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「第二十六話」


「第二十六話」


同日 午後11時55分


今日行われる予定のその日の集会の会場は今、熱狂的とも言える様相ようそうていしていた。

この『集会』と呼ばれる週一度行われる会合は最近開始されたものらしいのだが、参加者が倍々に増え続け三回目となる今では二百五十人を超すその集会の参加者がいる。

彼らが一同に会するその場所は県内のとある小ホールであり、二百五十人の『変革者』と呼ばれる参加者たちがそのホール内にいくつもある折りたたみ連動式のパイプ椅子を所狭しと埋め尽くしている。

隣り合った席の人同士の肩がくっつき会う狭苦しい中、それでも皆期待に満ちた表情でステージの方を真っ直ぐ見つめていた。

年齢は主に四十から六十までの女で、何れも昼時のスーパーなどでパートタイムで働いているような主婦が多い。

会場にいる『変革者』達のその性別、年齢の統一ぶりは一種の美意識すら感じさせる。


(全く。これじゃ、婦人会か何かじゃないか……クソ、何で僕はこんなところでいるんだ)


観衆に囲まれた中、そう心の中で密かに毒づいたのは会場近くの病院、名皇大学医学部付属病院で研修医を努めるうらわかき二十四歳の青年、古宮昭一ふるみやしょういちだった。彼は今さっきまで着ていた白衣から私服姿に着替え、一人この場にいた。

古宮は今年の四月より希望通り無事、都心に近い病院で研修を行えることに小躍りしていたがしかし今、自分がこの場にいること、そしてそれに至るまでの経緯を振り返って自らの不運を実感していた。


事の始まりは先月、七月に来た妙な一人の急患だった。

殺人現場のあった現場から傷一つ無い状態で昏睡状態の少年だったらしく、その前例の無いケースがよせばいいのに、よりによって古宮の研修先である病院に運ばれたのだ。

この時点で古宮は自分の不ヅキを呪ったものだ。

しかし、一度の不ヅキはそれだけに終わらせてくれなかった。

なんと、その病院の嘉田かだ院長じきじきに救命治療を阻まれてしまい、別の医師を担当させたのだ。

訳のわからぬまま、嘉田院長はその場にいた古宮たちにすまない、と気がかりな一言を残し最後までその理由を告げぬまま去っていった。

そしてその次の日に運び込まれた少年には責任を取るつもりで彼の主治医を急遽勤めていた嘉田院長から直々にその日のうちに退院が言い渡された。

自分の研修先の病院で理由の解らない事がこうも次々と起こるのか、と古宮はその日身の震えすら感じていた。

事実、少年が急患で運ばれたあの日は往来で五人の人間が無残に殺されていたらしい。とはいえ、その悪夢のような日が終わった後は日々の学習に忙しい事を除けば極めて平穏だった。そう。古宮自身の不幸もそう長続きはしない。闇の底のような真っ暗な夜の後にくるのは光り輝く日の出であり朝なのだから。

古宮はそんな日常のバイオリズムを感じているときだった。つい今朝病院の廊下で、一人の医師とすれ違った。それは悪夢のようなあの日、自分が急患に対する不安を打ち明けた老練ろうれんな先輩医師だった。

古宮がすれ違いざまに形式のみの挨拶を送ると、その先輩医師は事もあろうか自分を呼び止めたのだ。


「おい、古宮だったか。その……すまないが、今日の十二時にとある場所で集まりがあるらしい。それで……言いにくいのだが私に代わってそれを見に行ってもらえないだろうか。今日はこの後どうしても外せない用事があってな」

「は……はい?」

思いつめたような顔でその医師に言われ、古宮はその時困惑した。

「ほら、どうか受け取ってくれ。その集会の行われる場所の書いた紙が中に入っている」

そして、その医師は古宮の困惑を無視するように、それ以上何も言わないまま懐から封筒を取り出し古宮の手をとり、強引に渡す。

「え……ちょっと……え?」

封筒には確かな厚みと重さがあった。明らかに紙一枚が入っているような重さではない。

「な、何ですかこれ?」

中身におおよその見当はついていたものの慎重に頭の中で言葉を選びながら古宮は目の前の老練な医師におずおずと尋ねる。

「いいから中を見ろ」

短く言われた言葉を受け、手で封筒の中身の感触を確かめながら、失礼ながらもその封筒の中身を慎重に覗き込む。

信じられないほどに封筒の中を見た自分の目が驚きに見開くのを感じる。

その中身は古宮の意志を揺らがすほどの万札が束になって入っていた。その額はおよそ六~七万は下るまい。

「――意味はわかったな。それは全部お前にやる。すまないが頼むぞ」

その金額に驚くあまりに何も言えず、気がつけば古宮は札の入った封筒を持ったまま廊下にただ一人残されていた。


(初めは怖かったけど、でも検索サイトでもすぐにこの主催者の名前が引っかかったし、これはそんなに目立って怪しい集会じゃなさそうだけどな……、まぁ、つい最近出来た新興宗教ってところか)

今、古宮は訪れた封筒の中の紙に書かれていた場所の会場のパイプ椅子の座り心地の悪さを感じながらも、心の中で苦笑して見せる。


――新興宗教か。まぁ、全く怪しくない訳でもないけどな。


封筒に札と一緒に入っていた白紙のコピー紙にはいま古宮がいる場所を示す簡単な地図とこの主催側の団体名がボールペンで走り書きされていた。

高次生命変革会こうじせいめいへんかくかい』(通称・高革会)。この七月上旬、神奈川県の天見町で設立された宗教団体らしい。

――らしい、と言うのは開設して間もない宗教団体であり、まだ信者や収支も安定していないという理由からまだ法人格をとる段階には至っておらず、来春には法人格を得て、公式な宗教団体になるそうだ。

(――ってここまでの情報は検索サイトで調べたここのサイトにも書いてあったけど……教義、沿革……これとかは見ても正直よく解らなかったな……)

そう言った古宮のズボンの尻ポケットには会場について数分前に読むのをやめた入場前に配られた手製のパンフレットが丸めてあり、その中へ刺さっていた。

まだ始まらない集会にも居心地を悪くしていた古宮の中でこの集会に参加させたあの老練な医師への疑念が再び沸き起こる。

(しかし、まだ解らないな。あの人は何故、僕にこんなお金を払ってまでしてこの集まりに僕を向かわせたんだ? 本当はあの人が行くはずだったと言ってはいたが……。あの人は『あの日』からどこかおかしい。傷一つ無い少年が運び込まれたあの日から……)


『ご来場の皆様。大変お待たせしました。これより第三回―高次生命変革会の集会を執り行います』


突如古宮の考えが中断される。耳をつんざくハウリング音と共にノイズの混じった女の声がスピーカーから出力され、古宮は予想せぬ音の大きさのあまり、自分の心臓が飛び跳ねるのを感じた。

正面の舞台袖から痩身の女が手にマイクを持ちながらゆっくりと出てきた。

『変革者の皆さん。ごきげんよう』

女はそう言って演台へ向かいながら、マイクを持ってないほうの手を顔の高さに上げ、正面に座った古宮たち聴衆の顔を一通り、二通りと見渡す。

その際に古宮以外の皆が正面の演台に立った女の視線を感じた途端に頭を下げだした。

それを見て、古宮も心臓が早鐘を打つ中で周りに合わせるように演台に立った女に頭を下げる。

(何だこれは……あの女が教祖・・なのか?)

そう思い、古宮は改めて目の前に堂々と立つ『教祖』の姿を見る。


歳は三十前半くらいだろうか。サラリとなびく彼女の背中の辺りまで後ろに伸びた長い銀髪は年齢以上に思え、その人物がこれまで歩んできた苦労を感じさせる。元は美人だったのだろうか顔立ちは比較的整っているものの、眼窩の周りや頬は窪んでおり、ほっそりとした彼女の体が囚人のような印象を与えている。栄養失調な美人女優とでも言おうか。

背は百六十あるかないかくらいと平均で、演台に立っても彼女はそれ程大きく見えなかった。

その細い体にはぴったりと包むように薄い紫色のタートルネックに灰のスラックス、首にかけた過度な装飾のないドックタグの様なネックレス、といった、ごく普通の装いに見えた。


古宮の目にはその女は教祖と言うよりも、むしろその教祖に付き従う小間使いのように思えた。

古宮の心の中で目の前の人物に対する落胆が長く吐かれた溜息で露になる。

(何だありゃ、ただのガリガリの女じゃないか。あんな威厳の欠片も無いヤツが教祖なんて馬鹿馬鹿しい。あんなヤツの説法なんて、僕なら聞こうと思わないな)

『えー……、今日は三回目と言う事もありますが、まだ私の事やこの高革会をよく知らない方々がこの場にはいることでしょう。見るところ初めて来られた方も何人かいるようですね。今日はまず、私たちがどういう集まりであるか、そして私たちは何を目指しているかその事について軽く触れていきましょう』

(あーあー、どうぞご勝手に)

『まず、私はこの高革会こうかくかい――高次生命変革会こうじせいめいへんかくかい――の会長を勤めている豚座守いのこざまもると申します。どうぞよろしくお願いします』

古宮はパンフレットでも見たその教祖の名前を思い出す。――豚座守いのこざまもる。ネットでも見たけど女だったんだな。それにしても随分珍しい苗字だ……偽名だろうか?

それから豚座の説明は五分ほど続き、古宮がどうにか理解できた言葉で説明すれば、『高革会こうかくかい』の教義とするところはあらゆる人間には誰しも秘められた力を持っており、その力は『高次生命体』――高次元な生命体、三次元上に生きる我々『人間』より高度な存在と、パンフレットでは説明している――に変身する為の力でありそれは清く健全な高革会の信者の体にのみ、その力はあらわれるようだ。

変身。その事をこの会の中では『変革』と言う聞きなれない言葉で表している事も豚座は説明した。

その荒唐無稽で陳腐な説明を聞く内に古宮は笑い出したい衝動を懸命に堪えた。

(馬鹿な。この馬鹿女は理科の授業もまともに受けていないのか? 変身などは実際には不可能だと示す質量保存の法則は今や中学生でも理解している。そんな空想の漫画やテレビアニメのような馬鹿げた事が現実であってたまるか……!)

豚座いのこざの説明は会の教義から別の題へ移っていた。

『当会におきましては、変革に必要な健全な肉体を作る為に豊富な栄養素の詰まったこの二つのカプセル薬を当高革会に一定の金額を寄付をして下さった変革者の皆様だけに特別にお分けしております。一つはこの肉体のバランスを整える群青粒ぐんじょうりゅう。もう一つはこの精神のバランスを整える紅緋粒べにひりゅう。この二つを週三回飲めば――』

古宮はもう聞いていなかった。――ああ、そういうことか。馬鹿馬鹿しい。要は寄付と言う名目で金を巻き上げようとするカルトじゃないか。いい商売だな。

やがて、豚座いのこざは始めてきた人に限り一日分のカプセル薬を無料で提供するので初回の方は挙手を、と言ったので古宮はそれに戯れで手を上げ、そのカプセルを豚座から貰い受けた。

(やがて医師なる僕がこの眼で見定めてやろうじゃないか。それにカプセルじゃない。正しくはカプセルと言うんだよクソババア)

受け取ったそのカプセルを見た古宮は更に落胆を露にした。

古宮自身、東洋医学の漢方などには精通していないものの現代医学の知識は同年代の医師並みにはあるはずだと自負していたから、その薬がおかしい事にすぐ気がついた。――これは正規の医薬品ではない。

医薬品として、多くの病院で使用される硬カプセル剤には誤飲を防ぐために円筒形の『ボディー』と呼ばれる中の薬品を覆っているゼラチンで出来た膜の部分に薬の名称が書かれているはずだがこれには無かったと言う事だ。

(まぁ、当然と言えば当然か。正規の医薬品をわざわざこのジジイが高い金を出して買うはずがない。恐らくこれは外国で作られた粗悪な安い薬で間違いないだろう)

とある国では廃棄された革製品から抽出されたゼラチンをカプセルの膜に使っているらしいと、古宮は以前、医大の先輩からそんな話を漏れ聞いたことがある。

名称の書かれていないような安価な薬には何かしらそういった製造過程でのウラがあるものだ。

古宮は手の中のカプセルを弄びながら、豚座いのこざの言うとおりにその薬をクソ真面目に飲み続ける『変革者』達が不憫に思えた。

『さて』

豚座いのこざは途端に、言葉を切る。

『それでは、今日お集まりいただいた皆さんの為に今から高次元への『変革』をお見せしましょう。ここに初めて来た方はしっかりと目を開けて見て頂くようお願い致します』

それを聞いて古宮はもう堪え切れなかった。

「あはははははっ!」

その突拍子も無い古宮の笑い声は信者たちのいる辺り、豚座のいる会場全体に大きく広がった。

「――――――――」

そして訪れた不気味なほど長い沈黙。二百五十人の目が一斉に古宮を見つめる。その目には新参者の古宮に対する明らかな敵意がこもっていた。

「うっ……」

古宮は自分の方に集まる束のような視線に思わずたじろぎ、狭い椅子の上で身を縮こまらせる。

やがて、マイクを通して古宮の方へ豚座が声をかける。

『ええ、そうでしょう? あなたも私がおかしいと思いますよね?』

「――――へ?」

驚いた事にその豚座いのこざの言葉には全く古宮に対しての敵意は無く、ただ豚座自身が今まで言った事を古宮が冗談だと思っている事も承知したような風な優しい口ぶりで。

豚座は呆気にとられた古宮を見て、満足げに微笑む。その笑みはさながら魔女のようだ。豚座は続けて言う。

『私も自分の教えや言葉は、あなたのような若い方は決して伝わらないと思っています。かつて物質世界に身をおくものとして私もそうだったのですから。あなたの考えている事は解りますよ。私の言葉などあなたにとっては往来で乱痴気騒らんちきさわぎを繰り広げる東西屋とうざいやとなんら変わらぬと思っているのでしょう?』

豚座いのこざの言葉は完璧に当たっていた。

豚座は宗教を受け入れぬ一般大衆の心理を今、多くの信者が集まるこの場で引き合いに出している。それは盲信を得ようとする宗教団体の教祖にとっては自殺行為だ。

その中、古宮は女の声に溢れる自信を始めて目の当たりにし、背筋が凍ってゆく感覚を味わっていた。

(な、何だ。この女は……一体どういうつもりなんだ?)

豚座は尚も古宮に向かって微笑んでいる。

『あらゆる宗教を拒み、一時期の私は宗教アレルギーとまで周りの人間に言われたほどです。ですが、長き時を経て私はある時、この世の常識を覆す『変革』を得たのです』

豚座いのこざはそう言っておもむろに両の手を滑空する鳥のように水平に広げる。

それを見た年配女性の信者達からおお、と歓声が上がる。

(何だ、こいつら……? 何が起こるっていう――

信じられない事に古宮の目の前で突如、『変革』が起こった。少なくとも演台にいる豚座を見るとそう形容するしかないのだ。

冗談ではない現実の光景。それを古宮はこの世のものとは思いたくは無かった。

「は……はぁ……!? 嘘だろ、おい……!?」

豚座の左右に伸ばした一対の細腕が豚座の脳から合図を受けたかのように、その腕が内側から肉付いてゆくように膨れ、その輪郭はたちまち変化・・してゆく。

その光景はひとりでに膨らむ、さながらバルーンアートのようだった。――その光景はまさしく変身だった。

バルーンアートのように膨れてゆく奇怪な豚座の腕を見て驚いている声が自分だけだと古宮は気がついた。

辺りに目を走らせれば、古宮の周りの信者たちはその変化してゆく豚座いのこざの姿を手をあわせ、拝みすらしている。

(馬鹿な。こ、こいつら全員驚かないのか? そ、それに、どうなっているっていうんだ……!? あれは……!!?)

やがて、膨張を続けた豚座の腕は倍ほどの大きさになって、その膨張を終えていた。

古宮は恐怖しながらも、落ち着きを取り戻そうとし、変化したその腕をよく見る。

奇怪な蹄のついた四本指。あれは人のものではない。あれはまるで――――

「解ってくれましたか? これが私の得た『変革』です。論より証拠。若い方に教えを理解してもらおうと思えばこうするのが一番てっとり早いのですが何しろ、この『変革』はあなたのような年頃の『お坊ちゃん』にとっては少々刺激が強すぎる。大丈夫ですか? あはは。安心してください。私は化け物じゃないですよ……」

マイクを通していない豚座の声が不気味なほど会場内に大きく響く。

豚座いのこざが古宮を安心させる為か、その奇怪な腕を天井に掲げ、古宮の前で敵意のない事を表す降参のポーズをとる。

目の前で起こる現象に古宮は説明をつける事は出来なかったが、自分が目の前の豚座いのこざに馬鹿にされた事は明白だ。

古宮は爪を強く掌へ食い込ませながら、拳を握り締める。

「ぶ……不気味な手品しやがって……! そ、その腕、豚の腕だな……ず、随分、しゅ、趣味の悪いや、ヤツ……だな」

「ええ。お察しの通り。高次元の存在となった今の私の腕は豚の腕を模しています。私の豚座守いのこざまもると言うのはこの高次元の存在を得たときに、変革をした新たな自分自身に付けた名前です。このように肉体や精神を清め、高次元の存在へと達すればあなたも私のような変身つまり『変革』が可能になるのですよ。――皆さん」

そう言って豚座いのこざは古宮から目線を外し、腕を変化させたまま周りの聴衆を見渡す。

その言葉と共に拝んでいた大勢の信者が拝んでいた手をそのままにして、演台に立った豚座を仰ぐ。

やがて、信者全員と豚座の目が合った瞬間。豚座は静かに言い放つ


「皆さんは今の自分から、高次元の存在への変革を望みますか」


間もなく、寸分たがわぬタイミングで重なった二百五十人の声が同時に答える。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「はい、望みます」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


――――畜生、狂ってる。狂ってやがる――――

古宮はその教祖と大勢の信者達から逃げるように急ぎ、その会場を後にした。




その時、豚座守いのこざまもる――本名、毬川蝶子まりかわちょうこは歳の若い不届き者が足早にこの集会の会場から一目散に逃げてゆく様を見て、久々に爽快な気分を味わっていた。

(あのガキ、私のを見て逃げ出して行きやがったわ。随分驚いてたみたい。ザマぁみやがれ)

そしてこの会の長であり、教祖である毬川まりかわは周りを見渡した。

二百五十人の信者達の顔が一同に自分の顔色を仰ぎ、覗っている。

――ああ、やっぱり何度味わってもこの光景はいいものよね。――


毬川はこの日本の裏に蔓延はびこる詐欺師の一人だった。


かつては自身で都内に会社を立ち上げ、そしてマルチ商法で多くの客をつかみ、その数百からの顧客の生き血を啜ってきたのだ。

――が、やがて客の一人が小さな失敗を侵し、その大元である毬川は雲隠れする間もなく、警察に会社を強制捜査されマルチの証拠を掴まれ逮捕される事となった。結果、毬川は第一審で懲役四年と三ヶ月を言い渡された。

四年余のその拘留生活で最後まで毬川は罪を悔い改める事は無く、毬川は自分の詐欺がまだ完全ではなかっただけだと、その事についてのみ深く反省した。

ならば、安定して正当にかつ楽に金儲けができるものと言えば何か。毬川は拘留生活中、獄舎の中で考え抜き、やがて自らで答えを出した。それは宗教法人だった。

宗教法人とは国からの税金が数多く免除され、信者の数が増えるほど、その規模が大きくなるほど金が見る見るうちに信心という名の下に自分の下へ転がり込んでくる、まさしく毬川にとってそれは金のなる木だった。

早速、出所した毬川は獄舎で得た自身の考えを実践すべく新興宗教を立ち上げようと、宗教法人格を取得する事にした。

だが、宗教法人の設立には多くの規制がかけられており、まず宗教を立ち上げるには役所との事前協議が必要となってくる。

それらで問われる事は主に実際に礼拝所があるかの確認、更にその礼拝所の建つ土地の抵当権、その宗教の民主制等が問われる。これらについては毬川まりかわも役所の人間を了承させる自信があった。

しかし、問題は毬川が前科者であると言う事だ。

一度多くの人間を騙し、四年の懲役を受け元犯罪者の烙印をされている毬川蝶子という人間を役所が信用するはずもないし、そのレッテルは信者を確保する上でも十分障害となりえた。

時には戸籍すら変え、多くの役所に宗教開設の許可を迫ったが、多くの戸籍をやり取りできる役所という相手にそんな嘘が通る筈も無くいずれも答えは同じで、皆一様に毬川を信用しようとはしなかった。そして毬川の道は閉ざされた。

しかし毬川に救いか悪夢か彼の人生を大きく変える、ある一つの出来事が起こった。

それは毬川が出所し三ヵ月程たったある暑い夏の日だった。

毬川はその日の夜、手にした僅かな金を持って旧来の詐欺仲間のところへ行き、いつものように金の催促に行った。だが、その日はその仲間が毬川の金の援助を断ったのだ。

当然、それに腹を立てた毬川は仲間を何度も殴打おうだし、やがて殺害してしまう。

その仲間を殴った血まみれの腕を見て毬川は心臓が止まるほどの驚きを味わった。


それは肥大した腕と、それに着いた豚のひづめだったのだ。


突如、毬川には体を豚へと変えることの出来る能力が身についていたのだ。

当人も知らないことだが、実は毬川は仲間を殴っている最中に鵠沼くげぬまの放ったTファージをもった蜂に刺されていたのだ。

激情していた毬川が首の後ろにあるその痛みを知る由は無かった。

それに気付いた毬川は殺人を犯した衝撃よりも、自分の体に宿った力をどのように使うか自分でも驚くほど冷静に考えを巡らせた。

毬川の行動は素早かった。

毬川はまず頭を豚に変え、傍に倒れた仲間の血まみれの死体を強靭な豚の顎で骨も残さずらい、そしてその家に火を放ち、自分がいた全ての痕跡を抹消した。

やがて、時をおかず鵠沼がその場を後にしようとしていた毬川の前に現れ鵠沼は自己紹介の後、毬川が持つ豚のトランスファージの使い方やルールについて簡単に毬川に説明した。

説明を受けた毬川は姿を人に変え、血の残った人間の口元で怪しく微笑んで言う。


「成程ね……。つまり私が今日以降、人を殺したければこの町に私のほかに二人いる同じTファージ感染者と戦ってからってことね。更に言えば、この力を使えるのは同じ感染者の前でだけと言うこと。そして、それ以外はTファージをどう使おうが私の勝手だ、と」

「ああ、そうだ。二つ目にお前が言った事だが万一、一般人にTファージの力を晒して世間にTファージの存在が明らかになるとつまらんからな。ひひ」

鵠沼は笑う。そしてその間、毬川は俯いて考え込んでいた。やがてその顔が鵠沼の方を向く。

「……要はもし私が世間にこの力を晒しても、それがTファージだって彼らに解らなければいいのかしら?」

「……? 何を言っておる?」

「私ね、今この力でちょっとした金儲けを思いついたのよ」

その後で毬川は鵠沼に宗教団体やTファージを使うことでの勧誘の手順、つまり、Tファージを使った金儲け、自らがこれから行う詐欺の手順について鵠沼に懇切丁寧に説明した。

毬川の話を聞き終わった鵠沼は溜息をつき、目の前で嬉々とした表情で金を得ることのみを考えている毬川を心底、さげすみながら口を開く。

「どう使おうが自由と言ったがな。しかしその詐欺も長くは続くまい。――まぁ半年が限度といったところか。それ以上続けるようなら発見のリスクがあるとしてワシはお前とその信者共を殺しに行くぞ」

「嬉しいわ。半年もあれば三十年位は遊んで暮らせる金が余裕で手に入るだろうし。上等よ。おじいさん」


毬川は今いる夜の人通りのない路地裏で口角を更に狂喜で吊り上げた。


この力を多くの人間に見せ、信者を獲得してやる。

この体を変化させる力はTファージとか言う鵠沼の作った力ではない。自分の――毬川蝶子が突如得た説明のつかない正体不明・・・・神秘・・なのだ。自分の信者共にはそう納得させてみせる。

そしてかつて自分がしたように彼らから搾り取ってやるのだ。莫大な金を。

自分の持つ神秘の力の前ではあらゆる自分の経歴や多くの人間の倫理や常識を捻じ曲げてしまうだろう。


かくして、毬川蝶子まりかわちょうこは二日後に自身の名を豚座守いのこざまもると改め、高次生命変革会こうじせいめいへんかくかいを創設、さらに同会長となり創設一ヶ月も経たない内にその会員数(信者数)は二百五十人に達し、その規模は今やこの神奈川県内において巨大な宗教団体となりつつあった。



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