揺らぐ帰路、誓いの手前で
風が、変わった。
リーナはそれを、朝の風の匂いで察した。
冷たくも温かくもない、“終わり”の風。季節が変わるように、旅の終点が近づいていた。
「裂け目は残り一つ」
地図を広げながら、ザイドが言う。
「これを封じれば、任務完了ってことか」
「……ええ」
リーナの返事はどこか曖昧だった。
たしかに、それはずっと望んでいたことのはずだった。
終われば、契約は解除される。役割も、関係も、すべてが“元通り”になる。
けれど、“元通り”がどんな状態だったのか、もう思い出せなくなっていた。
その日の旅路は静かだった。
丘を越え、川を渡り、かつて裂け目の魔に焼かれた村を通り過ぎた。
何度も通った道のはずなのに、ザイドと並んで歩くそれはどこか――未練がましく、そして美しかった。
「リーナ」
「なに?」
「……お前、任務が終わったらどうする?」
問いはあまりにも唐突だった。
リーナは一瞬、呼吸を止めてしまった。
「元の部署に戻って、魔導研究でも続けるつもりよ」
「そっか」
「……あなたは?」
「俺か? ……正直、まだ決めてねぇ」
「らしくないわね。いつも迷わず剣を振るうくせに」
「戦い方は身体で覚えた。でも……“お前との距離”は、どうすりゃいいのか、まだわからねぇ」
風が止んだ。
リーナは、歩みを止めた。
ザイドも振り返り、彼女の瞳にまっすぐ目を向けた。
「最初は、ただの契約だった」
「……ええ」
「でも、魔力の共鳴が強まって、花の魔にまで影響を与えて……その中に、確かにあったんだ。俺の想いも、お前の想いも」
「……それでも、契約が切れたらすべて消える。そう思ってた」
「今は違うのか?」
リーナは口を閉じた。
答えは、心の奥にあった。でも、言葉にすれば戻れなくなる気がした。
(怖いのよ。あなたが“契約だから優しくしてくれてた”だけだったらって)
そのとき――
ザイドが、ふいに手を伸ばした。
彼の手が、そっとリーナの髪に触れる。
「……なによ」
「葉っぱ、ついてた」
「うそ」
「うそじゃねぇよ。……まあ、触りたかったのもあるけど」
リーナの顔がほんの一瞬、赤く染まった。
「……本当にバカなんだから、あなたは」
「おう。知ってる。でも、バカだから言えることがある」
彼は一歩だけ、リーナに近づいた。
「契約が終わっても、お前と一緒にいたいと思ってる」
風が、やさしく吹いた。
リーナは、うつむいたまま、小さく息をついた。
「……私、今の言葉……契約の影響じゃないと信じていい?」
「信じなくていい。これから信じさせてやる」
その言葉は、まるで誓いのようだった。
けれどまだ、「誓い」には届かない。
それは、言葉にするにはあまりに未完成で、未熟で、でも真剣だった。
夜、野営の火を見つめながら、リーナは思った。
(最初は後悔してた。こんな男と付き合う“フリ”なんて、冗談じゃないって……)
けれど今は、彼の不器用な言葉や、さりげない優しさ、無骨な誠意が、心の奥で灯火のように揺れている。
もしかすると――付き合って、よかったのかもしれない。
そう思えたとき、風が頬を撫でた。
それは、恋のはじまりではなく――
“終わりが来る恋”に、確かな意味があったという証のように思えた。