大津坂
雲一つなきこの空が、一グラムの心地よさも与えず、一ミリのグルーミーな感傷を漏らさず、ただ意味もなくぽつんと取り残されている様を、あなたが扱いに戸惑ったなら、その雲去りし後の雲居の下に大津坂を構えて漠然と待つがよろしい。大津坂に急ぎ足あれば、それは厠の用であろう。そんな大津の行客の九割九分は羊角湾の海風か、羊角湾への出風である。して、大津坂は商いの要地であり、事有り気な奇態な見世が、二三ダースほど凄然と整列して、その全てが鎧戸を下ろしたる風景は、将に商事のハブたる街の行く末だろう。結局はこの結果である、行き着くはこんな景色である。如何に内に複雑なるものを貯め込んでも、振る舞いは平易である。風が木の葉を揺らすのは、どれほど煩雑な方程式で表すのか。川の流れるを、そんなややこしい式でなければ表せぬのか。だが所詮、木の葉の揺れである、川の流れである。普通、川と道の交差する場所には橋がある、その上に立って次のように考えた。世間は質朴な姿勢を好み、その中にこそ有用な実がぎっしり詰まっていると考え、一方で煩瑣な言動を繰り返す者に対しては、中身のない鈴が耳障りな音をきりきり出して止まないの如くと決めつけるのである。世間は冬の様に寒いのだ。
橋といっても何で出来ているかで、だいぶ様子が違う。この橋は石橋だが、一度それを忘れて己が足の裏の感触だけで、この橋の本当の正体を知ろうと思った。これは「視覚からの解放」とでも表題をつけ多くの人間の目前で行えば、歴史を動かす試みに違いないが、そんな大それたことではないと過剰な謙遜がそれの邪魔をした。人類にとって大きな一歩でなくても、乱雑に執り行うべきものではない。慎重に布布しい靴から足を取り出した。着いた。考えるな、感じるのだ。感じたところ、それは石橋であった。この経験は他の誰とも共有しないつもりでいたが、若い女性が気の毒そうにこちらを見ていた。橋を渡りたいようだ。よく見ると美人である、顔はヨーロッパの小国がひしめき合いお互いの縄張りを主張しているようで和風である。また強い印象を与える、老荘思想を極めた香川県民が着そうな衣服は、実に優美である。しかし視覚の支配を脱却した今、彼女はこの惑星の物質でできてはいないと直感した。橋を渡り、彼女に旅行ですかと聞いた。次のような返答があった。「ええ、まあ。旅行というほどだいそれたモノではないですけど。よくここに来るんですよ、そうだな、ええと、今年に入ってからもうかれこれ、これで3度目です。毎年一度は必ず来ます。あなたはどうなんですか。あっ、そうだこの先にエクアドル村ってところがあるんです。行ったことありますか?国の方じゃなくてエクアドル村ですよ、そこのルドアクエって料理がすごい美味しんですよ、一緒に行きましょうよ。そうそう、エクアドルって南米ですよね?私、エクアドルは行ったことないのですけど、ペルーには行ったことがあるのよ。ペルーって知ってる?マチュピチュ、マチュピチュがあるところ。だけどマチュピチュには行ったことが無いの。」そう女は言った後、中指を立てた両腕を空に向かって伸ばして、こう続けた。「快晴。アーァ、いい天気。そうだ、知ってましたか?天気予報だと今日曇りらしいの、なのに雲一つなーい。アーー神様。」そう言って女は、もと来た道を朗らかそうに引き返した。
日は未だ高く、これが落ちるを知れるのは、経験知の為ほかならない。溌剌たるレディーの置き土産は異様な静寂のみであるが、もとより真昼のしじまに関して、だれより詳しい自負がある。こんな日にはエクアドル村とやらに行くがよろしいと思い、大津坂をのぼりはじめる。そこに一人の老人が牛に乗って現れた。その顎に繁茂した髭は、とても凡人のそれとは思えなかった。それは熱帯雨林の如く多くの生命を養っている様に思える。老人が口を開いて言った。
「あんたさんは迷ってらっしゃる。違うかね。」
「ええ、エクアドル村に行くにはどうすればいいんでしょうか?」
「あんたは逃げている、そう、いつも。」
「何がですか?第一あなたは何が言いたいのですか?」
「あんたは知らない。」
「そりゃあ、知らないことは知らないし、知りようもないことも知れませんよ。」
「いや、あんたは自分自身のことさえ知らない、いや逃げているんだ。」
「いったいさっきから、あなたは何が言いたいのだ。」
そう言うと老人は何も答えぬまま、坂を下って行った。
妙な境遇に遭えば、変な気持になるものだ。気にせぬようにしていたが、だんだん不安になった。そのうち川に行き着いた。左右を見たが橋がない、歩いて渡るわけにもいかない。困っていると、坊主がこちらを見ながら右手で渡し船叩いていた。その意を察するまで、ボンボンという音のみが響いていた。渡し船で川を渡りたい節を伝えると、坊主は既に知っていたかのように素早く船に乗り、またこちらを見つつ船を叩いた。船に乗ると、詞をつくりたくなったので短歌を作ってみた。
冬の昼 橋なき川に 渡しあり 気づかぬことに 川は渡れず
深く意味は考えかったものの、これでよいと思った。思ったよりも何倍も幅の広い川のようだ、そう考えていると、ふと先ほどの老人の言葉が思い出された。少し考えたが、理解できなかった。より考えたところで、わからなかった。考えれば考えるほど不安になった。ついに私はそれを放棄した。この時、私は既に大津坂のことなど忘れてしまったのだろう、それでいい。大津坂は都合のいい場所である。空は曇り始めたようだ。