「第三十話」
「第三十話」
屯野琢磨はベッドの上で鳴る携帯電話の鳴り止まない着信音で電気を消した部屋の中、目を覚ました。
「んぁ……が……な、誰だよ……こんな時間に……朝の十二時じゃねえか……クソ」
夜光塗料の時計で暗い自室の中、時間を確認しながら屯野は悪態をつく。
暗い中屯野は手探りで、自分の携帯の着信音である『夢野れむ』のデビューシングルのメロディーを奏で続けるその音源を探り当て、やがて布団にもぐりこみながらそのつかみ取った携帯を自分の耳元へ持っていく。
「ぅ……い……誰ですかぁ……?」
眠気を押し殺そうとする事も無く、屯野は電話の向こうの相手に話しかける。
『――君、お願い……。た……助けて……助けて……か、からだ――が動か、ないんです……助けに、来て……』
掠れた声で返事が返ってくる。
屯野は初めイタズラかと思ったがその声に聞き覚えがある事に気がつき、瞬時にその気付きは屯野の眠気を払った。
同時に屯野はベッドから飛び起きていた。
「れ、麗那!? 麗那か!!? おいっ! どうしたんだよ!? 今どこにいる!!?」
屯野は自分でも驚くほど冷静に烏城の状況を尋ねていた。
烏城は震えた声のまま、とある場所を告げる。
それを聞いて屯野は思わず舌打ちする。
(舞花町までの十字路……!? クソ、遠いな。今、この家から自転車で思い切り飛ばしても十分はかかるぞ……!)
しかし、今屯野には躊躇する時間など無かった。
「――解った。今からすぐそっちに行く。待ってろよ。いいな!?」
『は――――
突如烏城の言葉は切れ、屯野の持った携帯から耳を劈くほどの轟音が鳴り響くと同時、短く雑音がした後に通話が切れた。
「麗那!? おいっ!!? ――――……な、何だよ。何なんだよ!! クソッ!!」
屯野は衝き動かされたように、部屋の外へ飛び出し、急いで屯野の部屋のある二階と玄関の一階へ続く階段を下りる。
その中で屯野は悪態をつき続ける。
「クソ、クソ、クソォ!! 何だよ!! 俺の寝てる間にどうなってんだよ!!? 麗那、お前まで頼むから死ぬな。死ぬなよ!!」
そして玄関に下りた屯野は急いで靴を履く。その途中、ふと腰をおろしている屯野の背中から声がかけられた。
「琢磨、どうしたこんな時間に? どこへ行く気だ……!?」
そこには今仕事から帰って来たばかりらしい背広姿の屯野の父、雅仁の姿があった。
「う……うるせえ! アンタには関係ねえんだよ! こっちは急いでんだ!!」
屯野は心配する視線を送る父を振り切って、家の外に出る。
そして屯野はすぐ傍にあった家の自転車の鍵を荒々しく開けた――その時だった。
「琢磨。待て!」
既に自転車に乗り込んでいた屯野の正面に立ちふさがるように雅仁が立っていた。
口を一文字に締め、目には鋭い眼光を湛えている父の表情は屯野がこれまでで見たこと無いほど真剣な面持ちをしていた。
「急いでいるのなら、父さんが車を出してやる。そこで待ってろ。すぐにキーを取ってくる」
その時、烏城のいるガソリンスタンドから五百メートルほど離れた位置の大きな建物の陰にいた毬川蝶子は手に持っていた携帯電話のボタンを何度か押し、ガソリンスタンドの車のトランクに残しておいた時限爆弾を作動させた。
瞬間、耳を弄する轟音と共に激しい熱をもつ爆風が毬川がさっきまでいたガソリンスタンドのほうから不意におとずれた。
「きゃあっ! ここにいてもすっ……ごい音ね」
毬川は轟音と爆風が弱まった頃を見計らい、自分が爆発させた場所を見て溜息を漏らす。
(あーあ。人を一人殺すってだけなのに、車一台無駄にしちゃったわね。あれでも保険降りるかしら? ……本当は中にあったガソリンタンクと時限爆弾をあの女の子が来る前にそれぞれ分けてあの周辺に配置しておくハズだったのに。ま、しょうがないか)
そう考えながら毬川は次の事について同じように考えを巡らせていた。
「さて、後はあの男の子だけね」
そう明るく言いながら、屯野の家の方、地獄のようになったガソリンスタンドの方へ毬川は引き返してゆく。
烏城はあそこで死んだとは思うが、通りがかりに確認くらいはしておこうと毬川は軽い気持ちで考えていた。
ふと、毬川の手に持った携帯が振動する。誰かからの着信だ。
(……こんな時間に私に電話? 誰かしら)
画面に映った番号を見るが、映っているのは相手の番号ではなく非通知という無愛想な文字だけだった。
それに顔をしかめながらも、毬川はしぶしぶ電話に出る事にした。
「――はい。毬川ですが」
「おぉ。毬川か」
毬川は聞き覚えのあるその声――老人の男の声に毬川は更に顔色を悪くした。
「その声……。何でアナタが私の携帯にわざわざかけてくるのよ」
ガソリンスタンドのほうへ向かいながら、毬川はぞんざいに言う。
ところが、その電話の相手――鵠沼玄宗――は毬川のその言葉を聞かぬうちに慌てたように捲くし立てる。
『すぐに戦えるように準備しろ。今そっちに奴が向かっておる』
結局、それから一分もしないうちに雅仁は車の鍵を手に戻って来て、急ぎ屯野を乗せ車を走らせていた。
屯野は父には烏城に指定された場所から少し離れた場所を伝え、そこへ向かうつもりだと言った。
「…………」
後部座席に座った屯野の前の運転席では父、雅仁が黙しながらハンドルを握って、人通りの無い夜の道路を猛スピードで走っていた。
「と、父さん、今信号が――――」
「急ぐんだろ!? 話しかけるな!!」
「あ……あぁ」
屯野は烏城が今、危機的状況に立たされているのも束の間忘れ、今自分の前で信号無視やスピード違反を繰り広げながら瞬き一つせず運転する父の後ろ姿を信じられない思いで見つめていた。
父は厳格かつ規則を守り真面目であり、正しく謹厳実直を絵に描いたような人物であったのを屯野は知っていたため、後部座席にいる屯野は目の前の父に計り知れない衝撃を味わっていた。
そして前を向運転していた父、雅仁は唐突に口を開き、淡々と言葉を出す。
「琢磨。どうしてお前がこんな時間に出かけるか、今、その理由は聞かない。だが……その内、お前自身が何か妙な問題を抱え込んで辛くなった時。その時はいつでも母さんや父さんが相談に乗ってやる。――解ったか?」
「…………」
屯野は雅仁の口から自分に対しこんなに言葉が出たのを久しぶりに感じながら、複雑な思いを感じていた。
雅仁は大手自動車会社の重要な役職についており、その責任ある重要な役職ゆえに国内外にある幾つもの支社へ赴く必要があった。屯野は出張が多く、一年の三分の一以上の時間を家の外で過ごす雅仁の事を仕事に没頭し、家族の事を省みようとしない無責任な父親だと思っていた。
事実、屯野が怪人に襲われ入院した際には父は――母もだったが――見舞いに来ず、結局見舞いに来たのは屯野の姉の雪沙だけだったのだから。
しかし、今、雅仁が言った事は屯野のそれまで抱いていた歪んだ父親像を根本から覆すものだった。
「――――」
そんな父にどこか後ろめたさを抱き、屯野は俯いたまま父の前で少しだけ頷いてみせた。
「……解ったならそれでいいんだ」
そしてその言葉の後、車内に再び親子の沈黙が生まれた。
共に何も言う事ができない今、屯野は自分がこれからどこへ何をしにいくのかと言うことを言いたい衝動に駆られた。
今これから行く場所では烏城が誰かの襲撃を受けたのか、恐らく電話の声の通り拘束され動けない体に苦しんでいる烏城がいるだろう。
そしてその近くでは当然、烏城を襲ったその『誰か』――考えるまでも無い。昨日の昼前に『クラム』へと屯野達を誘き寄せ、騙した詐欺師の毬川蝶子がいる。
その毬川との命を懸けた戦いが刻一刻と近づいてきている。――屯野の気持ちは戦いへの不安に押しつぶされそうだった。
しかし、そんな自分の父を、自分の事を思いやってくれる大事な父親を騒ぎに巻き込んでしまう訳にはいかない。鵠沼と取り交わしたTファージを一般人の誰にも打ち明けてはならないというルールもある。
屯野は決意した。
「……父さん。……もういいよここで降ろして。あとは自分で行くから」
しかし、屯野がそう言い終わる前に車はゆっくりと停車していた。
「妙だ……」
前にいる雅仁が誰に言うでもないように小さくポツリと呟いた。
「え?」
咄嗟に屯野は雅仁の顔を見る。その顔は変わらず正面を見たまま動かない。
「空がさっきから妙に明るいんだ……――――ん? な、何だあれは煙か……!?」
屯野達のいる場所、正面数十メートル先のその方向。それは丁度烏城が電話で屯野に知らせた十字路の場所だった。
十字路に面したある建物が大きな炎と黒煙を上げながら煌々と夜の空を照らしていた。
その光景が屯野の網膜に入った瞬間。屯野は急いで車のドアを開け、呆然とした雅仁に告げる。
「――と、父さんっ!! 頼むから今から家に引き返してくれ!! もうここからは俺が一人で行く!!」
父は建物が炎上するその光景を見て動揺しているのか、車から出て行く屯野に制止の声すらかける事は出来無かった。
車から降りた屯野は息を切らせながらも全力で疾走する。
知らず内に屯野のTファージが活性化し、常人以上の脚力を屯野に与えていた。
「麗那あぁっ!!」
屯野は黒煙を上げ凄まじい勢いで炎上する建物に近づいた。
炎上している場所はガソリンスタンドだった。
中では地獄のような業火と煙に包まれ、この世とは思えぬ光景があった。
屯野の直感はその場所にかつて麗那がいたと言っている。
「……れ、麗那」
屯野はすがる思いで三百六十度周りを見渡すが、他に人の姿は無い。その中、自分の足元にあるものが落ちているのを見て、屯野は震える手でおそるおそるそれを手に取った。
それはところどころが焦げた鳥の羽だった。
そして知らず内に活性化していたTファージは同時に屯野に発達した嗅覚をも与えていた。
「麗那の……羽だ」
その羽は目の前で火を放っているガソリンスタンドの中から弾ける様に空に散って地面へと落ちてゆく。
屯野は思わずその場で膝をつき、呆然とそのさまを眺める事しかできなかった。
それと同時刻。
ガソリンスタンドのあるその十字路を目の前二十メートルほどの距離に差し掛かった毬川は電話から聞こえる慌てた鵠沼の言葉に僅かに違和感を抱き、その言葉を思い返していた。
(今すぐ戦う準備をしろ? あのジイさんは何を言ってるのかしら……?)
歩きながらやがて毬川は、大きく息を吸って言う。
「なんなの? そんなに慌てちゃってみっともないわよ。それに……奴ってあの琢磨って子でしょ? 大丈夫よ。今、爆発音に気付いて向かったとしても、あの子の家からここに来るにはあと三十分はかかるもの」
そう言って、毬川は目の前で黒煙と炎を吹き出しながら燃え続けるガソリンスタンドのあった所を見る。
深夜の町の中でその場所は一際異様に明るかった。――そこに跪くようにしている小さな人の影がある事も毬川に気付かせないほどに。
「もう……。あの男の子がその内にここに来るなんて予想できてるわ。つまらない事でかけてこないで。じゃあ」
言って電話を切ろうとした矢先、待て。切るんじゃない、と鵠沼が懇願するような声を出した。
通話をいつまでも終わらそうとせず引き伸ばす老人に苛立ちを感じながら、毬川は携帯を耳元に近づける。
「何よ。アナタさっきから私に何が言いたいの?」
そして、電話を通して返ってきた鵠沼の返事は毬川にとって全く予想外のものだった。
『馬鹿、解らんのか? 烏城麗那だ。あいつはまだ死んでおらん』
「……え?」
通話はそこで強引に途切れた。
「……!」
突然横の方でした異音で屯野は烏城の死を感じたことのショックで失いかけていた意識をどうにか取り戻した。
「な、何の音だ……?」
音は続いていた。ドスッ、ドスッという何かをものすごい勢いで叩きつけるような音だった。屯野はその音が聞き覚えのある音とすぐに認識した自分に驚いていた。
連続するその音は次第に大きくなる。
屯野は慌てて目をガソリンスタンドから逸らし、音がする方を見る。
この時間は僅かな街灯が立つくらいで薄暗いはずのこの十字路の道路では今、熱をもった大きな明かりが周囲を昼のように明るく照らしていた。
そしてそのお陰で屯野の前、十メートル程にいる一人の女の姿が見える。連続する異音はその場所から聞こえていた。
そしてその女の姿を見たとき、屯野は目に映った光景を信じられず気が狂いそうになった。
「あ……あれ、は……」
その女は自身の黒く長い髪を振り乱し、子供のように無邪気な笑みを浮かべ、自分の足下にあるものを見ながら、何度も何度も音を立てながら踏み潰している。
その様は葡萄酒を作る過程である葡萄踏みを初めてするような子供のようだった。
しかし、その女が今踏みつけているものは葡萄ではなく、紫のタートルネックに灰のスラックスに身を包んだ、毬川蝶子だった。
時折、カシャリ、という音が肉を踏む音に混じって微かにするが、それは毬川が持っていた携帯電話が幾つもの電子部品となって女に踏みつけられる音だった。
何度も踏み潰され、毬川の人としての原型が無くなっても尚、その女――黒い髪をし、ワンピースに身を包み、腕に翼長数メートルほどの大きな白い羽を生やしたその女は鉤爪のついたニワトリような細い肢で毬川を力の限り踏み潰していた。何度も。何度も。
次第に音はグチャリという音に変わってゆき、次第に烏城の足元にいた毬川は骨や内臓まで潰され、ドロドロした物体へとその形を変えていた。
屯野は毬川が踏まれ、その体が血まみれになって形を変えてゆくその様子を黙ってみる事しかできなかった。
自分の目が信じられない。目の前で毬川を足蹴にしたその女は紛れも無い烏城麗那その人だった。
断続的に続いていた異音がやみ、烏城は足元で踏んでいたものが見るも無残な轢死体になったのを今初めて気がついた風に、あっ、と小さく驚きの声を漏らす。
「ありゃりゃ。あたしもうこの女の人、やっつけちゃったんだ」
そう目の前の烏城は子供のように言って、明るい空を退屈そうに仰ぐ。
「つまんなーいなっ……あっ」
その瞬間。前にいる烏城が初めて屯野を視認した。その表情は新しい玩具を見つけたような期待に沸く子供の顔だった。
「おーい屯野君! 待ってたんだよーっ!」
屯野に向かってぶんぶんと手を振りながら烏城は同じく明るい口調で言ってゆっくりと屯野の方へ歩み寄ってくる。そして、屯野はその言葉を聞きながら、屯野は目の前の烏城に吐き気を催すような違和感を感じていた。
(な、何だ……!? あれは、麗那なのか? 俺の前にいる女の子は間違いなくそうだ……。で、でも電話をくれた時の麗那が怯えていた様子、恐怖している様子が……今の麗那の顔には全く無い……!)
屯野は反射的に前から歩み寄ってくる烏城に――
「――待て。動くな」
「? どうしたの?」
「お前……誰だ?」
「へぇ? 烏城麗那にきまってるじゃん」
「ふ、ふざけるなよ……! 烏城麗那はそんな風に、人を殺したすぐ後で明るくいられるような、お前みたいに無神経な奴じゃない!」
「…………」
「烏城麗那は俺の事を初めて名前で呼んでくれた……俺の……大事な大事な友達なんだよ!! ……お前は麗那じゃない。誰だ……誰なんだ!!」
「別に。誰だっていいじゃん。そんなの」
不機嫌そうにそう言いおわった後、突如、目の前の烏城の様子が一変する。
烏城の体中の羽毛と言う羽毛が意志を持ったように小刻みに音を立てながら震え、やがて、烏城の着ていた服の首元から覗く肌から一斉に羽毛が内側から生え、たちまちそれは烏城の首全体を一瞬で羽毛で覆い尽くし、烏城の頬のあたりまでも小さな羽が生え、やがて止まった。
「――ねえ、それよりもさぁ」
やがて、烏城は屯野の前で両腕を水平に思い切り開いてみせる。
バサッという羽毛同士が擦れる音がし、烏城の翼が展開された。
烏城の両腕から生えた翼の巨大さに屯野は圧倒された。
かつて、牛男との戦いの際、屯野は腕を翼に変えた烏城を見たことがあった。それは両方の翼で計十メートル程度の翼だったが、今屯野の前で広げられた翼はその軽く四倍以上はあり、大量の羽同士の擦れる音が、屯野には恐ろしく聞こえた。
十字路の丁度中央に立った烏城は両翼五十メートルの巨大な翼を広げ、呆然とする屯野の前で満足そうに微笑んでみせる。
「折角ここに来たことだし、あたしの相手してくんない? 今、無性に誰かを傷つけたくてしょうがないのっ!!」
その言葉が合図だったのか、烏城は言葉の後で巨大な翼を一度羽ばたかせ、そのたった一度羽ばたいただけで烏城の体は打ち上げられたロケット花火のように、あっという間に屯野の遥か上空へ羽を散らせながら舞い上がった。
「な――――」
飛びあがった烏城がどんどん小さくなるのを見ながら驚きの声を漏らすが、それも一瞬で屯野は自分でも訳が解らない言葉で叫び声を上げながら、すぐ前へ全速力で走り出していた。
その数秒後。屯野の背後数メートル程で、隕石が落ちたような衝撃音と地鳴りが響き渡る。
上空に舞い上がった烏城が獲物を狙う鷹のように肢から真っ直ぐに落下してきたのだ。
(う、嘘だろ? 何で硬い道路のアスファルトが烏城の体が落ちてきただけで、あんなに砕けてんだよ!!?)
土煙が落ちてきた烏城の周囲を舞う中、巨大な翼を生やした烏城は翼をはためかせ、煙を払う。そこに立っていた烏城は骨が折れている様子も無く、痛みすら感じていないのか変わらぬ笑みを屯野に投げかけていた。
「あっれ、意外と素早いねー」
とぼけた声を出しくすくす笑う烏城の声も聞かず、屯野は出来るだけ烏城から反対側へと走ってゆく。
「畜生! 何がどうなって……んだよ! ド畜生おおお!!」
時々足を縺れさせながら、叫び屯野は更に速度を上げるべく腕を大きく振り、走る。
「屯野! 止まれ!! 烏城は今お前を追っていない!!」
「――え、今の声……」
急に屯野の耳に若い女の声が入ってくる。聞き覚えのあるその声に思わず屯野は立ち止まり、声がした方を見る前に烏城の方を見る。
そしてその言葉のとおり烏城が追ってくる様子は無い。
安堵すると同時に屯野は声がした方を見る。
そこにはドレス姿の若い女――に変身した鵠沼玄宗の姿があった。
鵠沼は傷一つ無い屯野の姿を見て、口元を緩め安堵の溜息をつく。
「……はぁ、良かった。お前が殺されなくて」
屯野はその安堵の理由が気になったが、それよりも今この場に鵠沼の姿がある事の理由と烏城がおかしくなっている理由とが頭の中で結びつくのを感じ、思わず鵠沼に詰め寄った。
「おい、『あの麗那』はお前がやったのか? お前が麗那に何かしたのか!?」
しかし、鵠沼はばつの悪そうな表情を浮かべるだけで、いつものような全てを知るような笑みはどこにも無い。
やがて、鵠沼は言う。
「ワシはあの後で、あんな事になるなどとは思っていなかった。……今でも信じられん。どうやら予想外の事が現実に起きてしまったようだ」
「何?」
「あれは……『奴』は……恐らく自意識を獲得したTファージなんだ。烏城の持つ鶏のDNAを持ったTファージが宿主の烏城麗那を脳まで乗っ取ってしまいおった」
「そん――――な」
思わず屯野は言葉を失った。