2話
『ここはどこ?』
頭に角の生えた男の子は言った。巫女のような衣装が高校の教室には見事なまでにアンマッチだ。
「かっわいい! コスプレ? 迷子かな?」
牡丹はしゃがんで男の子と目線を合わせた。牡丹のキラキラと輝いた目にはくっきりと興味津々と描かれている。そんな熱い視線を男の子は見つめ返して、首をちょうど四十五度傾けた。続いて牡丹も同じ向きに首を傾ける。
「いやまてまて……。おかしいだろ……! なんで高校にこんな子供が入ってきてんだよ! そしてなんだその格好は!」
そのとおりだ。日遊の言うことに完全に僕も同意だ。こんな状況、笑っちゃうほどにありえない。
「誰かの弟くんでしょ? ね?」
牡丹は冷静に、というより状況の不自然さを理解していないのか、のんきなことばかりを言う。
「うん。そうだよ!」
男の子は言った。耳になにかつかえたような違和感があった。至極まっとうな日本語なのに初めてその言語が世界に産まれ落ちたかのような不思議な違和感。
牡丹は振り返って僕らを見あげ「ほらね」と誇らしそうに笑う。
「そいつが適当こいてんだろ」
「日遊はひねくれてるなー。こんな子供を疑うなんて。ハチもなんか言ってやってよ」
「頭に角の生えたクラスメイトを僕は知らないよ」
僕が日遊の味方をすると牡丹は「はあーっ」と大袈裟にため息をつく。
「みんな意地悪だねえ。ただの飾りでしょ? これ」
「ううん。飾りじゃないよ。だってとれないもん」
またまたー。と牡丹は笑う。赤ちゃんをあやすみたいなテンプレ的な笑顔で。
「ねえねえ。君の兄弟の名前を教えてよ」
「お姉ちゃんの名前? いいよ。えっとね……」
リュウ!!
大事に手入れされてきたピアノの第一声のような透明感のある音が教室に響いた。
声の方を向くと、教室の開いた扉のところに女の子が息を切らして立っていた。
僕らと同じくらいの年齢に見える。白い肌に白い髪。その容姿は魔力にも似た美貌があり、思わず美しいと口から零れ落ちそうになる。
「きれいだ……」
たまらず言ったのは日遊だ。彼はいつも、思ったことをそのまま口にする。例に漏れず、その衝動に負けてしまったのだろう。
「あ、お姉ちゃん」男の子は言う。
あまりの美貌に目が奪われしまい気づけていなかったけれど、お姉ちゃんと呼ばれたその女の子にも頭に二本の角が生えていて、巫女のような格好をしている。
女の子は僕らには目もくれず男の子のもとへ駆けよった。しゃがんで男の子の肩に手をおく。
「もうリュウったら! 不死蝶の祠にはいっちゃダメってあれほど言ったのに!」
「はいってないよ。指先だけ中に入れたんだ。そしたら変なのに引っ張られたんだよ……!」
「それもダメなの!」
「でも僕だけ入ったらだめなんてずるいよ。他のみんなは許されてるのに」
「そういう決まりなの! あなたは特別なんだから!」
僕らはただ呆気にとられていた。彼らがなんの話をしているのかさっぱり分からなくて、だらしなく口を開けて見守ることしかできない。
夏の陽射しを浴びる教室で彼らだけが異常だった。整然と並ぶ机。好き放題に落書きされた黒板。蝉のざわめき。運動部のかけ声。生暖かい風。みずみずしい緑葉の匂い。その他の全ては退屈なほどにありきたりなのに、彼らと彼らをとりまく空間だけがあまりにも異質で、目の前のことなのに現実だと思えない。
そんな僕らの視線に女の子は気づいた。ひとりひとりと目を合わせてから、次第に愕然とした表情に変わっていく。男の子に視線を戻すと大きな目を見開いて訴えかけるように見つめる。
「あんた。この人たちと会話してないよね……!?」
「したよ! 僕、迷子だったからいろいろ教えてもらおうと思って」
「なにやってんのよバカあー!!」
女の子は掴んでいた男の子の肩をがしかしと揺らした。男の子のキョトンとした顔が首ふり人形みたいに前後に往復する。やがて肩を揺らすのを止めて、女の子は僕らを見上げた。困ったように眉をつりあげながら、気まずそうにしてちょこっと頭を下げる。
僕は反応に困って眉をしかめた。
牡丹は目をぱちくりとさせて首をかしげた。
日遊は女の子に倣って頭を下げた。「ども」て小さくこぼす。
「帰るよ……!」
女の子は立ち上がり、男の子の腕を引っ張って教室の外へと連れ出していく。男の子はまだ会話したそうに僕らを見つめ、引っ張られてない方の腕を僕らに向かって伸ばした。
「じゃーねー!」
姉の切羽詰まった表情とは対照的に、男の子は飄々(ひょうひょう)とした顔で手を振った。そして廊下へと消え去っていく。
僕らのもとにありきたりな夏がもどってくる。この平和で穏やかな光景が僕は好きなのに、それが崩れていくような嫌な予感がよぎる。僕はふたりと目を合わせた。牡丹はまん丸い目をキラッとさせて、日遊はシャツの袖をめくりあげた。予感は確信に変わった。
「あとをつけてこうぜ!」
「さんっせい!」
ふたりの意見がぴったり一致するときは、いつも僕が望んでいない方向に走りだそうとするときなんだ。
「やめときなよ。そういうのよくないって」
一応説得を試みるものの、こうなってしまったふたりは止められないって分かってる。ふたりとも強引なんだ。最初に出会ったときから彼らはそうだった。
「えたいの知れない美人なんて興味がつきないだろ。自分の好奇心には素直にならないとな!」
「わたし決めてるの。どんなときだってワクワクした方向に飛びこんでいくって!」
らしい言葉が返ってくる。僕には眩しすぎる言葉たちだ。
「勝手にしなよ」と僕が言うと「バカ。おまえも行くんだよ」と日遊は僕の肩に手を回して無理やり引っ張った。またこれだ。断固動かないと床にくっつけたはずの僕の足裏をふたりは簡単にひっぱがしてしまうんだ。
そのまま僕はふたりに連れられて教室を出た。
早足で廊下を少し歩くと、すぐに彼女らは見つかった。手を繋いで廊下の真ん中を堂々と歩いている。男の子がグズってるせいか足取りは遅い。跡をつけていると悟られないように僕らは身を隠しながら進んだ。
「なんだか探偵みたいね」
牡丹が楽しそうに小さくはしゃぐ。
「バカやろう。真面目にやれ」
いつにもなく日遊は真剣な顔をしてる。その顔はかっこいいけど、やっていることはストーカーと変わらないと考えると、顔が真剣なほど気持ちわるさは増していく。
前を歩く彼女らは階段を降りて正面玄関に向かう。その間ひとりの男子生徒とすれ違ったけれど、男子生徒の反応はなにもなかった。僕は自分の目を疑った。
「なんで反応ないんだよ。そんなことありえるか……?」
絶句している日遊に「気づかなかっただけかな?」と牡丹は言う。
「まさか。ありえないよ」
僕は否定する。あれだけ目を引く格好をしているのに気づかないわけがない。
「だよな。あんな美人を見過ごすやつなんかいるわけねえ……!」
日遊の真剣な顔。彼は僕に同意するふりをしてるだけで、言ってることはちょっとずれている。
「僕らにしか見えていないとか」
なにを言っているんだ僕は? ふと思ったことをそのまま口にしてみたけれど、僕は自分の口を疑った。でも恐ろしいことに、それが一番辻褄が合う。
「ちょっと恐いこと言わないでよね。私そういうの苦手なんだから」
「おい、外に出るぞ」
彼女たちは正面玄関をとおり靴も履き替えずに外に出た。思えば最初から、彼女らは草履に似た外履きの靴を履いていた気がする。僕らは急いで靴を履き替えて跡を追った。
彼女らをぐるりと校舎の外を周り、校舎の裏側の茂みの中へとはいっていく。そこは人が歩く場所ではなく、わざわざそんなところに入ろうとする生徒はいない。木陰が彼女らの姿を隠す。僕らはゆっくりと近づいて、忍び足で茂みの中へと足を踏み入れた。慎重に、ばれないように、一歩ずつ奥へと進む。
そして木陰に隠れていた奥の景色がひらけると、僕らは唖然として立ち尽くした。
「おいおい……嘘だろ……!」
「どういうこと……?」
日遊は乾いた息を吐きだして笑い、牡丹はスカートを折り畳んでペタリと座りこんだ。
僕は一歩まえに踏みだして手を伸ばし、フェンスの網目を掴んだ。
「ありえないよ」
フェンスは左右にどこまでも展開されていて、人が簡単に乗り越えられる高さじゃない。そこから必死になって僕が導いた結論は結局ひとつ。
彼女たちはここで消えたんだ。
「Sweetter」と名づけられた駅近の喫茶店は女子高生も顔負けの爽やかさがあった。椅子の横に配置された観葉植物。それを下から照らす間接照明。ガラス張りの壁から注がれる光。白で統一された内装。それらは全て華やかで、お洒落の意味を知らなかった僕が、これがお洒落なのかと納得してしまうほどに洗練されていた。
「わたしたちはなにも見ていなかった。いいわね?」
牡丹は先端にイチゴを突き刺したフォークを僕らに向けた。
「どこに消えたんだろうな? あいつら」
「だからもういいじゃない。その話しは」
牡丹はせわしなく手首をこねて、フォークに刺したイチゴでくるくると円を描いた。動揺しているのが手に取るように分かる。牡丹はあれからずっと落ち着きがない。
「それより見てよこのケーキ! なんて美味しそうなのでしょう!」
ついには言葉遣いまで変だ。
「幽霊かもな」
日遊がとどめの一撃を食らわせる。これは狙って言ったのは間違いない。牡丹の顔は青ざめていき、視線はあらぬ方向に投げ捨てられた。
「わたしはなにも見てない。わたしはなにも見てない。わたしはなにも見てない……」
日遊は呆れた顔でため息を吐いてから僕に語りかける。
「ハチはどう思う?」
「ぼくは……」
あのときの光景をもう一度こと細かに思い浮かべてみたけれど僕の結論は変わらなかった。
「フェンスは越えられる高さじゃなかっし、茂みを全部囲っていた。隠れる場所なんてどこにもなかった。彼女らはどうにかして消えたんだ。あの場所から、蒸発したように。それか僕ら三人とも同じ幻覚を追っていたか。そのどちらかだと思い込むしかないよ」
「おまえはそれで納得できんのかよ」
「納得するしかないんだ。それが事実としてあるんだから」
柔軟だな。そう言って日遊はアイスコーヒーのはいったグラスを持ち上げてストローに口をつけた。
逆だよ。僕は喉元でつぶやいた。そういう思考しかできなくたっただけなんだ。感情や理想に流されず、目で見た事実だけで判断しないと、人は選択を間違えると知っているから。
「まあ、なんにせよ。あの件はこれ以上話せることもなさそうだな」
日遊はそう締めくくった。
僕は視線を落として抹茶ラテの淡い緑を見つめる。氷が崩れ、カラン、と音がなった。牡丹はあんな状態なのに、きちんと三つ分ケーキをたいらげた(自分で買った分と僕と日遊が奢った分)。
どっと疲れる一日だった。
僕は両手を広げてベッドに倒れる。僕の疲労の重さ分、ベッドは弾む。となりの部屋から妹が電話をする声が漏れ聞こえる。会話の内容から察するに、彼氏と週末のデートの予定を計画しているみたいだ。
「ませてるな……」壁に向かって力なくつぶやく。
スマホの通知音が鳴って、右手が振動する。画面を見ると通知バーに日遊の文字。
日遊
やべえ。あつすぎ。 午後11:29
ぼたん
寝なさい。バカ。 午後11:30
日遊
あつくて寝れねえ 午後11:30
午後11:31 クーラーは?
日遊
壊れた 午後11:31
ぼたん
わたしは眠いから。おやすみ。 午後11:31
日遊
おいまて。もうすこし俺につきあえ。 午後11:31
ぼたん
おやすみ 午後11:33
日遊
ゆうれい 午後11:34
ぼたん
バカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカ 午後11:34
午後11:35 おやすみ笑
日遊
逃げるな卑怯もの!
逃げるな! 午後11:35
僕はくすりと笑い、スマホの画面をベッドに押しつけた。いつもどおりのふたりのやりとりに胸を撫で下ろす。今日おきたことは信じがたいことだけれど、きっと、くだらない毎日に塗りつぶされて、そのうち薄れていくのだろう。そうなるといいと僕は思った。
スマホに充電器を刺して、照明のリモコンを手にとって明かりを消した。壁に押しつけてあった布団を体に巻き取って目をつぶる。眠気はすぐにやってきた。あの謎の美しき女の子の姿が浮かんで消えた。次に光の粒子で構成された蝶が舞って、僕の空想の真ん中に止まった。蝶は次々に数を増やしていき、やがて僕の世界を真っ白に染めあげた。
バカやろう。
声が聞こえた気がした。虚ろな意識のまま、僕は目をあける。
「は……?」
僕はベッドに寝ていたはずだった。なのにどうして、目の前に木があるのだろうか。そのとなりにも、さらにそのとなりにも木が並ぶ。足の裏に冷たい土の感触。
360度あたりを見回して、自分がどこにいるのか確かめた。
僕は今、果ての見えない樹海の中にいる。