冒険商人さんは思い込みが激しい。
俺はどんな険しい場所にでも飛び込む冒険商人のマルコスっていうんだ。
今日も今日とて商人ギルドから依頼を受けて隣の国まで向かっていたんだ。
その依頼は誰も受けたがらない。なんたって『雪原の殺戮者』と呼ばれる銀の魔狼・フェンリルが出没する雪原の近くを通らなければならないからだ。
なんたってその悪名は尾ひれがついて酷いことになっているくらいだ。
人間を見つければ腹を割いて生きたまま内臓を食うとか、あまりにも暴れすぎて雪原から他の魔物が消えたとか、空を飛んで火を吐くとか、さらには姿を消せるとまで言われている。
もちろん俺はそんな噂はほとんど信じていない。フェンリルだって言っても所詮は魔物だ。そう簡単に遭遇しないだろうし、空を飛ぶわけがない。
だったら馬車を使えばすぐに逃げられるだろうし、余裕だろ。
本来なら腕利きの傭兵を五人は雇ってようやく安全に抜けられる地帯ではあるが、俺は自分の絶対的な幸運を信じている。目を付けた商人たちは一気に大成するし、その目利きの良さから貴族からの信頼も厚い。
そんな俺だ。フェンリルどころかそんな危険な魔物と遭遇するわけがない。
だから傭兵である相棒に声を掛ける必要もない。
まあ見てろって。あっはっは!
と高を括って出発した。
そして俺は盛大に後悔した。
フェンリルと遭遇する以前にワイバーンに襲われたんだ!
ちくしょうめ! 普段はもっと暖かい地方にいるくせに今日に限ってこんな寒い地方に現れやがった!
ワイバーンたちは積み荷のルビーダチョウの卵とかビッグボアの肉を狙っているのだろう。馬車から投げ出された俺をさっさと無視して馬車を踏み潰して中を漁りだしている。
あーちくしょう! 酒が入ってる木箱を壊しやがった!
肉と卵はもう諦めるしかないが、他の売り物だけはやめてくれぇー!
「た、助けてくれぇー!」
もう叫ぶしか無かった。
このままここで荷物を全て失えば、俺は信用も生活もなにもかもを失ってしまう。
縋る思いで叫んでも、誰も助けてくれないことくらいわかっていても。
「ガウッ!」
雄叫びが聞こえてすぐに、ワイバーンの一頭が地面に倒れた。
地面にワイバーンの真っ赤な血が広がったと思ったら、もう一頭もすぐに倒れた。
なにが起きたんだと顔をあげれば、一頭目のワイバーンの頭にかぶりつく銀の毛並みの――。
「ふぇ、フェンリル!?」
なんで雪原の支配者がこんな隅っこにいるんだよ!?
極寒の凍土にも負けない銀の毛並みと灼熱のブレスにも負けない牙が豪快にワイバーンを貪っている。
そのおかげか、まったく俺のことは気にしてないようだ。
しばらくするとフェンリルは振り返り、もう一頭の方へ向いた。
……って、なんでこんな所に小さな女の子がいるんだ!?
銀髪の女の子は不満そうにワイバーンの肉を見ていた。
お腹を押さえているから、きっとお腹が減っているのだろう。でもワイバーンの肉は生で食えないとみた。
フェンリルはそんな女の子を見ていた。
まさか、食うのか?
女の子を助けなくては。ちっぽけな勇気を振り絞って立ち上がっても、足が竦んで動けやしない。
ああ、だめだ。俺は女の子を見殺しにしてしまう最低な野郎だ。
ちくしょう。ちくしょう……!
すぐに火柱が立った。フェンリルが炎のブレスを吐いたのだろう。
あぁ、女の子が燃やされてしま……ってない?
「わーい! お肉ぅー!」
どうだろう。女の子は焼かれること無くフェンリルが焼いたワイバーンの肉を食べている。
ど、どういうことだ。フェンリルが女の子を襲っていない……?
それどころか、女の子を見て表情を緩ませている。
フェンリルが、女の子を育てている……?
あ、有り得ない。だがこんな魔物が大暴れする世の中だ。有り得ないことが起こっても不思議じゃない。
あのフェンリルと女の子は、種族を越えた親子なんだ……!
そうとわかった瞬間、フェンリルが空を見上げて大口を開けた。
何をするのか、と思ったら再び灼熱を吐いた。
それだけではない。灼熱はみるみるうちに細くなり、目映い光線となってワイバーンを落としていくではないか!
「す、すげぇ……」
思わず出てしまった声にフェンリルがこちらを向いたが、そんなことが気にならないくらい圧倒的な光景だった。全てのワイバーンは大地に落ち、フェンリルはまさに覇者としての風格を見せつけている。
逃げ出す選択肢もあったが、こんな光景を見せつけられた俺にはそんなこと出来なかった。
せめてものお礼として、なにかをしなければ。
そ、そうだ。ワイバーンに荒らされてない荷物なら無事なんだ!
俺は急いで木箱をひっくり返す。フェンリルが喜びそうな食料はないが、あの女の子のために役立ちそうなものなら沢山ある!
「助けてくれてありがとう! これを使って子育てを頑張ってくれ!」
だから俺は精一杯の気持ちを込めて、子供用の服を差し出す。
食料も心許ないが、この際ほとんどを渡してしまおう。
「いいの?」
女の子がくりっとした目で俺を見上げてくる。
フェンリルに育てて貰うだなんて、きっとかなり苦労をしているに違いない。
「いいんだ。助けてくれたお礼なんだから!」
「おじさん、ありがとー!」
女の子がにぱ、と満開の笑顔を見せてくれる。フェンリルは首を傾げているようだけど、きっと服の使い方を知らないだけだろう。
「ありがとう。本当にありがとう!」
残った荷物の中で商売に使えそうなものだけを選んで、歩き出す。馬は逃げてしまったが、歩けば問題ないだろう。
なにしろこの体験だけで十分に刺激的な物語だ。たとえ商売が芳しくなくても、居酒屋で酒の肴にするには最高だ。
ありがとうフェンリル。ありがとう女の子! 祖国に帰ったら相棒にも話してやらないとな!