幸せな死
私は本当に、幸せだ。
そう度々思う。
ずっと昔はそうじゃなかった。辛い過去が確かに存在していた。
でもそんな事はもう、今の私とは関係無い。私は中学生の時も、高校生の今も、ずーっと幸せなのだから。
だけど私は、それを素直に喜べないでいる。
「おーい幸穂、聞いてる?」
「えっ!?」
「はっ、何だよそんなに驚いて。なんか考え事でもしてたのか?」
「あ、はは。まあね」
何でもない様な顔をして彼に微笑み掛ける。彼もほっとした様に笑みを返した。
永遠に続いていそうな長い長い道路と、その周りを覆う一面の緑と、大分大きく見えてきた山々と、暖かな日差し。
物思いに耽るのに丁度良い環境だった。
正午頃に食べたお昼ご飯は、程良い満腹感で私の歩みを支えてくれている。眠気すら感じてしまう位、穏やかなこの時。
「まあそんな訳でさ、もうちょっとしたらふもとの森に辿り着く筈だから」
「うん。そこに着いたらいったん休憩しよっか。春樹も疲れたでしょ」
「そりゃ疲れたよ。あー足いてー」
まだちょっとしか歩いてないのに。バスケットボール部では体力作りもしていないのだろうか。全く、それにしても子供っぽい人だ。
でも、そこがまた可愛くて。だから私はこの人が好きで、この人と付き合っている。
「しっかし、ここってほんとに東京か?」
「それ言うの今日何回目よ」
「だってさ、ヤバい程田舎だもん」
「まあね。東京って意外と地域によって色別れてるし」
「そうだよな」
後ろから車が来て、ブオオオンと音を立てながら私達の横を通り過ぎた。やけに音が響く。
あの中にいる人は一体何をしに来たんだろう、と考えてみる。きっと私達と同じ様に、軽く山登りでもしに来たのだろう。
車が通った後には、また私達2人だけが取り残される。広い広い道路の端を、遠慮がちに、ゆっくりと歩いていく。
「良かったな、ここ来て」
「だね。空気も美味しいし」
「なぁ、こんな空気の澄んだ所で、あれしたらどうなるんだろうな」
「あれって?」
特に意識せずにそう尋ねた瞬間、彼の顔がぐっと近付いた。
唇に、温かな感触が広がる。そよ風が、頬の熱を奪って通り過ぎた。
木々のざわめきは、まるで私達を噂し合っているかの様で。
「…………」
本当に本当に、幸せだ。
だから。だからこそ、それが。
それが、怖い。
「……ごめん」
唇を離した彼に、真っ先に謝った。
何の事だかさっぱり分からないといった顔の彼を置いて、走り出した。
「あ、おい!」
ガードレールを飛び越え、道路を外れて、雑草の生い茂る地面の上をひたすら走り続けた。沢山葉を付けた木々に、視界を覆われる。
彼が追ってくる気配は無かった。そういえば彼、足痛めてたんだっけ。悪い事をしてしまった気がする。
本当にごめんなさい。最悪な事しようとしてるって、自分でも分かってる。でも。でも。
背の高い雑草をかき分けながら、私はなおも、する必要の無い言い訳を考える。
私は幸せが怖い。いつかまた、不幸が倍になって帰ってくる。その時私は、きっと耐え切れない。
幸せも不幸せも感じない『死者』という立場は、きっと私に相応しい。
そう、だから私はここへ来た。森の中で首を吊って死ぬ為に。最期に少しだけ、春樹と幸せな時間を過ごす為に――
「えっ!?」
目の前に、さほど深くない谷がいきなり出現した。認識した時にはもう遅くて、私はそこに身を投げてしまった。
駄目だ。こんなんじゃきっと死ねない。でも動けなくなるかも知れない。気を失うかも知れない。
「いやあああああ!!」
叫び声を響かせながら、私は谷底へと落ちた。
ごめんね、春樹――。
暗闇が広がっている。
私はどうなっちゃったんだろうと気になって、目を開いた。視界の片隅に、真っ白い照明が入ってきた。眩しくて目を細める。
「あ、起きた」
隣で可愛らしい声が聞こえた。驚いてそっちを見ると、アイドルみたいに可愛い女の子が、しゃがみこんで私の顔を覗いていた。
「こんにちは」
また可愛らしい声。
「こ……こんにちは」
状況が全く掴めなくて混乱したけれど、兎も角挨拶を交わす。
起き上がって辺りを見回してみた。まあまあな広さのある、シンプルな部屋だった。
私はベッドに寝かされていた。そのベット以外の家具がちゃぶ台位しかないところからして、ここは寝室の様な気がする。
目の前の女の子は、ここの家主だろうか。この子以外にも、誰か住んでいるのだろうか。
いやそもそも、どうして私がここで寝ていたのだろうか。ますます訳が分からない。
女の子は、そんな私の横に座った。ふわり、と良い香りがする。
何か、喋らないと。
「あ、あの」
「何?」
喋ると、彼女の唇はプルプルと震えた。なんだか色気がある。
「私はどうして、ここにいるんでしょうか」
「ん? ふふっ、変な事訊くのね」
変なのはこの状況だ。私は谷底に落ちた筈なのに。
「だって、私はここに来た覚えは」
「うん、私が勝手に連れてきた」
彼女は柔らかく微笑した。その笑顔があまりにも眩しくて、私は何故か妬いてしまいそうになる。
「それって、何でですか」
「谷底で倒れてる人がいたら、誰だって保護すると思うけど」
「保護?」
「うん。だって心配じゃない? そりゃこの頃あったかいから風邪は引かないと思うけど。でも、地面で寝っ転がってるなんて体に悪そうでしょ? だから保護」
大きな瞳で真っすぐに私を見つめて、彼女はそう言った。
「あ……そうだったんですね。ありがとうございます、お手数お掛けしてすみません」
「いえいえ。ところであなた、自殺しようとしてたよね?」
「え」
いきなり話がガラリと変わって、私は動揺を隠し切れなった。
「だってさ、道路から外れた道にある谷底に落ちるなんて、中々そんなヘマやらかさないでしょ? 自殺しようと思ったら興奮しちゃって、パニックだったのかなぁって。流石にあんな低い谷底に落ちて死ねるなんて思ってなかっただろうけど」
「……凄い洞察力ですね」
「ありがとう。こんな山奥に住んでる甲斐があったよ」
私は改めて、その人をまじまじと見た。顔や体付きは子供っぽいけれど、服装は随分とおしゃれで大人っぽい。
「でも、違いますよ。私は自殺なんて考えた事ありません」
「そう? じゃあ、これ何?」
彼女はそういって、床に落ちていた物を拾った。
それは、縄だった。しかも、私が鞄に入れていた物と全く一緒だった。
弁解の余地なんていくらでもあるのだろうけれど、私にそんな気力は無かった。
「……泥棒ですね」
「やだなぁ、人聞きの悪い。ちょっと怪しかったから調べさせてもらっただけなのに」
「そうですねすみません。では、もう帰らせていただきます」
「そう。でも、あなた帰り道分かるの?」
「いえ。ここ、どこなんですか?」
彼女は悪っぽい笑みを浮かべた。先程の天使の様な微笑とは、ちょっと違う。
「道も無いような山奥なの。独りで帰れるといいけどねぇ」
「えっと。道案内はしてもらえないんですか」
「うん。私はあなたにここにいてほしいから」
私はわざと大きく溜め息をついた。厄介な事になってしまった。
「私は早く帰りたいんです。私がここにいなきゃいけない理由はなんですか」
「だって、あなたここから出たら自殺するだろうから」
「しません。もう懲りたので帰ります」
「そんなに焦らないでよ。ゆっくりお話ししたいの」
目の前の女の子が、何かいやらしい人の様に感じてしまう。なんなんだろう、この子。
「あなたの名前は?」
「三栗幸穂です」
「ふうん、さちほちゃんか。じゃあさっちゃんでいいよね」
「別にどうでもいいです」
「私は宮本真理っていうの。真理って呼んでくれて大丈夫だよ」
彼女は不意に、視線を逸らした。彼女の視線の先にはカーテンがあって、その隙間からベランダが覗いている。外の景観からして、どうやらここは1階の様だった。
「私はね、15歳で中学を卒業して、すぐここに越してきたの。だからもう、かれこれ3年もこうやって暮らしてるのね」
ということは、今18歳。大学1年生。私より、2歳も年上なのだ。
目の前の人が『大人』だと分かった瞬間、急に緊張が走った。念の為に敬語を使っておいて良かった。
「この山に自殺しに来る人、結構多いんだ。お散歩してたら、首吊ってる人見かけた事もあるしね。気味が悪いったらありゃしないの」
「はぁ。それなのに、ここで暮らしているんですか」
「都会の人混みはちょっと苦手なの。かといって、高校からあまり離れた所だと通学に不便だし」
「成程」
じゃあなんで東京の高校を選んだんだろう。ちょっと謎だ。
「それでね。ま、色んな人がここで最期を迎える訳だけど、1人1人、なにかしらの理由があって死にたがってるの」
「なんで分かるんですか」
「自殺者を説得する会に入ってるの」
ジサツシャヲセットクスルカイ?
「なんか、馬鹿みたいな名前ですね」
「馬鹿な事しかやってない会だからね。自殺者を減らすとか、そういう活動してるだけ。そんな訳で、そこに入ってるから自殺志願者と話す機会もあったの」
「へぇ」
「私も一応そこの会員だからね。あなたの話も聞いてみたいの。なんであなたは、自殺しようと思ったの?」
「なんでって……」
きっと理解してもらえないだろう。幸せが怖いなんて、冗談で使われる言葉ではあっても、本気でそう思う人なんてきっとごくごく少数だ。
「いいから話して。私には理解出来ない事かも知れないけど、それならそれでいいじゃない」
そうなんだろうか。話してみても、いいんだろうか。
「あの……私は、幸せが怖いんです」
「へぇ」
彼女はちょっとだけ目を細めた。何を考えているのか分からない表情だ。
「……理解、出来ないでしょう」
「さて、どうかな」
そう言って今度は微笑を浮かべる。天使的でも、悪魔的でもない笑い方だ。
「ま、理解出来る出来ないはどうでもいいでしょ。さっちゃんは幸せが怖い。それならさ」
彼女の顔が、いきなりぐっと近付いてきた。脳裏に春樹とのキスがちらついて、思わずどきりとする。
「私が不幸にしてあげる」
「……え」
「ここで少しの間、暮らしてもらうの。ここでの暮らしが不幸であれば、あなたは自然に幸せを欲する様になる筈。つまり、病気が治っちゃう。そしてその時に帰ればいい。どう?」
「どう、って……」
確かにこの人との暮らしは、あまり楽しくなさそうだ。そもそも、知りもしない人と一緒に暮らす事自体、強いストレスになる。
かといって、死にたくなる位不幸になりそうもない。
幸せじゃないけど、そこまで不幸でもない。それって、今の私にとって一番良い状況なのかも。
「……駄目って言っても、どうせ真理さんの思惑通りに事は進むんでしょうね」
「ううん。駄目なら帰ればいいじゃない。道は教えないけど」
2度目の溜め息をつく。今度は軽めに。
「それなら、真理さんの言う通りにします。道に迷って死ぬよりマシなので」
出来るだけ冷ややかにそういった。淡泊に見られるのは得意だ。
「やったーばんざーい!」
彼女は急に快活な声を上げて、子供みたいにはしゃぎだした。たまに子供っぽいところが、春樹と似ている。
可愛いな、と思った。
「嬉しいんですか」
「そりゃ勿論。私ってここで独り暮らしだから、常に退屈なの。実のところ、遊び相手が欲しいだけなんだよねー」
「なーんだ」
「なーんだじゃありません! 私にとっては死活問題なの! ね、それにしてもさっちゃんって変わってるね」
いきなり話題が変わった。
「なんでですか」
「だって、リボンで2つ括りだから」
そういって彼女は、自身の栗色の髪を握り、2つ括りのジェスチャーをした。
私も、自分の毛先に触れてみる。確かに私は、長い髪の毛を赤のリボンで2つ括りにしている。
「これは、親が昔からこうしていたんです。だから今も、リボンじゃないと落ち着かないからこうなってるだけです」
「またまた~、アタシは周りの女子とは一味違うのよ感出したいんでしょ~?」
「断固違います」
うふふっ、と彼女は声に出して笑った。それから、「あ!」と素っ頓狂な声を上げた。
「そうだ、あなたに大事な事を任せたいの!」
「え、何ですか?」
「うふふ、聞いて驚きなさい」
「驚かないです」
彼女はコミカルな感じで私を睨んで、それから重々しく言い放った。
「あなたを『ミニトマト大臣』に任命します!!」
「……は?」
……かくして、私と真理さんとの生活が始まった。




