りしめる。
そんなティリアにイーラスは軽く声をかけた。
「全然はしたなくないよ。むしろ、ちゃんと自分の意見が言えて偉い、偉い」
まるで小さな子を褒めるような声音に白銀の髪が揺れる。
「えら、い?」
恐る恐るティリアが視線を戻すと、赤茶色の前髪の下にある黄金の瞳がふわりと柔らかくなった。
「うん。ちゃんと自分の意見が言えて偉いよ。これからも、どんどん思ったことを言ってもいいからね。でも、気を使って嫌じゃないって言ったならちゃんと訂正して。私に気を使う必要はないからさ」
にこやかに話すイーラスに対して、ティリアは姿勢を正してまっすぐ断言した。
「嫌ではありません。私はイーラス様の婚約者になれて嬉しいです」
その語気の強さに黄金の瞳が丸くなると同時にイーラスの中で警鐘が鳴った。
ティリアの言葉がお世辞や社交辞令ではないことは紫の瞳を見れば分かる。ただ、まさかここまで真剣に返されるとは思っていなかった。これ以上、深入りさせるのは良くない。
イーラスは誤魔化すように無精髭を撫でながら視線を泳がせた。
「あー、うん、そうだね。ひとまず婚約者の話は置いといて、今日は休もうか。夕食は部屋に運ばせるから、ゆっくり過ごしたらいいよ」
これ以上、話を進めるのはマズいと判断したのだが、ティリアが綺麗な姿勢のまま小さく手をあげて訊ねた。
「あの、明日はどうすればよろしいでしょうか?」
「明日は好きにしていいよ。買い物に行ってもいいし、部屋でのんびり休んでもいいし」
イーラスは軽く提案したが、ティリアは無表情のまま固まった。
いままでは少しでも空き時間があれば勉強しており、それは語学から政治、作法など多岐に渡る。そのため、部屋で休んでいいと言われてもどうすればいいのか分からない。
ならば、まだ目的があるほうが過ごしやすいので買い物に行く方を選ぶのだが。
「その、買い物は、一人でしょうか?」
買い物という行為は本で読んだが、実際に買い物をしたことはない。
微かに不安が混じったティリアの声にイーラスは視線を正面へ向けた。
目の前にいるのは、無表情のままピンと背筋を伸ばしてソファーに座る美少女。凛とした美しさは感情がない人形のようだが、よく見れば大きな紫の瞳は不安気に揺れており、擁護心を刺激される。
(一時的に保護しているだけだ。情は移すな)
イーラスは心の中で己に言い聞かせて言葉を返した。
「じゃあ、使用人の誰かを……」
「旦那様がご一緒されてはいかがでしょう?」
それまでずっと壁の一部となっていた老齢の執事からの提案にこれまで余裕を含んでいたイーラスの表情が崩れた。




