悪役令嬢ですが、バッドエンドは嫌なのでひたすらポイントを貯めます。
私は、前世でプレイしていたとある乙女ゲームに転生している。それも、悪役令嬢ベレニスとして。
(ここは……乙女ゲームの、世界……)
その事実に気づいたのは、幼少期のころだった。庭で転んで花壇に頭をぶつけて気絶し、数日後に目覚めたときに前世の記憶を思い出していた。
記憶を取り戻したのと同時に――目の前に『好感度メーター』と奇妙なもふもふの生き物が浮遊し始めた。
「お嬢様……っ! お目覚めになったんですね……! 気分はいかがですか?」
「誰か! 早く医師を呼んできて! 奥様と旦那様にも報告を!」
侍女たちが傍らで騒がしくするけど、私は蘇った前世の記憶と、目の前に浮かぶ好感度メーターと毛玉のことで頭の中がいっぱいだった。
医師の診断は異常なしだった。私が目覚めたことに涙ながらに歓喜する両親を宥めたあと、ゆっくり休みたいからひとりにしてほしいと全員を部屋から追い出す。
私は鏡台の前に座り、鏡を見つめた。
頭にぐるりと包帯が巻かれている。
打ちどころが悪く、私の怪我は結構深刻だったらしい。そのまま二度と目覚めないかもしれないし、目覚めたとしても後遺症が残るだろうと言われていたとか。
目覚めた私がぴんぴんしているのは、奇跡みたいなことだと医師も驚いていた。
「この毛玉……なんだろう」
依然目の前を飛んでいる生き物。ずっと沈黙していた太った猫のような風貌のそれが、長いしっぽを振りながら突然喋った。
「おめでとう! あなたはボクら妖精族の乙女ゲーム転生プログラムの被験者に選ばれたヨ!」
「乙女ゲーム……転生プログラム?」
妖精は、名前をシャロと名乗った。
シャロたち妖精族は神の使いで、死んだ人間の魂の案内人みたいなことをしているという。死後の魂を、再び地球に人間として生まれ変わらせたり、あるいは別の世界へ移したり。
妖精世界には転生にまつわる研究所があり、死んだ魂をより良い形で転生させるのために、人間を独自の異世界に転生させて、いかに生きるか観察しデータを集めている。
その研究のひとつが、シャロが担当する乙女ゲームの異世界らしい。
この乙女ゲームは、私が日本人だったときにプレイしていたものだ。悪役令嬢ベレニスは、ヒロインをいじめて学園卒業のパーティで婚約者の王太子から断罪される。
「キミは花壇で頭を打ったとき――死んだんだよ。でもボクが、日本人の女の子の魂をベレニスの中に入れることで生かしたんだ」
確かに、ベレニスが乙女ゲーム開始前に死亡しているというルートがあった。
つまり今は、ベレニスの記憶を持つ別人になっているということらしい。
「空中のディスプレイを操作してみて。対象者を攻略していくためのアイテムや情報が手に入るヨ!」
ディスプレイを指先でタップすると、これから出会う攻略対象の情報や、アイテムの入手方法などが書かれていた。
シャロは懇切丁寧にこのゲームの説明をしてくれた。私が悪役令嬢かつ被験者としてどのように攻略を行っていくかを観察する代わりに、ゲームをクリアしたら何でもひとつ願いを叶えてくれるという。
「じゃ、頑張ってネ!」
「ちょっと待って、まだやるなんてひと言も――って……消えちゃった」
まだやると承諾した訳でもないのに、勝手に被験者を押し付けてディスプレイの中に消えていくシャロ。
(――この乙女ゲームの悪役令嬢、バッドエンドしかないんだけど!?)
花壇に頭を打ちつけ、ヒロイン登場の前に退場するのも、悪役令嬢のエンディングのひとつ。
それを回避したとしても、これからも私には、様々なエンディングが押し寄せてくる。追放エンド、投獄エンド、処刑エンド、エトセトラ……。そのほとんどが、ヒロインを引き立てるための悪役らしいバッドエンドだ。
「こんなの、無理ゲー……」
攻略対象を攻略しなければ、このゲームは終わらない。せめて、私が悪役令嬢ではなくヒロインだったらよかったのに。私は強引に始まった妖精シャロの検証に頭を抱えた。
◇◇◇
私はバッドエンドを回避し、ゲームをクリアするために、ひたすらポイントを貯めることにした。
このゲームの世界でアイテムを入手し、攻略対象の好感度を高めるためのイベントに参加するには、ポイントが必要となる。
そのポイントを貯める方法は――歩くことだ。
(これ……相当なダイエットになるわ)
歩く度に換算されていく歩数の画面を眺めながら思う。単純な作業だと思われるかもしれないが、1歩1ポイントではなく、1万歩で1ポイントなので結構大変だ。
雨の日も、風の日もひたすら歩く。歩いて歩いて、歩き続ける。周りの人から変わり者と揶揄されようとも、これはバッドエンドを回避するためなのだ。
歩きまくったおかけで学園入学までの5年間、ポイントが貯まったのはもちろん、スリムなモデル体型を手に入れることができた。ふくらはぎの筋肉はすごいことになってるけど。
(さて。どの攻略対象を攻略するか決めなくちゃ。ああ、面倒くさい)
ほとんど貴族ばかりの学園の中で、たまに平民の生徒がいる。貴族はお金さえ払えば入学できるが、平民は難易度の高い一般入試を合格して通うことができる。私はギスギスした貴族より、平民の人たちの方が親しみやすく感じた。
貴族の多くは平民を軽視しがちだが、前世で超一般庶民だった私には貴族のプライドはない。だから、貴族であろうと平民であろうと、分け隔てなく接して仲良くした。友達もできて、学生生活を満喫している。
「ねーシャロ? ほんとに攻略対象を誰か選ばなくちゃならないの? 嫌なんだけど……」
「それが規定だからネ。ボクに言われても困るヨ」
この乙女ゲームの攻略対象は5人いる。王太子であり私の婚約者ルーカス、高位令息であるカインと、平民出身で後に貴族になるアルベルト、その他だ。このまま何もしなければ、ルーカスはヒロインであるアイリスに心変わりし、私に婚約破棄を突きつけた挙句断罪する。
そうなる前に、ルーカスを篭絡するなり、庇ってくれる味方を他に作るなりしなければならないということだ。
私は空中のディスプレイを指でスクロールし、攻略対象たちのデータを確認してため息を吐く。
写真を見ると全員飛び抜けた美男子ではあるが、特定の推しはいない。魅力を感じる相手もいない。やる気が出ない。だから、ポイントだけは無駄に貯まっているという状態だ。
悩みながらうろうろと学園の敷地をさまよい歩いていると、男子生徒がひとり、茂みに顔を突っ込んで何かをしているのを見つけた。ちょっと頭がおかしい人かもしれないと思い通り過ぎかけるが、やっぱり気になって引き戻り、声をかける。
「あの、どうかしたんですか?」
「実は……大切なものを失くしてしまって」
「ああ、探し物ですか。茂みに頭を突っ込んでいらっしゃったので、変な人なのかと」
「すみません。お恥ずかしいところをお見せしました」
その男子生徒は、銀髪をした爽やか容姿をしていた。その顔立ちは攻略対象たちに劣らず美しい。彼は平民出身の、ジークと名乗った。彼が落としたのは、赤い宝石がついたブローチらしい。
「私も手伝います。この茂みの中に落としたんですか?」
私は茂みの中に顔を入れて、ブローチが落ちていないか探し始めた。貴族の令嬢が髪に葉っぱを絡ませながら探し物をする姿にジークは戸惑っていた。
なかなか見つからず、別の場所を探してみようかと提案しかけたそのとき……。
はっと思い立った私は、空中ディスプレイのアイテム欄を確認した。
(赤いブローチって……これだよね)
ジークが言っていた特徴に一致するブローチがアイテム欄にあった。貯めていたポイントで買えるが、その価格を見てぎょっとする。
4000ポイント。私の1年分の歩数に相当するポイントが、ブローチ1個で溶けて消えるのだ。
「――高っ!」
このアイテム欄に表示されるということは、そのブローチは今後の攻略の上で必要なアイテムになるということ。
本当なら攻略対象の誰かの好感度を上げるための、しかるべきタイミングで使わなければ意味がないが、今目の前でジークがこれを必要としていて、困っている。ならば、持ち主のジークに返すべきだろう。
「ベレニス様? どうかしました?」
「ううん。何でもない!」
笑って誤魔化し、ディスプレイをこそこそ操作してブローチを購入する。ディスプレイから飛び出してきたブローチが、私の手のひらに載った。
「あ、あったー! こんなところにブローチがー!」
「え!? 本当ですか!? 散々探しても見つからなかったのに」
「足元に落っこちていたわ。不思議ね」
あたかも今拾ったみたいな白々しい芝居をして、ブローチを返す。するとジークは満面の笑みを浮かべて、私の手をがしっと握った。
「ありがとう! あなたは恩人です! 本当にありがとう……!」
「え、いや……そんな、大袈裟な」
「いいえ。このご恩は絶対に忘れません……!」
なんだか妙なくらいに感謝されてしまった。そんなに大事なものだったのかと聞くと、そのブローチは亡くなった母親の形見だと答えた。それなら尚更、彼の手元に戻ってよかった。1年ひたすら歩いたかいがあった。
私は、アイテムが攻略とは違う形でも役に立つのだと知った。
そして今日も、攻略していくキャラを決められずに一日が過ぎていく。
(まぁ、そのうち考えればいいか)
◇◇◇
そんな感じで攻略を後回しにし続けていたら3年が経ってしまった。
卒業を控え、婚約者ルーカスはシナリオ通りにアイリスに好意を抱いている。このままいくと、ひと月後の卒業式後のパーティで断罪される。
「ねーねーベレニス? このままだとキミ、断罪されて追放だけどいいノ?」
「良くないわよ」
「ねーねーベレニス? 未だに攻略対象たちの好感度は0だし、ポイントが0になってるけど大丈夫ソ?」
「全っ然良くないわ!」
庭園のテラスでひとり、私は項垂れる。
この3年の間、困っている人を見つける度に、アイテムを使って助けてしまった。誰彼構わず、惜しみなく。
教科書を忘れた生徒のために教科書を買ってあげる、といったちょっとした手助けはもちろんのこと、自然災害が起きたときはポイントで宝石やドレスを買って売り、そのお金を寄付した。最近は、貧民街に食べ物を配りに行ったりしている。本来は攻略対象に使うはずだったのに。
5年で貯めたポイントは少し前に底を尽き、そのまま今日になってしまった。
そして遂に、卒業式のパーティーの日を迎えた。
(今日私は……断罪される)
卒業式が終わり、パーティー会場の広間に入る前で私は躊躇していた。
この大扉をくぐった先で、断罪が始まる。大勢の人たちの前で、糾弾され、捨てられ、恥をかかされる。
でも不思議と後悔はない。攻略対象に媚びを売る数年間より、自分が助けたいと思う相手にポイントを使った日々の方がずっとよかった。たとえ追放されたとしても、これで満足だ。
するとジークがやって来て、こちらに声をかけた。彼はブローチを拾って以来、ずっと親しくしてきた。彼は今でも探し物のブローチを見つけてやったことを恩に感じている。恩があるせいか、彼はやたらと私に親切にし、甘やかしてくる。
「ベレニス様。ルーカス王太子殿下とご一緒ではないんですか?」
「ええ。あの人はアイリス様といるわ」
「アイリス様……? 王太子殿下の婚約者はあなたなのに」
彼は、婚約者であるルーカスが、大事な式典後のパーティーでエスコートしていないことを不審がっている。
「以前も言ったでしょう? ルーカス様はアイリス様に心変わりされているって。ねぇ、ジーク。あなたは私が犯罪者……になっても、友達でいてくれる?」
「犯罪者って……。今日、何が起ころうとしているって言うんです?」
「私はこれから――断罪されて、惨めに捨てられるのよ。ふふ、おかしいでしょ?」
作り笑いを浮かべて伝えると、ジークは目を見開いた。
「私が悪いの。王太子殿下ともっと向き合うように努力してきたら、何かを変えられたかもしれないのに……。逃げてしまったから」
ルーカスが心変わりし、私を断罪する未来を知っていた。そんな彼に媚びを売るなんて嫌だったし、自分が助かるためだけに別の誰かの心を繋ぎ止めるように努力する気持ちになれなかった。こうなったのは自分の責任だ。
するとジークは、私の手を取って自分の腕をかけた。私がひとりで人前に出て恥を晒さないように、エスコートしてくれるようだ。
「――あなたは胸を張って、いつものように堂々としていたらいい。何の罪もないのですから」
「ジーク……?」
「あなたは優しく素晴らしい女性です。僕は絶対に味方ですから」
一瞬、彼の瞳に、敵を見据える闘士のような鋭さが見えた。
広間に入ると、まもなく予想通りに断罪が始まった。
攻略対象たちの好感度は0のまま。唯一ゲームのシナリオと違うのは、隣にジークがいること。けれど彼は平民で、ルーカスたち高位貴族を相手にどうこうできる立場ではないから、守ってはもらえないだろう。
それでも、ジークがいてくれるだけで不思議と安心する。
「ベレニス。貴様との婚約を破棄し、国外追放を命じるっ!」
ルーカスが声高らかに宣言すると、人々はざわめいた。
彼の傍で、このゲームのヒロインであるアイリスが、しおらしげに泣いていた。
彼は言った。私がアイリスを陰で執拗にいじめ続けていたのだと。
確かに実際の乙女ゲームの中で、ベレニスはアイリスをいじめていたけど、今の私はアイリスとまともに話したこともなかった。しかし彼は、乙女ゲームのシナリオ通りのことがあたかも起きたかのように思い込んでいて。
そしてルーカスは、ベレニスと婚約破棄する代わりにアイリスを婚約者に据えると続けた。
(どんなに言い訳をしたところでどうせ、あることないことでっち上げられて、私は追放される。……ならいっそ、黙っていよう)
私はひと言も反発せずに、ルーカスの告発の内容を静かに聞いていた。
あまりに落ち着いた私の態度に、彼は動揺する。
「お、おい……何か言い返したらどうだ? どうして何も言わずに黙ってるんだ!」
「断罪を受け入れます」
「…………は?」
にこりと微笑みを浮かべて答える私に、鳩が豆鉄砲を食ったような反応をするルーカス。
私はもう、限りある時間を好きに過ごしてきた。これで満足だ。追放は嫌だとみっともなく喚くより、潔く引こう。それで終わりにしてほしい。だって、面倒なことは嫌いだから。
「王太子殿下はこの国の象徴のような存在であらせられます。ですから、殿下の意思は国家の意思。私は……従うほかありません」
それが、どんな理不尽な内容であったとしても。
「はっ。話が早くて助かる。ああ、貴様とはこれきりだ。おい誰か! その者をつまみ出せ!」
ルーカスは勝ち誇ったかのようにほくそ笑み、騎士たちに命じる。それを見て、やっぱり彼を攻略するために時間を無駄にしなくてよかったと心底思った。どうも私は、彼の人間性を好きになれない。隣にいるヒロインのアイリスも、分かりやすく満足気な様子だ。他人の婚約者を奪い取った、勝者の表情だろうか。
ずっと隣で断罪を聞いていたジークは、今どんな顔をしているのだろう。きっと、私のことを哀れみ、同情しているに違いない。そう思ってちらりと見上げれば、彼は見たことがないくらい怒った顔をしていた。
彼は私と目が合うと、いつものように柔らかく目を細めて、大丈夫ですよと囁く。
「殿下。僕はこの断罪に異議を申し立てます」
「なっ……!?」
「僕だけではありません。この場にいる多くの生徒たちが、この断罪を批判するはずです。異論を唱える人はいますか? この場における発言の責任はこの僕、ジークハルト・リングキースが引き受けましょう」
一瞬、耳を疑った。いや、私だけではなく、ここにいる誰もが驚いている。なぜなら、リングキースは隣国の王族の姓だから。ジークハルトは乳児のころに連れ去られて行方不明だった王子だと説明した。
(ジークが、お、王子様なんて……)
私が見つけたジークハルトの探し物であるブローチは、彼の出生を示すものだった。
彼の母親は宮殿の召使いだった。ジークハルトが生まれたあと、召使いを母に持つジークハルトは王子にふさわしくないと、反王族派のひとりが赤子の彼を誘拐したのだ。しかしジークハルトは、国王が彼に与え、身分の証であるブローチを誘拐犯から取り返していた。
(じゃあ……アルベルト様は偽物だったってこと?)
乙女ゲーム本編では、あのブローチはヒロインの協力によって攻略対象のアルベルトの手に渡り、彼は隣国の王子となる。ブローチを入手してから王子になるまでの経緯がゲームでは端折られていたが、アルベルトは隣国で権力を築き、世直しに貢献していく。
彼は聡い。悪く言えば狡猾な人だった。だから、ゲームでは明かされていないが、本物の王子から奪った地位を利用していたのだ。
……そんな重要なアイテム、ポイントが高いのも当然だ。
(危ない危ない。一歩間違えたら、国の運命を変えるような代物を恋愛ゲームのために、持ち主じゃない相手に譲り渡すところだった……)
私が驚く一方で、広間にいた多くの人たちが手を挙げた。
「ベレニス様は無実だと思います……! 彼女は誰かをいじめるような人ではありません。だって、いじめられていた私を助けてくれたから……」
その令嬢は、私が乙女ゲームのポイントを使って失くした教科書を与えたり、ゲームアイテムで手に入れた強力洗剤で汚された制服を洗ったりしたことがある相手だった。いじめられていた彼女はなんと、教科書を隠され、時には制服を汚されていたとか。彼女がいじめられているという事情があったことは初めて聞いた。
そういえばあの強力洗剤、流石はゲームアイテムなだけあって、ペンのインクも一瞬で落ちる優れものだったな。
「わたくしの領地が自然災害に遭ったとき、一番に支援してくださった方はベレニス様でしたわ。我が伯爵家はベレニス様を擁護いたします」
「僕にとって、ベレニス様は命の恩人です! 彼女が孤児の支援をしていたおかげで、行方不明だった妹が飢えずに済みました!」
いつの間にか人の命を助けていたなんて知らなかった。
「命の恩人だなんてすごいわ!」
「おお……。最近勢力を拡大しているロドリエス伯爵家とナダール侯爵家まで味方についたぞ……!」
感心する声が私の耳を掠める。
次々と手が挙がっていき、生徒たちは身分に関わらず、口を揃えて私の潔白を訴えた。その声はどんどん大きくなっていって、広間が揺れるほどの声が私の味方をしていた。
どうやら、歩数のポイントだけではなく、知らず知らずのうちに徳を貯めていたらしい。
「――という訳です。殿下。その令嬢ひとりの証言と、これだけ大勢の生徒たちの証言、どちらに信ぴょう性があるのでしょうか。それに……これだけの声を無視すれば、これから国王となるあなたの信頼が揺らぎかねません」
「それは…………っ」
ルーカスは悔しそうに歯ぎしりする。
「わ、分かった。国外追放については、貴様を想う者たちに免じて一旦取り下げよう。だが俺は、アイリスを愛していて……」
断罪を取り下げれば、私との婚約を解消する理由がなくなる。
「ええ。分かっております。これから正式な手続きを踏み、私たちの婚約は解消しましょう。時間はかかるでしょうが……根気よく。その後のことはご自由に。では私はこれで」
家同士の契約は、政治勢力の問題や多くの人が関わっているため簡単に取り消すことはできない。何年もかかることもある。
ルーカスにしたら、一刻も早く想い人と一緒になりたかったのだろう。けれど、そんな恋心のために国外追放を言い渡されるのはいい迷惑だった。
ルーカスは意気揚々と公開断罪をしたものの反発を招いたことで、大勢の前で赤っ恥をかき、転がるようにアイリスとともに広間を出て行った。
そのときも、ジークハルトが私の傍にいた。
広間は、ジークハルトの出生に関する噂話ばかりだった。
「まさか、ジークが隣国の王子様だったなんて……」
「もし知ってたらもっと仲良くしてたのに……! でもこれで、ベレニス様も心強い味方ができたわね」
「ジークハルト殿下は以前から、彼女しか見えていないご様子だもの。羨ましいわぁ」
ジークハルトは柔らかくこちらに微笑みかける。その表情が甘くて、私の心臓が音を立てる。
「ずっと身分のことを隠していてすみません」
「いいえ。私こそ、王子殿下と知らなかったとはいえ、馴れ馴れしい態度を取ってしまったこと、謝罪させてください。その……失礼なことを沢山したのでは」
「そんなことはありません。あなたといるときはいつも楽しかった。これでようやく――」
彼はそっと私に近づき、誰にも聞こえないように耳元で囁いた。
「――あなたを口説けそうだ。ベレニス」
「!?」
ふっと目を細めた彼の表情は、いつものように優しいだけではなく、艶やかで、魅惑的に見えた。初めて呼び捨てにされたせいか、顔が近いせいか、それとも好意を匂わされたせいか、訳も分からず顔が熱くなる。
そして、数歩後ずさったとき――ぴしゃりと時間が止まる。
令嬢のふわりと翻るドレスの裾も、グラスに注がれるワインも、談笑する人々も、何もかも絵画として切り取ったように静止していた。
「おめでとうベレニス! ゲームクリアだよ!」
「へっ!?」
突然空中ディスプレイから飛び出してきたシャロがクラッカーを鳴らし、ゲームのクリアを祝う。
まだ攻略対象を攻略していないはずなのに、どうしてクリアなのかと小首を傾げると、彼は説明した。
「実はネ、ジークハルトは――隠れ攻略対象だったんだヨ! それを知らずに惚れさせるなんてキミは運がイイ!」
「えええ……」
シャロが手を振ると、ジークハルトの頭の上にそれまで見えなかった好感度メーターが表示され、その数字は100を示していた。
じゃあ、国を追い出されることを覚悟した私は一体……。
「いやぁ、今回はなかなか面白い検証結果を見せてもらったヨ。このデータは、乙女ゲーム転生プログラムの大切なひとつとして管理させてもらうネ。約束通り、ゲームクリアを祝して、キミの願いを何でもひとつ叶えようー!」
そう言ってしっぽを振る彼。
「願いねぇ……じゃあ、このゲームのディスプレイ、残してくれない?」
「そ、そんなことでいいノ? でも、検証の終了とともに、アイテムとか情報を表示する機能は全部消えちゃうよ? 残せるのはせいぜい……歩数計だけ」
「うん。それでいい。なんとなく……思い出に残したくて」
シャロは、私のことを「変わり者だね」と笑い、歩数計測の機能だけの空中ディスプレイを残して消失した。
(……さよなら、シャロ)
小さなころから数年に渡る付き合いだったシャロとの別れは少しだけ寂しかった。
けれどそれと同時に、止まっていた時間が元に戻る。
「あれ……? 今一瞬、身体に違和感があったような……。ベレニスは?」
「……いいえ、私はなんとも。きっと気のせいでしょう。それより……」
私は彼に片手を差し出してはにかむ。
「少し外を歩きませんか? なんだか歩きたい気分で」
「ふふ、もちろん。行こうか」
彼と手を繋いで一歩踏み出したとき、空中ディスプレイの歩数計の数字が0から1に変わった。
(――ポイント、コツコツ貯めてよかった。歩くのって最高ね)
こうして私の乙女ゲームは、ポイントをひたすら貯めたことでハッピーエンドに終わったのだった。
歩くことは、筋肉を鍛え、ストレスを和らげ、病気のリスクを減らし……そして、破滅を回避して、運命の恋にも出会わせてくれる。良いことだらけなのでぜひとも毎日のルーティンに取り入れてみてほしい、と後の私は社交界で人々に推奨するのだった。
数ある作品の中からお読みいただきありがとうございます。
もし少しでもお楽しみいただけましたら、下の☆☆☆☆☆評価で応援していただけますととても嬉しいです…!
★新連載の宣伝★
『好感度-100から開始の乙女ゲーム攻略法 〜妹に全部奪われたので、攻略対象は私がもらいますね〜』下にリンク有り。