第四話
弥太朗のヘル・ドライブがそこそこ聴ける仕上がりになって来たのは、それから2週間後。
「うん、ここまで仕上がりゃまあまあだな。一応弾けるって言っていいぞ」
レッスン時間も終わりに近づいた頃に、そう言ってやると弥太朗はぱぁっと笑う。
「マジでー!? やったー!!」
そう叫んでガッツポーズを決める。
ここまでになるには、かなりの練習が必要だっただろう。この曲がリリースされた頃には、颯太は既に5年程のキャリアがあったので、それなりに苦労はしたが長くはかからなかった。それに引替え、弥太朗はまだ2年だ。相当、自宅練習を重ねたに違いない。
「おつかれ、コーラサービスしてやるよ」
カウンターに入り、冷蔵庫からコーラを取り出してグラスに満たす。弥太朗は飛びついてきて、一気に飲み干そうとして噎せる。
「慌てんな、取りゃしねぇよ」
声を立てて笑う。コーラの一杯くらいでがっつくのは、まだ子どもの証だ。
弥太朗もつられて笑う。
そうしていると、入口ドアが開いて長い黒髪で長身の男が入って来た。颯太の父親程である年齢を感じさせない、姿勢の良い彼が和馬だ。今日は少し早めに来たようだ。
「おはようございます! もうそんな時間でした?」
「おはようございます、和馬さん!」
声をかけると、彼はにこにこ笑って片手を上げる。
「おはよう。ヤタくん来てたんだな」
「はい! いつもありがとうございます!」
弥太朗は背筋を伸ばして和馬に礼を言う。
「今、何やってんの?」
「ヘル・ドライブですよ」
「お、マジで?どんな感じよ」
「一通り仕上がった感じですかね」
ニヤリと笑って答えながら弥太朗を見ると、彼は口をパクパクさせて顔の前で手を振っている。
「あ、いや、そんな全然!! 雄貴さんの足元どころか地面にも及ばないくらいでっ!」
全身全霊をかけて謙遜しながら後ずさる。
颯太の影響で、同世代にファンが殆どいないケルベロスを聴き始めて、すっかりファンになっている彼にとって和馬は雲の上の存在だ。謙遜するのも無理はない。
和馬はその弥太朗を見て、楽しそうに笑う。
「いいねぇ、10代の子がヘル・ドライブ弾けるなんて嬉しいよ」
「いや、そんな、弾けるなんてレベルじゃ!」
慌てる弥太朗を和馬もニヤリと笑って見て、颯太を振り向く。
「ちょっとやろうよ。颯太、お前がベース弾け」
「はい。ほら、ヤタはギター持って」
「えええっ!?」
「ヤタくん、BPMどれくらいなら弾ける?」
「ええっ、えっ!? …ひゃ、180くらいなら…」
颯太はさっさとベースをかけて手早くセッティングし、チューニングをチェックする。和馬もドラムセットに入ってスツールに腰を下ろす。
「180な…これくらい?」
スティックを打ち合わせ、ちょうどそれくらいのカウントを出す。リズムマシンがなくても殆ど正確なカウントが出せるのは、流石ドラム歴40年超のベテランだ。
「あ…はい」
弥太朗も観念し、ギターをかけて構える。
和馬はハイハットでカウントを入れ、少し遅いテンポのヘル・ドライブのプレイが始まる。
最初の難所、イントロ終わりのスイッチ奏法は難なくこなし、弥太朗のプレイは順調に進む。
それを聴きながら、颯太と和馬は目線を合わせて笑う。思ったよりやるじゃないか、と。
サビ後の特徴的なフィルインに続いて、最大の難所、ギターソロが入る。
ひたすら手元を見ながら、歯を食いしばりながらのソロプレイ。音に表情をつけるところまでは到達出来ていないが、ミスはなく乗り越えた。
息を詰めてそれを見つめていた颯太も、ほっと息をつく。
そのまま繰り返されるサビ、そしてエンディング。
和馬が打ち鳴らすシンバルで、曲は終わった。
「はぁーっ」
弥太朗は大きく息をつき、その場にしゃがみこむ。緊張がとけたのだろう。
「おつかれ! やるじゃねぇか、ヤタくん」
テンポをかなり落としてもらったとはいえ、和馬が叩くドラムとセッションさせてもらうという緊張感の中で、よくやりきったと颯太も感心する。
「ありがとうございます…」
精神力を使い果たしたような腑抜けた顔で、弥太朗は和馬に何とか礼の言葉を述べる。
颯太はベースをおろし、カウンターに置き去りになっていた残りのコーラを弥太朗に渡してやる。
それを受け取り、飲み干すと弥太朗は立ち上がる。
「高校生でこんだけ弾けたら、後が怖いな」
「全然そんなことないですよ」
弥太朗は力なくふにゃっと笑って和馬に返す。和馬はセットから出て来て、弥太朗の肩を叩く。
「ヤタくんバンドは?」
「やってないですよ」
「何で? もったいねーだろ。学校にも楽器やるヤツいんだろ?」
「いますけど」
そのことに関しては、颯太も相談を受けていた。
「俺、ヘヴィメタルしかやる気ないですし」
弥太朗も、当然同級生からバンドには誘われている。が、弥太朗はヘヴィメタルにしか興味がなく、とてもやる気がしないのだと。
その気持ちはよくわかるので、颯太は学外でバンドを組めば良いとアドバイスしていたが、なかなか弥太朗の同世代にヘヴィメタルバンドをやろうという人間がいないのだ。
「あー、なるほどな。そりゃ厳しいな」
「店長、誰かいません?」
「気にしとくよ。ここまで弾けんなら、高校生でも欲しいとこあるだろ」
「あ…っと…。ありがとうございます」
弥太朗は一瞬目を泳がせて、それから和馬に頭を下げる。
「さ、高校生は帰る時間だ。片付けろよー」
彼に片付けを促し、颯太はカウンター内の準備に入る。
弥太朗は急いで自分のギターやシールドなどを片付けてギターケースを背負う。
「和馬さん、ありがとうございました!」
「おう、頑張れよ!」
「颯にい、また来週な!」
「ああ、また来週。気を付けて帰れよ」
彼はやっといつもの笑顔で手を振り、ドアを出て行った。