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「第十八話」


「第十八話」


市ヶいちがやが鼻血を出して倒れ、救護室に運ばれてから十分後。

市ヶ谷が救護室のベッドで三十分は安静にしているよう施設の救急係から指示が出た為、屯野とんの烏城うじょうはどこかで時間を潰すべく、プールサイドに幾つもある休憩用の椅子の備え付けられたパラソル付きテーブルの一つへ向かった。

屯野と烏城が腰掛けた周りのテーブルでは泳ぎ疲れた人たちがそこで談笑しあい、各々の時間を優雅に過ごしている。

しかし、そんな明るい喧騒に囲まれて尚、屯野と烏城の間では会話は生まれず、二人俯いたまま一言も発する事は無かった。

屯野はこの席についてからの五分ほど経っている、今のこの沈黙は針のむしろの上にいるような気持ちだった。

(……市ヶ谷の野郎……簡単にぶっ倒れやがって)

屯野はこの状況を生み出した本人である市ヶ谷を心の中で呪った。――何気なく、烏城の方を見てみる。

烏城は屯野が向けたその視線に気付き、屯野と視線を交わす。

「あ……そ、その」

やはりと言うか、屯野に対する烏城の言葉はよそよそしい。

屯野は市ヶ谷がいない今こそ、Tファージについて尋ねるべきじゃないのかと思い、勇気を出して口火を切ろうとしたが、烏城が屯野の方へ僅かに身を乗り出して口を開いた。

「と、屯野君?」

「え、あ……何?」

烏城から話を振られるとは思っていなく、屯野は呆気にとられた。

「市ヶ谷君とは……どうやってお知り合いになって……その、友達になったんですか?」

屯野は質問の内容にまた呆気にとられた。

「……市ヶ谷と?」

「はい」

烏城は屯野の方を見ながら頷いた。

「そ、それは……」

屯野は頬をかきながら、市ヶ谷と友達として付き合うことになった、今から数ヶ月前――四月の出来事を思い出すがそれについては屯野自身あまり人前では口にしたくは無かった。

「どうしてそんな事聞きたいの?」

屯野は咄嗟に質問から逃げ、烏城に尋ね返していた。

「…………」

烏城はまた俯いてしまう。

また訪れた沈黙に屯野は我慢できなかった。

ふと、屯野はプールサイドへ来る前の更衣室での市ヶ谷との会話を思い出した。

屯野は椅子から立ち上がり、パラソルから出て烏城の方を振り返る。

「あー……あのさ、ほら折角せっかくプールに遊びに来てるんだしさ。楽しまないと損だろ?ほら、麗那さん。あっちのスライダーに行ってみない?」

「え、そ、その……屯野君……いいんですか?」

「へ? いいって何が?」

「その……私がその……屯野君と一緒に行っても」

「……何で麗那さんが俺なんかに気を遣うんだよ。あの時、麗那さんに俺の勘違いでいっぱい酷い事言って、結局悪かったのは俺の方なんだし。どっちかといえば俺が麗那さんに謝らないといけな――……あ、その……」

言ってから屯野はこの話題を出すのは、プールが終わった後だと烏城と電話で打ち合わせていたのにもかかわらず、屯野ははずみで言ってしまった事に後悔し、思わず言葉を濁らせた。

しかし、次に烏城が口にした言葉は屯野に対する批判ではなかった。

いつのまにか烏城も椅子から立ち上がっていて、黒くパッチリと開いた目には涙が溢れていた。

「屯野君……いいんですか? 私はその……屯野君と同じでTファージに感染しているんですよ」

「……!」

烏城の言ったTファージと言う言葉に思わず反応し、屯野の全身に緊張が走る。

烏城は続けて話し出す。その話し方には烏城自身の不安を匂わせた。

「もう、私は……屯野君が知り合ったときの私じゃないんですよ……!?」

「……」

「私と屯野君が一緒に行動して、もし私が人前でTファージを晒すような事をしたら……屯野君もきっとあのお爺さんに証拠隠滅で私と一緒に殺されてしまう。そんな自分が殺されるリスクを背負い込んでまで私と――」

「あ、あのさ……」

プールサイドの雑踏があるのにもかかわらず、屯野の言ったその声は烏城に届き、烏城は咄嗟に口を閉じた。

「麗那さんは今も俺の事を友達って思ってくれてる?」

「そんなのっ当たり前じゃないですか! でも今、誰かに命を握られているこの状況で……屯野君は私の事を……」

「俺、麗那さんが俺の家までわざわざ来てくれた時、俺の事を大事な友達だって言ってくれて本当に嬉しかったんだ。そんな事誰かに面と向かって言われた事無かったから」

「でも今の私は…………」

「俺は今でも麗那さんを友達だって思ってるよ。命の危険なんて、麗那さんといれば感じない。だって……俺はあの牛の怪人に殺される直前、Tファージを使った麗那さんに命を救われてたんだからさ」

「でも! 屯野君! 私はあの時、牛の怪人との戦いを避ける為に、また屯野君を戦わせようとしたんですよ!!」

烏城が牛の怪人に向かって言ったその時の言葉は屯野も覚えていた。

『あなたが琢磨君と戦うと言うなら私は琢磨君と共にあなたと戦います』と烏城は確かにそう言っていた。

「でもさ、本当に麗那さんがあの時、牛の怪人と戦う気があったならあんなに自分の声や足腰震わせないはずだって。あの時、麗那さんの背中を真後ろで見てた俺にはあの時の言葉が牛の怪人を逃がすためだけの提案だったろうって大体解ったよ」

しかし、町の人間を殺しまわっていた牛の怪人を再び逃がしてしまった事に関しては屯野の中では未だに後悔があった。

でも、その時、烏城は牛の怪人が殺人犯だったという事を知らなかったので、その事に関しては屯野は烏城に責任を問うつもりも無かったし、今、改めてその自分の感じている後悔について烏城に言うつもりも無かった。

屯野は烏城を見つめ、静かに口を開く。

「俺は麗那さんがTファージに感染していても、麗那さんは俺にとって大事な友達だと思ってる。あー、そのぉ……だからさ、そんなよそよそしくしないで、また琢磨って名前で呼んでくれない? 俺ばっかり麗那さんって名前で呼んでると何だか……その、恥ずかしいからさ」

「…………!」

結局、これが殺し文句となり烏城は短く嗚咽を漏らし、慌てて口元を手で抑えた。

その抑えた烏城の手には大粒の涙が伝っていた。


「うん。本当に……ありがとう。琢磨君」


涙を拭き屯野の前に立った烏城は今は笑顔すら浮かべ、屯野の前で心の底から喜んでいるようだった。

「んじゃ、あっちのスライダーに行ってみる?」

「はいっ」


その後、二人は施設内のあらゆる種類のプールを満喫し、三十分後救護室から戻ってきた市ヶ谷と共に更にプールで泳ぎ、同じようにそれら各種のプールを満喫した――屯野と烏城と市ヶ谷、三人ともが皆、心の底から楽しそうな笑顔を浮かべて。



その日の夕方。

屯野達三人はすっかりプールで遊んだ後、それぞれ遊び疲れた体を引きずって、集合した駅へと歩きで向かっていた。

今では屯野達三人は旧友同士で語らうような屈託ない会話に花を咲かせていた。

「いやー、本当はもっとあのスライダーで滑りたかったよなー。今日は人があそこに集中しすぎたせいで、俺は全然滑れなかったぜ」

駅に向かう真っ直ぐな歩道を歩く三人横一列の右端にいる市ヶ谷が足を前に蹴り上げながらそうこぼした。

「あの。私が見ていた限りで市ヶ谷君は十回以上滑っていたと思いますけど……?」

その市ヶ谷の隣、列の真ん中にいる烏城が悔しそうな表情を浮かべる市ヶ谷の方を見ながら言う。

「違うって麗那さん。市ヶ谷にとっては多分それだけ滑ってもまだ少ない方なんだよ。ほら、コイツってば見ての通り貪欲どんよくな人間だからさ」

そして、そう市ヶ谷の方へ目を向け呆れるように言ったのは烏城の隣、列の左端にいる屯野だった。

屯野にけなされ腹を立てたのか、市ヶ谷は歩を早め、二人の前の方へ行ってそのまま振り返る。

「俺のどこを見て貪欲だって言うんだよ? まぁ、否定はしないけどよ」

それを聞いて、烏城は小さくふきだした。

「それに屯野だって自分の『例の趣味』には誰よりも貪欲だろーが」

「趣味って……お、お前っ、その話はここでは止めろって……!」

屯野は間違っても市ヶ谷に烏城のいる所で、屯野が好きなバーチャルアイドル『夢野れむ』の話をさせたくは無かった。

それは、恐らく烏城が心身ともに清らかな乙女と信じている市ヶ谷の為でもあった。

何かを嗅ぎつけたのか、屯野は隣の烏城が市ヶ谷の言った『趣味』というワードを聞きつけ僅かに目を開いたような気がした。

屯野は慌てて話題を変えようとするが、その前に烏城が口を開いていた。

「お二人は仲がいいんですね」

屯野と市ヶ谷を交互に見て、微笑みながら烏城は言う。

屯野は烏城が夢野れむの事について市ヶ谷の前で触れないでいてくれた事に思わず胸をなでおろす。

烏城の言葉を受け、市ヶ谷が屯野の代わりに答える。

「まぁな。入学式からちょっと過ぎた位から屯野とは友達になってたっつーか。な?」

市ヶ谷が屯野の方にまた視線を送ってくる。

屯野はああ、と首を縦に振って頷いてみせる。

「ホントならコイツみたいな運動部のヤツと帰宅部の俺ではクラスが同じってだけで、他に接点は無いはずだから友達になるとは思ってなかったんだけど……」

市ヶ谷は腕を組み、屯野と同じように頷き、屯野の言葉に同意を示す。

「そーそー。俺だって思わなかったぜ」

「あ。そういえば、さっき私が琢磨君に聞いたんですけど……お二人ってどうやってお友達になったんですか?」

「い、いや麗那さん。そ、それは――」

屯野が慌てて烏城の質問の撤回を求めようとするが、その場にいた市ヶ谷によって屯野の要求は打ち消される。

「何だ? おい、別にいいって屯野。話してあげりゃいいじゃねえか。お前にとっちゃやましい事でも無いんだからよ。何なら俺が烏城に教えてやろうか?」

「え? 教えてくれるんですか?」

「ああ、別にいいよ。今年の四月の事でさ。俺、学校に持ってきたエロ本をうっかり教卓の中に置いたままにしちゃってたんだよ」

瞬間。烏城の頬が紅潮する。――市ヶ谷のような男子校にいたヤツは皆、女子の前でも、そう言う事を平気で言えるのか?――屯野は溜息をついた。

「え、えろ……?」

躊躇ためらいがちに言う烏城とは対照的に市ヶ谷は落ち着いて答える。

「うん。二組のヤツにその本を貸す約束してて、俺がそいつに渡す時間が無いもんだから、教卓の中に置いておいて、放課後そいつがその本を取りに来るはずだったんだけど、俺がうっかり終礼前に入れたもんだから、それが担任に見つかっちまってさ。『皆、まだ帰るな! 違反物を持ち込んだ生徒がいる!』っつって、ウチのクラスが大騒ぎになっちまった」

その担任の行動については屯野も苦言を呈したかった。

たった一つの違反物で何もそこまで先生が過剰反応しなくてもいいのにと、その時屯野は思っていた。

後に屯野が聞くところには名皇高校は規則に対して厳しいことでもその校風において広く知られていたらしい。

市ヶ谷は続ける。

「その後、犯人が名乗り出てくるまでは帰さないって担任が言いやがったお陰で、他のクラスは終礼終わっても俺たち三組は帰れずじまいでさ。いやーあの無言の間は辛かったな?」

市ヶ谷が屯野の方を見て同意を求めてくる。

「…………」

屯野は黙ったまま市ヶ谷に抗議の視線を送る。

それを受けた市ヶ谷の額には一筋の汗が垂れていた。

「あ、いやー……そ、それでさ。俺、何としても本を持ってきたのは自分だって言いたくなかったから黙ってたのさ」

「え……どうして黙ってたんですか?」

「そりゃ、お前。担任の手にはボインな姉ちゃんの表紙が印刷された俺のエロ本があるんだぞ? 自分が巨乳好きだって事をクラス中に暴露するようなもんだ。俺でも流石にそれは恥ずかしいって! それにおずおず言ったところで本が没収されるのも間違いねえしな」

なら、今烏城の目の前でその事を大声で話す市ヶ谷はどうなのか――屯野は心の中でそう思いながら更に非難めいた目で市ヶ谷を見る。

烏城がまた顔を赤らめた。

「ぼ、ぼいん……」

そう顔を赤らめながら自分の平均的な女子高校生らしい起伏のある細い体を見下ろし呟く烏城をよそに、市ヶ谷は話を続ける。

「ま、そんなわけで俺が黙ってるもんだから、何十分も時間が経っていく訳でさ。段々クラスの皆が苛立ち始めるんだよ。そんな中で担任が『今、素直に言えばこの本は返すし、違反物を持って来た事についてはここだけの話にしておいてやる』とか言いやがったのさ。譲歩したつもりだろうが、――俺は折れなかったね」

そう言って、市ヶ谷は白い歯を見せスポーツマンらしい爽やかな笑顔を浮かべる。

――どうして神は体に見合った人格をこの男に与えなかったのか、屯野は初めて神を呪った。

「で、とうとう一時間が過ぎようとした時、窓際の隅っこの席でそれまで静かにしてたヤツが急に立ち上がって、『先生! その本は僕のです!!』っておもいっきし大声で言いやがったヤツがいたんだよ。……くく」

屯野は笑いをかみ殺している市ヶ谷へ抗議の視線を更に送る。

「ああ、ゴメンって。結局あの後、お前のお陰で本も無事戻ってきたし、あん時は感謝してるってホント。お礼の報酬も渡したろ?」

「報酬って……もしかしてその次の日俺の机に入ってたあれ、お前の金だったのか? お礼っていってもあれ五百円じゃねえか!? そんなんじゃ購買の牛丼弁当も買えねえよ!」

「え……? もしかしてその手を上げた人って……?」

そのまま烏城の眼がゆっくりと屯野のいる方へ向く。

屯野は何ともいえない表情を浮かべる烏城を直視出来ず、黙ったまま視線を床に落とした。

「そ、ここにいる屯野琢磨とんのたくま様が手を上げてくれたお陰で俺は助かったんだよ」

「ど、どうして琢磨君が?」

「……そ、その日はどうしても早く家に帰りたかったから仕方なく」

「そーなんだよ。後で手をあげた理由を聞いたら俺を助ける為屯野が犠牲になったとかそんな理由じゃなくて、何だったけ? あの……『なんとか・れむ』だっけ?」

「『夢野れむ』です」

思い出そうしながら言った市ヶ谷の言葉の後コンマ一秒置かず、烏城はその単語を市ヶ谷の前でサラリと言い切った。

「そーそー。………………って、何で烏城がそれを知ってるわけ?」

市ヶ谷の笑顔が僅かに固まる。そんな間にたまらず屯野は身振りを交え、慌てて割ってはいる。

「あーもー! 別にいいだろ! 俺がこの前、麗那さんに教えたんだよ! な、なぁ?」

屯野の表情と言葉に有無を言わさない響きを機敏に感じ取ったのか、烏城は曖昧に頷きながら、言葉をたどたどしくしながらも、

「え、あ、その。は、はい」

と言って肯定した。

「ふーん? そーなの?」

それに市ヶ谷は納得したようで首をかしげながらも屯野の言ったことに納得したようだった。

「あの……結局その後でお二人は仲良くなったんですか?」

「あー、でもすぐって訳じゃなかったよな? 俺が屯野のお礼にお礼に、とかで色々屯野の世話焼いててそれからかな? よく話すようになったのって」

「俺がお前に世話を焼かれた事ってもしかして、お前が夜中数駅離れた俺の家までわざわざ来てウチの近くの女子高に潜入を提案したりとかか?」

「そ。お前にリアルの彼女見つけた方がいいと思ってさ」

「馬鹿、俺は二次げ――いや、そんなのは大きなお世話なんだよドスケベ野郎」

「言いやがったな萌え豚野郎」

二人の間ではいつものやり取りが交わされるのを見て烏城は再び市ヶ谷の方を見る。

「あ、あの……それより、市ヶ谷君?」

「んぁ。何?」

「市ヶ谷君は何部に所属しているんでしたっけ?」

「俺? 中学の頃は陸上だったけど高校入ってからは誘われてバスケだな」

「男子バスケ部って……いや、あの……えっと、今の時期は練習に行かなくても大丈夫なんですか?」

そういえば、と烏城の言葉を聞いて屯野は思い出した。

今は八月上旬、まだ夏休みになったばかりで当然、高校の部活動にも合宿や校外での対外試合が組まれたり、各々部活動においては精が入る重要な時期であるという事は屯野はあくまで知識としてだが知っていた。とはいえ、帰宅部の屯野にはそれ以上の事は想像できなかったが。

心配げに市ヶ谷を見る烏城に屯野はおそるおそる市ヶ谷に問い詰めた。

「おい、市ヶ谷……お前、まさかこの大事な時期に練習サボってるんじゃないだろうな?」

いい加減な市ヶ谷の普段からの人柄を知っている屯野は思わず、市ヶ谷を睨む。

「…………馬鹿言うな。俺は勉強嫌いな代わりに部活大好き人間なんだよ。といっても、今日は部活の遠征でホントは先輩らの試合の応援に俺ら一年全員が行ってないといけなかったから、サボりと言えば合ってるかもな」

「じゃ、何で行かないんだよ」

「俺、人がバスケやってるの見てても別に面白いと思わないんだよなー。だから今日来たワケ」

「は? なんだそれ。わがままかよ」

「ん……。ああ、そうだよ」

「はぁ、要領がいいというか、何と言うか……部活でのお前をあんまり知らないけど、ま、そう言う所はお前らしいな」

「……………………」

不思議な事に市ヶ谷は答えなかったので屯野は思わずいぶかしんだ。

「? どうした?」


「――うるせぇなっ!!!!」


屯野が言い終わった時、急に市ヶ谷が今までに無く声を荒げ言い放った。

その怒りを吐き出すような大きな声に烏城は思わず体をビクッと震わせ、歩いていた足を止めていた。

屯野は市ヶ谷がそんな風に怒ったのを見るのは初めてで、口から出た声は思わず震えていた。


「い、市ヶ谷……?」


そう言われるなり、市ヶ谷は何かに気付いたような表情でハッと、短く息をのむ。

「あ、その……ご、ごめん烏城、屯野」

途端に素直に謝られ、屯野は面食らった。

「……いや、別にいいけどよ……?」

その中、烏城が市ヶ谷の方に一歩踏み出し、

「市ヶ谷君、その――」

「えっと俺、ここで帰るわ。じゃあな」

そう言って、烏城の言葉を振り切るように市ヶ谷は、屯野と烏城を置いて町の中へそそくさと走り去っていった。

「どうしたんだよアイツ急に……。ごめんな、麗那さん? いつもはアイツあんな風に突然キレたりしないんだけど」

屯野は烏城の方を見て言うが、烏城は市ヶ谷の去って行った方向をじっと見据えたまま動かなかった。その表情は明らかに何かを心配したような表情だった。

「麗那さん……? どうかした?」

「え……あ、ごめんなさい」

烏城は目を何度かぱちぱちと瞬きさせ、屯野の方へ振り返った。

「――琢磨君。行きましょう」

「行くって?」

ややあって烏城は声を落として静かに言う。

「二人きりで話せる所に、です。私が琢磨君に今日お会いして話しておきたかったのは、私の知っているTファージについての事なんです」


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