第五十二話 急斜面の下で
「もしかしてあそこから馬車が落ちたとかじゃないよな」
「こんな広い街道でそんな事は無いと思うけど」
「まぁ確認してみるか」
街道の左側は崖に近い斜面になっているが、この辺りは馬車がすれ違ってもまだ余裕がある程の広さなので普通では考えられない。
「あっ、落ちてるじゃない」
「何やってんだよ、他に人は……俺達しかいないか」
100m以上下にはあそこ迄落ちたにもかかわらず原型を留めている馬車と、倒れて藻掻いている馬が見えた。
「じゃあ、しっかり掴まるんだよ」
「まさか、このまま下に行くんじゃ無いだろうな」
俺の問いかけには答えず、そのまま急斜面を馬に乗ったまま下りてしまった。
スピードこそそれ程速くはないが、安全がまるっきり保障されていないのでさっきから心臓が痛くて仕方がない。
じっくりと時間を掛けてようやくひっくり返っている馬車の隣に到着する事が出来たので、これでようやくまともに呼吸する事が出来る。
「ねぇ、怪我人はいるの?」
「わざわざ降りて来てくれたのか、すまんな、怪我人の治療は終わったからその事は大丈夫だ。ただここからどうしようか悩んでいたところでな、上には人がいるのか」
「残念だけど街道にはいないのよ」
馬車の影にいた身なりのいい中年の男が話し掛けてきて、彼の後ろには飛び散った荷物を拾い集めている護衛と思われる男が三人いた。
少し離れた木の下には血で汚れてしまったドレスを着た女性と二人の子供が肩を寄せ合うように佇んでいる。
馬はまだ馬車に繋がれたままで、三本の脚は曲がってはいけない方を向いているし、目を見開きながらかなり苦しそうにしている。
「可哀そうに、これを飲めるかな」
馬に対してどれ程の量を飲ませたらいいか分からないので、先日にドロフェイから分けて貰った回復薬を口の中にありったけ注ぎ込んだ。
直ぐにその馬は淡い光に包まれた後で首を振りながら元気に立ち上がるる。。
「何を飲ませたんだい。あの怪我が一瞬で治る何て……もしかしてたかが馬に一級品の回復薬を飲ませたのか」
(1級? おばば様が作った物だからそうなのかな)
どう返答するか言葉に詰まっていると、代わりにジールが答えてくれた。
「そうかも知れませんね、ワイバーンの討伐の時にもらったものなのでそこまでの回復薬だとは知りませんでした」
「そうか、そんな貴重な物を使わせてしまって悪かったね」
これで元気な馬は二頭になのだが、護衛達が乗っていた馬もいるはずなのだがそれが見当たらない。
(もしかして全員がこの馬車に乗っていたのか……そうかもしかして護衛じゃないのか)
どうやらこの馬車は二頭引きだったらしく、もう一頭は落ちる寸前で縄から外れて何処かにいてしまったそうだ。
「それではここを登りましょうか、荷物は最低限にしましょう」
当たり前の事を言っただけなのだが、主人は困ったような顔になり、夫人の顔色はみるみる内に赤くなって怒り始めた。
「そんな事が出来る訳無いでしょ、荷物を此処に放棄するなんてありえません」
「そんな事……」
ジールが余計な事を言いそうだったので軽く背中を叩くとそれ以上は言わないで堪えてくれた。
彼等は夜の内に移動をしたそうなので何か訳があるとしか思えない。あまり深入りすると碌な事にならないよな気がして仕方がない。
もう怪我もしていない事が分かったし、そんな我儘を言うのなら付き合う必要無いだろう。
「馬車は放棄するしか無いので、荷物を運ぶとなるともっと人が必要ですね、それならば誰かに助けを呼びに行かせた方が良いと思いますよ」
「貴方方が早く呼びに行きなさい。いいですね」
「悪いけど、俺達はこのまま山を越えていくので貴方達の誰かがその馬で呼びに行った方が良いと思いますよ」
「何て言い草を」
「ちょっと静かに」
魔獣なのか魔物なのか、数や種類も判断できないが確実に此方に敵意を向けている気配を感じた。
護衛でないと分かったので全員に馬車の中に入ってもらい、周囲に目を配りながらしっかりと杖を握りしめた。
急斜面の下の方から荒々しい息遣いと共にワードッグが登って来るのが見える。
それはドーベルマンを一回り大きくした魔獣で個々はそれほど強くはないけど群れで襲ってくるので意外と面倒な相手だ。
「さてあれをやってみるかな……雷流」
杖の先端から幾重にも分かれた小さな雷が波打つようにワードックへ向かっていく。金属が擦れたような音が鳴り響いたが、その耳障りな音の割には瞬時に殺す事が出来ず、ずっと雷を浴びせ続けなくてはいけなかった。
(う~ん、なんか嫌だな、この魔法は改良しないと)




