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「第十九話」


「第十九話」


市ヶいちがやと別れて屯野琢磨とんのたくま烏城麗那うじょうれいなは二分後、集合した時の駅構内にある大きな喫茶店に来ていた。

咄嗟に話をする場にこの場所を選択した屯野は早くも後悔し始めていた。

洒落っ気のない屯野にとって喫茶店などましてや女の子と来た事が無く、その店の雰囲気にどうしても慣れず、何度も椅子に座りなおしては落ち着きを払う事が出来なかったのだ。

ふと、屯野は目の前の空席をぼんやり見つめる。

烏城は今、カウンターで飲み物を注文していて、屯野はそれを静かに待っていた。

烏城の方はこの店に来なれているらしく、いつまでも席を決めあぐねている屯野に、

「私、飲み物を買ってきますから琢磨君は先にあの奥の席で待っていてください」

とだけ言って烏城はそそくさと、カウンターの方へ向かい屯野は烏城の言葉に押されるかたちでその席へと向かって今に至るのだった。

注文を烏城に任せた事に若干後ろめたさを感じながらも、屯野は烏城とこれから話すことについて考えていた。

(麗那さんは、Tファージについてどれだけ知っているんだ……?)

そう考えながら屯野は机に頬杖をつく。

屯野が知っている事と言えば――


まずTファージとは鵠沼玄宗くげぬまげんそうによって開発された人体をある動物へ意のままに改変させるウィルスだと言う事。


事実それは屯野が体内のTファージ発動を意識するだけで屯野の腕は豚のように肥大し、掌にはひづめが付き、更に豚の優れた嗅覚を得たり、背筋はいきんを強化する事が出来た。そしてその事を屯野は自らの身をもって知っている。


二つ目に、そのTファージには開発者である鵠沼は生態情報を含むもの――血液など――を体内に摂取する事でその生態情報を持ったTファージを即時生成出来るという特殊なTファージを持っており、それを使用する事で自身を大量の蜂の姿に変え、一つの動物の生態情報を含んだTファージをその蜂それぞれに持たせ屯野達が住むこの町中の人間にそのウィルスを含んだ針を刺し、広めていたという事。


とはいえ、そのウィルス自体の感染力は弱く、普通の人より免疫の弱い人間にしかTファージは感染しないらしく、鵠沼曰く現在Tファージ感染者は屯野と烏城とあともう二人のみだと言う事だ。そして、その正体の解らない二人の感染者はこの町でTファージを使い、殺人を犯している。――そして今は鵠沼は感染させるのを止め、自らが生み出した怪人同士の戦いを見る事に喜びを感じているようだがと、屯野は入院していた病院での鵠沼の言葉を思い出し、心の中で付け加えた。



そして、それらの事は屯野が開発者である鵠沼から聞いて初めて知った事だ。

一週間ほど前、屯野が殺人を犯した牛のTファージを持った感染者に再び命を狙われそうになった時、鶏のTファージを持った烏城が腕を翼に変え、屯野の危機を救っていたのだ。

そして、その時の烏城は鵠沼からTファージについて何も知らされていなかったのだ。

なのに、烏城はTファージを使い腕を翼に変え、飛翔し、そして人の腕に戻した、というTファージの変化をやってのけ、そして鵠沼に話を聞いた屯野ですら知らなかったTファージでの驚異的な治癒能力がある事も烏城は知っていた。――屯野が知らない事をそれまで部外者であったはずの烏城が知っていたのだ。


(麗那さんは……どうしてあんな事を知っていたんだ……?)


屯野の中で烏城に対して、今まで考えたくなかったどす黒い疑念がふつふつと沸き起こってくる。

「お待たせしました。琢磨君」

唐突に、すぐ近くから烏城の声が聞こえ、屯野は思わず今までの考えを中断し、やって来た烏城の方を見る。

「あ、ごめん麗那さん。その、俺の分まで買ってきてもらっちゃって」

烏城は両手で飲み物を二つ載せたぼんを持ってきて、座っている屯野の前に立っていてそのまま静かに屯野の前の席に腰掛ける。

烏城に小さく礼を言い、屯野は取り出していた財布の中の硬貨を何枚か烏城に差し出す。

「いえ、どうか気になさらないで下さい。この時間、そんなに混んでいなかったですし」

烏城は曖昧な笑顔を浮かべながら硬貨を受け取って、自分の財布へ入れながら言う。

「それより、琢磨君」

向き直った烏城の雰囲気が真剣なものに変わっていた。

「私、色々琢磨君には話しておきたかったんです。でも、鵠沼のお爺さんからTファージについて言われたあの時から私がTファージをもし不用意にさらして琢磨君を巻き添えに、その……殺してしまう事になるかもしれないと思ったら怖くて……学校でも琢磨君に近寄れなかったんです。――でも、琢磨君が今日プールに誘ってくれたお陰で琢磨君と話せるキッカケが出来て良かったです。プールではその、な、仲直りも出来ましたし」

「……そ、そっか」

屯野は目の前で恥じらいながらも言葉を紡ぐ烏城に屯野自身も気恥ずかしい思いを味わっていた。

「――琢磨君。私がこのTファージに感染していると気付いたのは今から二週間前の日曜日。琢磨君と帰りの電車で会って話したあの日からほんの一日前のことだったんです」

――Tファージの力を得た牛の怪人がこの町で殺人を犯し、そしてその後、屯野を襲う日の前日、屯野が家で首の後ろを何かに刺されたあの日だ。

その日に感染したというならば、屯野と烏城がTファージに感染した時期はほぼ同じ時期ということになる。烏城の言葉には疑う余地が無いのは明白だ。

屯野もそれを理解して、更に話を続けるよう無言で烏城を促した。


「あの日、私が自分の部屋にいた時、首の後ろに何かが付いてるような違和感を感じて、その後刺されたと思った時、痛みに思わず首の後ろについていたものを手で握り潰していたんです」


「へ? 握り潰した?」


烏城の言葉に一瞬屯野は聞き間違いかと思い、そう咄嗟に聞き返していた。


「ええ、はい。そうですけど」


そう言った後、烏城は途端に目の前にいる屯野に顔をしかめ、怪訝な表情を見せる。

「その……琢磨君解ってますか? 二週間前のあの日が私達にとって、どういう日だったのか」

「え……? ――あ、そうか」

屯野は烏城が態度を変えた理由が解った。


その日は屯野と烏城が大好きなバーチャルアイドル『夢野れむ』の二ヶ月ぶりの生ライブが行われた日だった。


その日は屯野にとっても待ち遠しく大事な日であり、それは同時に烏城にとっても大事な日だったのだ。

屯野はTファージの事について考えるあまり、その日の事に屯野は烏城に改めて尋ねられるまで気付けなかった。

「私は前日、ライブの間に瞬きをしないようにわざわざ家から遠くの薬局に行って目薬まで買って、あの日れむちゃんを目に焼き付けていたんです。それなのに――」

烏城の会話が凄まじく脱線しそうな気配を屯野は素早く察し、慌てて口を開く。

「握り潰した手の中には――その、蜂がいたの?」

「ええ。あ、勿論手の中のものを確認したのは一時間後、ゆめちゃんのライブが終わった時でしたけど」

「……へ、へえ」

屯野は当たり前のように言う烏城の表情を見て背筋せすじがぞわっとした。――烏城の言葉通りなら、烏城は一時間以上、手の中で蜂を握りつぶしたまま夢野れむのライブを瞬き一つせず見たと言うのか。

屯野は改めて烏城の夢野れむ好きに驚かされた。とはいっても屯野もその日は蜂に刺されながらも、痛みをよそに夢野れむのライブに目を奪われていたので、人の事を言えなかったのだが。

「琢磨君。見てもらえますか」

烏城は礼儀正しく膝の上においていた左の手をテーブルの上において、手首を返し注射を打たれる人のように左の腕を屯野に晒した。

烏城の着た白いワンピースの袖口から伸びた白く細い烏城の腕はプールサイドで見るよりも綺麗に見え――

「え?」

烏城の晒した左腕の肘から手首の部分にかけての部分が、プールサイドで見た時とは明らかに違う色になっている。

烏城の肌のそこの部分だけが薄いピンク色をしており、僅かにその部分が独特の光沢を放っている。それはまるで――

「火傷の……あと?」

「はい。十四年前に家族で父方の実家に行っていた時、赤ちゃんだった私はストーブの上の薬缶やかんに気付かずにこの部分を火傷したそうです」

屯野には信じられなかった。

屯野は烏城が腕を見せている時を幾度と無く目にしてきて、そのような火傷の痕があれば声には出さずとも、目に留めるはずだったのだ。

「でも、そんな痕……ウチに来たときもプールの時も……――いや、今まで麗那さんはTファージを使って火傷の痕を消していたのか」

「……はい。感染した後、お風呂で腕を洗っていた時にふと、火傷の痕が消えたらと思う事がたまにあって……。蜂を潰したその日は思い込んだだけで痕が綺麗に無くなったんです。でも、意識しないようになったらその痕はあっさりと戻りました」


――腕を鶏の翼に変えることに気付いたのはその後で、火傷を治癒する際に誤って発生したものだという。


屯野は今まで火傷の痕を隠し、Tファージを今まで屯野や市ヶ谷の前で使用し続けていた烏城に驚きを隠せなかった。

(だから、あれから麗那さんは俺と会う事を恐れていたのか。火傷の痕を隠すためのTファージの使用を感染者以外の人間に見られる事を恐れて)

そして、Tファージの治癒能力がある事を知っていたのも、烏城は自らの火傷の治癒にTファージを何度も使ったから知っていたのだ。

しかし、屯野からすれば、今人を殺す怪人が町にいる今までの烏城のその行動は自殺行為他ならない。


Tファージは発動させ、新たな組織を作るとその変化し新しく生えた組織からは独特の臭いを発する性質があるのだ。

屯野は二度の牛の怪人との戦いの経験からその事を知っていた。


事実、二度目の牛の怪人と戦う前、屯野がTファージで発達させた嗅覚は、目の前の道路にいた普通の輪郭をした男の影が牛の怪人へ『なった瞬間』、屯野とは臭いは似ているものの別種のTファージの臭いを嗅ぎつけ、屯野はその瞬間初めて牛の怪人が来た事を察知した。


つまり、烏城のようにTファージを常に使っていれば、鋭い嗅覚を持つあの牛の怪人に烏城の居場所をいつでも察知されてしまう危険がある。

烏城があの牛の怪人の前で屯野に味方するような行動をとった事で、あの牛の怪人が烏城を襲う理由は十分にある。

「そんなの危険だ。そんな事でTファージを使うな」

「……琢磨君お願いですから、そんな事って言わないで下さい」

「でも、麗那さんがTファージを使えば、自分がどこにいるのかあの牛の怪人に教えるようなものなんだぞ……! Tファージで生成された物は独特の臭いを放つ。普通の人なら気付かない程度だけど、嗅覚の鋭い動物のTファージを持った俺やアイツにとっては――」


「ね、あなた達。何の話してるの?」


「え――――」

唐突に、人気の無かった筈の屯野達のいるテーブルの近くに若い女が屯野達の話に割り込むように声をかけてきた。

その女は一人分の飲み物の載ったおぼんを持って立っていた。

女の見た目は三十代前半くらいだろうか、ブルネットの長い髪に彫りの深い顔立ち。僅かに日焼けしたような褐色の肌に厚化粧、それらを併せ持った女はまるで外国人の映画女優を思い出させる。

女の着た服は黒を基調にした、胸元の大きく開いた扇情的な衣装を体に密着させ、ぴっちりと着込み、それは女の豊かなバストや細い腰周りを強調させていた。

「さっきから私、あそこで注文待ちしながらあなた達の話を失礼とは思いながらつい、聞いてたんだけど……何かの科学ファンタジー小説かしら?」

余裕を持った口調で女は屯野達に尋ねる。

思わぬ事態が起きた事で、烏城も屯野も共に女の前で口を閉ざしていた。

「あ、そのー……ごめんなさい。私、ひょっとしてあなた達のお喋りの邪魔しちゃった?」

「…………」

烏城は両膝に手を置き俯いている。

女の雰囲気にのまれているのだろうか、と屯野は思ったが屯野も今では烏城と同じように膝の上に手を置いて縮こまっていた。

(う…………)

女の傍の屯野が思わず、額に手を当てる。近くにいる女のつけている香水の臭いを嗅いでいる内に思わず屯野は頭が痛くなる。

そんな屯野の仕草に、咄嗟に女が芝居がかったように口に手を当て、しまったというような反応を見せる。

「あら? ああ。この香水はそこの太っちょの坊やにはキツかったかしら?」

「……」

屯野は黙ったまま、匂いに耐え切れず頷いた。

(キ、キツいなんてモンじゃない……香水何瓶使ったのかって位だぞ……!? どう考えてもおかしいだろこの匂いは……? ん……におい……?)

過剰なほどにつけられた香水の違和感を感じ、やがてその意味する何かに気付いた屯野は女に気付かれないよう配慮しながら、口で深呼吸を何度かし、やがて体内のトランスFを発動させ、人間の鼻に豚の嗅覚を与える。

「――――!!!!」

その瞬間、女のつけたあらゆる香水の匂いが一斉に屯野の鼻腔へと飛び込み、信じられないような匂いに思わず屯野は声無く呻く。

そしてその中の内、屯野がよく知る一つの匂いを屯野の嗅覚は確かに嗅ぎ取った。

「ボク、どうしたの?」

女が机に伏せた屯野を心配するように声をかけてくる。

しかし、今屯野にはそれを聞く気はなかった。

屯野はすぐ傍にいる女の顔を怒りのこもった目で睨みつける。


「お、お前……Tファージの臭いをさせてるな。どっちだ。鵠沼か。それとも人殺しのTファージ感染者の方か。今すぐ言え……!」


烏城はそれを聞き、急にその顔から血が引き青ざめてゆく。言われた方の女はきょとんとした顔をして、やがて手で頭の後ろをかいた。


「うーん……どうしたもんかな……あはは――――安心しろ。ワシは姿こそ違うが、中身は鵠沼くげぬま本人だ」


女の声が小さくなると共に、口調が途端に男のものに変わった。

鵠沼は女の姿のまま持っていた盆を屯野達のテーブルへ置いて、近くの椅子に座る。

「……何でジジイが女の姿をしてるんだよ。気持ち悪い」

目の前の椅子に座った鵠沼の姿は変装でなく、変身だった。

外見、背、声、全てが若々しい三十代の妖艶な女性で本来の姿である老人の面影は皺一つ見られない。

「なに、香水でTファージの臭いを消せるかと思ってな。お前に試してみたが全く、大した嗅覚だな。ひひひ」

その言葉に屯野は先程自分の感じた女の過剰な香水の臭いをさせていた理由に対し立てた推測が正しかったと鵠沼本人の口から答えを得た。

「――いやぁ、さっきワシの所に来た『この女』は実に愚かだった。ろくな知識を持たずにこのワシに歯向かうからこういう目に遭う」

鵠沼の言葉の意味が解らず、烏城は女――鵠沼がTファージの力で変身した姿――に目を向ける。

「え、どういう……」

屯野は質問しようとする烏城を止めた。――この鵠沼の話しぶりからおおよそ良くない話である事は何となく見当がつく。

「麗那さん。こいつの話は聞かない方がいい」

屯野は入院した時に見た嘉田かだという院長を思い出した。

その正体は今のように鵠沼がもつ特殊なTファージの力を使い、変身したものだったのだ。

そして、その日の翌日、院内では嘉田院長を呼び出しする館内放送が何度も流れていたのも屯野は思い出した。

鵠沼が嘉田本人を亡き者にしたと想像するのは、鵠沼と言う男の異常性を垣間見た屯野だからこそ容易だった。

もっとも、その日の夕方、烏城麗那は病院に訪れた際には嘉田に変身した鵠沼がいた事を屯野は知らなかった。

屯野の思いをよそに鵠沼はおもむろに天井に向け、指を立てて口を開いた。

「そう。今、お前達は怪人と戦わねばならんからな」

鵠沼が若い女の声のままそう言った。

「戦うのは自由だとか言ってたくせに、とうとう怪人との戦いをそそのかすようになったのか」

「あー……実はそうなんだ。このところ互いに膠着こうちゃく状態が続いとるだろ? 誰も死なんし誰も戦わん町を見ていてもワシは面白くともなんとも無い。あの牛男や他のもう一人の怪人が動いてくれんと話にならん。奴らは共に自制しておる」

殺人を許容する鵠沼には賛同できなかったが、怪人たちが動き出さない事について薄々苛立ちを募らせていたのは屯野も同じだった。

「……なら、戦うのは俺だけでいい。前もそうだったけど爺さんはそいつらを呼ぶ事は出来るんだろ?」

「琢磨君!?」

烏城は座っていた椅子ごと体を揺らして、屯野の言葉に目を見開き、驚いた。

「琢磨君、駄目! 行くのなら私も……!」

生憎あいにく、ワシはお前らの痴話喧嘩に付き合うつもりは無い。戦う気のある者だけ深夜二時、天見町立図書館へ来い。それじゃあな」

女の姿のままそう言って、鵠沼は一息で持ってきた飲み物を飲んでしまい、その後すぐ二人の言葉を聞かぬうちにどこかへと去っていった。


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