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「第二十二話」


「第二十二話」


深夜。天見町立図書館前。

二人の男女がその建物の中へ入るのを数分前に見届けた白衣の老人、鵠沼玄宗くげぬまげんそうは今、建物の中から悲鳴のような咆哮を聞き、自らが仕向けた怪人同士の戦いの開始を悟った。――咆哮の主は上半身を巨大な豚へと変えた屯野琢磨とんのたくまのものだった。

「ひひひ、ようやく始まりおったぞ」

皺くちゃの唇を開き、猿のように突き出た黄色い歯を出して鵠沼は心の内から自然と出たような歓喜の声を出し、年甲斐もなく笑った。やがて、鵠沼は白い無精髭ぶしょうひげの生えた顎に指をかける。

「互いに殺しあう相手が親友同士だったから心配しておったが、それも杞憂きゆうだったようでこっちとしては何よりだな。ひひ、ひひひ」

痩せた歯茎から生えた釘のような歯と歯の隙間から不気味な笑い声を漏らしながら、右手を自身の胸元に寄せ、その手はその胸元部分の生地を千切れんばかりに握っている。

先ほどまで笑っていた鵠沼の口元からは今や笑い声ともとれぬ呻きが漏れていて、その端からは小さく泡が出ていた。――今や、六十を越えた老人の中では興奮が最高潮に達している。

――――ぽた。

鵠沼の白衣の上に水が滴り落ちた。鵠沼が見上げた空は全体を完全に覆うほどの重たい雲が立ち込めていて、雨が降り出していた。

白衣に雨が落ちる感覚が次第に小刻みになって、いつしかそれは本降りになり始めていた。

鵠沼はその場で足先のみで器用に回り、図書館の方へ体を向ける。


「――ひ。ワシも、そ、そろそろ、あの中へ入ってみるか。人外同士の争いを観戦だ。観戦だ。き――ぎ、ひ、ひひひひ」





「ブギァァァァァァッ!」

屯野は甲高く咆哮する。

上半身を豚と人間の中間のような異様な姿に変化させたの怪人を目の前にした屯野は豚頭人身への変化を二秒ほどで終え、自分でも意識しないほど早く、その牛の怪人の縦に伸びた牛の顔面へと右の拳を――蹄のついた四本指の拳を――振るっていた。

屯野の容赦ない拳を牛の怪人は左腕で防御し、その屯野の素早い攻撃は牛の怪人の尺骨を強かに打つ。しかし、その音は鈍く、屯野が攻撃を振るうと同時に突きたてた蹄は牛の怪人の内側の骨は愚か皮膚すら裂いていない。――牛の怪人の攻撃を受け止めた腕からは更なるTファージの独特な臭いが屯野の鼻腔をつんざく。屯野は眉を寄せ、顔をしかめた。

(クソ、やっぱり腕まで強化してるのか――)

屯野がすかさず二撃目を加えるべく再び体を捻ろうとし、今度は左腕の攻撃を試みた。当然、目の前の敵は屯野の追撃を許すはずはなかった。牛の怪人は防御した腕とは逆の腕で屯野の腹を殴りつける。

「ギ――ゥグ――――!!」

攻撃を受けた瞬間。屯野の口から血の混じった泡と共に、大量の空気が押し出される。

屯野の大きな体がよろめき、脳が膨大な痛覚を受け取り、屯野の視界が大きく霞む。しかし――

(効くか……よぉ!!)

屯野がそうえると、ひとりでに痛覚が一秒も経たずに消えていくのを屯野は瞬時に感じた。――Tファージを使えるのは牛の怪人だけではないのだ。

同時に屯野は腰を落とし、上半身で∞の字を描くように素早く振り回した。

今、屯野の背筋は本来の豚と同様、強靭なものでそれは大きな大人一人を軽々と持ち上げる力を持つ。そして――

「ブオオオオォォ!!」

屯野の振り回す上半身が怪人の巨体の傍で上体を前に曲げ、元に戻ろうとする背筋の力のみで脇腹の斜め下から真上へ持ち上げられると、途端に重力を失ったようにその体が軽々と舞い上がる。


(――よし。これであの化け物と距離を離せて時間を稼げる。一度どこかへ隠れて、それから奇襲にもっていければ……)


屯野はその飛ばされた怪人が描く放物線を見、自身の体を動きやすいように人間の体へと戻しながらそのように考える。が、ここで予想外の事が起こった。

距離を大きく離すためしゃくりあげ飛ばした牛の怪人の体は大きく宙を舞わず、数メートル上の天井に打ちつけられ、上から下へ跳ね返る。その巨体は大きく宙を飛ばず、屯野から直線距離にして二メートルほどの屯野から近い場所へ落ちてしまった。

屯野は自分の浅はかさを呪った。――ここは今までの戦いの場とは違って屋内であり、そして天井があるのだ。初めに戦った時のように、怪人を宙高く舞い上げ時間を稼ぐ手は使えない。


そして、今、牛の怪人の体は屯野の方を向いて、その強化された四肢は地を這う蜘蛛のように床に着いていた。

人間の目で薄暗いながらも怪人の顔に変化があるのに屯野は気付いた。

その顔は人間の――市ヶ谷の――顔だった。市ヶ谷が浮かべた表情は当てが外れ、動揺している屯野を見て嘲るように笑っていた。

屯野は慌ててその場から身を返し、背を向けさっきまでいた図書室内へ逃げる。

「攻撃がワンパターンだなぁ。あぁ? 屯野ぉ? てめえみてぇな萌え豚野郎が――」

じり、と市ヶ谷の床に着けた四肢に力が加わる。

「――喧嘩で」

市ヶ谷の嘲笑の表情が消え、それは怒りに染まる。市ヶ谷の足や腕からは屯野に解るほどにTファージの臭いが噴射機から勢いよく噴出するかのごとく、急速に辺りに立ち込めてきた。市ヶ谷の体内のTファージが急速に活性化して組織を強化しているのだ。

「――俺に勝てると」

骨が折れるような異音が響き、それは質量保存の法則を無視して市ヶ谷の体内に蔓延した億兆のTファージが市ヶ谷の四肢を一秒単位で骨格から筋組織に至るまでを倍々に強化させている。今や市ヶ谷は人の首を持った異様な骨格をした化け物の姿をとっていた。

「――思ってんのかよおおぉぉっ!!」

市ヶ谷はあらん限りの声で咆哮する。屯野の背に向かって容赦なく、腕と足の力で文字通り跳ね、獣の如く襲いかかる。

「――――!!」

その瞬間に人間の姿で逃げる屯野はTファージで『発達させたままだった』自分の鼻をひくつかせ、後ろのTファージの臭いを放つ物体が動く気配を鼻で察した。

そして屯野はその場で前に倒れこむように強引に体を床に伏せ、背後からの襲撃を間一髪でかわす。

倒れてから一秒とおかずに屯野の五メートル程前にあった屯野の身長(百八十センチ前半)よりも高い本棚が音を立てて崩れる。――屯野に向かって飛び掛った市ヶ谷は勢いを殺せぬまま、その体を激しく本棚に打ち付けたのだ。

屯野は伏せていた床から起き上がるうちに数秒が経ち、先の激しく音を立てた場所からは市ヶ谷が痛みに呻く声はなかった。

市ヶ谷が追突し倒れている場所では、それら部屋の奥まであった四つの巨大な本棚が崩れたドミノよろしく倒れていて部屋の奥の壁が見えた。


――市ヶ谷が屯野に襲いかかった力は飛び出た砲弾どころか、猛スピードの大型トラック並の力だったというのか。あんなものを生身で受ければ細かい肉片になること請け合いだ。


「う、嘘だろおい、化け物かよ」

床から起き上がっていた屯野は市ヶ谷のその常識外れな力を目の当たりにしたせいか、思わず口から出た声は震え、上ずっていた。

屯野は動く素振りを見せずにいる市ヶ谷の方から慌てて逃げる。

まともにおそらくTファージを使った力だけなら豚のTファージを持つ屯野を遥かに凌ぐだろう。今の市ヶ谷と正面からやり合えば屯野はすぐさま無残な肉片になるだけだ。

「クソ――」

「逃げるなぁ! 屯野ぉ!!」

市ヶ谷がロビーに向かって逃げる屯野に吼え、同時に市ヶ谷のいた方から本棚が動き、軋む音が聞こえる。市ヶ谷が素早く身を起こしたのだ


その瞬間。屯野達の耳を覆うような、轟音と呼ぶべき雷鳴と共に、前触れなく図書館内を照らしていた辺りの照明全てが消えた。

「…………!?」

屯野と市ヶ谷の二人はその雷鳴に驚き、停電した館内で石化したように音も動きも出さず、静止した。

轟音の後、暗闇になったロビーに再び静寂が訪れる。

いつの間にか降ってきていた外の激しい雨が館内のいたるところのガラスに激しく打ちつけ、水音を幾つも立てている。

屯野は再び「鼻」を作動・・させ、市ヶ谷の臭いを探った。

それは暗闇に包まれた中でも第二の眼があるように、屯野に市ヶ谷のいる位置を教えた。

(う、動いていないか……。相手には俺の姿は見えない。でも……)

そんな屯野の考えを見透かすように暗闇の中、市ヶ谷は声をあげる。

「おい屯野、解ってんだろ? お前も俺もTファージで嗅覚を強化できるってなぁ? 初めに戦ったあの時と同じで俺にはお前がどこにいるのか暗くなってもハッキリ解るんだよ。逃げても無駄だ。おとなしく隅っこで震えてていい加減、俺に殺されろ」

暗闇の中で視界を失っているせいか、近づいて来る市ヶ谷の放つTファージの臭いだけが屯野の鼻に伝わる。

近づく速度はゆっくりで、市ヶ谷は屯野を追い詰めるのを楽しんでいるようだった。

再び、雷鳴が轟き、屯野達がいるロビーの中を一瞬白く照らす。


本の置かれた館内へ続く開かれた扉を背にして市ヶ谷は全身人間の姿をとって、


その反対側の壁へ背をつけた屯野の方へ、


その場で倒れた烏城の血で濡れた床をゆっくりと踏みしめながら向かってくる市ヶ谷の姿があった。


それは間違いなく、屯野が今年の四月に知り合った親友、市ヶ谷渉いちがやわたるの姿だったが、屯野の発達した嗅覚が市ヶ谷のTファージを探知し、それを否定した。

それに応えるように間もなく、市ヶ谷の輪郭が人のものから牛の怪人のものへと変貌を遂げる。

あれは二人の人間を殺した牛頭人身の殺人鬼だ。

そしてその中、屯野はある事に気がついて目を僅かに見開いた。

(あれ……どうしてだ?)

屯野は辺りの臭いに違和感を感じ、思わず、無意識に暗く見えない周りを見渡した。


(どうして麗那の臭いがする場所が二箇所もあるんだ……?)


烏城の臭いの一つはハッキリと血の臭いに混じって強い臭いを放っている――恐らく烏城の死体だろう。そして、もう一つは微かなもので、僅かだが他の人間の臭いも混じっている。その正体が解らなかったのだ。

(――――あ……)

数秒後。屯野はその微かな臭いの正体を理解した。

そして、信じられない事に市ヶ谷に追い詰められ、恐怖しているはずの屯野の脳内が初めに牛の怪人に襲われた際、奇襲を計画した時のように冷静に、めまぐるしく様々な事を処理し、思考している。

やがて、その考えは天啓の如く、屯野がこれからするべき行動を示した。

(そ、そうか、これなら……!)

考えを得た屯野はすぐさまその行動に移ることにした。最早追い詰められている今の屯野に迷う時間など無かった。


その第一段階として屯野はヒュゥ、と口で大きく息を吸いその間に自身の上半身を豚の頭と厚い皮下脂肪を持つ人間の体を大きなバルーンアートで表現したようないびつな体へ変化させてゆく。

息を吸い終わり、屯野は豚になった口を自分で出せるだけの声と共に大きく開け、叫ぶ。

再び、雷鳴以上の声量をもった豚の口から放たれた屯野の甲高い咆哮が辺りを響かせる。――チャンスは一度だけだ。



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