10 初めての感情と、その裏では……
その夜。
ティリアはイーラスの客室にあるベッドの中で今日のことを思い返していた。
街を歩く中で触れた腕の逞しさ。ふわりと香るシダーウッドの匂い。触れたところから伝わる温もり。そして、知識と教養の深さ。穏やかだが深みのある声で宝石の説明をしていた時の凛とした姿は脳裏から離れない。
他にもさりげなく自分を気遣い声をかけてくれた。
「どうして……」
思い出すだけで胸がキュッと苦しいような嬉しいような複雑な気持ちになる。
初めての感覚に戸惑いながらティリアはシーツを握りしめた。
実家にいる頃から感情を表に出さないよう生活しており、そのため学園生活では感情がない氷の令嬢と言われていた。でも、イーラスはティリアの内心を見透かしたように声をかけ、気遣っていた。
初めてのことに感情の整理が追い付かない。
「とにかく寝ないと。寝不足な顔なんて見せられません」
これまで人からどう見られようと気にしたことはなかった。
でも、イーラスの目は気になる。ガフタの命令で嫁がされたが、イーラスは姪を相手にしているような対応で異性として見られていないのは明らかで。
「……ここにいられるように頑張らないと」
それはずっと命じられるまま動いてきたティリアにとって初めて抱いた感情。
(ここに居たい……できれば、もっとイーラス様のそばに……)
ティリアはこれまでに感じたことがない気持ちを抱えたまま眠りについた。
※~※ 一方、婚約破棄したガフタたちは ※~※
穏やかな陽射しが差し込むサロンで第三王子を射止めたクランが取り巻きの令嬢たちを集めてお茶会をしていた。
「ガフタ様との正式な婚約発表はいつされますの?」
「お二人が並んだ姿はいつもお綺麗で羨望の的ですわ」
「早くお二人の式を拝見いたしたいです」
コロコロと転がる軽やかな声と花が咲いたような明るさ。
その中心でクランは自慢の長い黒髪を背中に払いながら言った。
「みなさん、気が早いのね。ガフタ様が日程を調整されておりますから、決まりましたら一番にお知らせいたしますわ」
その言葉に令嬢たちがワッと湧き立つ。
「約束ですわよ」
「その日が楽しみですわ」
「お二人の式ですから、想像もできないほど豪華なのでしょうね」
貴族の中でも絶大な権力を持つ侯爵家。他にも侯爵家はあるが、その中でも抜きん出ており、誰もが一目置く存在。
そのためクランは幼い頃より蝶よ、花よ、と大事に育てられ、すべてを思い通りにしてきた。だが、人とは欲深いもので、手の届かないものがあると知ると、もっと欲しくなる。
そしてクランはある日、侯爵家より上の存在を知った。
(王族から見る世界はどんなものなのだろう……)
その好奇心を満たすため、クランは王族に取り入るため同い年の第三王子のガフタに近づいた。
ガフタの婚約者の存在は知っていたが、所詮は田舎の伯爵の娘。ガフタを自分に惚れさせれば、あとは侯爵家の力でどうにでもなる。
そう考え、美しいと褒め称えられてきた顔と豊満な体を使いつつ、素直に甘えることでガフタを骨抜きにして陥落。
結果、卒業パーティーでの婚約破棄となり、すべては計画通りに動いていた。
「本当、お似合いの二人ですものね」
「クラン様が羨ましいですわ」
取り巻きからの賛辞にクランが優雅に微笑む。
「ありがとう」
目を伏せて紅茶を飲みながら脳裏にガフタの顔が浮かぶ。
第三王子という権力を除けば平凡以下の顔立ちに平凡以下の会話でクランが惹かれる要素は一つもない。
(王子じゃなかったら、あんなつまらない男なんて近づきもしないけど)
そこにメイドがクランへ声をかけた。
「申し訳ありません、旦那様がお呼びです」
旦那様とはこの屋敷の主であり、クランの父になる。
歓談中だが、侯爵家の当主からの呼び出しを無視することはできない。
「ごめんなさい、少し席を外しますわ」
こうしてクランは父親がいる書斎へと移動すると、軽くノックをして名乗った。
「お父様、クランです」
「入れ」
短い返事に招き入れられたクランが書斎に入ると、父親は深いため息とともに椅子に座っていた。
「どのような御用でしょうか?」
「……第三王子との婚約の件だが、撤回する気はないか?」
「また、その話ですの? 何度も言いましたが私は撤回する気はありません」
耳にタコができるほど聞いた話にクランが不機嫌になる。
だが、父親はチラチラと周囲を警戒するように声を潜めて話を続けた。
「今ならまだ間に合う。これはおまえのためなんだぞ」
苛立ちを含んだ父親の声にクランが反発する。
「ですから、これは私のためでもあるんです! 私はガフタ様を愛しております! それに侯爵家としても王族と繋がりが強くなるのは、よろしいことではありませんか!」
「だから、そういうことではなく違う視点から考えろ。そもそも、なぜ第三王子の婚約者がおまえではなく辺境……」
コン。
軽く窓を叩くような音が響く。
その音に父親の肩がビクリと跳ね、慌てて窓の外を見た。だが、そこに映っているのは心労で十歳は老けた自分の顔と、美貌を称えた娘の顔のみ。
そのことに父親はふぅと息を吐きながらクランへ視線を戻した。
「とにかく、自分の立場や状況をもっと考えるんだ。今ならまだ間に合う」
「ですから……」
そこにノックの音が響き、使用人の声がした。
「ガフタ殿下がお越しです」
その報告にクランがこれ幸いと父親に頭をさげる。
「殿下を出迎えに参りますので、失礼いたします」
颯爽と書斎から出て行ったクランは父親が盛大に頭を抱えていることに気づくことはなかった。
応接室へ移動したクランはソファーに座るガフタへ優雅に膝を折って出迎えた。
「急用でございましょうか? 御用がおありなら私から城へ出向きましたのに」
「いや、ちょっと気分転換がしたくてな。城にいたら父上が婚約破棄を撤回するなら今のうちだと五月蠅いのだ」
その話にクランが大げさに眉尻をさげる。
「まあ、王がそのような!? やはり、私では相応しくないのでしょうか……」
クランがガフタの隣に座りながら目を伏せ、微塵も思っていないことを口にする。
その姿は繊細な儚い少女という様相で、ガフタの男心を刺激にするには十分だった。
「そのようなことはない。いや、クランほど私の妻に相応しい者はいない。だから安心するといい。それに、婚約発表の日取りも決めてきた」
その言葉にクランが満面の笑みとともに顔をあげる。
「本当ですか!?」
「あぁ。父上が田舎娘との婚約破棄に納得しないのなら、新たな婚約発表の時にあの田舎娘がいかに婚約者として相応しくなかったのか大勢の前で発表する。そうすれば、父上も納得するだろう」
その提案にクランが大きく頷く。
「さすがガフタ様ですわ。それなら異論を言う者はいなくなります」
「だろう? では、さっそく準備をしなければな。おまえには最高級のドレスと飾りと揃えよう」
「まぁ、嬉しいですわ」
こうして華やかな未来を疑わない二人は婚約発表パーティーの招待状を貴族たちへ送付した。




