4話 リリィ・ラナナ
ーーーリリィ・ララナ
私はお姉様が大好きだった。
何事にもひたむきに頑張る、明るくて優しいお姉様が。
だけど、いつからだったかお姉様の態度が変わり出した。
その時はどうして態度が変わったのか、全く理解できなくて傷付いていたけれど、今にして思えばそれも当たり前だった。
何しろ、私はお姉様が努力して手に入れていくものを難なくこなして、それを褒めて欲しくて会いに行っていたのだから。
その度に、お姉様が幼いながらに泣きそうになりながらも耐えて頭を撫でてくれて居る事に気づけなかった。
そして、それが更にお姉様を追い詰めて、我儘令嬢と言われる様になってしまった。
そして私は見た目潤しく天才な妹。
『上のお嬢様とは大違いだ』と、ずっと言われてきた。
その度に、お姉様の顔が浮かんで心が痛くなった。
時々見かける彼女の目には、悲しそうな色が浮かんでいることが多かった。
暴れる時には少しくらい別の目の色が宿るのだろうかと思って、こっそり見に行ってみたが、やっぱり悲しみの一色だった。
泣きもせず、ただ何処にも発散できないストレスを人にではなく物に迷惑をかからない程度の声を出しながら壊していた。
それも、あまり高く無い壺や掃除しやすそうなものばかりで無意識なのか知らないが、その行動一つ一つに優しさが含まれていて、胸がいつも以上に苦しかった。
もちろん、そのことはお父様やお母様も知っていた様で、私とお姉様を極力会わせないように手配してくれた。
朝食だけは仕方なかったが、その方が段々と募って行く私の中の罪悪感も楽で良かった。
私は悪くない。それは周知の事実で全面的に悪いのはどう考えてもお姉様の方で……ほとんどの使用人が私に同情し、お姉様に対して敵対心をむき出しにしていた。
そんな時だった。お姉様にある事件が起きたのは。
「なんでこんなこともできないの!?」
突然、廊下を歩いていると罵声が聞こえてきた。
方向的にはお姉様の部屋で行かないほうがいいと分かっていても、心配になって早足で向かった。
すると、部屋の前に何人かの侍女たちがコソコソと集まって何かを話していた。
「貴方達、何してるの。」
声をかけると、見るからにビクッと肩を震わせる。
「何をしているのと聞いているの。」
まだ6歳な私でも、かなり低い声が出て人を威圧できていた。
「お、お嬢様が……」
オロオロと口を濁らせるばかりで何も言わない侍女を押しのけて部屋を勢いよく開けた。
「り、リリィさま!」
焦った様に中にいるダンスレッスンの先生はオロオロとし始めた。
扉の前にいたメイドと何も変わらない。
そして、少し離れたところに頬が赤くなったお姉様が俯いき、正座で座らされていた。
体をプルプルと振るわせながら静かに泣いていて、ドレスに少し涙のシミができていた。
「お姉様!!」
泣いているお姉様の近くに駆け寄って、キツく握りしめている両手を開かせる。
「……こんなに握りしめると手が傷付いてしまいますわ。」
労る様に優しくさすると、パッと手を振り払われた。
「触らないでっ!」
反抗的な目で大声を出したかと思うと、突然立ち上がったーーーと思ったが立ち上がれなかった。
「お姉様?」
痛みに顔を歪めているお姉様の視線の先には真っ赤に腫れて、紫色にまで染まっている踵が見えた。
「な、なんですかこれは……!?」
見たことのないほどの腫れように戸惑っていると、もう座っているのも耐えられなくなったようで蹲っしまった。
「うぅ…ぅ……」
静かに声にならない声で泣いて、医者を呼べばよかったものを私はまだ幼かった為、他の行動をとってしまった。
「いっっ!!!」
腫れた部分を触って、逆に痛めつけてしまったのだ。
その途端、お姉様の目がキッと今まで見た事がないほどの目で睨みつけられた。
「触らないでって言ってるでしょ!?」
靴を脱ぎ捨てて、立ち上がったお姉様はそのまま部屋まで、かけて行ってしまった。
その時の私は、痛みに耐えてまで私から逃げたかったのかと、悲しくなったが、彼女の行動は普通だった。
寧ろ、睨まれるだけで済んだのはお姉様の優しさがあったからだろう。
普通なら、叩かれたって文句言えないのに。
その場に残された私やダンスのレッスンの先生に侍女達は唖然と扉を見ていたが一部始終を偶々見ていたお父様の侍従伝いに彼に情報が行き、執務室に行く事になった。
「リリィ、あの部屋で何があった。」
お父様の膝の上には正気のない、死んだような目をしたお姉様が座っていた。
「それは……」
いつもなら、私の声を聞いただけで妬ましそうに見てきたりしていたのに今は全く反応しない。
まるでお人形さんの様だった。
「何があった。」
「偶々、廊下を歩いていたんです。すると罵声が聞こえてきて、中に入ってみると正座しているお姉様と罵声を浴びせている先生がいました。」
「コリンズ子爵夫人。」
「ひっ」
地を這う様な声がお父様の口から出た。
「公爵家の令嬢に向かって、この仕打ち……分かっているのだろうな。」
「ち、違います!こ、これは令嬢が全くできないからーー「だからなんだ!!」」
いつも冷静なお父様の大声にその場にいる全員がたじろぐ。
「確かにこの子は物覚えも悪く、妹に嫉妬したりしている。だが、この子も努力した上で嫉妬をしていた。そして、その嫉妬を表に出さない様に幼いながらに我慢していた……とても優しい子だった……1番優しい子だったんだ……。」
今は全く動かなくなった少女を大切そうに抱き抱えながら苦し紛れな声を出していて、お父様の悲しみが伝わってくる。
「それは、お前達使用人も分かっていた事だろう。物に当たったりしていたが、決して害はなかったはずだ。それを、ここまで壊してしまうなんて……」
自分がなんの対処をしなかったのも悪いと、過ぎたことをお父様は言いながら告げた。
「今日をもって、コリンズ夫人は解雇する。他の者も解雇される覚悟をしておけ。」
厚いお父様の公爵としての威圧に誰もその場で弁解をしようだなんて考えられず侍女達はされるがままに公爵家の騎士達に部屋から追い出され、残ったのは私とお姉様と入れ替わりで来たお母様とお父様だけになった。
「……ラーナ?」
遠い主張から帰ってきたお母様はお姉さまの様子を着た途端に泣き崩れた。
それもそうだろう、大切な愛娘が死んだ様な目をしていたら、誰だって堪らない。
「どうしてこんな事に!」
お父様に詰め寄ると、一部始終を話してお母様が鬼の様な形相になった。
まるで絵本に出てくる般若の如き顔だ。
「……社交会でぶっ潰してやるわ。」
ぶつぶつと爪を噛みながら黒い雰囲気を出しながら呟いているお母様は、先程のお父様よりも怖い。
「あの、お父様……」
それよりも、私は気になる事があった。
「なんだ?」
「お姉様の足の傷……」
「傷?」
今気づいた様に、スカートの裾をめくったお父様は、目を見開いた。
もちろん、私もお母様もだ。
「な、なんて事!?」
先ほどまで真っ赤で紫になっていた踵から血が出てきていた。
オロオロし始めたお母様をよそにお父様は冷静に医者を呼んだ。
すると、数分後に医者が来て症状を伝えらる。
「これは、1ヶ月は歩けないでしょう。」
「て、でも、お姉様、走れてたわ!」
「走れていたのですか!?この傷で!?」
医者は信じられないとでもいう様な目でお姉様を凝視した。
「血は出ていなかったけど、赤くなってて紫みたいになってたわ。」
蹲っていた時のことを思い返しながら告げると「なんと!?」とまた驚いた声を出した。
「それ程までに、逃げたい人がしたのでしょうか……?」
その呟きに、私の胸がドクンと大きくなった。