「第二話」
西暦2026年 七月 日本 神奈川県 天見町
『みっんなぁーっ! げんきぃー?』
そう言ったのはピンクを基調にフリルのついた下着と見間違うような衣装に身を包んだ長いピンクのストレートヘアの一人の少女だった。
少女は片手にはマイク、もう片方にはテレビアニメで出てくるような魔法のステッキを持って、広く、様々な色の照明に満ちた光のステージを駆け回っている。
その少女は楽しそうな笑顔を浮かべ、ステージの両側面に置かれた巨大なスピーカーから流れる明るいBGMにあわせ踊ったり走ったりしている。
『みんな、わたしがいない間とってもとっても……さみしくなかったー?』
少女の目の前の会場の観衆達がそれに答えるように大きく沸く。
「寂しくねえ……よっ」
観衆の声に上乗せするようにそう言って、屯野琢磨はおもむろに学習机に置かれたコーラの入ったコップを口元へ持っていく。中の液体を全て飲み干すと、屯野は口元をぬぐって目の前のライブ会場ではなく、そのライブ映像が映し出され、暗い部屋の中煌々と輝くノートパソコンのデスクトップへ改めて注視する。
そこには屯野が中学生の頃からこの春から高校生になったばかりの今まで贔屓にしているバーチャルアイドル『夢野れむ』の姿があった。
そこでは、扇情的な衣装に身を包み、アニメのような大きな目、白い肌をした少女――『夢野れむ』が光に満ちたステージで手に持った魔法のステッキを振り回し、目を引く長いピンクの髪の毛をなびかせ、くるくる回りながら妖精のように踊っていた。
その際に少女の身に着けているフリルのついた短いスカートがはためき、その度に歓声は大きくなるように見える。
足、腰、顔。少女を愛でる、と言うには少し性的な意味合いの強い、妖しいカメラワークは屯野の目の前のノートパソコンの画面に大写しになる。
何れもその造形は人間本来の骨格を成しておらず、漫画の登場人物のような造形――異様に長い手足、歳不相応なほど起伏のある大きな胸――をしていた。年齢で言えば十二~三才程だろうか(尚、夢野れむ公式ファンサイトによれば、れむの年齢は十五歳という設定が表記されている)。
そのノートパソコンの画面の放つ光に浮かび上がっている屯野は画面の少女とは対照的に大柄で肥満体系。彼の着た黄色の袖の短いTシャツは、汗を吸いすぎたのか色あせ、だらしない脂肪で膨れた屯野自身の腹をこれでもかと主張させている。
屯野は『夢野れむ』の映像を見るのにあまりにも慣れているのか、感情の無い顔で瞬き一つせぬまま、ゆっくりとその両手を彼の擦り切れたジーパンの膝の上に乗せる。
屯野の見ている映像は、四年前からインターネット上で話題になったバーチャルアイドル『夢野れむ』のライブ映像だ。
ライブとはいえ実際に流れている映像は事前に加工され作られた物なのだが。
屯野のようにその映像を鑑賞する『観客』と呼ばれる人たちは流れる映像に対し、それぞれ思い思いの文章をパソコンへ打ち込み、それらがリアルタイムで『観客の声』として画面内の会場で発せられる。
画面を見たままの屯野は膝から手を上げ、太い指先がキーの上を滑らかに動き、ノートパソコンのキーボードを素早く叩き、屯野は画面の中へ『屯野の声』を出力させる。
打ち込む単語と同じ言葉が屯野の口から出る。
「前置きいいから、早く歌えっつーの」
棘のある声で、屯野は目の前のバーチャルアイドル『夢野れむ』へ対して痰を吐き出すように言う。嫌悪すら含むような屯野の言い草だが、これは屯野の本心ではない。待ちわびた感情を表に出すのが苦手なだけだ。
やがて、画面内のステージに流れていたBGMが消え、レーザー照明も消え、ステージの真ん中で綺麗に足をそろえて、夢野れむはこちらに向き直って両手にマイクを持ち、ステージの真ん中にたたずんでいた。――最初に彼女が持っていたステッキは開幕時の演出の際の小道具だったのだろう。いつの間にかそれはひとりでに消えていた。
夢野れむの顔が大写しになり、そのれむの表情は目に涙を浮かべながらも、白い歯を見せて笑っていた。その人工の少女の表情はいたいけで、愛くるしく、けなげな印象を画面の前にいる観客たちに与えていた。
『……ぐすっ、ご、ごめんなさい。わたし……ほんとに、ほんとにみんなと会えなくなるかと思ってたの』
「あー……ホントだよ。延期、延期で二ヶ月も待たせやがって『れむ』のアップグレードすんの長すぎんだよクソ」
画面に映る少女と話すように屯野は傍にあったコップに二リットルペットボトルのコーラを注ぎながら早口で悪態をつく。
早口になっているのは屯野も無意識の事で、彼はそうやって身の内の焦燥感を露にしていた。
最新型の合成音声ソフトを通して出力された夢野れむの声は十二歳ほどの容姿そのままに幼い少女特有の高音だ。れむ自身の表情とあいまってあたかも夢野れむが本当の人間のように見える。
画面の中の夢野れむは健気に観客へ対しての感謝の言葉を紡いでゆく。
屯野は次第にその言葉に対して冷やかしていたのが、やがて屯野は夢野れむの姿を何も言わずに淡々と見入っていた。
「…………」
学習机の上で頬杖をつきながら、屯野は瞬きの間すら惜しむように言葉をつむぐ夢野れむに見入っていた。
デスクトップに映るのは夢野れむの『あどけない』笑顔。
夢野れむはステージの上で謝辞よろしく観客に対して話しているが、屯野自身は話の内容などには一切興味が無かった。
屯野自身にとって重要なのは、ただ露出の高いフリルのついた衣装を身にまとったかわいらしい少女がいるその一点だった。
屯野にとってはこの映像を見ている観客たちの半数が思うような、歌のメロディラインだの、応援意識だのは全く無い。
屯野の中にあるのはただ画面の中の『少女』がかわいいと言う一点だけだった。
要するに屯野はビジュアルしか目に入らないミーハーなのだ。そして、屯野はこの少女に数年前から御執心なのだ。
(カワイイなぁ……。あーやっぱ癒されるわコレ)
頬杖をついた無表情で屯野は夢野れむに見惚れていた。
屯野は日々の学校生活や家庭のことで嫌な事があった場合には気晴らしとして、このように可愛らしい空想の女の子の映像を見る事でそうしたストレスを解消していた。
ただ最近はその頻度が増えつつあり、屯野は休日の今もこうして部屋に閉じこもってパソコンに向かっている。
屯野の自室である部屋の中は暗く、窓には遮光性のカーテンが閉められていた。
普段は窓も開けているのだが、今日のように『楽しみ』を得ようとする際は他の物から意識を逸らすため、屯野はわざわざこのような事をしている。彼自身は世間一般で言われるような引きこもりではない。
『うん。……それじゃあいくよっ! まずは一曲目。みんなのアンケート投票でトップだった、わたしにとっても思い出深いこの歌いくねーっ!!』
全てを話し終えた夢野れむは流れてくるイントロのリズムに合わせてゆっくりとステップを踏む。
真っ暗な部屋の中、パソコンの画面に照らし出された屯野の目が期待に一際輝いた。
「おっ、きたきた……!」
突如、屯野は耳の後ろに気配を感じた。その瞬間。
「ぐ――あつっ!! 何だ――」
首の後ろに刺激が走って屯野は後ろの方へ振り向きかけるが、
「ん? ――お、おおっ……!」
屯野はパソコンの画面へ身を乗り出す。
曲の前奏が軽やかに始まり、夢野れむは体操選手のようなアクロバティックな踊りで広いステージを縦横無尽に動き回る。
その際にカメラが彼女の全体の動き、顔、体の一部、更にはスカートの下の局部を覆った下着に至るまで細大漏らさず追ってゆき、その生地の模様が屯野のパソコンの画面に大写しになる。
屯野はそれに釘付けになり、首に感じた正体不明の痛みの事など直ぐに忘れていた。
それと同時に――
「まず一人目――か。……ひひ」
突如、出所不明の老人の声がした。
しかしその声はパソコンの画面を食い入るように見つめている屯野の耳に届く事は無かった。