「第二十話」
「第二十話」
鵠沼が店を出て行って数分。屯野琢磨と烏城麗那はまだ店内にいた。
「麗那さん。本当にあの怪人ともう一度戦えるのか?」
飲み物を置いたテーブルを挟んで前に座る烏城に屯野は問う。
烏城は屯野の前で目を伏せ、曖昧な表情を浮かべる。
「……戦えます。それに琢磨君が牛の怪人に殺されそうになったあの時、琢磨君を助けたのは私なんですから。戦おうと思えば私は」
言いながら、烏城は自分の前にある陶器のコップを掴む。持ち上げたコップがコースターの上でカチカチと小刻みに音を立てる。
「……私は戦えます」
烏城はそう言って、コップの中身を飲み干した。それは烏城が自分の恐怖心をその一連の動作で覆い隠しているように見えた。
「私は……体内のTファージを使えば飛ぶ事ができます。あの牛の怪人を図書館の外におびき出して戦う事が出来れば飛べる私は有利に戦えます」
烏城の言葉にも屯野は同意しており、烏城は体では僅かに恐怖しているものの言葉の上では少なくとも冷静に状況を判断している。それでも、屯野は批判がましく烏城を見る。
「人を襲う怪人はあの牛の怪人だけじゃない。もしもう一人の方が麗那さんと同じ鶏のTファージを持っていて同じように飛ぶ事が出来たとしたら麗那さんはその時、今みたいに冷静でいられるのか?」
「……」
無表情だった烏城の表情に不安の影が差したように見えた。
「あの爺さんは初めからどの怪人を呼ぶのか言っていない。ただ、図書館っていう戦いの場を用意したに過ぎない。そこでの相手はあの牛野郎一人かもしくはまだ知らないもう一人の人を殺している怪人も含めての二人かもしれない――麗那さん、俺が言うのもなんだけど一旦冷静になろう。今、そんなに判断を急ぐ事は無いよ。もう一度よく考えてみよう。時間もまだたっぷりある」
屯野は言って、携帯で時間を確認する。――午後五時四十五分。外はまだ明るい。
「はい……」
「さっき去り際に言ったあの爺さんの言葉ではあくまでも戦う気があれば来いと言うだけで、別に俺たちに戦いを強制している訳じゃない。その気になれば俺たちはそいつらと戦いに行かないって選択肢もある」
屯野は言ってから、この場において烏城にそう言える自分の冷静さに驚いていた。
牛の怪人と初めて戦った時でも屯野は命がかかっている状況下において尚、策を弄していた。屯野は緊急時においては誰よりも冷静であるのかもしれなかった。
しかし、屯野は気付いていないが今のその冷静さの理由はただ、ゲーム脳である為で万一自分が死んでもまたどうにかして生き返ることが出来るだろうという現実離れした心構えがあるからだ。
その辺りでまだ屯野は状況を把握し切れていない子供だった。
「琢磨君。これだけは言っておきますが、琢磨君が私にどう言うのであれ――私は怪人と戦いに行きますから」
烏城の声に淀みは無く、確たる意志を持ったその声に屯野は圧倒された。
暫く、烏城のその意志のこもった目を見ているうちに、屯野は烏城のその意志の理由に思い当たった。
「……もしかして、麗那さんはこれから自分のTファージを安心していつでも使えるようにする為に怪人を倒しに行くのか。――自分の火傷の痕をいつまでも隠しておく為に」
烏城は否定せず、無表情に戻った顔で屯野の方を真っ直ぐ見つめ、やがて囁くように静かに口を開く。
「軽蔑、しますか?」
屯野はそんな烏城の言葉に苛立った。
「ああ、するよ。そんなくだらねえ事で……麗那を死なせてたまるか」
強い口調で言われ、烏城は僅かにうろたえた。しかし、口から出た烏城の声は冷静で動揺を感じさせなかった。
「琢磨君には……解らないんですね。記憶に無い頃からあった腕の火傷の痕を見て、その時、私がどんな気持ちになるのか、周りにいらない気遣いをかけられるのかなんて……。――言っておきますけど、この事については例え琢磨君がどれだけ引きとめようとも私、聞きませんよ」
「――なら、二人で行こう」
「え?」
烏城が口に出し言った言葉は屯野の言葉に対しての疑問ではなく、屯野のその言葉が信じられないという驚愕から出たものだった。
「二人いた方が戦う時、都合がいい。この際俺たちで協力してこのクソみたいな怪人騒ぎを終わらせるんだ。それでこの町の平和も守れて、麗那の為にもなるって言うなら一石二鳥だ」
「そ、そんなの。それじゃあ琢磨君が……」
「……今はこうやって、自分を二回も殺しかけた怪人と一緒に戦いに行こうってかっこつけて言ってるけど、いざ戦いに行ってみると、俺怖くなって逃げるかもしれない。……多分、今の俺は麗那みたいに強い意思があって戦いに行くって言ってる訳じゃない」
「そうですよ。そんな……くだらない……私のわがままの為に琢磨君をそんな所へ行かせたくありません……!」
「でも、俺だって……麗那みたいに命を懸けてでも通したいくだらないわがままがあるんだよ」
「え……?」
「俺が牛の怪人に殺されそうになった時、麗那は俺の事を助けてくれただろ? ……自分の命を懸けて。女の子に助けられたまま……借りを作ったままいられるかよ。俺だってこんな太った情けないナリしちゃいるけど男なんだ。――――逆に俺が怪人から麗那を助けて借りをチャラにしてやりたい。これが俺のわがままなんだよ」
目の前に座った烏城の顔が屯野の目線よりほんの僅か上向きになっている。まるでそうしないと目から涙が落ちそうだと言う風に。
「多分、麗那だって怪人と戦いに行くのが怖いんだろ。言いたくなかったけどさ、さっき麗那がコーヒーのカップを持った手が震えてた」
そう言った屯野は自分の膝を渾身の力でつねり、膝の震えを抑えようとしていた。戦いに行くと、言った時から体が知らず内に恐怖していたのだ。意思に反して体は正直だった。――しかし、自分が言った手前烏城に情けない姿は見せられない。
屯野は声を震わせないよう烏城に毅然とした態度を作って言う。
「こんな俺じゃ頼りないかもしれないけど……それでも戦いの時は何とか麗那を守ってやる。――俺だって友達にそのくらいの事は言える。協力してあの怪人どもを倒そう」
言って、屯野と烏城の間で束の間の沈黙が流れる。
友達を守ると言った屯野は烏城を見据え、友達に守ると言われた烏城は何を思っているのか目を伏せ、やがて消え入りそうな声で、
「……ごめんなさい」
屯野は烏城の前でどうにか笑ってみせる。
「友達だし、お安いご用だってば」
そう、屯野自身は戦うことに恐怖していたが、同時に戦うことを待ち望んでいた事も事実だ。
――そうだ。俺だって戦いたくないワケじゃない――
烏城に向かってぎこちなく笑う屯野は心の中でそう呟いた。
こうして、Tファージ感染者である屯野と烏城の二人は鵠沼に指定された同じくTファージ感染者である怪人との戦いの場である町立図書館へ向かう事を決めた。
日付が変わって午前一時。
屯野は家族の者に見つからないよう、こっそりと家を出た。――町で怪人が出ないか見回りをする時にいつもそうしていたから、今では慣れたものだった。もっとも家族に対しての後ろめたさはいつまでもマシにはならなかったが。
屯野と烏城は昨日――日付の上で――の夕方、駅構内の喫茶店で二人で共に怪人と戦うことを決めた。
主催者であり、この怪人騒動を引き起こした黒幕である鵠沼が言うには戦いの場は天見町立図書館で指定された時間は今から丁度一時間後の二時だ。
そして今、屯野はその図書館から数百メートル離れたとある小学校の校門前にいた。
その場には今は屯野だけが誰もいない校舎を背に一人でいた。
服装は色々考えた結果、半そでのTシャツの下に伸縮性のある動きやすいジャージを選んで来た。
喫茶店で烏城と別れ、家に戻った時、屯野の気持ちは終始落ち着かなかった。
それは怪人に対する恐怖ではなく、これから戦いに挑むという武者震いに近かった。
戦いの時、屯野は相手の弱点を衝けるかどうか、家のパソコンで牛や豚、鶏に対する特徴をあれこれ調べてみたが、それは生物的な特徴でなく、それらの動物――家畜としての味の批評や、品種、料理のレシピなどが大半で、屯野が知りたかったそれらの生態についての情報は殆ど無かったのだ。
屯野が選んだ上下の生地の色は暗闇の中で目立ちにくい濃い黒を選んできた。この選択が鋭い嗅覚のある牛の怪人には効果が殆ど無く、気休めにもならない事を解っていたが相手の注意を惹きつける派手な色を選ぶつもりは毛頭無かった。
「……」
屯野はふと、背後の校舎を見上げ校舎上に掛かった時計の時刻を確認する。
(もう、一時になるって言うのに麗那遅いな……)
屯野は烏城とこの校舎で待ち合わせていた。
それは烏城の提案で、準備の意味合いを込めて取り敢えずは時間前に一旦ここで作戦などを話し合おうという事だった。
これに屯野は納得し、今、辺りの明かりが殆ど無い中、屯野は待ち合わせていた校舎にいた。
すると、校舎前の図書館へ続く道路の奥の暗がりから誰かが歩いてくるのが見えた。
そのシルエットは烏城だった。背には何かを担いでいる。――電子ピアノが入りそうな程大きな物だ。
「琢磨君。お待たせしてすみません。時間に少し遅れてしまいました」
その声からは自分の内の恐怖も興奮も押し殺したのか、平坦で感情の無い機械のような声だった。
すでに烏城の中では戦いへの覚悟が決まっているようだった。
服装はプールに行った時と同じ夏物の白いワンピースだった。
「ああ、いいよ別に。それより……麗那、その肩に持ってる大きな包みは何?」
「その、遅れたのはこれを家から持ち出すのに手間取ってしまって」
改めて烏城の背に担いでいるそれを見て、屯野の脳裏にいやなものが過ぎる。
「ま、まさかそれって……銃?」
冗談交じりに口にし、恐る恐る聞く屯野に烏城は淀みなく、ええ、と答える。
「ファインベルクバウ150/300――エアライフルです。弾薬の入った銃ではないですけど。これは私が使おうと思っていますが、念のために今から琢磨君にも使い方を教えます」
そう言って、烏城は包みのジッパーを開き、中に入った大きな銃を出した。
今はゲームなどで多く銃器に――仮想上だが――触れ、知識を得る事が出来るが屯野にとってそれは専門ではない。銃の知識は人並み以下と自負するほどに。
しかし、屯野は烏城の言葉を聞いて、自分の予想が良い方向で外れた事に喜んでいた。
「エアライフル……あ、ああ、そうか。そりゃあそうだよな」
言って、屯野は安心した。
(はぁ……よかった、エアガンか。本物の銃かと思った)
実銃を所持する事はこの日本においては幾つもの制約があり、誰でも持っているとは限らない。
そんな事は誰でも知っている。ましてや目の前のお嬢様――烏城のはずがないのだ。
包みを見た時にはドキリとしたが、屯野は包みの中が実銃でない事を知り、烏城に聞こえない位に安堵の溜息をついた。
それでも、烏城はこうして怪人と戦う為の武器を持ってきた。
烏城が武器を持ってくる事は喫茶店で事前に烏城と打ち合わせていた。
初め屯野は家から刃物――出刃など――を持ってこようかと、提案したところ烏城は首を横に振った。
何でも烏城が予測するところのTファージには屯野が怪人に襲われ負傷した時に体験したとおり、驚異的な復元力が備わっているらしいのだ。
事実、今屯野は腹を角で刺されても、腰の骨が折れても生きている。刃物で刺した程度では直ぐに復元してしまうだろうと烏城は結論付け、武器は私に任せてくださいと請け負っていた。
烏城は安堵する屯野をよそに銃――エアライフル――の使い方の説明を続ける。
「……注意して欲しいのは、この銃はスプリング式なので引き金を引いて発砲した後にもう一度引き金を引いても弾は出ないという事です。一度この後ろの部分にあるレバーを引いてここにある小さなマガジンを回す必要があるんです。空気銃といえどもこの銃の構造上、撃った後の反動が強いので注意してください。マガジンに弾は十発まで入ります――これがその弾です」
烏城はポケットから円盤状になった缶を取り出し、その蓋を空けた中身の一つを屯野の前に持ってきた。
「あれ?」
その弾は屯野の見覚えのない形状をしていた。
屯野の知るエアガンの弾とはどれも小さな球状で丸く、赤や白などの色の付いたプラスチック製――ようするにBB弾と呼ばれるもの――だったが、目の前に烏城が手にとって見せたそれは大きさこそBB弾くらいに小さいものの、屯野の知るBB弾ではなかった。
屯野は烏城から手渡されたそれを手にとって眺めてみる。
それはBB弾のような球の底に円錐の小さな傘が付いたようなものだった。
正面から見ればそれは、トイレなどで女性を示すマークのような形状をしていた。
そして、それはBB弾ほど小さいながらも硬く、それは僅かに重量があった。
「ふーん……エアガンにしちゃ、随分変わった弾だな」
屯野はまじまじとその弾を見ながら呟いた。
「エアガンとは違います。これはエアライフルという空気銃でれっきとした実銃です」
屯野は弾の方から視線を外し、反射的に烏城の方を向いていた。
「――え? でも、弾薬を使わないんだろ? エアガンと同じようなものじゃないのか」
「詳しい事は父が知っているのですが、この銃は公安委員会の許可が下りないと使えない猟銃の内だそうで、これも殺傷力のある銃の一種なんです。琢磨君が持っているその弾丸も鉛製です」
「お、おい……そんなもの持ち出してきてもいいのかよ」
「勿論駄目です。扱いは実銃と同じで、今ここで持っているだけで銃刀法違反で逮捕の対象になります。威力は人の皮膚位なら簡単に貫くそうです。これで怪人を殺す事は出来なくとも、衝撃で敵の動きを封じるくらいなら出来ると思います」
屯野は背筋が寒くなった。
それは明らかに冷たい夜気に煽られてではなく、それ以上に冷たく冷静な烏城の言葉を聞いたからだった。
屯野は今自分の目の前にいる人物が、本当にあの震えていた烏城麗那とは思えなかった。
「……どうして、そこまでするんだよ」
屯野は烏城の違法行為まで問うつもりはなかったが、どうしても烏城の気持ちを聞いておきたかった。これから戦いに行く仲間として。
「私が琢磨君の代わりに一人で戦いに行くなら、こんな銃を使うことなんか思いもしなかったです。でも……」
烏城は屯野に向き直った。
冷静だった烏城の表情が途端、波打ったように感情に揺らぐ。
何かに追い詰められたような、緊迫した顔を浮かべ、烏城は屯野の顔の傍まで詰め寄って言う。
「でも、今は琢磨君がいるから」
「だからって麗那が犯罪を犯す必要は――」
「琢磨君を絶対に死なせたくないから。琢磨君は私の大事な大事な友達だから……っ」
内に殺していた感情があふれ出したように烏城は声を震わし、声の限りそう言うと、屯野に抱きついた。
「え!? あ、あの……ち、ちょっ……と……」
「どうしても、死なせたくなんかないんです」
思わぬ抱擁を受け、焦った屯野は烏城に抱きつかれたまま両手を挙げて、烏城の屯野の体に回した腕が解かれるまでの何分かの間、屯野は為す術も無く烏城に抱きつかれるままになっていた。
屯野は烏城が心の底まで冷たい人間に変わってしまったのではなかったのだと実感し、心が幾分和らぐのを感じた。――戦うことの迷いなんて無い。必ず勝つ。麗那のために、町のために、そして自分のために