3 初めての会話
ティリアは通された応接室で男と向き合って座っていた。
ソファーは柔らかすぎず、固すぎず。長時間座っていても疲れない仕様。
しかも、応接室にある他の調度品も歴史を感じる高級品ばかりで、傷をつけたら……と考えると指一つ動かせない。むしろ、この場にいるだけで萎縮してしまう。
(この方は何者なのか……)
ティリアは気づかれないように俯いたまま目線だけをあげて男の顔を覗き見た。
長い脚を組んでゆったりとソファーに座る姿は同年代にはない落ち着きと渋みを帯びている。精悍な顔に垂れる赤茶色の髪が妙な色気を漂わせ、正面から見ることができない。
ティリアは失礼にならない程度に目を伏せたまま、意識を逸らすように他のことを考えた。
辺境に住んでいたため王都の社交界に顔を出したことがほとんどないため、ティリアは貴族の情報に疎い。
だからこそ、学園生活で様々な貴族の令息や令嬢と交流を深め、社交界の基盤を作り、王妃教育へと進む予定だったのだが、すべてはガフタの一方的な婚約破棄によって崩壊した。
(これだけの財力を持っているとなると、名のある方に違いないはず。でも、それだと嫌がらせで嫁がせるには家柄が良すぎるような……もしかして、何か訳ありとか?)
財力は十分ありそうだし、外見も長い髪で隠しているが、ちゃんと身なりを整えれば社交界で映える見栄えだ。むしろ、妻に加えて愛人の一人や二人いてもおかしくない。
(ハッ!? もしかして、愛人として嫁げってこと!? それなら嫌がらせとしても納得かも)
そんなティリアの思考を見抜いたように男がゆっくりと口を開いた。
「さて、まずは自己紹介をしようか。私の名はイーラス・プリクス。爵位は男爵で未婚だ」
「え?」
これだけのアンティーク家具と広大な敷地を持ちながら一代限りの男爵というのは違和感の方が強い。むしろ、歴史のある高位貴族と言われた方がしっくりくる。
ティリアは思わず声が漏れてしまった口を小さな手で塞いだ。
「す、すみません。その、それだけ魅力的な容姿なのに未婚というのが信じられなくて」
爵位のことについては触れず、差し障りのない言葉で濁す。
しかし、そんなティリアの考えなどお見通しのようにイーラスが軽く笑った。
「魅力的な容姿ではないけれど、私の実家はそこそこの権力を持っていてね。ただ、私は跡を継がないから一代限りの男爵位をもらってのんびり生活をしているんだ。ここの土地と家と家具も実家繋がりで、私が死ねば実家に返却される予定だよ」
「……そうですか」
実家が高位貴族であるならこの家も家具も納得だし、第三王子のガフタと繋がりがあってもおかしくない。
ティリアが納得していると、イーラスが質問をした。
「で、よければ君のことについて教えてくれないかな? いきなり手紙が届いたと思ったら、嫁を送ったとしか書かれていなくて、詳しいことは知らないんだ」
その内容にティリアは慌てて立ち上がり無表情のまま優雅に膝を折った。
「失礼いたしました。ケフローグ・シィーク伯爵が娘、ティリアと申します。本日、学園を卒業いたしまして、こちらへ嫁ぐようガフタ殿下に命じられて参りました」
簡潔な説明にイーラスがうんうんと穏やかに頷く。
「そこなんだよね。シィーク伯爵令嬢といえば第三王子の婚約者で、これから王妃教育の予定って聞いていたんだけど、どうしてこうなったの?」
その口調はティリアを責めるわけでもなく、淡々と事実だけを求めている。
そのことを感じ取ったティリアが説明をしようとしたところでイーラスが手をあげた。
「あ、ちょっと待って。紅茶と茶菓子の準備を先にしよう。それを食べながらゆっくり話せばいい。それとソファーに座って。自分の家のように楽にしていいから」
屋敷の主人の言葉に応えるように軽いノックの音がした後、年配のメイドが紅茶と茶菓子をのせたワゴンを押して応接室に入ってきた。
フワリと甘い香りが鼻をくすぐり、ティリアの食欲を刺激する。
(そういえば、今日は何も食べていなかった)
朝から卒業式とその後のパーティーでずっとバタバタしており食事をする余裕もなかった。
実は卒業式とパーティーの合間につまめる軽食を学園側が準備していたのだが、ティリアはそのことを知らされておらず、飲まず食わずのまま過ごしていたのだ。
年配のメイドが具材を挟んだパンと数種類の焼き菓子を並べ、カップに紅茶を注ぐ。
その美味しそうな見た目と匂いにティリアは生唾を呑み込みそうになるのを堪えていた。
そこに柔らかな渋い声がかかる。
「最近の若い子はどんなものが好きなのか知らなくてね。口に合えばいいんだけど」
そう申し訳なさそうに言われ、思わず顔をあげる。すると、和やかに細くなった黄金の瞳と目が合った。
目尻にシワを寄せて困ったように微笑む姿は、本当に若い子の好みがわからなくて、ちゃんともてなせているか心配していることが伝わる。
「……ありがとうございます」
ここで断るのは申し訳ないし、空腹であるのは事実。
ティリアは無作法にならないように動きに気を付けながら年配のメイドが皿にのせた焼き菓子を口へ運んだ。
「……美味しい」
しっとりとした食感とともに広がる濃厚なバターの風味。そこに蜂蜜の甘さとベリーの酸っぱさが丁度よく交わる。
微かに紫の瞳を丸くして焼き菓子を見つめるティリアにイーラスがホッとしたように息を吐いた。
「口に合ったなら良かった。もう、どんどん食べちゃって。うちの料理人が菓子作りを趣味にしているんだけど、私一人では食べきれない量を作るから困っていたんだ」
どこか茶目っ気混じりの言葉にティリアの緊張が少しだけ解ける。
「は、はい。ありがとうございます」
年配のメイドが皿にのせた他の焼き菓子も食べていくが、どれも美味しくティリアの空腹と乾いていた心を満たしていく。
そして、何よりも紅茶のぬくもりが体を中から冷めていた心を包み込み……
ポロッ……
気が付けばティリアの頬に雫が流れていた。
「あ、す、すみません!」
どうにか涙を止めようとするが、ボロボロと堰を切ったようにあふれ、こぼれていく。
涙を止めようと目を拭うティリアにイーラスがゆったりと声をかけた。
「甘いものは疲れた心を癒してくれるからね。温かい紅茶も凍った心を溶かしてくれる」
そう話しながら精悍な顔が窓の方を向いた。
それはまるでティリアの泣き顔を見ないように気を使っているようで、そのことにティリアの胸の奥がキュッとなる。
そんな心情に気づいているのかいないのかイーラスが話を続けていく。
「ここでは外聞を取り繕う必要もない。自分が思うまま、感じるままに動いて、話したらいいよ」
「……自分が思うまま、感じるまま、に?」
今にも消えそうな呟きにイーラスが外を向いたまま穏やかに頷く。
「あぁ。ここには君を知る者も、咎める者もいないからね。好きなようにしていいよ」
耳を優しく撫でる落ち着いた口調がティリアの心に沁みる。
(私の、好きに……)
初めて会ったはずなのに安堵と安らぎを感じる。
まるで故郷の森の中にいるかのような、懐かしく落ち着く空気。緑の葉に満ちた深緑の香りと、木々の匂い。身分など知らず、自由に森を駆けていた子ども時代。
その頃の記憶と感情がティリアの中で蘇る。
それはイーラスから香る匂いが故郷の森と似ているから……
「ありがとう、ございます……」
ティリアは王都に来て、初めて心の奥底から息を吸えた気がした。




