女の友情は
女の友情は紙より薄いっていうけど。
「ずっと一緒にいようね!」
そりゃホントだ。
「あーあ、もう卒業かー」
筒から取り出した卒業証書を眺めながら、彼女は不満気に呟いた。
私はそれを横目でちらりと見てから「早かったような長かったような」と付け足した。
本日、晴れて私達は義務教育をつつがなく終えた。
要するに中学校を卒業したのだ。
校庭にはまだ人がまばらに残っていて、恩師や友人との記念撮影や談笑に勤しんでいる。
しかし校舎に用がある人はいないのか、私達の周りは静かだ。
それだけでここがまるで隔離された世界のように感じる。
すでに母校となった中学校の玄関前で、石段に二人腰掛けてちょっとノスタルジーに浸ってるってわけだ。
この石段は座るのにちょうど良い高さで、私達はよく放課後によくこうやって話し込んでいた。
彼女と私は違う高校に行く予定だ。
合格発表はまだもう少し先だけど、滑り止めすら被らなかったのでまず同じ高校というのはありえないだろう。
「こればっかりは仕方ないね」と願書を出す時に大人ぶって言った彼女の苦笑いを思い出す。
仮に高校が同じだったとしても、大学まで同じなんてことは滅多にないだろう。
進む道が違えば、いつかは離れるものなのだ。
私達はそれが今だったというだけで。
「もう放課後にこうして話すことも出来ないんだねー……」
寂しさを滲ませた声で、彼女は石段から放り出した足を無意味にパタパタと動かした。
彼女の嫌なことがある時の癖だ。
「当たり前じゃんか」
そうは言いつつも彼女以外の友達と歩いている私というものを、私自身想像出来ない。
数ヵ月後には新しい制服に身を包み、彼女じゃない誰かと笑いながら廊下を歩いているのだろうか。
それを順応と人は言うのだろうけれど、私はあまりいい気分がしなかった。
「ひかは冷たいなー」
彼女がムッとしたように頬を膨らまして言った。
“ひか”とは私のあだ名だ。
「その子供っぽい癖、治した方がいいんじゃない?」
中学も卒業したんだしさ、と彼女の柔らかい頬をつつく。
さらに頬を膨らませる彼女に思わず笑ってしまった。
彼女とは小学生の時からの付き合いだ。
とは言っても仲良くなったのは高学年からで、幼なじみという程でもない。
お転婆で子供っぽくて負けず嫌いで、何かと問題を起こす彼女の世話係。
いつの間にかそれが私の立ち位置になっていた。
上級生に喧嘩を売った彼女の巻き添えを食らったこともある。
あの時はヒヤヒヤしたものだ。
クラスに一人はいるだろう中心的存在である女子と衝突して、クラスぐるみでハブにされたこともある。
私から言わせてもらえばどっちもどっちだと思った。
彼女の向こう見ずな性格も悪いと思うし、仲間外れなんてガキ臭いことを、と思ったりもした。
そんな時もやっぱり巻き添えを食らうのは私で。
『ひか、どうしよう……わたし、いじめられてるかも……今日、皆わたしのこと無視して……』
最初の頃はさすがに彼女もショックを受けたようで見るからに動揺して弱っていた。
休み時間に女子トイレで泣きつかれて、思わず頭を抱えたものだ。
『ひかだけは、わたしの味方でいてくれるよね……?』
それでも私は彼女を見捨てられなくて。
縋るような目で私を見上げてくる彼女に、ため息と共に頷きを返した。
きっと彼女はその時頼れるのが私しかいなかっただけで、私じゃなくても誰でも良かったのだろう。
頷いてくれる相手なら誰でも。
そう、私じゃなきゃ駄目なんて理由はない。
自惚れてるつもりはなかったけど、彼女の明るくなった表情に、少しだけ落胆する私がいた。
独りになるのが怖くて友達を味方にすること。
ここぞとばかりに友達を強調すること。
別にそれらが悪いことだとは思わない。
口では綺麗事を言いつつ無意識にやっている人もいるし、誰だって我が身が可愛いという思いは根底にあるものだ。
ましてや私達はまだ子供なのだ。
そういう弱さがあって当たり前だと思う。
むしろ私は彼女の素直さに賞賛すら送りたかった。
一人で溜め込んで自殺とかの方向に向かうよりずっといい。
『巻き込みたくないからわたしと離れて』なんて独りよがりな綺麗事よりずっといい。
どうせなら巻き込まれる方が楽だし、そんな綺麗事を聞かされて『じゃあはい、そうします』と逃げられるわけがない。
綺麗事というのはこういう時に使うのは卑怯だ。
彼女は率直に本音しか言わなかった。
醜い部分を躊躇せず見せる彼女が羨ましくもあった。
私が落胆したのは、私じゃなくてもいいということがわかっていたからだ。
私は彼女の“特別”になりたかった。
『村瀬さん、あの子とは一緒にいない方がいいよ』
彼女が休んだ日の朝、早速主犯格の女子にそう言われた。
ちなみに村瀬とは私の名字である。
“あの子”とは彼女のことを言っているのだろう。
というか、彼女以外に私がつるむ相手もいない。
学校で彼女以外のクラスメートに久しぶりに声を掛けられたと思ったらこれか、と私は鞄のチャックを閉める手を止めて眉を顰めた。
『あ、誤解しないでね! 別に強制とかじゃなくて、親切心で忠告してるだけだから』
慌てたようにブンブンと顔の前で手を振り弁解する主犯格の女子――もう略して主犯でいいや――に、上手いな、と思った。
何がって自然な素振りに見せる演技というか徹底した保身というか。
これで私が彼女と離れたとしても主犯に罪はない。
私がそれを選択したことで、罪悪感を覚えるのも私だけだ。
これで彼女が独りになれば主犯は手を汚さずに彼女に精神的ダメージを与えられるし、邪魔な私も引き離せて一石二鳥だ。
うん、鳥になるのはごめん被る。
主犯はそんな私の心の内など知らずに、内緒話をするように声を潜めた。
『だってさ、あの子自己チューじゃない? 普通こういう状況で休む? 村瀬さんがぼっちになるってわかってるのに』
こういう状況ってあんたのせいじゃん。
あとぼっち言うな。
まあ、確かに彼女は自己中心的だ。
自分から巻き込んでおいて休むたぁどういう了見だと問い詰めたい。
いや、彼女の風邪が治って登校してきたら問い詰めるけどね。
それにしても悪口で共感を得て仲間に引き入れようとはまた古典的な手を使うなぁ。
『村瀬さんはいい人だから付き合ってあげてるんだろうけど、無理しなくていいんだよ? 嫌なら嫌って言っていいんだよ』
おっと今度は誉め殺しですか。
私の評価どんだけ高いの。
過大評価にも程があるだろ。
というか何で上から目線?
私は彼女に付き合わされてるわけでも付き合ってあげてるわけでもない。
自他共に認める彼女の世話係みたいなものでも、立場は対等だと思っている。
そうでなきゃ友達なんてやってない。
私は彼女とつるんでいるだけだ。
『だからね、あの子と離れたら私達のグループに入れてあげる。いつでも来ていいから安心してね?』
アフターケアまでばっちりとはやるな。
あなたのポストは用意してあるから、ってヘッドハンティングかよ。
それだけ言うと主犯は満足したのか『じゃあ』と言って自分のグループに帰っていった。
私は結局、否定も肯定もしなかった。
懐かしくもしょっぱい思い出を偲ぶ私の横で、彼女は卒業証書を筒にしまうのに苦戦していた。
不器用なところは変わっていない。
ため息を吐いて「貸してごらん」と言うと、彼女は大人しく諦めて私に卒業証書と筒を渡した。
「何で入れられないのに出すかな」
「だってちゃんと見たかったんだもん! 授与式の時は見る余裕なかったし」
ストンと筒に丸めた卒業証書を納め、彼女に手渡しながら今日の卒業式の様子を思い出してみる。
確かに彼女は授与式の時、緊張して顔を強張らせていた。
それでも小学生の時よりはマシだと思う。
あの時は今日よりガッチガチに緊張してて、授与式の時は元気過ぎる返事をしてしまい、保護者や生徒にクスクス笑われて顔を真っ赤にしていた。
その後右手と右足を一緒に出すというベタな失敗もしていた。
今日の彼女はその時より落ち着いていたし、返事も凛とした声でしていた。
毎日のように一緒にいたせいで気付かなかったけど、ちゃんと成長していたんだなと思う。
当たり前だが顔も大人っぽくなってきたし、背も伸びている。
いじめで懲りたのか無鉄砲さは鳴りを潜め、雰囲気にも落ち着きが出てきた。
それを認識すると同時に胸の内を寂しさが襲う。
「色々なことがあったよね……」
独り言のようにどこか遠くを見ながら言う彼女は、何を思い出しているのだろうか。
確かにこの三年間、色々なことがあった。
いじめは学年が上がりクラスが変われば自然消滅した。
実に呆気なかったな、と思う。
他にも嫌なことはあったし、バカなこともたくさんした。
それでも私達は今、こうして卒業を迎えている。
「……本当は、ひかと同じ高校に行きたかった」
あたしだって、と言いかけた言葉を呑み込んだ。
今さらここで言うのは野暮というものだろう。
同じ高校、同じ大学。
自分の意思を捨ててまで同じ道を進み続けることは、果たして“友達”の範囲内に収まるのだろうか。
膝を抱えて涙声で吐露する彼女を、私は膝の上で頬杖をつきながら見ていた。
いつだって彼女は素直だ。
自分の感情にも、弱さにも。
「ひかともっと、一緒に学校生活したかった……!」
けれど彼女のそういうところにいつだって、私は惹かれてきた。
私は嘘ばかりでいい加減で、事なかれ主義の臆病者だ。
そんな私には、彼女の醜いはずの本音はどんな綺麗事よりも綺麗に思えた。
そういえば主犯は整った顔立ちをしていた。
あの忠告の後も彼女と一緒にいる私を見て、納得がいかないとでも言うように時折その顔を歪めていた。
あのお綺麗な顔の下で、どんな醜さを隠していたのだろうか。
私は主犯の名前を思い出せない。
「ねぇひか、わたし達、ずっと友達だよね……?」
すんと鼻を鳴らして顔を上げた彼女の目は少し赤くなっていた。
「当然」
一瞬生じた胸の痛みを悟られないよう自信満々に答えれば、彼女の顔がぱっと明るくなった。
『ひかだけは、わたしの味方でいてくれるよね……?』と訊いてきたあの時と同じ反応だ。
「よかったー! 高校に入ってもメールとかしてね!」
「んー、気が向いたらね」
「ひどーい!」
怒りながら笑う彼女を見ながら、私は自分からメールはしないだろうな、と思った。
毎日、彼女からのメールを待っているのだろう。
そんな自分の姿が安易に想像出来てため息を吐きたい気分で笑った。
「ねぇ、ひか。大人になったらずっと一緒にいようね!」
無邪気な笑顔でそんなことを言い出す彼女に、胸が締め付けられた。
「おばさんになって、おばあちゃんになっても、ずーっと一緒にいるの! ねっ、いいでしょ?」
彼女は何て残酷な、夢物語のようなことを言うのだろうか。
きっと彼女は高校生になったら、新しい友達を作るのだろう。
メールなんてするのも最初だけで、回数もどんどん少なくなっていって、その内ぱったり途絶える。
そうして、私のことは忘れていくんだろう。
そうして私は、いつまでも来ないメールを待ち続けるのだろう。
「ねっ、約束!」
いつか大人になったら、私の知らない男と結婚して、新しい家族をつくって、そんな約束も忘れてしまうのだろう。
だから私は彼女の差し出した小指に、自分の小指を絡めるなんてことはしない。
かわりに口端を歪めて、下手くそな笑顔で言ってやるのだ。
「無理だっつーの」と。
拗ねたような声で。
ビリビリに破いた紙切れが、風に吹かれて宙に舞った。
窓に近い机の上に置いていたのがまずかったか、とベランダから紙飛行機を晴れ渡った青空に向けて放った。
ポイ捨て、という言葉が頭に浮かぶ。はいはい、後で回収すればいいんでしょ。
ヒョロヒョロと情けない軌跡を描きながら紙飛行機はすぐに落下した。
女の友情は紙より薄い。
そりゃホントだ。
卒業証書なんて紙切れより、女の約束は不確かで、薄いのだから。
ベッドの上に放ってある卒業証書が、色褪せるよりも早く、私達の縁は切れるだろう。
そのくせして、私は心の奥底ではそのことに納得していない。
彼女の叶えられることのない口約束に。
指切りすらしていない約束に、私はまだ微かな希望を持っている。
紙より薄いのに、私には破けない。
私のこの気持ちは何だろう。
失望なのか落胆なのか、あるいは安堵なのか。
あの子への気持ちは、ついぞ言葉にはできなかった。
私の彼女へと向いてしまうこの感情は、友達として正しいのだろうか。
もしも、友達との正しい付き合い方や、友達へ向ける正しい感情があったとして。
私がそれを選ぶとは限らないし、やはり私はこの感情を抱くのだろうけど。
風でふわりと白いカーテンが舞い上がる。
それが沈むように下りてくるのを見計らって、もう一度紙飛行機を飛ばしてみた。
2発目の紙飛行機は、まっすぐと、どこまでも青い空に吸い込まれるように飛んで行った。