獣化
ハァ・・・ハァ・・・
権兵衛の荒い息遣いが広いホールに響く。
「へへ・・・『来た』ぜ・・・来たよ・・・見ろよぉぉぉ!散々、アッシを馬鹿にしやがってよぉぉ!これがっ!アッシがっ!伝説の超獣化する瞬間だぁぁぁ!」
権兵衛の絶叫が轟く。
もはや、誰もその場を動けなかった。
恐怖を感じすぎる事で、足が止まってしまうのだ。
そして。
数十秒が経過した。
「おい・・・見ろよ、ま、まさか・・・」
亜人側の外野から、声が聞こえる。
『それ』はこの場の誰もが思ったことだ。
完全に予想外の光景が、そこには有ったのだ。
「え・・・まさか『何も変わってない』・・・とか・・・?」
どう見ても、権兵衛の『獣化』は先程から何も進んでいないように見える。
「あ・・・あれ?」
当の権兵衛も、何だか拍子抜けのようだ。
周囲がどよめく。
「い、いや待て!外見は変わってなくとも、中身が強化されている可能性はあるぞ!」
若井が周囲の亜人に警戒を呼びかける。
「くそっ!そんなハズぁねぇ!見ろ、パワーは強化されてて・・・!」
獣化したまま、権兵衛が近くのコンクリート柱をブン殴る。
ガ・・・・ン!
鈍い音だけが響く。
「いっ・・・・痛ってぇぇぇぇ!痛てぇよぉぉぉ!」
権兵衛が握った拳を抱えて転げ回る。
「馬鹿なっ!」
若井が怒鳴る。
「そんな・・・そんな馬鹿なっ!『1/32』の血は、我々亜人を『更なる高み』に連れてってくれるのでは無かったのかっ!」
「・・・残念だったな・・・。だが、ある程度は予測できた事だよな?だって、誰も試した事がねぇんだからよ」
ハヤトは転んだ時についた服のホコリを払い落としていた。
確かにそうだ。大鷲部長も『都市伝説だ』と断っていたほどなのだ。
問題は、だ。
『その事がバレてしまった』事だ。
もしもそれが隠蔽されて期待感のままであれば、その血液には膨大な価値があっただろう。しかし、それが幻想に過ぎないと分かってしまえば・・・
とりあえず、もはやビジネスとして成立することは無いだろう。しかも、これだけ多くの目撃者が居るのだ。
「あーあっ!クソッタレめ・・・!これだから血竜会はクソなんだ・・・全く、やってらんねーぜ!おい、帰るぞ!」
革ジャンを着込んだ亜人が引き上げを始める。ブラッディ・ファイヤーズのメンバーだ。
「・・・おい、血竜会の。『この落とし前』どうするのか、チャンと考えとくように、親分サンに言っときな」
サングラスにスーツを着込んだ男が、若井の前を通過していく。亜人同盟の連中である。
それを見て、他の亜人達も続々と悪態をつきながら引き上げを始めた。
「くそ・・・くそ・・・」
血竜会の若井も、ガックリと肩を落としたまま、ハヤト達の方を省みることもなくすごすごと引き上げていった。
そして、後には。
ハヤトと、ユリナと、そして獣化したままの権兵衛だけが残された。
「あの・・・へへ・・・あの、これは、旦那、・・・その・・・」
権兵衛が後付さりをしている。
「おいっ・・・!分かってんだろーなぁ!」
ハヤトの脇下から、S&W・M29が引き抜かれる。
その銃口はしっかりと、権兵衛の額に向いていた。
「いやっ!待ってくだせぇ!これは、その・・・!ホンの出来心なんで!どうぞ、ご勘弁を!」
権兵衛は哀願しながら、ヘナヘナと床に座り込んだ。
ユリナは一瞬、ハヤトを止めようかと考えてから、ハッと思い出した。
『敵意を持って獣化すれば、それで罪は成立する』
ハヤトはそう言っていた。
『そこを赦したら、人間界は保てないのだ』と。
だとすれば、例え『失敗した』としても権兵衛の罪は成立した事になる。
ハヤトの性格からして、それを見逃す事はあるまい。
ユリナは覚悟を決め、目を背けた。
とりあえず、いくら悪い事をした亜人とは言え2度も『撃ち殺される瞬間』を見たくは無かったからだ。
ドゴォォォォ・・・・ン
M29の咆哮が暗いホールの中を突き抜けていった。