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「第三十一話」


「第三十一話」


「いいか。落ち着くんだ」

屯野は正面にいる女の姿を取った鵠沼に、体を揺さぶられた。

その鵠沼の表情は余裕が無く、切羽詰っているような印象すら覚える。

烏城麗那うじょうれいなトランスファージに脳を乗っ取られたとはいえ、それは完全にとは言い切れん。まだ後ろにおるあいつには烏城麗那の意思が残っている」

「は……はぁ?」

「仮にそいつを『とり』と呼ぶ事にして、その『鳥』は烏城を完全には乗っ取らん。何故ならTファージになる前は施設で飼われる一匹の鶏でしかなかった『鳥』は人間の体の生命維持の方法を知らないだろうからな。思考や記憶、体の動作のほか、生命維持を司る器官の脳を奴は全て乗っ取ってはいない。恐らく『鳥』は――」

「ああっ、もうややこしい!! つまり、手短に言えばあの麗那は今、『鶏のTファージの意識』っていう悪霊みたいなものにとり憑かれたような状態なんだろ!?」

「そうだな。大方その理解で間違いないだろう」

しかし、その鵠沼の言葉を聞いた所で屯野の気持ちは一向に晴れなかった。

現状が理解できた所で、目の前の状況は変わらない。

翼を広げたままじっと立ち、屯野達の戸惑う様を楽しそうに目を見開いて見る烏城から屯野は目が離せなかった。

「……だからって、どうしろって言うんだよ。市ヶ谷の時みたいに、麗那も殺すしかないのかよ……!!」

鵠沼の表情に影が差す。

「……こちらから烏城麗那のTファージを制御するすべが無い以上、必然そうするしかあるまい」

言いにくそうに鵠沼は俯いてそれが屯野がとるべき手段だ、という風に呟いた。

しかし屯野の中では、諦めきれず烏城を助ける為の手段を模索し続けていた。


大声で意識を取り戻すよう呼びかけてみればどうか?


わざと反撃せず烏城にやられてみるのは?


そんな事は無意味だと屯野は市ヶ谷の件で身をもって知っていた。だが、考えざるを得ない。屯野は既に一人の大事な友達を殺しているのでもうそれを繰り返すつもりは無かったのだから。

屯野はもう大切な友達を殺すためにTファージを使いたくは無かった。

しかし、目の前の烏城はもう屯野の知る烏城ではなく、鵠沼が『鳥』といったTファージに脳の一部や全身を蝕まれた殺人鬼だ。

つい先ほど『鳥』は毬川を殺し、屯野の前でへらへらと笑って見せ、屯野を躊躇い無く殺そうとした。

あんな存在を放置しておけばまた何人もの人間が『鳥』によって殺されてしまう。

今目の前の烏城麗那の体を持つ『鳥』を殺しておかないことで生まれる危険を屯野は解らない訳でもなかった。

二つの感情がせめぎあう内に涙が溢れてくる。

どうすればいい。どうすれば、烏城を殺さずに『鳥』だけを殺せる。

そんな見つかるはずの無い解決策を模索する内に、いつしか屯野は空に向かって叫んでいた。


「……ちっ……畜生おおっ!! それじゃあ、それじゃあ俺はどうすりゃいいんだよおおおぉ!!」



その時、車の運転席にいる野雅仁とんのまさひとはフロントガラスの先で起こっている現実離れした光景をその頭で受け入れる事ができなかった。

黒煙を上げ炎上するガソリンスタンド。そして、前には突如大きな翼を広げた一人の女の子。

その二つ、主に後者の方は雅仁の知る常識からかけ離れ過ぎていた。

(馬鹿な……何が、何がどうなって、いる)

これまで雅仁はその炎上するガソリンスタンドの光景を見て動けずにいたものの、女が大きな翼を広げた時、咄嗟に危険なものを感じ取り雅仁はその段になってようやく口を動かした。

「た……琢磨たくま、い、一度家に戻るぞ……!」

雅仁はうわごとを言うように後部座席に声をかけるが、しかしいるはずの息子からの答えは無い。

「た、たく――――」

ふと後部座席へ顔を向けた雅仁は凍りついた。

そこには既に開かれた後部ドアと誰もいない後部座席のシートだけがあった。

「琢磨!!?」

雅仁は自分で驚くくらい平静でなくなった声で息子の名前を呼んでいた。

全身が凍えたように震えるのを感じながら雅仁は車内から辺りを見渡す。その最中さなか、雅仁の乗った車の遥か前方から叫び声がした。それは聞き間違えるはずも無い――息子、屯野琢磨の声だった。



「琢磨!! そこにいるのか!!?」

突如、烏城の後ろの方から聞こえた聞き覚えのある男の声に屯野は自分の正面、声のしたところへ目を凝らす。

そこには背広姿の雅仁が既に車から降り、屯野のいる方へ走って向かってきていた。

(と、父さん……? ま、まだ帰ってなかったのか!? 帰ってろって言ったのに!!)

屯野には自分を心配していてくれた父に驚いていたが今はそれ以上に考えるべき事があった。

屯野は思わず、前に向かって走り出していた。

屯野琢磨と雅仁の間には、相変わらず大きな翼を広げ、たったまま動かない烏城麗那の体を持った殺人鬼の『鳥』の姿があったのだ。

今は前にいる屯野を見たままでいるが、後ろから声を上げ駆け寄ってくる雅仁の事に『鳥』が気付くのも時間の問題だ。

「父さん!! 来ちゃ駄目だ!! 今すぐ逃げ――」

その瞬間。屯野は次の言葉が言えなくなった。

何故なら今、ゆっくりとそれまで動かなかった『鳥』の首が雅仁のいる後ろに振り向いたのだ。

屯野はその『鳥』の顔が後ろを向く間にその表情が後ろの声に反応し、笑っているのが確かに見えた。やがて、後ろにいた雅仁を視認した『鳥』は嬉しそうに言う。


「えへへー獲物みーっけ」


その瞬間、烏城は大きな翼を器用に動かし、屯野に背を向けたまま背中で翼をあわせる。


その羽先が僅かに屯野の鼻に触れた瞬間、先程『鳥』が上空から落ちてきた時のような激しく地面を打つ音が再び、辺りを響かせた。

瞬時に『鳥』は目線の方向、雅仁がいたまさにその位置に向かって地面スレスレの所を突進する。

「ま――――」

屯野が疾走を始める『鳥』に静止の声をかける間もなく、『鳥』の開始した狩りは既に終了していた。

「ぐああああああっ!!」

次に聞こえたのは雅仁の絶叫だった。

雅仁が『鳥』に攻撃された。攻撃は致命傷なのか、それとも命を奪うには至らないか、そんな考えが疾走を開始した『鳥』のほうへ走る屯野の頭を一瞬不安と共に過ぎる。

(まずい、あいつは初めから誰でも良かったのか! 殺したい相手は俺じゃなくてもいいのか!! 自分の――『鳥』自身の――ストレスを解消できるのなら、攻撃する相手は選ばないのか!!)

真っ直ぐに伸びた道路を突進した勢いを保ちながら、急速に突き進み続ける『鳥』のすぐ傍で雅仁の絶叫は続いている。

恐らく、雅仁の体は『鳥』の鍵爪のついた三又の肢に掴まれているのだろう。

その時、急に『鳥』の動きが追ってくる屯野の方を向いて翼を広げ振り向き、『鳥』は後ろへ突き進みながら肢についた何かを払うように、ボールを蹴る動作で肢を軽くシュッと、動かした。

そしてそれと同時に屯野の顔の前に向かって何かか飛んできた。

「――――!?」

反射的に目を閉じ、Tファージで肥大させた腕で自分の顔の前を覆い、その飛んでくる物体の衝撃に備えた。

その衝撃は重かったものの、それが屯野に与えたダメージは無かった。

安堵し、腕を解いて目を開いた屯野は眼下に信じられないものが落ちているのを見つけた。

自分めがけて飛んできた物体は仰向けになって倒れている屯野の父、雅仁だった。

腹部に空いた大きな穴からどくどくと血を出し、死人のような青い顔で屯野の方を見つめていた。口が喋る人形のようにパクパクと開き、何度もつかえながらも懸命に屯野の顔を見上げながら一つの単語を言おうとしていた。

「たく……く……琢……磨……ま……ま」

やがて雅仁の言葉を出す口からコポコポという水音が聞こえると共に、雅仁の口から真っ赤な血の泡が吹き出し、やがて声は無くなった。

目を見開き、屯野の顔を見ながら絶命した父を屯野は何も言わず、言う事ができず、その死に様をゆっくりと見届けた。

「――父さん?」

屯野の口からしわがれ声で感情の無い言葉が飛び出す。答えは無かった。

何も考える事ができなかった。

目の前で父が死んだと言うのに、屯野はあまりにもそれが突然であっさりとしたものだったので、感情を出すほどの余裕が無かった。屯野は目の前で起こった父の死を受け入れることが出来なかった。

「……父さん? 父さん?」

話しかければ答えは返ってくるという風に、屯野は既に血を吹いて動かなくなった父の体に再び話しかける。――当然のように答えは無かった。

やがて、すぐ近くで近づいて来る足音と共に明るい女の声が響く。

「ねー。屯野くーん。早く戦いしよーよー」

屯野は答えなかった。

目の前では体温を失いつつある父の体がある。

「さっきからさ、あたしの獲物みーんな、あたしが手を出した瞬間死んじゃうんだもん。あたしとしちゃストレス発散できるのはいいんだけど、そんなのつーまんなーい」

屯野はゆっくりと近づいて来る女の姿を見る。

そこには腕を翼から元の人間の腕に戻し、ワンピース姿の烏城麗那がいた。

表情はにこやかだ。そんな子供のような歯を見せ笑っている。

控えめでおとなしい性格の烏城がそんな表情をするのを屯野はこの見たことが無かった。

その表情を浮かべる烏城が屯野には別人のように思えた。

「ほら、同じTファージの感染者なんだから。思いっきり戦わないと損だって! あたしは思いっきり羽伸ばして動き回って戦いたいのっ!」

やがてすぐ傍まで近づき、屯野はそこで烏城の左の足先から膝にかけて濡れているのに気がついた。

それは血だった。

屯野は父の体に空いていた大きな穴を思い出す。恐らく、烏城――『鳥』――は雅仁と衝突した時、鉤爪の肢を真っ直ぐ伸ばし、雅仁の無防備な体に槍の如く突き刺していたのだ。

そして、『鳥』はその雅仁の体が刺さったままの肢を屯野の方へ振り回し、肢に刺した雅仁の体を引き抜いたのだ。

「ねー。そもそも屯野君をここに呼んであげたのもあたしなんだよ?」

「…………どういうことだ」

「この『麗那ちゃん』が毬川ってさっきあたしがやっつけたザコにめられて死にかけてる時に、あたしも死にたくなかったから『あたしが屯野君に電話したら?』 ってわざわざ教えてあげたんだ。そしたら麗那ちゃん、屯野君に助けてもらう事ばっかっで考えを止めちゃってさー。そのお陰で私が麗那ちゃんの体の支配権を簡単に乗っ取れちゃった。電話で聞いたでしょ? 私が乗っ取ってる間あの子、体が動かないよーってビビった声出しちゃってさー」

そしてきゃははと笑った後、再び口を開く。

「実際は麗那ちゃんの思うように自分の体を動かせなくなったってだけなのにね。お陰であたしはすぐに乗っ取った体の半身をTファージを使って腐食させて、車に挟まれてた状況から上半身だけで脱出を果たしたと言うわけ! すごいでしょ? Tファージって自分の体を治すだけじゃなくて反対に腐らせる事も出来るの!」

「へえ、大したもんだな」

「そうでしょ? だってーあたしはTファージそのものみたいなものだもん」

「そうだよな。お前は烏城麗那じゃない。――――ありがとよ。これで気兼ねなくお前をブッ殺せる」

そう屯野が言い終わるのと、屯野がTファージで変形した歪なひづめのついた右腕を振るい終わるのは同時だった。

既に屯野が『鳥』に振るった蹄は細い烏城の体に容赦なく叩きつけられていた。

「な、あ――――?」

驚きに目を見開いたまま、神速と呼ぶべき速さで繰り出された屯野の一撃を『鳥』はかわす事は愚か、視認する事も出来ず、『鳥』は体の中からバキバキといやな音を立てるのを聞いた。

(そんな、なんて力、骨が折れ――――)

人間の姿のままで屯野の攻撃を受けた『鳥』は体を強化する間もなく、すぐさま背中に砲弾を受けたような衝撃が『鳥』を襲った。

「いぎあああっ!!」

そこにはもう一撃、屯野の見舞った同じく変化した左の拳が『鳥』の背中に叩きつけられていた。

(く、そ――――)

負けじと、『鳥』も体内のTファージをすぐさま起動させ、両腕を両翼五十メートルの巨大な翼へ変える。

その翼が多くの羽を飛ばしながら、ばさばさと動く最中は流石に屯野も近づく事は出来ず、『鳥』の飛翔を許してしまう。

「もう、うんざりだ」

屯野は飛翔する『鳥』の姿を見上げながら、ぽつりと呟く。

屯野の体のTファージが屯野の今の感情に呼応するように反応し、それは屯野の意志に従い、本来の屯野琢磨の体の形を凄まじい速度で変えてゆく。

脚、腕、体、それらは屯野の意思によって、次第に内部から膨らみ、人のものではないTファージの働きよって異様な筋肉に肉付いてゆく。

「もう、殺す、殺されたなんてものは、もううんざりなんだよ。正義とか、友情とかそんなものももうどうでもいい――――この戦いで全部……Tファージにまつわる全てを今日、終わらせてやる」

やがて、変化は屯野の頭に及ぶ。

屯野の頭が硬い鼻先を持ち、四十四本の歯を持つ豚の頭に変わる。

豚頭人身の姿となった屯野琢磨は遥か上空で屯野の方を見ながら巨大な翼で滞空する烏城に向け、あらん限りの大声で咆哮した。

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