不協和音の旅路
「馬の手綱、そんな握り方じゃ擦れて血が出る」
ザイドの言葉に、リーナは睨みつけるように顔を向けた。
「知ってるわよ。手袋をしてないだけよ」
「じゃあ、手袋すればいい」
「してたの。さっき川に落としただけ!」
ザイドは何も言わず、腰のポーチから無骨な革手袋を取り出すと、ぽいと投げてよこした。
リーナはそれを受け取りながら、舌打ちした。
こういうところが嫌だった。
無駄に優しい癖に、素直じゃない。恩着せがましくもない。だからなおさら腹が立つ。
彼との旅が始まって、すでに5日。
風は穏やかだったが、二人の間には常に荒れ模様が漂っていた。
ザイドは基本的に無口だった。
言葉を選ばないくせに、余計なことは何も言わない。
そのくせ、夜になるとちゃんと火を起こし、食事を用意し、リーナの寝床を風上に設置する。
「紳士気取りなの? それともただの習慣?」
「風下で寝ると風邪引くだろ。お前は魔力使うから余計にな」
「……そんなの、別に気にしないわよ」
「俺は気にする」
その言葉に、リーナの返答は遅れた。
ザイドは夜になると、黙って星を見上げる癖があった。
リーナが小さな光の精霊を飛ばして辺りを照らすと、彼はいつもそれに目を細めた。
「風の魔導士って、みんな精霊見えるのか」
「見えるっていうか、感じるの。風に声があるのと同じよ」
「声……ね。俺にはただの音だ」
その言葉に、リーナは初めて少しだけ、ザイドに興味を持った気がした。
だがそれは、次の瞬間には霧散した。
「だったら、あんたには一生この旅の目的も理解できないでしょうね」
「わかってるさ。ただ封印して、帰るだけだ」
「あなたには、“裂け目”の怖さが分かってない。あれは人の心に影を落とすの。そこから魔が生まれるのよ」
ザイドは眉一つ動かさなかった。
「だったら、お前が照らせばいい。魔も影も、お前の光で」
リーナは言葉を失った。
それは彼にしては珍しい――いや、彼らしくない、詩のような言葉だった。
……なんなの?
この男、無神経で粗野なくせに、時々、やたらと真っすぐなことを言う。
そのせいで、怒っていたはずの気持ちがふと緩んでしまう。
それが一番、腹立たしかった。
その夜、リーナは夢を見た。
風の中で誰かが彼女を呼ぶ声がした。
振り返ると、ザイドの影が揺れていた。
目が覚めると、彼はまだ起きていた。剣の手入れをしている。
「寝ないの?」
「お前、また歯ぎしりしてたぞ」
「は? してないわよ!」
「してた。怖い夢でも見たんだろ」
そう言って、ザイドは焚き火のそばにあった水筒を差し出した。
リーナは渋々それを受け取りながらも、自分の鼓動が少しだけ早まっていることに気づいていた。
“この旅、無事に終わるのかしら。裂け目よりも、この男との契約のほうが、よっぽど危うい気がするわ……”
風が、静かに流れていた。
けれどその風には、かすかなざわめきがあった。
まるで、未来に何かを告げようとしているかのように。