契約の風は逆巻く
リーナ・エルフェインは、風を読む魔導士だった。
けれど、この時ばかりは風が読めなかった。
「契約の書に名を記せ、リーナ・エルフェイン」
銀灰色の巻物を手にした長官の声は冷たく、容赦がなかった。
リーナの視線の先には、一人の男が立っていた。
粗野な鎧、無精髭、鋭い眼光。見るからに“相性最悪”だった。
ザイド・クロウ。
元騎士にして傭兵。規律も礼儀も捨てた男。だが戦場での力は本物で、魔導師との契約任務にはうってつけと、上層部が判断したのだ。
「付き合う……って、何よ」
リーナは呟いた。契約書に記された言葉はこうだった。
「感情同調型契約」:両者は恋愛関係の偽装を行い、その絆を魔法的な力に変換する。信頼の深化により魔力は増幅される。
要するに、“付き合っているフリ”をして、共鳴することで力を得る契約。
だがその“フリ”は、魔導的に非常にリアルで、感情のやりとりさえ魔法の糧になる。偽装は真実に近づく。
「冗談じゃないわ」
「じゃあ断ればいいだろ」
ザイドの低い声が返る。面倒そうな表情。
「そうしたいのは山々よ」
「ならやめればいい」
「でも私が断ったら、代わりに妹のティアが選ばれるって言われたのよ」
その瞬間、ザイドの目がわずかに揺れた。だが何も言わず、ただ鼻を鳴らした。
「……勝手にしろ」
二人は契約の巻物にサインした。
それは恋ではなかった。情熱でも、運命でもない。
ただの「義務」だった。
だが、契約の光が二人を包んだとき、リーナは奇妙な感覚に気づいた。
風が、一瞬だけ騒いだのだ。まるで、何かを警告するように。
その夜、二人は馬車に乗り、北の境界線へと向かった。
任務は、異界の裂け目を封じること。
けれど、リーナの胸に広がっていたのは、裂け目以上に先の見えない――「この男との関係」だった。