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「第二十九話」


「第二十九話」


夜の十字の交差点。

その中で烏城は今、激しい疲労を感じていた。

「はぁっ……! はぁっ……!」

烏城はその交差点の道路沿いにあるとある看板の天辺で、遥か下にいる一人の女を視界に入れながら荒い息をついていた。

「ねえー、アナタさっきからそんなちまちました降下ざまの攻撃で私を殺れると思ってんの? そのほっそい前肢まえあしで引っ掻くくらいじゃ私は痛くもかゆくもないのよ?」

下にいる肉の鎧を纏った毬川が頭上の烏城をあざけるように言う。

(そんな事……解ってるのに……!!)

烏城は今、自分の不利を悟っていた。

それは決め手となる銃器を飛翔中に使えないと言う欠点だ。

本来、この武器は狙撃用であり、銃器にあまり知識のない烏城はその武器が持つ欠点に気がつけなかった。

その武器の弱点とは射撃の時点で両腕が完全に塞がる事、そしてこのエアライフルと言う銃は一度発砲した後は一回一回レバーでマガジンを回転させる必要があり、それゆえ連射性がなく不規則に動き回る毬川のような標的には殆ど命中させる事は出来ないと言う事だ。

毬川という敵はその発達させた嗅覚で烏城の位置を常に把握する事ができ、背後から狙撃する事は絶望的だ。

更に、咄嗟の射撃ができないと言う点もあった。

烏城は上空を移動する為、自身の両腕を翼へ変えて飛翔するのだ。

しかし、その間は烏城は銃を撃つ事すら出来ず、更には毬川に構える事も出来なくなる。

この時点で烏城の持ったエアライフルは本来の性能を発揮することなく、無用の長物と化していた。


一方で烏城は毬川の手の届かない空中へ飛翔できる翼がある。それは烏城自身大きなアドバンテージになると考えていたのだが、今烏城のいる場所は国道の十字路だ。当然、建物や電柱などの人工建造物は多く、その電柱の上部には烏城の飛翔を制限する蜘蛛の巣のように複雑に張り巡らされた配電線があった。大きな翼を持つ烏城の空中での行動はそれによって更に制限される。


不利な状況に立たされ、効果的な攻撃の見込めそうに無い今、毬川の手の届かない所にいる烏城は真下、豚と人の中間のような奇怪な姿で烏城を見上げながら狂喜の笑みを浮かべる毬川に恐怖すら覚えていた。

羽ばたきざまに何度か肢で顔などを狙ってみるが相手の動きは思ったよりも俊敏で、飛んで向かってくる烏城を視界に入れているため、初めの内は何度かかすりはしたものの今では烏城の攻撃は読まれてしまっている。

豚の筋組織を持つ相手の力は強靭で、あの牛の怪人、市ヶ谷ほどではないもののまともにやり合えばあっという間に組み伏せられてしまう。

(どうしよう……どうしよう……どうしよう……)

今この瞬間。烏城麗那は自分が真下で様子を覗っている毬川に対する攻撃の糸口を見出せず、絶望の淵に立たされていた。

今すぐ羽ばたいてこの場から逃げる事も出来るだろうが、そうした所で死ぬのが今日か明日になるかの違いだ。

毬川は今日から先、自分を殺そうとした烏城を決して許すつもりはないだろう。

「ねえ、麗那ちゃん? さっきからそこ動かないけどどうしたのかなぁ? 私との力量の差にビビッて降りて来れねえんじゃあ――ないわよねぇ?」

烏城は自分がからかわれている悔しさにギリ、と奥歯を強く噛み締める。

「……ッ! 誰が……!!」

そう言いながら烏城は今まで恐怖していた自分を奮い立たせ、両腕を二秒足らずで巨大な白翼に変化させ、真下にいる毬川へ向かって足に生えた鉤爪の一撃を食らわせるべく、降下する。

その様はさながら獲物を駆る猛禽のようだった。

しかし、その獲物――毬川――は口元に不気味な笑みを浮かべたままその上空から見舞われた蹴りの一撃を身を翻し、難なく避ける。

そして、烏城は再び大きな翼を動かし、上空へ逃れる為再び羽ばたこうとする。だが、その細い鉤爪のついた肢は今、毬川の人のような太い五指の生えた強靭な手に掴まれていた。

「しまっ――――!?」

思わず自らの失態を悟り、声をあげる烏城だったが肢を掴まれた今、烏城がどれだけ空へ羽ばたこうともそれは叶わなかった。

「捕まえたあっ!」

Tファージで構成された毬川の奇怪な手は烏城の肢をしっかりと掴み、離さないまま毬川は手に持ったそれを鞭のようにしならせ、目の前にあった建物の一つへ烏城の体ごと投げ飛ばした。

烏城の細い体が突風に突き飛ばされるようにそこにあった建物の壁に激突し、腕の部分にあった羽からは白い羽を幾枚も散らせ烏城は声なく、咳をしながら衝撃の苦しみにあえいだ。

(落ち着け……! 私の体のTファージを使えばこんなダメージはすぐに治るんだから……!)

烏城はそう自分自身にげきを入れつつ、懸命に回復していく自分の姿を脳内でイメージする。烏城の思考したイメージに従いTファージが作用したちどころに烏城の全身の痛みがひいてゆく。――――大丈夫、まだ……まだやれる。

烏城は目の前に目を凝らし、懸命に毬川の姿を探す。

鶏のTファージを持つ烏城には鶏と言う生物本来が持つ機能上、屯野達のように嗅覚を発達させ、相手の居場所を探知する事は出来ない。

毬川に投げ飛ばされたばかりで若干恐慌状態にある烏城は狂ったように辺りを見渡し、毬川の姿を探す。自分の背後、側面、正面。どれほど目を凝らそうと、毬川の姿はどこにも無かった。

(そんな!? どこに行ったの!?)

毬川がどこにもいないので、思わず烏城はまさかとは思いながら空を仰ぐ。

そこに夜空は無かった。代わりにあったのは鉄筋で出来た丈夫で重苦しくも明るい白の色彩に彩られ、幾本もの柱の上に立つ巨大な天井だった。

やがて烏城が目を降ろした瞬間。突如正面から迫り来るものがあった。それは突如スピードを上げ猛進してくるワンボックスの車だった。――そのフロントガラスから運転席に座った一人の女の顔が見える。毬川だ。

「あはははっ!」

フロントガラスを通じてでも聞こえるほどの毬川の甲高い笑い声を聞いたので最後、向かってきた毬川の乗った車と衝突した烏城の体はまるでサンドイッチの具のように壁と車の正面部の僅かなボンネットとの間に勢いよく挟まった。

「――――!!!!」

金属を削るような叫び声が烏城の耳に聞こえた。誰の声かと思ったが、それが自分のあげた叫び声だと烏城自身が気付くのは車と衝突してから数秒たった後だった。

体の傷はTファージでの修復が利くので、挟まれた臓器もどうにか問題無くとりあえず死ぬ心配は無かった。しかし、車と壁との間で挟まれた烏城はその場から身を動かせなかった。


割れたフロントガラスから中にいる毬川を目の前にして一歩も逃げる事の出来ない烏城はその中で自分の犯した失態を悟った。

Tファージで変身した毬川の姿を烏城が探している時、毬川はその時既に人の姿に戻り、対決の十字路の地点まで乗りつけた自分の車の中に戻っていたのだ。

そして、大きな肉の鎧を纏った毬川の姿のみを探すあまり、烏城の方へ徐々に速度を上げ正面からゆっくりと向かってくる人の姿をした毬川の乗った車に今の今まで気がつかなかった。

恐らく車に乗った毬川は加速する際に出るエンジンの回転音を抑えて徐々に車を烏城の方へ加速させ、烏城が車に気付かず、かつ避け切れない距離に近づいたその瞬間急加速し、烏城の体めがけ車を突進させたのだ。


毬川は烏城の精神状態やその他思考、行動を完全に把握している。詐欺師である毬川は人心掌握に誰よりも長けていた。


今、壁と車のボンネットとの間に挟まれ動きを完全に拘束された烏城は為す術なく、毬川の前で完全な敗北を味わっていた。


「ああっ。もうっ、邪魔ね!」

苛立った毬川の声が烏城のすぐ前から聞こえる。

毬川のいる運転席の場所には追突した衝撃の為、車のエアバックが開いて、車内にいた毬川の身を圧迫していた。

その中、毬川は膨張したエアバックの開いた車内で腕を苛立ち紛れにがむしゃらに振り回して、悪態をつきながら車の外へ出ようとしている。三度目の悪態が吐かれた時、ようやく毬川は車の中から這い出てきた。

車の中から出てきた毬川は荒い息こそついていたものの、やがて烏城を見つめると、その表情は喜色満面きしょくまんめんの表情に変わり、車体と壁に挟まれ身動きのとれないでいる烏城を見つめては心の底で喜んでいるようだった。

そして、その口元が烏城という動けない獲物を目にし、ゆっくりと開く。

「……もう逃げられなくなっちゃったわね。お嬢ちゃん?」

「…………」

烏城は目の前で笑う毬川に言い返すことの出来ない自分が悔しかった。烏城は視線を落とし、極力視界に勝ち誇った笑みを浮かべる毬川を見ないように努めた。しかし、毬川の甘ったるい声までは消えなかった。

「ホント、吃驚びっくりだわ。車に轢かれても死なないなんて。どうなってんのかしらね? Tファージに感染した私たちの体って? 私がさっきアナタに撃たれてつけられた顔の傷もあっという間に治っちゃうし、やっぱりあの鵠沼とか言うジイさんの言葉は本当だったみたいね」

烏城は自分が毬川と一緒にされたことに憤りを感じていたが、それ以上に鵠沼からTファージの治癒作用について聞き及んでいたと言う事に驚きを感じた。

「あの人から……何を聞いたの……?」

ジンジンと治癒が追いつかず、体の中で未だに疼く痛みを堪えながら烏城は毬川に問いかける。

「別に。ただアナタ達が今日の昼ごろ『クラム』から出た時に私、あの人と少し話したのよ。話してるうちにあのジイさん得意げになって私にいろいろ話してくれたわ。アナタ達も知ってるTファージの色んな事をね。変身や治癒、Tファージの副作用。あと『アナタ』の事もね。知ってるのよ? 私。アナタが他のTファージ感染者とは違う特別・・な感染者だって事を」

その言葉に烏城は微かだが心当たりがあった。

「特別……?」

「そう、Tファージ感染者は通常、頭部が激しく損傷すると治癒も出来なくなって、普通の人間と同じように死ぬんですってね。でもアナタは前回の戦いでは頭部を砕かれても生きてたそうじゃない?」

「…………」

その時の事は烏城の記憶にも無い為、烏城はその答えに答える事ができなかった。

後になって屯野や鵠沼にその事を告げられたものの烏城にとっては自分が損傷した頭部の復元を行った訳ではない為、実感が持てていなかったのだ。――故に烏城はその毬川の問いに何も答える事ができなかった。

毬川は答えが無いのを肯定だと受け取り、満足した顔で続ける。

「私が戦う相手がそんなのじゃ私にとっては随分不公平な話よね? アナタだけそんな力があるのなんて卑怯よ」

それを聞いて、烏城は痛みを感じながらも思わず噴出ふきだしてしまった。

「ふふ――――あ、あなたから『卑怯』だなんて言葉が出るとは思いませんでした」

その言葉を言い終わった瞬間。毬川は表情を一変させ、突如毬川の手が烏城の顔の前に伸ばされ、乱暴に烏城の頭が強く掴まれる。

烏城のすぐ目の前に迫った毬川の表情は怒りに醜く歪んでいた。

「――はぁ? 死にかけの分際で……クソガキが大人を馬鹿にしてんじゃねえぞ」

毬川の勝ち誇っていた態度は既に失せ、弱者をいたぶる強者のそれへと豹変する。口調の変化からもそれは明らかだった。

「ま、いいわ。もう最後だろうし許してあげる」

毬川は明るくそう言って、烏城の頭を掴んでいた手を離し、踵を返す。やがて毬川は烏城に背を向けたまま一歩一歩と烏城のいる方から離れてゆく。

その毬川の行動の意図が理解できず、挟まれ動けない烏城と背を向け歩いてゆく毬川との距離が六メートルほどになった時、たまらず烏城は声をあげる。

「……に、逃げるんですか?」

そう問いかける間も毬川は歩くのを止めなかった。烏城と毬川の距離は少しづつではあったが開いてゆく。

毬川はそのまま烏城に背を向けたまま答える。

「ええ。そうよ逃げるわ。だって例え私がTファージで肉体を強化してアナタの体をミンチみたいにした所で、頭を砕かれても平気なアナタはきっと元通りに復活するんだもの。それじゃキリが無いし何より面倒くさいわ」

「…………」

その言葉の後、烏城の中で僅かな安堵が生まれたがすぐに思い直した。

烏城が頭を砕かれても死なないと、自分が戦っても倒せない相手だと知りながら何故、戦いに烏城をこの場所へ呼んだのか。

烏城は毬川蝶子という詐欺師が烏城に対し始めから勝てない戦いを挑もうするような無意味で無価値な行動を取らない人物である事を身をもって知っていた。

しかし、そう考えても烏城には去り行く毬川の行動の意図がまるで解らなかった。

(ならどうして? どうして、あの人は今まで倒そうとしていたはずの私から逃げていくの……!?)


「ねえ、いい事教えてあげよっか」

唐突に、背を向け歩いていた毬川が身を翻し烏城の方を向く。その芝居がかった仕草と言葉に烏城はとっさに嫌なもの感じ、思わず総毛だった。

「アナタの前にあるその車の後ろに何が積んであるか? 特別に教えてあげる」

少しの間の後、毬川は何ら変わりない口調で烏城にあっさりと告げた。

「車の後ろにはガソリンの入ったタンクと、あと私の今持ってるこの携帯電話で起爆出来る小さな時限爆弾それぞれ四つづつが積んであるの」

「な……!!」 

毬川はそう言いながらスラックスのポケットの中から携帯電話を取り出していた。――おそらく、その携帯電話は体を巨大な肉の鎧で覆い変身する前に車の中にあらかじめ入れていたのだろう。

携帯電話を取り出した毬川の姿を見て烏城の嫌な予感が確信へと変わった。

動揺と共に動機が急速に早まるのを感じている。

烏城の腕や足は極寒の地にいるように意思に反してガタガタと烏城の中の恐怖を表しているように大きく震えていた。

死への恐怖が烏城の中で加速度的に膨らんで、烏城の心を瞬く間に押し潰している。

その正面にいる毬川は恐怖に震える烏城を見ながらニッコリと微笑んで、

「それに、今あなたが動けないでいる場所は丁度ガソリンスタンドの中。幾ら回復する力が凄いアナタでも、何千度の熱と何キロトンもの爆圧をその体にいっぺんに受けたらひとたまりもないわよね。――言ったでしょう? 私はげるって。ま、私が爆発の被害を受けないだけの距離に行くまで、せいぜい短い余生を楽しんで頂戴ちょうだい

それじゃあね。毬川はそう言って、再び烏城に背を向け歩き出した。

「そ……そん、な……死ぬの……? 私……死んじゃう……の……!? い、嫌……いや……いやぁっ……!!」

いつしか烏城の口からは押さえきれなかった嗚咽の混じった声が漏れていた。

何も考える事が出来ない。

ただ、車と壁とに挟まれ、身動きのとれない烏城は己の状況にただ一人絶望するしかなかった。

少し先では、背を向けて歩く毬川が先ほどと同じ散歩をするような歩調で携帯電話を片手にして烏城から離れてゆく。

逃げる事の出来ない烏城はただ、逃げ行く毬川の背中を見つめる事しかできなかった。

目からは涙が溢れていた。

「いや、いや、いや……そんな、だ、誰か……! お願い……誰か助けてっ……! 助けてっ……!!」

震えながら懸命に声を張り上げるが、日付が変わろうとしているこの時間、辺りには人は愚か、通りがかる車すらなかった。

その声の後には夜の闇と耳が痛くなるような静寂が残るだけだった。

しかし、恐慌した烏城にはあたりには誰もいないという状況が解らず、ひたすら声をあげせいにしがみつくべく足掻あがき続けた。

「だっ、誰かっ……!! 誰かあっ……!! ――――あ」

その時、烏城の自由だった手が腰にふれ、そこには烏城の体の一部ではない人工的で硬質な感触があった。

それは烏城の持っていた携帯電話だった。


――屯野君に電話をしないと――


気付けば烏城の脳裏にはその言葉が浮かんでいて、烏城は自然とポケットの中の携帯電話を取り出していた。




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