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アヴァンティ・クレッシェンド 

作者: らん

「今まで、私たちについてきてくれてありがとうございました。ここからは、みんなで部長を決めて新生花中吹奏楽部をつくってください。」

 2階の音楽室で、3年生の元部長ユイ先輩の最後の言葉を聞いていた。8月下旬、外では蝉たちがジージーと鳴き、灼熱の太陽が校庭を照らしている。外はこんなに夏らしいのに、おれたちの夏はもう終わってしまった。県吹奏楽部コンクール、中学校Aの部、ダメ金。今年の夏はこれでおしまい。去年は市のコンクールで銅賞だったから、花見中としたら頑張った方だと思うけれど、本当はもっと上を目指したかった。


「もう少し学校で残って練習したら良くなりそうだけど、どうする?」

 コンクール本番直前のホール練習、前部長の問いかけが蘇る。ホールは借りている時間が限られているから、残って練習しようという前部長。おれはもちろん残りたかった。良い演奏ができるならいくらでも練習したい。でも、周りは違った。

「本番近いし、無理に残らなくていいと思います。」

 体調崩したら大変だし、と3年の先輩に大きな声で言われてしまった。その結果、残らないで帰ろうという意見が大きくなり、おれは練習したいという思いに鍵をかけて胸にしまい込んで、とぼとぼと家路を辿った。


「はい、じゃあ前部長さん、お話ししてくれてありがとうございました。言ってたと思うけど、今日は部長候補を決めるからね。」

 顧問の先生の声で意識が音楽室に戻ってくる。音楽の先生だから、拍子とか演奏法とか音楽的なことはアドバイスをくれるけれど、部としてはだいぶ自由にやらせてくれるいい先生だ。練習スケジュールにホール練、曲決めから、もちろん部長をはじめとする幹部決めも生徒主体でやらせてくれる。

「例年通り、部長候補は推薦でいいかな。」

 自他どちらの推薦でも構わないから、と続ける先生。一斉に部員がざわめき出す。

 おれははこの空気感が大嫌いだ。自分の意見を言いましょうという空気。意見を言うとかおれには絶対無理。意見がない訳じゃないけど、意見が対立しちゃったら反感買うかもしれないし。

「サク、どうするよ。」

 隣の席のサクに小さな声で聞いてみる。彼の楽器はクラリネットで、おれのフルートと同じ高音木管だし、被るパートも多いから部内で仲が良い。

「コウ。僕、ちょっと考えがあって、」

 サクが続きを話そうとしたとき、はい!と後ろからはつらつとした大きな声が聞こえた。

「神崎 綾です。私は自分を自己推薦します!」

「はい、トランペットの神崎 綾さんね。自己推薦ありがとう。」

 さすがだね、アヤは推薦されると思った、やっぱりか~という納得の反応で埋め尽くされる音楽室の中、ひとりだけピシッと手を挙げている部員がいた。隣の席のサクだった。

「はい。僕は普通の推薦です。」

 サクが立つと、音楽室はさっと静かになった。サクは一線を引ける性格と的確なアドバイスで、部の中で一目置かれている。そんなサクは誰を推薦するんだろう。

「フルートの、早坂 洸さんを部長候補に推薦します。」

「はい。早坂くんね。推薦ありがとう。」

 他にいますか、という先生の言葉も聞こえなかった。早坂 洸と言った。サクはおれを推薦した。部長に。驚きながらサクを見ると、立っていた彼は静かに前を向いて座った。視線を送り続けると、こちらに気づいて、にこりと微笑んだだけだった。

 なんでコウを推薦したの?コウにできる訳ないだろ、というコソコソ話が部屋中から聞こえた。驚きや戸惑いのコソコソ話は、つまみを回すようにだんだんボリュームが上がっていくように思えた。

 どうしておれなんだ。サクが恥をかかせようと思ったのか、はたまたおれに本当に部長が務まると思っているのか?考えるうちに顔に熱が集まるのがわかった。恥ずかしくてこの部屋から出て行きたくなる衝動を抑えながら、なんとか座っていた。


 ふと、この間の練習のことを思い出した。パート練習中、ピッチがずれている気がしたが、自分のせいなのか誰か他の人のせいなのか分からなくて言うか迷っていた。入りの音のピッチがずれてます。おれは言おうとした。

「コウ、どうかした?今のフレーズ、すごく良かったと思うんだけど」

 隣の先輩に笑顔で言われた時、出かかった言葉を飲み込んだ。おれは自分の意見を言うことに抵抗がある。間違っていたらどうしよう、おれの意見で悲しむ人がいたら嫌だ。そんな思いが、おれの心に絡みついている。


「もういないね。じゃあ、神崎さんと早坂くんには文化祭の曲練を一曲ずつ指揮を取ってもらいます。曲決めから練習、演出とかも頑張って考えてね。他の皆さんは、2人の様子をよく見るようにしてください。文化祭の後に多数決で部長を決めるからね。」

 顧問はそのまま文化祭の概要説明を始めた。吹奏楽部のステージは1ヶ月後の朝10時から体育館で合計4曲を演奏する。そのうち2曲はコンクールで吹いたマーチとswingのジャズっぽい曲らしく、それらは顧問がまとめるらしい。残りの2曲は部長候補のおれとアヤでそれぞれ曲決めから担当する。


 意見も満足に言えない人間が部長になれる訳ない、という思いがおれの中で大半を占めている。しかし、同時に部長になったら自分の意見をしっかり言えるようになるかもしれない、という小さな期待が心の隅にあることも自覚していた。無理だという諦めとやってみたいという淡い憧れ。コウは自分の意思がふわふわと境界を彷徨っているのを実感していた。



 内心、焦っていた。


「候補曲が4曲あるのでやりたい曲を一つ選んで教えてください。」

 アヤは候補が決まってすぐの練習でそう言った。きっとずっと前から準備していたのだろう。

 曲は動画投稿サイトで流行りのアイドル曲が1曲、誰もが聞いたことがあるテーマソングとポップスが1曲ずつ、あとの1曲は、

「実は私はこの曲をやりたくて、候補に入れました!」

 流れるような旋律が特徴の、いわゆるコンクールで自由曲に選ばれるような曲だった。

「アヤっぽい選曲じゃないよな?」

 言いながら、サクがひょこひょこ隣に来た。

「たしかに、アヤってもっとこう、元気よくてパーンって響くような曲の」

 イメージがある、と言おうとした。そのとき、

「コウは何か決まってる?」

 部員の問いかけが耳に入った。一斉に部員全員の視線がおれに向く。急に注目されて、心臓が変に音を立てる。耐えられなくなって下を向いたが、必死に声を出す。

「あ、えっと、まだ…、まだ、ちょっと、考えてて…」

「ふーん、早く決めてよ。練習大変なんだから。」

 そうだ、おれも考えないといけない。サクが隣で心配してくれている。大丈夫、と答えながら視線を戻す。アヤと目が合った。ざくり、と心が貫かれている気がした。アヤはにこりともせず、冷たい目でこちらを見ていた。


 アヤの担当曲はアヤが推していた曲に決まった。

「あの曲素敵だったもんね~」

「新しい曲で楽しみ!」

「がんばらないとね。」

 楽しみにしている部員が多いことが、雰囲気から伝わってくる。

 おれも、新しい曲はワクワクする。演奏している自分を想像すると楽しみになる。

 当然、彼女の練習には熱がこもっていた。

「そこ、低音タイミングズレてるので直しましょう。」

「高音木管、17小節目の頭の音、ピッチ気をつけてください。」

「フロントはもっと音を飛ばしてください。」

 指摘はどれも的確で、納得できた。”引っ張っているリーダー”という言葉がピッタリだった。

 ここまでが先週の水曜日の話。


 そこから、どうすればよいかわからないおれは、とりあえず各パートにやりたい曲の聞き込みをした。トランペットパートに聞き込みに行った時には、

「あなたと仲良くする気はないの。強いて言えばトランペットが目立つ曲。じゃ、練習忙しいから。」

 と、アヤに露骨に嫌がられてしまったが。結局、どのパートも系統や方向性がバラバラで、候補曲すら決まらなかった。


 そして、部長候補が決まって2週間目の火曜日、おれの曲が決まった。結局1人で決めてしまった。

「宝島かよ」

「色々聞いといて結局これなの?」

「新しい曲やりたかった。」

 曲を発表した時の部員の反応は予想通りだった。

 アヤの曲発表のときの部員の嬉しそうな反応を思い出して、ちくりと胸が痛む。

 練習は散々だった。時間になって指揮台に立っても、静かにならない。練習をしようという雰囲気にならない。

「…練習を、始めたいんですけど。」

 勇気を出して声を出す。しかし、振り絞ったおれの声ではみんなに届いていない様子だった。結局、練習を始めるまでに時間がかかり、1時間の練習を取ってもらっていたけれど、1回通すだけで終わってしまった。ちらり、とトランペットパートに視線をやると、アヤと一瞬目が合った。その目には軽蔑するような冷たさが宿っていた。あんな目で見られる理由はわかっている。おれが部長候補だなんて、きっと納得していないのだ。


「コウ、やっぱリーダーには向いてないよな。」

 楽器を片付けるために入った楽器庫で、サックスパートの部員が話していた。

「やっぱり、アヤの方が適任な気がするね。」

 頭から、氷水をかけられた気分だった。2人ともおれには気づいてなさそうで、開けた扉をそっと閉めた。

 流石におれでもわかる。このままではよくない。なにか策を考えなければ。

 廊下で楽器を片付けながら考えていた。

「お兄ちゃん、ちょっと見てらんないよ。」

 ふいに、後ろから声をかけられる。妹のリンだ。

 しっかりしなよ、アヤさんを見習ったら?

 ため息混じりにそう言い放つと、すたすたと行ってしまった。窓から差し込んでいるオレンジ色の夕日が、おれの心を見透かしている気がした。

 アヤのハキハキとした声が思い浮かぶ。

 なんでおれは、あんな風にできないんだろう。心の中でつぶやくたびに、氷水を浴びた胸の奥がさらに冷たくなる。

「あ、コウ。リンちゃんとすれ違ったけど、なんか言われた?」

 片付けが終わったらしいサクが、一緒に帰ろうと隣にやってきた。

「見てらんないって、アヤを見習えってさ。」

 兄に向かって生意気だよなぁ、と頑張って笑ってみる。

「アヤさ、ユイ先輩にめっちゃ憧れてたらしいよ。やっぱり練習の進め方がユイ先輩に似てるよね。」

 ユイ先輩。前部長。バラバラだった部をまとめ上げて、県大会まで連れて行った先輩。

「きっと、アヤにも揺らがない思いと決意があるんだよ」

 コウへの当たり方はだいぶ強いかもしれないけどね、とサクは笑っていた。

 決意。それがアヤにあっておれに足りないものかもしれない。直感でそう思った。

 ユイ先輩のように強いリーダーにはなれないかもしれない。けれど、自分にしかできないことを見つけなければならない。これがおれの決意だとコウは自分に言い聞かせた。



「ねぇ、なんでお兄ちゃんが部長候補なの?」

 夕食後、リンにストレートに聞かれた。

「え、サクに推薦されたから?」

 なぜこんな明瞭なことを聞かれているのか分からなくて、疑問系になってしまった。

 そうじゃなくて!とリンが少し声を荒げる。

「なんでサク先輩がお兄ちゃんを推薦したのかってこと!!」

「そういうことか、確かに、なんでだろうな。」

 本当にわからなくて少し考えていると、

「ほんと、そういうとこだよ。詰めが甘いんじゃない?アヤさんならきっとありえないと思うけどね。」

 吐き捨てるように言って、2階の自分の部屋へと向かった。思春期の妹、シンプルに怖い。

「リンってば。きっとコウのことを心配してるだけだよ。心配してなかったらなにも言わないでしょう?」

 不器用なんだから、とお母さんが笑っていた。きっとこれは、アヤに憧れている彼女なりのエールなのだ。明日は、サクにおれの推薦理由を聞こう。リン、ありがとう、と心の中で感謝を伝えた。


「やっと聞いてくれたか。」

 ずっと待ってたんだけどね。と続けるサク。

 次の日の練習後の帰り道。朝、学校に来てすぐ、一緒に帰ろうと約束をした。

「じゃあなんで言ってくれないんだよ…」

「急に推薦されたら、なんで推薦されたのか普通は気になるだろう?すぐ聞きに来ると思ったのさ。」

 サクは優しいのに、たまに意地悪なんだよな。

「僕は、コウの優しさと誠実さを買ってるんだ。」

「優しさと、誠実さ?」

「そう。たとえば、後輩が練習で困ってたら、君は躊躇なく声をかけに行くだろう?後輩と一緒に練習してあげてるの、見たことある。そして、コウはできないパッセージがあったら、ひたすら練習する。」

「普通、そういうものじゃないのか?」

 彼は、まさか!と笑っている。

「僕にはそんなひたむきにできないよ。あと、これは推薦した最大の理由なんだけどね」

 改めて言われて、聞きたいとせがんだこちらが少し緊張してしまう。

「コウは、他人の意見を汲むのが上手だからだ。」

「そんなことないよ。だって今回の曲、1人で決めちゃったし。」

「でも、いろんなパートに聞き込みに行って、どのパートも目立つ曲を考えた結果だろう?」

 それは意見を取り入れて考えていると思うけどな、と言われて言葉に詰まる。

 気づくと、おれとサクが別方向に行く道まで来ていた。

「じゃあな!頑張れよ、部長候補さん。」

 サクが手を振る。また明日、と手を振り返して、あいつから見た自分はそう映っているのかと、少し驚いた。他人から見た自分という新たな自分に気づいた気がした。意見を取り入れる。それは部長に必要な資質なのか。前部長はどうだったのか。ぐるぐると考えながら家に帰る。家に着く頃には、大きな月が出ていた。まるで自分1人を自分を照らしているかのように、太陽の光を反射していた。


「で、私にどうやってたのか聞きたいと。」

「はい。無理を言って申し訳ないです。」

 次の日のお昼休み、3-2教室前。自分にしかできないことを知りたくて、ユイ先輩に突撃した。

「まさかコウが部長候補とは驚いたよ。」

 どうせ、サクあたりの推薦でしょ、と笑っている。

「なんでわかるんですか!?」

 びっくりして声が大きくなってしまった。

「だって、コウって自分からいくようなタイプじゃないでしょ」

 先輩は鋭い。

「私はね、正直コウもアヤもどっちも部長に適任だと思ってるよ。」

 部のまとめ方もひとつじゃないからね、と先輩が言ったところで、授業の予鈴ががなってしまった。

「推薦されたなら、全力でね。」

 心を見透かされて、先輩はすごい人だと改めて思った。


 数学の授業を聞きながら、先輩の強みは、実は洞察力じゃないかと考えていた。先輩はよく人を見ている。話していないのに、おれが部長候補だと聞いて、自己推薦じゃないことも、サクからの推薦だったことも当てていた。

 ふと、5月のコンクール曲決めの時のことを思い出していた。今年のコンクール曲は部員の好き嫌いがかなり分かれていて、特にフルートパートは嫌い派が多かった。そんな時先輩が現れて、

「ここ!連符が安定してるうちのフルートの強みを生かせると思ったんだ。だから、みんなで頑張って欲しいの。どうかな。」

 うちのフルート、と先輩が言った。部長として、自分たちのことを考えてくれている、と素直にそう思えた。そこから、期待されているという熱も入り、フルートパートも練習に集中して取り組むことができた。あの対応も、フルートに嫌い派が多かったのを見ていたから?

 点と点が、線で結ばれた気がした。

 あぁ、きっとそうだ。ユイ先輩には、アヤのような引っ張っていく力と、深い洞察力があったんだ。不満や不安をトラブルになる前に消していった。5月のフルートパートみたいに。だから、大きなトラブルなく部が進んでいった。そして、おれのよさは、意見を取り入れる力。今日は宝島の合奏がある。先輩みたいに、うまく活かしてやる、と心に決めた。


「では、合奏を始めます。」

 まず、しっかりと話すことを意識した。通る声で、背筋を伸ばす。これだけで、初回のだらけた雰囲気がかわり、シャキッとした雰囲気で合奏が始まった。

「この部分で、なにかありますか。」

 この質問は失敗だった。誰も、何も言わない時間になってしまった。

「サビ前の裏、低音のリズムは縦を合わせてください。」

「高音木管のサビの連符は合わせるようにしましょう。」

 これはアヤの真似。こんな感じで2回目の合奏が終わった。初回の合奏よりかはうまくいったと思う。アヤを一瞥すると、また、冷たい目をしていた。しかし、心なしか少し冷たさが柔いだ気がした。

 意見を取り入れる、というおれの強みを活かしたい。今回の合奏で、ただ意見を聞くだけでは何も意見が挙がらなかった。次回の合奏ではそこを意識しよう。

 ふと、窓から差し込む今日の夕日に気づいた。リンに見てられないと言われたこの前から、少し暖かい気がした。



 本番まであと1週間。

 アヤの練習には、熱がこもっていた。

「そこ、合ってない!前も言いましたよね?」

「何回言えばできるようになるんですか。」

「集中力が切れてます。集中して!」

 練習を重ねるごとに、彼女の口調は少しずつ強くなっていた。

「ここを、サックスで1人ずつお願いします。」

 サックスならリンがいる。大丈夫だろうか。

 リンは連符で少し躓いたように聞こえた。

「リン。そこ、本番までに完璧に吹けるようになる?」

 名指しで言われて、リンが一瞬固まる。

「できます。やります。」

「ならしっかり練習して。次また見ます。」

 じゃあ次、と切り替えるアヤに対して、おれはもやもやしていた。わざわざ名指しで言う必要はあったのだろうか。部屋の空気がピリピリとしたものに変わっていくのを感じた。アヤの声が響くたび、部員たちの顔が少しずつ曇っていく。このままじゃ、うまくいかないかも、という不安が胸の中で膨らんでいくのを、おれは抑えきれなかった。


「アヤ、ちょっと厳しすぎるよね?」

「それ思ってました!あの先輩が部長になったら、ずっとこんな感じってことですか?」

 楽器庫で、クラリネットパートの部員がアヤの練習について話していた。こんな空気で練習をしているからか、部員が少しずつ不満を抱えていくのが目に見えてわかった。確かに、毎日のきつい練習に加えて、合奏でこんな言い方をされたら悲しくなる。

「コウは、こんな時、どうしたらいいと思う?」

 隣で楽器を片付けているサクがそっと聞いてくる。

「うーん、やっぱり、自分の思いと相手の思いを聞かないといけないよね」

 今の練習は部員に比べてアヤが張り切りすぎてる気がする、と続ける。

「いいね、コウのそういうところがいいんだよな。で、コウは?自分の思いをしっかり伝えてる?」

 目から鱗だった。言えていない。ピッチとか音の粒を合わせるとかの話はしているけど、どんな曲にしたいとか、なんでこの曲にしたのかとか言ってない。

「言わなきゃ。」

 つぶやきを、サクは聞き逃さない男だ。絶対に聞こえてたと思うけれど、彼はにこりと微笑むだけだった。

 サクはいつもおれの背中を押してくれる存在だった。自分に自信を持てないときでも、彼の笑顔にはいつも不思議と力がある、そんな気がしていた。


 本番5日前の練習。合奏前に話す時間を設けた。

「おれは、この曲を楽しい曲にしたいと思ってます。みんなに聞き込みをして、どのパートも輝くことができて、それでいて、みんな知ってる曲って考えて宝島になりました。」

「だから、自分が輝けると思ったところは目立ってほしいし、他のパートが輝くところは支えてほしい。」

 今更でごめんなさい。何か意見はありますか、と付け足す。

 すっと手を挙げたのはリンだった。

「簡単な振り付けとかしたいです。吹きながら。」

「ベルアップとか、ステップとか?」

「そうです。楽しさが伝わるかなって。」

「ありがとうございます。みなさんどう思いますか?」

 いいじゃん、楽しそう、可愛いのがいいね、と肯定的な雰囲気で、楽しそうに話す部員が多くてほっとする。反対の部員はいないようだったし、リンがこんなことを言い出すなんて意外だった。

「では、振り付けも考えておきます。今日の練習は…」

 今日の練習は、今までで1番いい感じだった。自分の意見を言いつつ、部員に意見を求めておれがまとめるというスタイルが1番安定している気がした。


「なんかコウ、最近いい感じじゃない?」

「練習しやすいよね、こっちの考えも受け入れようとしてる感じがする。」

 トイレから出たとき、水道の前でマウスピースを洗うトロンボーンの部員が話しているのが耳に入った。

 率直に嬉しかった。自分が認められている、そんな気がした。ニヤつきを抑えながら、音楽室に向かっていると、

「なんかいい感じなの、ちょっとむかつく。」

 後ろから声がした。アヤだった。

「私は今でも、自分が部長に相応しいと思ってる。コウよりもね。ユイ先輩みたいに、部長は部員を引っ張っていかないといけないから。」

 じゃあ、と言いたいことだけ言って、彼女は言ってしまった。口ぶりから、焦っているんだとなんとなくわかった。でも、ここで彼女の練習の悪いところを言っても、火に油だと思って何も言えなかった。



 ついに、文化祭本番を迎えた。

 やはり、アヤの曲は完成度が高かった。ピリッとした緊張感のある空気の中で曲が始まり、”失敗できない”という思いが部員の中にあるように思えた。

 次は、おれの曲だ。

 顧問の先生が指揮台に立つと、全員が静まり返った。フルートを構えながら、全員がこれまでの練習の成果を出し切ろうと、集中しているのがわかった。同時に、おれの心臓も高鳴っていた。これまで自分がみんなと一緒に築いてきた音楽が、今まさに形になろうとしている。大丈夫だろうかという不安と、きっとみんなら素敵な音楽を作ってくるという安心を行ったり来たりしていた。

 演奏が終わり、体育館には大きな拍手が響き渡った。おれは内心ホッとしていた。しかし、徐々に胸の中に何かが込み上げてくるのを感じた。この演奏は、部員たちと自分が共に過ごしてきた日々の成果でもあるのだ。自分がこの音楽を作ったんだという実感が、だんだんと確信に変わっていって、おれは泣きそうになっていた。なぜかはわからない。でも、みんなで1つのことをやって、成功することの素晴らしさを、経験してみて初めてわかった。演奏後のお客さんの拍手がずっと耳に残っていた。


 次の月曜日。部長が決まる日。

 おれとアヤは廊下に追い出された。今まさに、音楽室でどちらが部長に相応しいか決めているところだろう。だんだんと胸の鼓動が速くなっているのが自分でもわかった。自分が部長になるかもしれない、という期待と、きっと無理だという不安が交錯する。頭の中で何度も、どうしようとつぶやく自分がいた。


 そんな時、アヤが近づいてきた。いつも通りの冷たい表情だったが、どこか違う。「コウ」と静かに呼ばれ、少し戸惑った。

  「ごめんなさい。」

 想定していなかった言葉だった。その言葉が、胸に重く響いた。

「私、ずっと自分が正しいと思ってた。でも、あなたのやり方もきっと正しかった。ごめんなさい。」

 そう言って、アヤは申し訳なさそうに下を向いた。

 いつもの強気な彼女ではなく、素直な一面が見られた気がした。

「気にしてないよ。アヤのまとめ方もすごかったよ。曲の完成度じゃ敵わない。」

 笑って答えると、彼女も笑った。

 2人の間にあった分厚い氷の壁が、だんだんと溶けていくような気がした。


「部長は、早坂 洸です。」

 招かれた音楽室で、先生の声が響き渡る。その瞬間、全身が凍りついたように感じた。自分の名前が呼ばれたのだ。視線が一斉に集まるのがわかったが、思うように動けない。固まっていたら、見かねたのか隣にいたアヤが軽く背中を押してくれた。そこで初めて、現実に引き戻された。


 おれは部員に挨拶をしていた。

「改めて、吹奏楽部部長の早坂 洸です。」

 以前のおれならきっと声も小さくて震えていた。でも、確かに胸の中には小さな自信が芽生えている。

「副部長の神崎 綾です。」

 おれが副部長に指名したアヤは本当にいつも通りで、少し笑ってしまう。

「新生、花中吹奏楽部へようこそ!みんなで盛り上げて、一緒に頑張っていきましょう。」

 きっとこの部員なら大丈夫。みんなと一緒に、これからもっと素敵な音楽を作っていける。そんな予感が、胸の中で鳴り響いていた。

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