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ポンコツ協奏曲

作者: 桜井 裕之
掲載日:2026/05/01

何気に強い風が吹く昼下り。JR川の手線早瀬駅を降りた2人の若者が歩きながら雑談を交わす。乱立したビル街をくぐり抜けコンビニに立ち寄る。やけに人が少ない。ここ早瀬でもそんな時はあるだろう。2人はキョロキョロしながら地図の置かれた棚のあるところまで来た。


「買っちゃうか、地図の立ち読みってのも面倒だから」


そう言ってかつてのロックミュージシャンみたいな長髪を揺らしながら、高橋洋一はその棚にある中で一番安そうな地図を取るとカウンターまで歩いていった。


「何も買うこともないだろう?早瀬周辺ならオレ、ちょっと詳しいけど」


カウンターのある場所まで歩く高橋のすぐ後を付けながら肥満体の無精ヒゲ男、南浩介は言った。


「いやねぇ~なんか入りくんだ場所にあるみたいなんだ。探すの面倒だから」

「早瀬駅の近くじゃね~の?」

「ちょっと歩くみたいなんだ。早瀬駅寄りであることは間違いなさそうだけど…隣の小久部駅方向に少し歩くようだな」

「へー、そうか…小久部ねぇ~」

「なんだよ」

「いや、なんでもない。ヤクザの事務所が多いって聞くぐらいで」

「まあな。でも、そっち方面でもない」


2人はコンビニを出て、いったん元の駅前広場のある方向を歩いた。地図を見ながら首をかしげる高橋。しばらくして右側に細い道があった。高橋はその道を指しながら南に言った。


「どうやらこの道をずっとずっと先へ進むと目的地まで辿り着けそうだ」

「そうか。でもお前の手帳に記した住所って確かな情報なのか?」

「ああ、たぶんな。この手帳に記した場所を地図と合わせると…間違いない。この細い道を曲がって一直線に進むのが一番早道だし、何よりも分かりやすい」

「じゃあ、行ってみるか」


2人は右に曲がると舗装されてはいるが車同士がすれ違うのが難しいと思えるほど細い道をとにかく真っ直ぐに進み始めた。しばらく2人は黙って歩いていたが、南がふと、高橋の方を見てしゃべり始めた、


「あのさぁ~牧乃谷芸能事務所って言ったっけ?そんな事務所知らないんだけど…求人を募集してるって?」

「そうなんだよ、俺達そういうの興味あったじゃん、それで連絡してみたら『いつでも面接に来てください』って」

「おまえ、履歴書いらないからって言ってたけど、オレ、一応、持ってきたから」

「いやいや、本当にいらないんだって。とくに持っていく物は何もないって言うから」


しばらく歩いていると道がさらに細くなり築50年以上は経っているだろうか…古びた家屋がひしめき合うように道の両側を占めていた。隣接している高速道路から聞こえる車の音がとても強く鳴り響いている。ここら辺に住んでいる人達はそんな音には慣れているのだろうか…それとも時として苦情やら抗議などが住民内で飛び交っているのだろうか…南はそんなことを考えながら歩いていた。本当に車の走る音しか聞こえない…ふと、高橋が口を開いた。


「けっこう歩くよね。地図を見ると次の交差点を左に曲がる。曲がって200メートルくらい進んだところにあるみたいだ」

「なあ~芸能事務所なんだろ?こんなせせこましいところに普通、あるものなのか?」

「さあな、分からないけど事務所のある場所なんてそんなもんじゃないの?」


交差点を左に曲がると100メートル先くらいから3階から4階くらいのビルがいくつか見えてきた。いままで歩いてきた道とは少し様相が違う。


「どうやらあの小さなビルが並んでいる中の一角にあるようだな」

「おお、そうだな。でもそれにしたって何の変哲もない場所だよ」


2人はあるビルの入口にあるポストを見てみた。どのポストもチラシやら何やらがいっぱい挟み込まれていて管理が行き届いてないようだ。と、いうかホコリが被っていて汚い。


「う~ん、このビルじゃなさそうだな、次、行ってみるか」


高橋はそう言って入口を出ると、その隣にあるビルの中に入った。南も彼の後ろを付いていく。ポストは入って左側にあった。高橋は指でポストを追いながら叫んだ。


「おお、あったあった。ここだよここ。牧乃谷って書いてある」

「見つけたか。で、どうする?」

「中に入るだろ?せっかく来たんだし」


ここにきて2人は黙り込んでしまった。そもそも2人が求人情報誌で見つけた芸能プロダクション、興味本位で本気で尋ねてみるなどとは思っていなかった。しかし面白そうだし一度は覗いてみようという気持ちになって、一か八か、ここまで来てしまったのである。


「まあ、せっかく来たんだし、面接だけでも受けてみようかなって思うよ」


高橋が力なくそう言うと南も覗いてみるくらいなら…と消極的だ。牧乃谷芸能事務所はポストで確認すると3階にある。エレベーターは取り付けられてはなく、建物の奥のほうに階段があるのでそこから上がっていけそうだ。しばらく掃除していないようなホコリの塊やら蜘蛛の巣やらがこびり付いた狭い階段を3階まで上っていくと、ベニヤ板を数枚重ねて作ったような安っぽい作り…タバコの煙でそうなったのか茶ばみの激しいガラスが何とも言えない臭みを感じさせるドアを見つけた。ドアの上には黒マジックインキで「牧乃谷芸能事務所」と書かれた札が、やや左斜めに傾いて貼られていた。


「着いたな。ここがそうだ」


高橋はそう言ってドアを指差した。


「よし、中に入るか?」

「うん、そうしよう。ここまで来たんだ。とりあえず話だけでも聞こうや」


高橋はそう言ってドアをノックした。女性のか細い声で「どうぞ」と聞こえた。静かにドアを開けるとどこからともなくカビ臭い匂いが漂ってくる。ドアから見て手前にあるデスクに座っていた女が椅子から立ち上がりタッタッタッと靴音を鳴らして駆け寄ってきた。歳は20代半ばくらいだろうか…髪の長い細面の、雪のように肌が白い美人である。


「応接室でお待ちください」


(応接室?どこに?)


まわりをよく見渡すとドアを開けた左側にいくつかの古びたデスクが置かれており奥の方に50歳くらいの男がパソコンと睨めっこしている。右側にはダンボール箱やらハンガー掛けやらがごっちゃになって置かれており、その奥に別の部屋に通じるドアがある。窓ガラスも油汚れが激しくあちこちが補強テープなどで貼られていて見るからに貧乏臭い、部屋の中央には綻びたソファーがドカッと置かれていた。


(よく分からないけどこのソファーのあるところが応接室?ソファーの両側にベニヤ板が立て掛けてあるけど、あれが仕切り代わりか)


ベニヤ板は数個の石ブロックのようなもので支えられている程度でいまにも倒れそうである。2人はそのソファーにゆっくりと腰を下ろした。ミシミシときしむ音が部屋全体に響いた。両側のソファーに挟まれて置かれたガラス版のテーブルは見通すことができないくらい汚れており、ステンレス製の灰皿がちょこんと置かれていた。しばらくして真向かいのソファーに先ほどの女が座って挨拶をした。


「どうも、私は事務担当の栗原美江子と言います。今日は求人募集の件でいらしたのですね」

「は…はい」

「ここは採用とか不採用とかはありません。これからは自由にここへ来られて結構です。いまの時点で今日来られたあなた達を除いて3人ほど出入りしております。仕事は出来高しだいです」

「あ、あの~どんな仕事なのでしょうか?」

「おもにスカウトですね。タレント志望の方、あるいはタレントにしたい方、タレントとしての素質があると見受けられる方をスカウトしてこの事務所に連れてきてくれればいいのです。そのあと、社長の承諾を得られればマネージャーに昇格できるかもしれません」

「マネージャー…にですか」

「でも、いまのところ昇格できたのは1人だけです。今日はみなさん外出していますが、そのうち会うこともあるでしょう」

「まあね、そんな緊張せずに。気楽に行きましょうよ、気楽に」


男の声が聞こえた。部屋の奥にあるデスクに座っていた男である。よれよれのスーツにねじれたネクタイ、コーヒーカップを片手に女の横に座った。


「私は経理担当の添田といいます。いまは我々しかいませんが、何かわからないことがあればいずれ会えるでしょう先輩達に聞いてください。いやいや、分からないことだらけですよ、ですから気楽に行きましょう」

「はあ…はい」


この日は面接だけで2人とも事務所を出た。歩いてきた道を今度は早瀬駅まで逆に辿る。2人は揃って口をポカーンと開けながら何とも腑に落ちない顔をしていた。南が高橋のほうを見てしゃべりだした。


「オレ達…自己紹介したか?」

「いや、してない」

「いまの、面接だったんだよな」

「そうだろと…思う」

「あんなんで大丈夫なのかよ、全然手ごたえってものがなかったけど」

「いやぁ~俺に聞かれてもなぁ、誘ったのは俺だから多少は責任を感じてるけど…とりあえず明日、またここに来よう。今日、会った人以外に会える人がいるかもしれないし、様子を窺うしかないなぁ。それにどんな仕事なのかよく分からね~し」

「そうだな。じゃあ8時半に早瀬駅の改札口に集合ってことで」

「おお、分かった」


2人は早瀬駅に着くと改札口を入って2番ホームで電車を待った。乗る電車は同じだが南は6つ目の駅で降りて駅を出たら歩いて自宅のアパートに向かう。高橋は4つ目の駅で降りたら他の線に乗り換え、そこから3つ目の駅で降りて家路に向かう。2人は以前、通っていた専門学校で知り合った。デザイン関係の学校だったがなかなか就職口が見つからない。共に20代前半で本業の仕事を探すのはともかくとして、何かいろんなことにチャレンジしたい年頃であった。



「よっ!」

「おっす!アレ?バッグを持ってきたんだ」

「筆記用具だよ。いろいろと必要になるんじゃないかと思ってな」


高橋は黒いショルダーバッグを肩に掛け直しながら手ぶらの南に言った。


「何も持っていかないほうがいいのかもな、でも俺は心配症だから。何か持ってないと落ち着かないのさ」


面接を終えたあくる日の朝、2人は早瀬駅改札口に合流するとそのまま牧乃谷事務所のあるところまで歩いていった。昨日は事務所に訪れたものの、なんだかよく分からなかったと思っていた2人だが、今日行って何か収穫があればいいと思い直し、本当に何もなければ来るのをやめようとも考えるのであった。


「よし、着いたぞ。行くか…」


高橋が気だるい顔をしながらそう言うと2人は階段を上がり事務所のドアを開けた。昨日とたいして変わらない光景である。事務員の栗原はファッション雑誌を読みふけている。経理の添田はパソコンと睨めっこである。2人は「お早うございます」と小さい声で軽くお辞儀をするとソファーに座った。まわりは妙に静かである。栗原のパラパラろめくる雑誌の音…添田のカチカチと叩くキーボードの音…それくらいの音しか耳に入らなかった。2人は向かい合った状態でソファーに座ったが話をする気力もなく、ただ、お互いに考え深そうな顔つきで睨めっこしているだけである。


そんな時、一人の青年がドアを開けるやいなや、気だるそうな顔で胸ポケットからタバコを取り出すと火をつけスパスパと吸い出した。南と高橋はすかさずソファーから立ち上がり、その男に挨拶をした。彼は「?」のような表情を浮かべるとタバコをくわえたままソファーにゆっくりと腰掛けた。


「あの~」と高橋が始めてみるその男に話しかける。


「なんだい?」

「もしやマネージャーさんですか?」

「ええー?そう見える?だったら嬉しいなぁ」

「…違うんですか?」

「たぶん、あなた達と同じですよ。いつから来られたんです?」

「ええ~昨日からです。昨日、面接を済ませて今日から初勤務…」

「クックックッ、初勤務ねぇ~、それで、成果は?」

「成果?いや、まだ、何も分からない状況でして…」

「それで、そこに座ってるだけ?」


男はタバコを灰皿に強く当て揉み消すとスーッと立ち上がり2人に言った。


「ちょっと付き合ってほしいんだ。大丈夫だろ?暇みたいだし」

「ええ、大丈夫ですけど」

「じゃあ、とりあえずここを出ようか」


男と高橋、南の3人は事務所を出るとそこから歩いて2分くらいの場所にある喫茶店に入った。ずいぶん洒落た感じの店だが客は奥のカウンターに2人ほどいるだけだった。3人は極めて入口に近い場所にあるテーブルに座り、コーヒーを注文したあと、男は2人に自己紹介をした。


「俺は秋葉浩二、25歳、よろしく。3ヶ月前くらいに牧乃谷芸能事務所に来るようになりました。それで、そっちの2人は?」

「あー、僕は高橋…高橋洋一といいます。歳は23です」

「えー、オレ、南浩介という者です。歳は高橋と同じ、23です」

「やっぱ若いんだな、まあ俺もそうだけど。で、あの事務所に来られた目的は?」


秋葉の質問に高橋は少し考え込んでいたが、せきを切ったように話し始めた。


「俺たち2人、以前に派遣として勤めていた会社がそちらの都合で派遣を切ることになりまして、それで失業手当をすぐにもらえる状況になったんですけど…まあ、その間、2人でいろんな職業を見ておこうかなっと」

「つまり失業保険期間だけでも金銭面はそれほど困ることはないということだな」」

「ええ、でも早いうちに仕事が見つかることに越したことはないわけなんですけどねぇ」

「いやぁ~俺と似たようなケースだな。まあ、俺の場合はもっと複雑な環境にいるんだけど」

「あえてそういう話は聞きません。それで秋葉さんは事務所でどんな仕事してるんですか?」

「あのね、今日はそれについていろいろと説明しようと思ってさ。あの牧乃谷芸能事務所っていうの、どのくらい知っているのかな?」


こんどは南が質問に答えた。


「自前にいろいろ調べたんですけど…けっこう売れている女性タレントが1人所属しているという情報くらいしか…」

「河村彰子のことかな?」

「え~、確かそんなような名前の」

「その子ねぇ。とっくに芸能界を引退してるんだよね。事務所のほうはそのことを大っぴらに公表していないんだけど。なんでも彼氏ができてその人に説得されて辞めることになったとか…」

「そ、そうなんですか。で、今いるのは…」

「最近、マネージャーになった江崎さんがスカウトした板倉健太郎っていうタレントがいるんだよ。今は事務所内が彼の売り込みで頭がいっぱいってとこかな」

「その江崎さんという人は板倉さんという人をスカウトしたことでマネージャーになれたんですか?」

「その通り。つまりさ、新人を発掘するなり芸能関連の仕事を探すなり何らかの成果を出さないといけない。ただ、それで給料が出るのかどうかも分からんけどね」


ふと、高橋がつぶやくように言った。


「成果を出さないと名前すら覚える必要がないとか…」


その言葉に秋葉は大きく反応した。


「そう。そうなんだよ。分かってきたじゃないか。前にも話したろ?いま現在、事務所に所属する板倉ってやつをスカウトして、ある映画のオーディションに参加させチョイ役だがセリフ付きの役をもらえるまでに事を運んだ江崎さんという人、2ヶ月前くらいまでは俺と同じで名前を呼ばれなかったし相手にされなかった。ところが今では彼が板倉を伴って事務所に来ると社長が出てきてお出迎えだよ。いやぁ~、ケンちゃん、ごくろうさん、江崎くん、よくやった!って感じかな」

「社長って…もしかして事務所に入って右側の奥にドアがあったけど」

「そう、そのドアを開ければそこが社長室だ。普段はいつもその部屋にいる。板倉か江崎さんが事務所に来るときだけ社長室から出てきて皆と顔を合わせる。俺なんかは社長の視界には映らんけどね。でも社長に会える唯一の機会だ」

「こっちから社長を訪ねるってことはできないの?」

「できない。入ろうとすると経理に止められる」

「へ~、そういうものなのか」


しばらく3人の間で沈黙が続いた。せきを切るように秋葉が2人に言った。


「まあ、こうしても仕方がないからスカウトやりますかぁ」

「え!ええ。で、どの辺にいつも行ってるんですか?」

「そうだなぁ、まあ渋谷とか?原宿?六本木…あと、どこかで開催されるオーディション会場とかコンクールとか、イベントとかあるとそこに若い人がいっぱい集まるからね」


高橋と南が秋葉との連絡先を交換したのち、3人は喫茶店を出ると早瀬駅に向かった。行く先は渋谷である。高橋と南は先頭を切って歩く秋葉の背中を見ながらわずかな冒険心と何ともいえない空虚感に襲われながら歩いていった。そう、歩くことしか他にやることのない仕事?だったのである。早瀬駅に到着した3人が渋谷に着いたのは午前11時前。すでに人通りが激しく3人は極めて見晴らしの良いモヤイ像の近くまで行くと、秋葉が周辺を見回しながら言った。


「初日はここに来て歩く人々の様子をうかがっていたんだ。何となくだけど人って目を見ると分かるところがある。自分が向かうべき場所がハッキリしていてその方向を一点に集めて真っ直ぐに見つめる目…キョロキョロしながら街中を見回し、何か探し物をしているような落ち着かない目…ぼんやりと景色を見つめ時間が経つこと以外、解決策がなさそうな空ろな目…そして、自分にとって出会いなりイベントなり、掴みどころのない期待感を漂わせる目…我々が注目すべきはどれだと思う?」

「え~もちろん最後のやつでしょう、その掴みどころのない期待感と言うか…」

「残念でした。正解は2番目だよ。探し物をしている目だ。その探し物というのが服なのか書物なのかオーディオなのか、それとも骨董品なのか…そういうのって大きな街に行きさえすればあるだろうみたいな感覚なんだよな。その大きな街でしか起こりえない出来事ってのが意外な探し物だったなんてな、と言うか、自分が探し物をしていたら逆に自分がその探し物だったみたいな」

「つまり我々のことですよね。スカウトって我々が探すわけですから」と高橋が言う。

「そう。共通のワードでくくり付けて口実にするのさ。ぼくらは君を探していた。そして君もぼくらを探していたみたいにね」

「う~ん、よくわからんけど、そういうものなのか」と今度は南が難しそうな顔で答えた。


結局その日は3人が雑談で時を過ごすだけで、2時間ばかり渋谷周辺を歩き回るだけでその場を引き上げることになった。事務所に戻ると見知らぬ若い男がソファーにデ~ンと座っている。見るからにふてぶてしい印象を与える。高橋と南が男から見て向かい側となるソファーに座ると秋葉が焦ったように「じゃあ、ちょっとオレ、急用を思い出したからこれで」と言って事務員のいる方向にちょこんと一礼すると事務所を去ってしまった。


(どうしたんだろう、秋葉さん…せっかく戻ったのに…もしや、今、真向かいにいるこの男がいたから?)


そう思ってしまう高橋であった。一方、南は自分と体格が似ていてふてぶてしい雰囲気もどこか自分と似ているこの男を誰だろうと素朴な目で見つめていた。ふと、男が顔を上げて「茶でも飲むか?」と言って立ち上がり、部屋の片隅にある小さなキッチンのあるところへ行き、適当に茶を入れた湯を湯呑み茶碗に注いだ。その湯呑みを2人が座るテーブルの上に置いた。確かにお茶である。しかし茶碗自体がよく洗っていないし汚れているので変な色が混ざっている。それを見て南は思った。


(こんなの飲めるかよ、ていうか、茶碗くらい洗えよ)


高橋も思った。


(うわっ、きったね~なぁ、よくこんなの人に出せるな)


男は再びソファーに座るとあくびをしながら2人に言う。


「あのさぁ~暇だったら床を掃除するとか窓を拭くとかいろいろあるじゃん、いつ頃からここへ来るようになったわからんけど、何もしないでいるよりかは何かをしなよ、なぁ!」


ふと、デスクに座っていた栗原が後ろを向いてその男を睨んだ。どうやら周りの人達からも印象がよくないようである。しかし高橋はこの時、いまのこの男の言葉は事務員である栗原に言っているのでないかとも思えたのであった。何ともいえない気まずい雰囲気が立ち込めている中、ドアの外から話し声が聞こえてくるやいなや、勢いよくバーンとドアが開いて2人の男が入ってきた。


「お早うっス、ただいま帰りましたぁ~」


この声を聞いてデスクに座っていた栗原と添田がほぼ同時に椅子から立ち上がり、栗原が笑顔で出迎えた。


「おかえりケンちゃん、今日のオーディションどうだった?」

「いやぁ~分からないっス、まあ、何とかなるんじゃないスかねぇ」

「江崎さんもごくろうさん、いろいろ大変だったでしょう」

「そうでもないですよ、ただ、応募者がやたら多かったのでちょっと激しいと思いましたね」

「とりあえず座って。今、お茶入れるから」


高橋と南は何か居づらくなってソファーから立ち退いた。ふと、周りを見るとさっきまで座っていたあの汚い湯呑みに茶を入れてくれた男がいつの間にか姿を消している。栗原が湯呑みとお菓子を乗せたお盆を持ってきてテーブルに置いた。かなり高価そうな湯呑み茶碗にしろお菓子にしろ、どこから持ってきたのだろうと思ってしまう高橋と南であった。そして社長室のドアが開き、一人の男が姿を現した。歳は40代半ばくらいだろうか。髪の毛はべたべたになってオールバック。しかし頭の中央が少し禿げているのがわかる。身長は低く160センチメートルくらい。それでも体格はガッチリしていて腕っぷしが強そうだ。


「あ!社長、どうも」


江崎がスッと立ち上がって社長にお辞儀をした。すると他の人達も腰を上げ社長に挨拶。


「いやいや、みんなおつかれさん。メンバーが揃ったね」とにこやかに答える社長。


ソファーには社長、その隣に添田。向かい側のソファーには江崎と板倉が座り、その近くで栗原が優しげな表情でソファーに座る4人を眺めている。これら5人の光景をそこから少し離れた位置で高橋と南は眺めていた。その5人からみてまったく視界に入らず、存在すら認められていない感触を得た2人は5人のいる方向に軽く頭を下げるとそーっと事務所を出た。


2人は早瀬駅まで歩きながらしばらくは黙っていたが南が高橋の方を向いて話し出した。


「なんかさ、このままだと進展はないよね。手柄がなきゃずっとこのままだと思う。上司というか、先輩というか、そういう関係というのは無くて…芸能事務所ってそういうもんなのかな?」

「うーん、そうじゃないと思うけど。あそこの事務所は規模が小さいし、まあ、そういうスタイルなんだろうな」

「で、これからどうする?」

「そうだな、少し考えたいと思う。今日の夜、そっちに連絡入れるわ。今日のところはこれで帰りたい気持ちだ」

「そうか、分かった。オレもいろいろ考えたいことあるし」


2人は寄り道せずに早瀬駅に到着するとそれぞれ家路に向かった。高橋は自宅に戻るとベッドに横たわり、しばらくは何もせず天井を見ながら考え込んでいた。


(このままではホントに埒が明かない。そもそもスカウトってなんだ?マネージャーってどうやればなれるんだ。こうやって実際に中に入ってみるとわからないことだらけだな)


高橋はいろいろと考えたすえ、しばらくは単独行動をしてみようと思った。一人で街の様子、人々の様子を窺い人間観察に没頭してみたくなった。ある程度、考えが定まってのち彼は南に連絡した。


「ああー、俺だけど」

「よっ、今、ちょうど夕飯を済ませたところなんだ」


高橋は南に自分の考えている概ねのことを伝えると南も同じことを考えていたように理解を示した。南は言った。


「賛成だな。確かに今の状態で事務所に通ったところで何の進展もないだろうよ。オレも自分なりに考えて単独で行動してみるよ」

「そうか…じゃあ俺、秋葉さんに俺たちのこと、伝えるわ、あー、それから今日、事務所でもう一人いただろ?印象が悪いってか、馴染めそうもない奴…」

「ああ。なんか居たよなぁ…俺たちに説教してたよな、ハッハッ」

「秋葉さん、そいつが来たら入れ替わるように事務所を出て行ったんだよ。それも気になってな」

「まあ、オレはあまり気にしないけど。もし、事務所に行くことがあったら連絡してくれよ、オレも何かあったら連絡するわ」

「あー、わかった。それじゃ」


南との話し合いを終えると、高橋はすぐに秋葉に電話を入れた。


「あー、もしもし」

「秋葉さんですか。高橋です」

「あー、どうも。秋葉です」

「実は南と2人で話し合ったんですけど、このままでは事務所に行っても何の変化もないんで、しばらくはお互い、単独行動をしてみようと思うんです」

「なるほど。そうだなぁ、しばらく一人で動いてみるっていうのも勉強になるかもな。俺は悪くないと思うよ」


しばらく2人は取りとめのない話をしていたが、高橋が妙に引っかかっていることを秋葉に聞いてみた。


「あの、秋葉さんの考えってのを聞いてみてもいいですか?」

「俺はね、まあ自分なりに考えがあるんだけど、まとまったらこっちから話すよ。たまに事務所に顔を出すのもいろいろと確認したいことがあってね、いまの状態では俺も君たちと同じ状況なんだけどね」

「そうですか。分かりました。それから今日、事務所で始めてみる人が来てたんだと思いますが…」

「ああー、彼かぁ…名前が三好和也って人でさ、俺と同じくらいの時期に事務所に出入りを始めた奴なんだよ。最初は少なからずも一緒に行動を取っていた時もあったんだが、何しろ馬が合わなくてね、最近は顔を合わせないようにしているのさ」

「そうだったんですか。俺も何か…あまりいい印象を受けませんでした」

「そうか。人それぞれだからな。じゃあ、また何かあったら連絡くれよ。ちょっとこれから用事があるんで」

「ああ、はい。分かりました。今日はどうもありがとうございます。では失礼します」


それからというもの、高橋は東京都心部を歩き回った。まずは地下鉄表参道駅を降りて原宿まで行き、そこから新宿駅に向かう。歩くとけっこうな距離だ。次の日は表参道駅から降りて坂を下り渋谷方面に向かう。渋谷駅周辺は2度目となるが、ここは日によって駅周辺の顔色が変化する相変わらず掴みどころのない街だ。六本木周辺を歩き回る日もあれば新宿駅から中野方面に向かう日もあった。

そんなある日、高橋の脳裏に上野という街が浮かんだ。上野駅…ここはかつて東北地方から夢を求めて訪れる若者達が多く、昔はそのことで映画なので感動的なシーンに使われたりしたものだと古本屋で見つけた雑誌に書かれていた。しかして今はどうだろう?高橋はその日、行き先の予定を池袋から上野に変えた。上野駅で降りて周辺を見渡すと高齢者が多く若者はそんなにいなかった。


(スカウトだろ?自分は誰を…どんな人を求めているのか……そうだ。アイドルだよ。いや、違う。役者かな?モデル?芸人?ユーチューバー?ユーチューバーをやらせたい人とか?)


高橋はここにきて自分の考えていることがいかに曖昧で浅い認識であることを痛感せざるを得なかった。それとともにあの事務所が求めている人材というのもまるで分かっていない…やはり適度に事務所に顔を見せるなり情報を得ないと何も見えてこないと思った。


(ダメだな。スカウトというのはまず自前にこういう人が欲しいというものを決めておかなくちゃならないんだ。今日あたり南に連絡してみるか。じっくり話し合いたい)


その日の夜、高橋は南に電話をして長々と話し合った。高橋の言うことに南はうなずいた。


「そうだよな。その通りだよ。オレも頭の中空っぽというか、考えが行き詰まるばかりで先へ進まない。事務所はどんな人を求めているのか…それだよ。あの板倉とかいう…江崎さんがスカウトした人がさぁ、何のオーディションに応募したのか…そういうことが今のオレたちには貴重な情報源だよな」

「秋葉さんにこれから連絡してみるよ。明日あたり事務所に行こうじゃないか」

「そうだな。じゃあ、また連絡くれる?オレから掛けてもいいけど」

「俺から連絡するよ、じゃあ、いったん切るわ」


そのすぐ後に高橋は秋葉に電話をする。少し待ってから秋葉が出た。


「あの、秋葉さんでありましょうか」

「あ、はい。どうした?あれから何かあった?」

「ええ、直前に南とも話し合ったんですが明日あたり事務所に行こうかなぁと思いまして」

「そうか、それは都合いいや、俺も明日、事務所に顔を出そうと思っていたところだよ」

「わかりました。では明日、事務所で」

「よっしゃ。それじゃ」


高橋は南に再び連絡すると一気に緊張がほぐれてそのまま寝てしまった。


次の日の朝、高橋と南は早瀬駅改札口で落ち合い、その足で事務所に向かった。この日は雨が振っていた。路地に入ると道が狭く正面から来る人達の傘と自分達が差す傘とが擦れあって歩きづらかった。


「えーと、誰だっけ?板倉だったかな?その人が何のオーディションを受けたのかが気になるんだったよな」

「そうなんだ。もしかすると社長の意図で江崎という人は動いているのかも知れない」

「でも社長は成果のない人とは相手にしないんだろ?無理に社長室を訪ねたとか?」

「いや、たぶん、事務員の栗原からいろんな情報を聞けるんだ。おそらく秋葉さんもある程度は情報を得ていて、それで動いているんだと思う」

「板倉って見た感じ若手俳優を目指している感じがするけどね」

「まあ、何にせよ事務所に行けば分かることがあるはずだ」


2人が到着するとドアの向こうから高らかな笑い声が聞こえてくる。ちょっと前に聞き覚えのある笑い声である。板倉健太郎が来ているのだ。ということは江崎もいるはずだ。社長も話の輪の中にいるかもしれない。


高橋が軽くノックしてドアを開けるとソファーには板倉、栗原、添田、そして江崎が座っていた。しばらくは静かに彼らの談笑を聞いていた高橋だが勇気を出して間に割り込む。


「あのー、僕たち、求人案内で牧乃谷事務所に来た者ですけど…」


高橋が自己紹介をしようとすると一人の男が立ち上がって2人に声を掛けた。江崎である。


「おお、新人?スカウトマン志望?」

「は、はい!僕は高橋洋一という者で、こちらは南浩介といいます」


高橋が南を紹介しつつ頭を下げると南も軽く頭を下げた。


「あー、ボクは江崎直行。よろしく」

「はい、こちらこそ」


すると栗原が立ち上がり横に座る板倉の肩にそっと手を乗せると高橋と南のいるほうを見て言った。


「紹介するわね。ウチの事務所に所属する板倉健太郎くん。俳優志望よ」

「あーどうも、板倉でーす。よろしくです」


屈託のない笑顔を振りまきながら挨拶をする板倉の姿に高橋も南も何か明るい気持ちになった。確かにイケメンである。そして彼が俳優を目指していることもしっかり認識できた。和やかな雰囲気の中、添田が立つと板倉の最新情報を話してくれた。


「実はね、江崎くんがある特撮ヒーロー番組とウチの事務所との間に橋を掛けてくれたことがあってね。それで番組の中で新たなキャラを導入する話が来て板倉くんがオーディションに参加することになったんだよ。そうしたら向こうの製作側から合格の連絡が入ってね。いま、彼を祝っていたところなんだ」

「そうですか!それはおめでとうございます」


高橋がすかさずそう答えると後ろからドアが開く音がした。秋葉である。


「なんだ。もう来てたのか2人とも」


秋葉は両手に缶ビールだのお菓子だのいっぱい入ったビニール袋をぶら下げてやって来た。どうやら彼は2人よりも早く事務所に到着していたようだ。栗原が「どうもごくろうさん」と声を掛け、秋葉が持っているビニール袋を受け取ってテーブルの上に置き、中に入っている物を出していく。秋葉は買い物のために預かったお金の釣りを添田に渡すと、「さあ、乾杯といこうじゃないか」と添田が音頭を取り始めた。


その時、バタンと大きな音がするとともに牧乃谷社長が姿を見せ、ソファーでくつろぐ板倉のいるところまで小走りで駆けつけるやいなや大声を張り上げた。


「ケンちゃん、大変だ!オーディションに受かったのはいいがさっそく問題が起きたぞ」

「え、ええっ、何スかぁ~問題ってぇ」

「その番組に出演する大物俳優が所属する事務所になぁ、お前と同姓同名の芸名を持つ奴がいて、それでそいつが売り出し中ということで名前をちょっくら変えてくれないだろうかと言ってきてるんだ。どうするケンちゃん」

「いや、どうするっつーたって、本名スよ~オレの名前」

「……名前…変えるしかないんじゃない?相手は大手だし」と、栗原が冷やかな表情で板倉を横目で見ながら言うと江崎も大きく頷いた。板倉は眉をひそめて苦味ぶしった顔をしながら仕方なさそうに答えた。


「そ、そうスねぇ~同じ名前のタレントがいるってやっぱ、マズいっスよねぇ~」


すると社長が手をポンと打つと堰を切ったように言った。


「よし、今日からお前の名前は倉板健太郎だ!ケンちゃん、それでいいな!解決だ」

「倉板…板と倉をあべこべにしただけじゃないスか」

「そうだ。でも違うだろ?よし、決まりだ」


社長は安堵したような表情で部屋に戻った。しばらくの間、ソファーとそれを囲む人達の間で沈黙が続いた。栗原が「コーヒー入れるね、皆さん落ち着きましょう」と言ってソファーを離れた。高橋と南はしばらくは皆と談笑していたが昼の12時をまわる頃に秋葉とともに事務所を出た。


「いやぁ~秋葉さん、名前を変えるって、こんなこともあるんですねぇ。南はどう思うよ」

「そうだな。オレも内心、ビックリだよ、だっていきなりだもん」


秋葉は考え深そうな顔を湛えながら言った。


「俺は解せないなぁ、たとえ大手だろうと名前を変える必要あるのかと思ったよ。て、いうか、こういう時こそマネージャーである江崎さんが踏ん張るときではなかったのかってね。あ、ごめん、生意気に聞こえたかな?」

「いえ、そんなことないです。実は俺も江崎さんがあっさり承諾してしまったんでちょっと残念に思いました。どうです?これから喫茶店に寄りませんか?南もいいだろ?」


3人は喫茶店に入り、食事やら談話を楽しんで、その日は店を出た後、それぞれが家路に向かって終了となった。

倉板健太郎の俳優としてのデビュー作は特撮ヒーローものである。日曜日の午前10時放送、悪魔戦士ポロロンマンというダークヒーローの活躍を描く30分ドラマで主人公ポロロン演じる山田四郎の親友の一人、真澄圭介の役である。この役は主人公の良き友であり良き相談相手であったが、目の敵である主人公と仲が良いということで悪の軍団の主将、デビル金太郎に殺されてしまう。大事な友を殺されたポロロンマンは悪魔でありながら人間の敵である悪の軍団に立ち向かうのであった。倉板の出番は第1話から第3話までである。短い出演回数ながらもドラマの内容を左右する重要な役どころであった。撮影の日時も決まった。一方、高橋と南は東京周辺をまわりスカウトマン修業に励む。


「よっ、南。どうだい調子は?」

「ダメダメ、全然上手くいかないよ。そもそも接触するのが困難だ」


そう。いまの時代はちょっとしたボタンの掛け間違いでも大騒ぎになりやすい。とりわけ女の子と接することにおいては十分に神経を使わなければならない。高橋は街中を歩く最中にふと、秋葉が言っていた「探し物の心理」を思い出したりするのだが、自分がイメージするタレント像にたいして強く求めれば求めるほど、そういう人材は何処にもいない気がしてきた。高橋がそんなふうに考え込んでいたその時である。先ほどからスマホをいじっていた南が驚くような表情で高橋に言った。


「おい、ちょっとこれを見てくれ。これ、倉板じゃねぇ~のか?」

「えっ!どれどれ…あ!そうだ。間違いない、倉板くんだ。何やってんだろ?」


南が見ている動画には自転車にまたがりながら何者かと口論している様子が映し出されていた。倉板の顔の様子からみてかなりの大声で相手に怒鳴り散らしているように映る。


「誰を相手に怒鳴っているんだ?おっ!いまちょっとだけ画面が横に移動したぞ…」

「……警官だ。チラッとだけ見えたけど…なんか警察の人のように見えたな」

「おい、なんだよ、ひょっとして倉板くん、交通違反で警官に呼び止められた?」

「それよりもこの数字をみろよ。めっちゃバズってるぞ」

「あーホントだ。バズりにバズってやがる。凄い勢いだ」

「これ、なんかヤバくないか?」


2人はしばらくスマホに見入っていたが、それからというものスカウト修業をする気になれず、高橋と南は近くのレストランに入り、食事を済ませるとそこで別れて別行動をとることになった。高橋が帰宅したのは夜の10時をまわったところである。南とともに目撃したスマホの動画が気になってしかたがない彼は南に連絡した。


「よっ、高橋か」

「いま家に着いたとこだよ、あのあとネットカフェに入ってなぁ、すっかり遅くなってしまった」

「オレは風呂から上がったところだよ、で、話ってのは?」

「明日、久々に事務所に行かない?ほら、今日、日中に2人で見た動画が気になってさ」

「そうだなぁ~オレも気になるところだよ、服装からしても映っていたのは間違いなく倉板だ」

「じゃあ、明日、午前11時に早瀬駅の改札口を出た付近に集合ってのはどうだ」

「あー、うん。それでいい」

「じゃあ、そういうことで」


午前11時前。高橋と南は駅で合流し、その足で牧乃谷事務所に向かう。事務所のある建物の2階付近まで来ると、何やら怒鳴り声が鳴り響いている。顔を上に向けながら南が言う。


「おい、声が聞こえるぞ」


高橋もその声を聞いてうなずくように答えた。


「ああ、間違いなく事務所からだ。あの声は社長だろう、あまり会わないけど聞き覚えがある」


2人は階段を上がりドアをノックしてそーっと開けると社長の声が一段と大きく鳴り響いた。ソファーには誰も座っていない。目を左に向けると社長とその向かいに倉板。奥のほうで栗原と添田が立ちすくんでおり、右に目を向けると秋葉が腕を組みながら苦い顔で立っている。その後ろで江崎が窓側の壁に寄りかかりながら悲痛な表情を浮かべている。


「お前がながらスマホで自転車を運転して警察に捕まったのが原因ではない。問題はその後だ。警官相手にガミガミと突っかかって言い合いになっているところをだな、全国の人達に見られてしまったことがまずかったんだ。おかげで仕事の話は無くなって白紙になった。せっかくチャンスだったのに…」

「そんなこと言っても僕はただ、撮影場所を確認したかっただけっスよ、ほんの一瞬、スマホを片手に持っただけなのに…」

「いずれにしろパーだ。お前の役はすでに他のタレントがやることに決まった」


こんなやりとりが続いている最中、秋葉が高橋と南のところまで来て囁いた。


「ちょっと事務所を出ようか。それまでの経緯を説明するよ」


建物を出て、すぐ近くにある駐車場付近まで来ると、秋葉がやるせない表情で事務所で何が起きているかを話した。秋葉の話では高橋と南が事務所に来る30分くらい前に、倉板が出演予定だった特撮ドラマの製作関係者から連絡があり社長が受けた。倉板がやらかしたことは番組のイメージに関わることなので出演取り消しとなったとのこと。秋葉の話が終わったところで高橋が言う。


「実は俺達、スマホで偶然、倉板くんと警官が口論している動画をリアルタイムで見てしまったわけですよ。それで気になって事務所に行ったんですよね。そしたら案の定、この事務所の中であの騒ぎですよ。倉板くんどうなりますかね」

「どうもこうもないよ、倉板はまた一からやり直しだな」


今度は南が「事務所に戻ろう、騒ぎも収まってる頃だろう」と言ったので、3人は再び階段を上がり事務所に行ってみた。3人が戻るとソファーには社長、栗原、江崎、倉板の4人が座っている。前にも見た光景だが雰囲気がまったく違う。添田は奥のデスクで両手を組んで何か考え込んでいるような表情を見せている。ふと、高橋が前に出てソファーに座る4人に話しかけた。


「で、でも倉板くんのあの動画、めちゃくちゃバズってましたよね、あの動画ではかなりの同情の意見もあったのではないかと。それを売り込み戦略として一気に路線を変えて再スタートってのも悪くないのではないかと…」


すると社長が高橋のいる方向に首を向けた。社長の目の中に高橋が映るのはこれが初めてのことだっただろう。添田もいつの間にかソファーの近くまで来ている。そして社長は立ち上がり高橋に向かって言った。


「君、上手いこと言うね、その通りだよ。要は知名度の問題だ。そのキッカケとなるものは何でもいいんだ。とにかくタレントは世間に顔を知ってもらうことが重要なんだ。そうだろ?ケンちゃん」

「あ、ああ…そうスかねぇ」と倉板が不安そうに答える。そして社長はポンと手を打ち、言い放った。


「よし!今日からケンちゃんの芸名は12000だ。12000!それでいいな!!」


社長は意気揚々と歩きながら社長室に戻った。しばらくソファーの周りは静寂に包まれたが栗原がハッとしたような表情で12000に言った。


「お、おめでとう、12000さん。これからも頑張ってね」


しかし江崎は嬉しくなかったようだ。ソファーから立ち上がった拍子にテーブルを蹴ると苦い顔をしながら事務所を出て行った。添田が皆に「追わなくていいから、しばらく放っておきましょう」と言い自分のデスクに戻っていった。栗原もデスクに戻り、ソファーのまわりには秋葉、高橋、南、12000の4人が何とも気まずそうな表情が突っ立っていた。ふと、秋葉が高橋と南のほうを振り向いて言った。


「いつもの店に行かないか?こうしていてもなんだし」


いつもの店とはこの近辺にある喫茶店のことだが、いつしかそこは3人が雑談する憩いの場となった。喫茶店に到着した3人はそれぞれ飲み物を注文するとさっそく秋葉が切り出した。


「あのさぁ~ある意味、チャンスじゃないかな、12000があんな状態になっているし、そろそろ俺達も動かないとなぁとか思っているんだけど」

「そうですね、その通りですよ。ただ、自分なりに考えた結果、チョイ役でもなんでも俳優の卵を見つけられたらと思ってるんですよ。チョイ役というのは、それこそ12000さんが掴み損ねた特撮ものの脇役とか、あーゆーところから初めて顔を知ってもらうとか…なあ、南」

「ああ、そうだね。でもオレはどちらかというとバラエティ番組とかで活躍できそうな人というか、面白い人というか…あと、アイドルなんかも興味あるかなぁ~と」

「なるほど。それぞれ考えがあっていいんじゃないかな」

「秋葉さんの考えというか、そろそろ聞かせてもらえればと思うんだけど」と高橋が言いながら秋葉の顔を覗き込む。秋葉はしばらく目を閉じて黙っていたが、ふいに笑顔になって2人に言った。


「実はさ、狙っているんだよ、事務所にいる栗原をね。目を付けているのさ」

「えっ?そうなんですか?栗原さんって事務員ですよね。でも、確かに顔立ちは整っていて綺麗だし、歯並びもいいし、見ようによっては若手女優って感じもしないわけではないし」

「高橋くんはそう感じるのか…南くんはどう思うよ」

「そうですねぇ~でも事務員をスカウトするってなんか、おかしな話ですけどね。社長がなんて言うか」


3人は事務所の話から最近の社会問題、事件、趣味などに話が飛び、長い間、喫茶店に入り浸っていた。それから昼過ぎに店を出た3人は事務所には戻らず、南が午後から行ってみたいというアイドルコンテスト会場まで3人で向かうことになった。会場に入るのが目的ではなく、その近くでコンテストを受けに来た女の子達の様子を窺うことが目的だった。


「南くん、なかなか目の付け所がいいね。でも誰でも思いつくことではあるんだけどね」

「いやぁ、やっぱそうですよね。でも漠然と街を歩くよりはいいと思ったんですよ」


秋葉は2人を誘導して会場の真向かいにある喫茶店に入り窓際のテーブルまで進むと「ここで軽く腹ごしらえしながら会場の入口付近を見てみよう。ポイントは会場に入ってくる女の子ではなく、出て行く女の子だ。コンテストに出場したものの、思い通りにはいかなかった…いまいち手ごたえが無かった…上手くいかなかった…そう言いたげな表情をする女の子をチェックするのさ」と言いながら窓から見える会場の正面ゲートを眺めた。どれだけ時間が経ったであろうか。近くのテーブルでは客が入れ代わりが激しく、そのたびにウエイトレスが風を切るように横切る。まわりを見渡せば、話し声と食器類の音が小刻みに交わって喫茶室全体に鳴り響く。しばらく3人は窓の外の様子をみていたが、とくに気にかかるような女の子は現れなかった。結局、その日はこれといった収穫はなく終わった。


高橋は自宅でベッドに横たわり、思考を張り巡らしていた。自分が知り合った人達の中でタレント志望の人はいなかったか…音楽関係で歌を歌っていた人、演劇関係で芝居をやっていた人、文化祭や地域のイベントやらで何か面白い芸を披露していた人…いろいろと思い当たる人はいるのだが、芸能界入りさせるとなると話が違ってくる。だからスカウト…そういえば牧乃谷はかつて河村彰子というタレントが所属していたと聞いたけど、なんだったっけなぁ~確かグラビアとか深夜のバラエティ番組とかに出ていたと思うけど…あまり印象ないなぁ~12000は俳優を目指しているんだろう?…でも大丈夫か?…あの人……南は目星を付けたのかな?……よく分かんねぇ~なぁ……高橋は眠ってしまった。



「よっ!南」

「おっ!いま、着いたところだよ」

「2週間くらい経ったかな?あれから何か進展とかあった?」

「何もないよ、そっちはどうだ?」

「いや、何も。ちょっと前に若い子に声を掛けたけど…勘違いされそうだったんで途中で話を変えてごまかした。ハッハッハッ」

「そうかぁ~でも一歩進んだじゃないか」


2人はいつもの早瀬駅改札口付近に合流。実はこの2人、それまで就職活動をしていた。すでに牧乃谷事務所への思いは薄く遠退いていった。昨日の電話のやりとりではスカウト仕事において具体的な話をしなかっただけに目的地まで歩く道中、2人は牧乃谷についていろいろと話した。


「やっぱね、ピンとこないんだよね。牧乃谷ってかなり最近に立ち上げた事務所だと思うし、それほど知名度を高くないし…南を誘っておいて何だけど、こう…なんていうか、士気がね、薄くなっていくようなね」

「まあな、それはオレも同じだよ。だって仕事があるようでないようなものだからさ。スカウト業だってまったくメドが立たない」

「実感がないんだよな。そこで活動しているっていう実感が」

「ある程度、経験値のある人じゃないと無理なんじゃないかなぁ~。何も知らないオレ達じゃやりようがないよ」


そんな話をしながら事務所に到着すると、出会いがしらにあの男とすれ違った。三好和也である。以前、出会ったのは一度きりで洗いもしない汚れた茶碗に湯を注いでいた男だ。一瞬、目と目があったので高橋が挨拶をした。


「どうも、さっそくお出かけですか?」

「いや、今さっき、辞めてきたんだよ。その挨拶に来ただけ。それじゃ」


三好はそう言って早歩きで去っていった。


(なんだ。辞めたのか…もう少し話しをしたかったな、どのような情報でも聞きたかったのに)


高橋はそう思った。とにもかくにも情報が足りてないと感じていた彼は、この三好という人物も気になっていたのである。しかし、去る者は追わず。彼には彼なりの事情があったのだろうと高橋は少しの間、三好の次第に小さくなる背中を見て思った。


「さあ、行こうぜ」


高橋はそう言って階段を上がっていく。何やら静かである。軽くドアをノックしてから事務所の中に入り、まわりを見渡すと添田しかいなかった。パチパチとキーボードを鳴らす音しか聞こえてこない。2人の姿に気付いた添田は「やあ、どうも久しぶり」と言いながら手招きでソファーに座るよう2人を促した。


「やあ、まいったよ、事務所内の一大事だ。事務員の栗原が秋葉くんと一緒にここを辞めてしまってねぇ~、いやあ~あの2人はできてたんだね、おかげて一気に人が減った」

「……へぇ?」


高橋は状況をすぐには飲み込めなかった。隣に座る南もキョトンとした表情をしている。(秋葉と栗原ができてた?栗原さんが辞めた?秋葉さんも辞めた?ええっ、なんだそれ!)高橋の頭の中は混乱していた。だが、この時の高橋はもっと深いところでショックを受けている自分自身に気付かないでいた。


「社長がカンカンでね、今はどこかに出かけていていないんだけど…まあ、私もどうしていいか分からなくてね」

「僕がこんなこと言うのもなんですが、事務所は大丈夫なんですか?」


南がそれを聞くと添田は腕を組み、考え深そうな顔をして搾り出すような声で言った。


「いままで何とかやってきたからねぇ~事務員は新しい人を探すしかないね。あっ!それから12000のことだけどどうやら仕事が見つかったみたいだ。上北沢にある小劇場に出演するらしい。そこは演劇というよりコントを中心に行なっている劇場なんだけどね」

「そうですかぁ、それはよかったですね」と南は答える。高橋は辞めた栗原と秋葉のことで頭がいっぱいだ。


「実を言うと僕はお笑い芸とかに興味あるんですよ。12000さん、そっちのほうが向いてるかもしれないですよ」


南がそう言うと添田は首をかしげながら「そ、そうかぁ~?」とあまりいい顔をしなかった。と、その時である。バタンと大きな音がするとともに社長がズカズカと事務所に入ってきた。


「まったくぅ~しょうがねえなぁ~栗原は!栗原と一緒に出て行った男、なんていったっけ?」

「ああ…秋葉という人ですよ。スカウトマンの見習いとして入った…」

「そいつがスカウトマンの見習いとかどうでもいいんだよ、添田、ちゃんと事務所内を見てなくちゃダメじゃないか」

「ああ、すみません。気をつけますぅ」


高橋と南は気まずくなり入ってきた社長と入れ代わるように事務所を出た。2人はお互い黙ったまま歩いていって喫茶店を見つけると南が高橋に声を掛けた。


「どうする?立ち寄るか?」

「あ、ああ…そうだね」


高橋は元気のない返事をしながら南と共には店に入った。お互いコーヒーを飲みながら牧乃谷事務所とか関係のない話をしてスッキリしない気持ちを紛らわせた。店を出るとそのまま駅に到着し、それぞれ家路に着いた。南は喫茶店では話せなかったことあり、高橋のことも気になっていたので彼に電話を掛けた。


「あ、オレだけど」

「おっ、さっき夕飯を済ませたとこだよ。で、なんだい?」

「…今後のオレ達のことというか、事務所のことなんだけどさ」

「ああ、俺も考えてたよ」

「なあ、高橋、オレさぁ、漫才とかコントに興味があるというか…そういうのが好きな自分に気付いてさ。それで事務所で12000がコントをやるって話を聞いたとき、妙にときめいてしまってなぁ~……それっておかしいかな?」

「いや、おかしくないよ。その系統の人達をスカウトしてこれからやっていけばいいんじゃないか?」

「高橋はどうするよ」

「ああ、俺かぁ~なんかやる気なくなってきたなぁ…先が見えてこないんだよ」

「ええ!どうしたよ、お前だろ?オレを誘ったの」

「うん。そうなんだけど…」

「しっかりしてくれよ、まだ始まったばかりだぜ。確かに秋葉さん、辞めちゃったのは残念だけど」

「秋葉さんに連絡してみたけれど繋がらないんだよな。裏切られた感じだよ」

「そう言われてみるとな。確かにな、そうだよ。でもあの2人、できてたんだろ?オレ達があの事務所に始めてきたその前から」

「そうだよ。それに秋葉さん、狙ってたって言ってただろ?今思えば狙ってたってそっちかよって!」

「…なあ、高橋。これからどうするよ、オレはとりあえず明日、事務所へ行こうと思ってるんだけど」

「そうか、分かった。俺はしばらく事務所を離れるわ。離れて他の仕事探すことにする。悪いな南、勝手なこと言って」

「いや、いいんだよ。何かあったらこっちから連絡するよ。それじゃあ、また」

「ああ、それじゃあ」


南はあっさりと電話を切ることで高橋に気を遣ったつもりでいた。おそらく高橋にとっては秋葉が事務所を辞めたことよりも栗原がいなくなったことのほうがショックだったのだろう…と。案外、高橋も狙っていたのではないかと。南はそんなふうに思った。


(さて、今日からオレ一人で事務所に向かうことになるのか…アイツはしばらくって言ってたけど、声の調子からいって、たぶん、もう事務所には行かないだろう……)


朝になり、南は昨日の高橋との電話を思い出しながらベッドから立ち上がった。軽く朝食をとった後、仕度を済ませて外に出た。空は晴れている。一人で早瀬駅を降り、一人で牧乃谷事務所まで向かう。南はふと考えた。なぜ自分はまだ続けているのだろうと。給料など出る当てのない事務所など、とっとと辞めて高橋のように他を当たればいいのに…そんなことを考えているうちに事務所のあるビルの真下に来ていた。


(いやぁ~さすがに心細いなぁ~一人でここまで来るというのは)


階段を上がりドアをノックしてそぉ~と開けると、ソファーに座る江崎と12000が目の中に飛び込んできた。添田は留守でいないようだ。社長はいるのかどうか分からない。江崎は南を見ると喜んだ表情で駆け寄ってきた。


「えーと、確か南さんっていいましたよね」

「えっ?ええ、はい」

「ちょうどいい時に来た。実はね、12000が上北沢で舞台に立ってたんだけど相棒が姿を晦ましてしまってね。それでただいま調整中なんだ。新しい相棒を探しているんだけどなかなか見つからなくね。それでどうだろう、相棒が見つかるまで南さんが代役を務めてくれないでしょうか?」

「いや、いきなりそう言われても…経験ないし…確かにお笑い芸には興味はあるんですけどね」

「そうですか。それならいい経験になると思いますよ。もちろんスカウト業にもいろんな意味で役立つと思うし、この世界のこと知っていくためにも丁度いい機会ではないかと」

「……はあ……」

「何事も経験ですよ。お願いします南さん」


すると12000も南の傍まで来てちょこんとお辞儀をすると「ぜひ、お願いします、南さん!」と叫び、南の手を握りしめた。南は断るに断りきれず、とりあえずその話に乗ることになった。



それから1ヶ月が経とうとしていた。高橋はある会社の面接を終え、昨日の夜はロクに睡眠を取れなかったのでしばらくベッドで休んでいると携帯が鳴った。南からである。


(おお、南か…そういえばしばらく連絡が途絶えていたな、どうしたんだろ?)


「ああ、もしもし」

「あー、高橋か。久しぶり」

「うん、ホント、久しぶりって感じだな」

「あのさぁ、オレ、まだあの事務所にいるんだけどさ」

「ああ、そうか!それで上手くやってるのか?」

「今なぁ~上北沢にある劇場で12000と一緒に活動してるんだけど」

「活動?えっ!なんの活動?」

「いや、それが…12000がお笑い芸人に転向したということで、江崎さんの勧めで12000の正式な相棒が決まるまでオレがその相棒の代役を任されちまってさ」

「へぇ~、いいじゃん。面白そうじゃないか」

「いや、最初はオレもそう思ったわけよ。それで2人でコントをやることになったんだが……」

「コント!南と12000でコント!それで?」

「すっげぇ~ポンコツなんだよ」

「ええっ?ポンコツ?何が?」

「いやだから、12000だよ。セリフ、まったく覚えられないし、覚えようとしないんだ」

「そんなことはないだろう、初めてだからじゃないの?」

「初めてにしたってまったくだよ、セリフを覚えてこない。それで今度、行なうコントは自転車に乗る学生と警察官との寸劇なんだけど、12000の奴、ただ、自転車にまたがってるだけで、セリフは全部オレが言うことになった」

「なんだソレ?それじゃお話にならないじゃないか」

「オレももっと注意深く江崎さんの話を聞くべきだったんだよ。江崎さんは言ってた。前に決まっていた相棒が姿を晦ましたって」

「12000がポンコツだということに気付いたからか?」

「たぶん、そう思う」

「まいったね、それは」

「助けてくれ」

「えっ?」

「助けてほしいんだ、高橋。知恵を貸してくれ」

「いや、そう言われても…」

「明日、早瀬駅に集合しないか?」

「……悪いけど、もう、あの事務所には行く気はない。でも、知恵というか、何かしら糸口になるようなアイデアを思いついたら連絡するよ」

「ほ、本当か。じゃあ…また。期待してるわ、待ってるから。それじゃあ」

「……あ、ああ、分かった。それじゃ…」


お互い電話を切った。高橋はベッドに横たわりながら自分なりに考察を始めた。


(おそらく江崎が12000を見限ったんだろうな…それで不良債権を南に丸投げした。秋葉も12000がポンコツだっていうの分かっていたんだろう。秋葉にしたって栗原とは親密な関係になっていることを感づかれたくなかったから、俺達を誘って、あっちこっち出かけて事務所を遠ざけていたんだ。まったく、秋葉にしろ江崎にしろ…無駄な時間を費やしてしまったか……でも、収穫がないわけではない、南だ。南の就職先を案内したと思えば……アイツ、これを契機に何かしら上手くいくといいけどな。南が希望だ。)


高橋はそんなことを思っているうちに、いつしか眠ってしまった。



                                    了






















































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