安らかな寝顔を見ながら
「風邪ですね」
「ガウ?(なんだそれは)」
村人にヒマワリを預けて一時間ほど経つと、そんなことを言いだした。
かぜ。風? 人間も風になるのか? ヒマワリは風になって飛んでいくのか!?
ダメだ。ヒマワリは軽すぎるからどこかに飛んでいってしまうぞ! あんな小さい身体だから落ちたらポキって壊れるぞ!
どうすればいい! どうすればヒマワリは人間に戻れる!?
「村にたまたま旅の医者が来ていてよかったですな。クスリも出して貰えますし」
クスリ? なんだそれは!
苦子離か!? 苦しんでる子供を離すってことか!?
ダメだぞ! ヒマワリを引き離すな!
「グルルルルッ!(ヒマワリは連れて行かさないぞ!)」
「き、救世主様どうしたのですか!?」
「大丈夫です! 命に別状はないですから!」
「……グル?(本当なのか?)」
窓を覗けばベッドの上でヒマワリがすやすやと安らかな寝息を立てている。
その寝顔は幸せそうで、どこにも飛んでいく様子は見られなかった。
まあ家の中にいるし、さすがに飛んでいくことはない……か。
ふんふんと匂いを嗅げば、窓越しからでもヒマワリの甘ったるい匂いがする。
さっきは慌てていて臭いを嗅ぐ暇もなかったが、ほんのりと気持ちが安らぐ匂いだ。
大丈夫……なのか。
ほっと一息安堵する。
「いやーしかし、たまたま医者が来ていて助かりました。普段はこの村に医者なんていませんでしたから」
ふくよかな村人も安堵のため息を吐く。部屋の中にはもう一人、眼鏡を掛けた白い衣装の青年もいた。
……少し臭い匂いだ。あんまり好きではない。
なんと言うんだろう。なんかこんな感じの草の臭い嗅いだことあるぞ。
眼鏡の男はにこにこと俺を見て微笑んでいる。
うわ、怪しい。
「いやーしかし、フェンリルが子供を守っているとは。たまたま訪れた村でいいものを見れました」
うさんくさい。あまりにもうさんくさい男だ。俺の嫌いな匂いだ。言葉の一つ一つが凄まじく怪しさを臭わせる。
「えーと、私の言葉がわかりますか? 救世主さん」
「グルル(理解は出来る。だが俺は救世主ではない)」
「あ、わかるみたいですね。……で、この子はどこから攫ってきたんですか?」
男は訝しげな目で俺を見上げている。微笑みを浮かべてはいるが、俺をあからさまに怪しんでいる目をしている。
まあそうだろうな。いきなりフェンリルが幼女を連れてきたら誰だってそう思うだろう
「グル(お前もそう言うか)」
何度でも言うがヒマワリは勝手に懐いて勝手に居着いた存在だ。
親に捨てられ、理不尽なことをされていたようなヒマワリが俺の洞窟に居場所を求めているだけだ。
「あの子をどうするつもりですか?」
「グル(どうするも何も、俺はなにもしない)」
俺の言葉はわからなくてもニュアンスは伝わっているのだろう。それでも俺の言葉を信用できないのか、眼鏡の男はうんうんとしきりに頷いている。
「食べたりとか」
「グルル(あんなのを食うならビッグボアでも狩った方が満たされるわ)」
「じゃあ何のために育ててるんですか?」
「グルルル(あいつが勝手に居着いただけだ)」
「……どうも信用できませんね」
勝手に言ってろ。
ヒマワリが洞窟に居着くなら居着くで、出て行くなら出て行くで放っておいてるだけだ。
まあ眼鏡の男の気持ちもなんとなくだがわかる。
種族の違う――ましてやフェンリルと人間だ。そんな一匹と一人が共存できるかと言われたら、難しいだろう。
男が危惧している部分はそこではないだろうけど。
「私は一人の医者として、あなたにこの子を任せたくはありません」
「グル(じゃあ、引き取ってくれるか?)」
眼鏡の男がすっと目を細め、ヒマワリへ優しげな視線を向けた。
「貴方さえ良ければ、この子は私が引き取ります。旅に付き合わせる形になりますが、立派な人間には育ててみせます」
それは同情の眼差しからなのか、眼鏡は眠っているヒマワリの頭を優しく撫でる。
それが心地良いのか、ヒマワリも穏やかな寝顔を浮かべている。
まあ、それがヒマワリにとって一番いいことだろう。
「ガウ(お前が良いならお前に任せるよ。ヒマワリの好きにさせればいい)」
この男がヒマワリを育てて守ってくれると言うのなら、俺は任せてしまっていいだろう。
そもそも俺がヒマワリを育てる義理も約束も何もない。こいつがただ勝手に俺の洞窟に居着いて俺を父と慕っているだけだ。
俺とヒマワリの間にそれ以上のことはない。……ない。
「わかりました。では、この子は私が責任を持って育てます」
眼鏡がそこまで言うのなら、俺が引き留める理由はない。
なにしろ俺だってヒマワリがいても鬱陶しいだけだったからな!
むしろ清々するくらいだ。
あーこれですっきりするなー。俺も静かに暮らせるなー。
……静かに暮らせるなー。