仮面の向こう
翌朝、森は雨だった。
焚き火は湿気に呑まれ、煙を上げることすらできなかった。
リーナはマントを深くかぶり、雨除けに木の根元へと避難していた。
ザイドはいつも通り黙っていたが、今日は少し様子が違った。
彼の剣が鞘から抜かれていない。いつもなら朝一番に手入れをする男が、それを忘れているなどあり得なかった。
「……眠れなかったの?」
そう尋ねると、ザイドは珍しく素直に頷いた。
「……夢を見た」
その言葉に、リーナは息を呑んだ。
ザイドが自分から夢の話など、するとは思っていなかった。
「どんな夢?」
彼はしばらく答えなかった。
薪を拾いながら、低く呟いた。
「……赤い髪の女が、俺に剣を向けていた」
リーナは、ふと胸の奥が冷たくなるのを感じた。
その情景に、なぜか血の匂いを想像してしまったのだ。
「……誰? 知り合い?」
「……昔、俺が守れなかった奴だ」
ザイドの声には、感情の色がなかった。
淡々と語るのに、それが逆に深い哀しみを滲ませていた。
「戦で村が燃えて、俺は命令で動いた。民を守るように見せかけて……でも、結局見殺しにした」
「命令なら、仕方ない」
「仕方ない、か」
ザイドは小さく笑った。それは自嘲とも、納得ともつかない曖昧な笑みだった。
「俺が斬ったのは敵兵だ。けど、斬らなかったことで死んだのは味方だ。……それが、命令ってやつさ」
リーナは黙っていた。
ザイドの過去に触れたくて、でも触れるたびに指先が焼けるようだった。
「その女が、夢の中で言った」
“今度は守れるのか?”
その言葉を繰り返したザイドは、火を点ける手を止めた。
雨音の中、ぽつりと呟いた。
「お前を、俺は守れると思うか?」
リーナは一瞬、答えを失った。
ザイドは何気ない顔でそれを言ったが、その声は確かに、どこか脆かった。
「……わたしは、守られに来たわけじゃない。戦うために来たの」
「わかってる。でも、契約ってのは感情の共有だろ?」
「ええ。だからあなたの後悔も、少しだけ伝わってくる」
それは真実だった。
感情同調型の契約は、共に長く過ごすほど、感情の“におい”が互いに染み込んでくる。
リーナは感じていた。ザイドの中にある、怒り、哀しみ、諦め、そして――
ほんのわずかだけ残る、“守れなかった誰か”への未練。
「だったら……次は、守ってみれば?」
リーナは静かに言った。
「今度こそ、誰かを。命令じゃなく、自分の意思で」
ザイドは何も言わなかった。
ただ、再び火を点け、無言のまま朝食の用意を始めた。
その背中を見つめながら、リーナは少しだけ、あたたかい風を感じた。
それは雨の森には不釣り合いな、春の風だった。
その日の午後、二人は次の裂け目の封印地に向かって歩き続けた。
けれど、沈黙の中にも、何かが変わっていた。
互いに見せてはいけない“仮面”の隙間から、ほんの少しだけ素顔が覗いた気がした。
それは、契約では結べない種類の“繋がり”だった。