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「第十七話」

「第十七話」


そして、何も起こらないままプールに行く約束の日曜となり、屯野とんのは市ヶいちがや烏城うじょうと待ち合わせていた駅へと向かっていた。

天気はこれ以上なく快晴で、その容赦ない熱気は、屯野の体を苦しめた。

「だぁあー……あづー……ぃ」

暑さに呻く屯野の言葉は、駅へ向かう周囲の人々の雑踏でかき消される。

当然といえば当然なのか、今は日曜の昼である為に往来する人ごみの大きさたるや屯野の想像をはるかに超えていた。世は夏休みなのだ。

うだる熱気にあおられたお陰で、屯野がこの日のために三十分かけ、服屋で選んだオシャレな半そでTシャツが今はその薄い紫の生地が汗を吸い、濃い紺色へと変色してしまっていた。

「あー、くそ」

屯野は額の汗をぬぐいながら駅へと一歩一歩歩いてゆく。

屯野の歩いている歩道には大勢の人がすし詰めになっており、そして大勢の人間たちが屯野と同じく、皆一様に大量の汗をかいている。

(今なら、この場所から雲でも出来そうな勢いだな)

そう思いながら屯野は人ごみの中、肩にかけた水着やタオルの入ったエナメルバックのベルトをかけなおした。

屯野が家を出るまでは烏城に会うことに対しての緊張感は無いわけではなかった。

一週間という烏城と屯野が話していない期間が屯野にとってはあまりにも長く思え、改めてどう烏城と会話すればいいか家を出るまでに散々悩んだばかりだ。

嫌われていると思っていた屯野にとって、烏城がプールの誘いを受けた事は驚きだった。

もう本当に二度と話せなくなるくらいだと屯野自身覚悟していた分もあって、驚きは大きかったのだ。

屯野は歩く中、ふと烏城の言った言葉を思い返す。

「俺に話したい事があるって言ってたよな……。何言うんだろ? あーもー……、わっかんねーなー」

「よ! 屯野ぉ!」

駅に向かう途中、人ごみを器用に掻き分けながら屯野のすぐ後ろに現れたのは本日のプールの企画者、市ヶ谷だった。

今日は日曜なので、彼も屯野と同じく私服だった。膝下が破れたような黒のジーンズに青のTシャツに目立たないアクセサリを首から提げている。屯野と遊びに行く時と変わらない服装だった。市ヶ谷は屯野のように服屋に行かず、烏城に見栄を張らなかった。

市ヶ谷は屯野の肩をぽんぽんと叩く。

「ははは、奇遇だな。この良き日になぁ、おい」

「ああ。そうだな」

今日に限って市ヶ谷の爽やかな笑みがいつもより楽しそうに見える。その笑うさまは心の底から楽しくて仕方ないという風だ。

その笑顔の理由といえば、烏城がプールへの誘いにオーケーした事を屯野の口から伝えたためだった。その時の市ヶ谷の喜びようといえば、それを授業中にしたのであれば即、職員会議にかけられ、生活指導になるものだった。

高嶺の花と呼び名高い、奥手な黒髪美少女・烏城麗那うじょうれいなは名皇高校男子生にとっては、休みに彼女と遊びに行く事がステータスの一つに数えられていたからだ。

嬉しそうな市ヶ谷は屯野の気のない答えに異を唱えてくる。

「おいぃー。今日は烏城さんとプールだぞ? プール? あぁ烏城さん、水着どんなの着て来るんだろうなー。セパレート? ワンピースもいいな……ま、まさかトップレス――!?」

下世話な市ヶ谷の言葉に屯野は思わずそれらの水着に身を包んだ烏城の姿を初めから最後まで全て想像してしまい、最後には恥ずかし紛れに目頭を押さえる。

「……こ……こんな時に変な事言うのはやめてくれ、市ヶ谷。頼む、いやお願いします」

気のせいか屯野の姿勢は前かがみだ。あくまで気のせいで。

市ヶ谷は聞いていないようで、いつしか爽やかな笑みは跡形も無く消え、いやらしい笑みに変わっていた。

「いやー楽しみだなー……それよか、屯野は何で烏城と知り合いなんだよ」

「帰り道でちょっと会って、向こうから話しかけられて。それでメルアドとかアドレス交換したりした」

「アドレス交換って屯野が言い出したのか?」

「いや、向こうから」

「馬鹿言え。お前みてえな萌え豚野郎にアドレス交換持ちかける美人女子なんているわけねえだろうが」

「うん。お前みたいな外面そとづら良いだけの、ドスケベ野郎ならまだしもな」

「へー、不思議な事もあるもんだなー萌え豚野郎」

「ああ、ホントだな。ドスケベ野郎」


――もっとも、その後に起こった牛の怪人に殺されかけた一件に比べれば烏城と知り合いになったことすら些細に見えるのだろうが。



それから五分後。屯野と市ヶ谷は待ち合わせ場所の駅のホームへ辿り着いた。

そこには既にお嬢様らしい白の夏用のワンピースに身を包んだ烏城が人ごみの中、掃き溜めの鶴よろしくブランド物らしい、小さな手提げカバンを両手で持って立っていた。

大勢の人が行き交うホームの中で烏城は落ち着き無く、時々腕時計に目をやりながら、辺りをそわそわ見回していた。

制服で見る以上に烏城は美人で、辺りの屯野と同じくらいの年頃の男の目を集めていた。

多くの人が通りがけに烏城に目線をやって通り過ぎてゆくが、遠くにいるそんな烏城を見つめる屯野、市ヶ谷の二人はその烏城の可愛らしい私服姿に暑い中棒立ちになり、釘付けになっていた。

市ヶ谷の笑顔がひくひくと引きつる。

「や……やばいな、屯野。俺、ホントにあの人とプールに行ってもいいのかよ。何だよあの高貴なオーラは。烏城の周りの人、若干距離おいてねえか?」

「……と、とにかく、早く行ってあげるぞ。もうすぐ待ち合わせの一時になる」

「お、おうよ」

二人は駆け足で、烏城の元へ向かう。


落ち着きなく首を右へ左へ動かしていた烏城が近づいてきた屯野達二人の方を向き、烏城は小さく頭を下げた。

今日こんにちは。え、と三組の市ヶ谷君と……屯野君」

屯野が言うが早く、市ヶ谷が屯野の肩に手を回しながら、笑顔で答える。

「そうです! あの後またメールで自己紹介しましたよね? 貴女が屯野の友達の烏城麗那さんですね!? いやーお会いしたかったですよ」

屯野は強引に肩に回された市ヶ谷の腕をねめつけた後、ゆっくりと烏城の方を見る。

「こ、今日は。麗那さん」

「……は、」

屯野が挨拶した後で烏城は消え入りそうな声で言い、烏城は屯野に小さくお辞儀する。

屯野と烏城の二人の間で気まずい雰囲気が流れ、市ヶ谷は素早くその二人に生まれたマズい空気を察知し、咄嗟に声を上げる。

「あ、そうそう! と、とにかくここは騒がしいし、烏城さん、先にプールに向かいましょう!」

「は、はい……」

辺りをはばかるように言った烏城の目線は市ヶ谷で無く、屯野に向けられていた。



屯野達三人が向かうのは集合した駅から歩いて五分程行った所にある大きな市民プールだった。

プールに行くまでの間、屯野達は横一列になって話しながら歩いた。

といっても口を開いていたのは主に市ヶ谷で、屯野と烏城はあまり口をきかず、市ヶ谷を間に挟んで互いにどこか距離をおいて、市ヶ谷の言葉に二人とも曖昧に頷くだけだった。

屯野はこういう気まずい時でも能天気に話す市ヶ谷をすぐ隣で見ながら有難く思った。

夏休みの宿題の事や各々の夏休みの予定を話し合った後、三人はプールの入り口に辿り着く。

各自、水着を着てから中で合流する事となった。


ロッカーの置かれた更衣室で屯野は水着に着替え終わり、ロッカーに鍵をかけた所に同じく水着に着替え終わった市ヶ谷が屯野の前にやって来た。

市ヶ谷はプールサイドへ行こうとする屯野を手で軽く押しとめる。

「屯野、お前……烏城とあんまり仲良くねーの? さっきからお前らぜんぜん話してねーじゃん」

「……でも送ったメールの誘いに答えて、麗那さんがわざわざプールに来てくれてるから俺の事が嫌いじゃないとは思う」

後半は屯野自身に言い聞かせていた。

市ヶ谷は屯野に背を向け、溜息をつく。

「わっかんねぇなー。ホントに何かあったんかよ。――ま、いいや早く行こうぜ! 今頃、烏城が水着姿で俺たちを待ってるぜ!」

屯野は烏城の水着姿という言葉にドキリとしたが、すぐに妄想を振り払うように首を振って、プールサイドへ向かう市ヶ谷の姿を追う。

「市ヶ谷お前って、そーいうトコで切り替えが早いよな」

「だろ? 早く来いよ! うひー! つ、冷てぇ!!」

二人はシャワーのアーチをくぐり、多くの賑わいが漏れ聞こえるプールサイドへ向かった。

そこは予想通りと言うか、体育館を幾つもつなげたようなとてつもない広さのプールサイドには五歳ほどの小さな子供から五十歳位までの大人達がひしめき合っていた。――人数は二百人以上だろうか。

市民プールといえど、そこの市民プールには競泳用の五十メートルプールから子供用の底の浅いプールに、中央の涼しげで巨大な噴水や、一直線に伸びた長いスライダーなど、幾つものプールがあり、それらプールから少し離れた場所にはテーブルにパラソルの添えつけられた休憩場所がいくつもあった。

それらは市に豊かな財がある事を物語っており、その市民プールはレジャー施設並みの巨大な場所だった。


屯野がこのプールに来た事は初めてではなかったが、しかしそれは何年も前の小さな頃に親に連れられた時のかすかな記憶しかなかったため、屯野は改めて目の前の光景に、思わず烏城の事も忘れ驚いた。

「……ここ、こんなに大きかったっけ?」

「何年か前、改装工事してからな。いやー、わざわざ遠出したかいあったな。ウチの学校の女子も何人かいるぜ。……と。烏城はまだ来てないみたいだな」

辺りを見渡しながら市ヶ谷は、流石に早すぎたか。と小さく毒づき市ヶ谷の表情に僅かな悔しさがにじみ出る。

「…………!」

屯野も思わず自分のいる辺りを見渡し、烏城を探していた。

やがて、その姿が無いとわかると屯野は思わず胸をなでおろした。

烏城の提案では、互いに話し合うのは、あくまでプールの後と言う事だったので屯野は胸に手を当て、身の内の烏城に問い詰めたい衝動を静かに押し殺す。

「屯野? どうした?」

振り返り、屯野の方を覗ってきた市ヶ谷に、屯野は咄嗟に笑顔を作る。

「い、いや。何でも」

「ふーん。……あのよ、ここに来るまでに言おうと思ってたんだけど」

「何だよ。改まって」

「烏城もお前ももうちょっと楽しくできないか? せっかくプールに遊びに来たんだしよ。そのー……ほら、再来年は俺ら受験でこうやって遊べねえんだから、今ぐらいは素直に楽しんで青春しとこうぜ?」

「あー……俺も出来ればそうしたいんだけどな。俺って……ほら、臆病だからどうしても向こうに気を遣っちまうんだよ」

屯野は多くの人がいるプールのひとつにぼんやり目を向けながら呟いた。

市ヶ谷はそれを聞いて黙っていたが、やがて地団太を踏みながらうめいた。

「そんな屁理屈ばっか言うなよ! 今は何も考えなくていいんだ――よっ!」

言い終わるなり、市ヶ谷が屯野の空いた背中に渾身の右の張り手を喰らわせる。

バシィィンという肉を打つ小気味良い音が辺りに響くと共に、屯野の体が焼けるような痛みを受け、反射的に屯野は叫び、仰け反った。

「痛てぇええええ!!」

叫び、背中に手を回し痛がる屯野とは対照的に市ヶ谷はげらげらと笑う。

「ほらぁ。痛みで他の事なんか一気に吹っ飛んだろ? 中学の時の陸部の先輩にこれをよくやられたもんだぜ。ほれ、もう一回いっとくか?」

市ヶ谷は再び手を屯野の前で振り上げる。

「や、やめ――ぎゃあうっ!!」

屯野は背中に再び襲ってきた張り手をかわしきれずに、その一撃を頂戴しその場にうずくまった。――日に焼かれ、身を焦がすような熱さを持ったプールサイドの地面は同時に屯野の伏した肉体に少なくないダメージを与えてゆく。

その時、遠くから屯野達のいる所へ走ってくる足音が聞こえた。

「た、琢磨君っ! あ……そ、その屯野君、大丈夫ですか?」

水着に着替え終わり、やってきた烏城の声に市ヶ谷も気付き、軽く返答する。

「ああ、烏城さ……!?」

市ヶ谷の声が途端に止む。

屯野は涙が滲みつむっていた目をそっと開け、体に痛みを感じつつもどうにか起き上がる。

体を起こし、その場で立ち上がった屯野の目の前には倒れていた屯野を気遣うように見る烏城の姿があった。

「屯野君……?」

「あ……え……」


屯野は目の前に移る水着女子の姿に思わず言葉を失った。


目の前の烏城は腰の部分に短いスカートのような白いフリルの付いたセパレートの水着に身を包んでおり、それは烏城の高校生の平均の女子らしい起伏を浮かび上がらせていた。

烏城の肩まであった長い黒髪は頭頂部より僅か後ろに結ばれたゴム紐で一つの房に束ねられており、それが烏城の持つ深窓の令嬢のような雰囲気から、スポーツ少女のような活動的なイメージを与えている。

そして、今まで屯野達の周りにいた人たちもティーンエイジャー水着グラビアの雑誌から抜け出たような烏城の美貌に思わず、その場で多くの男が立ち止まり見惚れ、その場一帯は烏城を中心に時が止まったようになっていた。

可愛らしく細い両腕を背に回して、体を強調させる姿勢の烏城に屯野は同じく見惚れていた。――女に惚れるのは二次元だけだと思っていたのに……悔しいっ。

「え、えっと……その、どうですか? 私一応、デパートでそれらしい水着を見繕みつくろってきたんですけど」

後ろに回した腕を恐る恐る体の前に出しながら、烏城はその場でくるりと回ってみせる。

色の白い烏城がフリルの付いた白い水着でその場を足で回る様はさながらバレリーナようだった。

その後、気のせいか烏城は体の前で腕を組み合わせ、恥ずかしがるようにもじもじしていた。

前でもじもじと、組み合わされた傷一つ無い白い肌の腕を見ているうちに屯野は知らず内にその腕の間にある柔らかそうな二つの起伏に目をやっていた。

(A……いや、Bくらいはあるかな……?)

ふと烏城の抗議の視線を感じたような気がして、屯野は慌てて烏城のバストを測ろうとしたよこしまな考えを脇に置き、助けを求めるように視線を隣にいる市ヶ谷へ移す。

「…………」

市ヶ谷といえばその首を限界まで反らし、青い夏の空を仰いでいた。その足元には何かがしたたり落ちたような薄く紅い跡が幾つかあった。

烏城はそんな周囲には目に入っていないのか、ただ話しかけても反応が無い屯野をいぶかしみ、未だに呆けている屯野の方を見つめている。

「あ、あの……大丈夫ですか」

「……い、いや。たぶん、その市ヶ谷が」

屯野はおそるおそる、仁王立ちで空を見上げたまま動かない市ヶ谷を指差す。

「え? きゃああ! 市ヶ谷君!? だいっ、大丈夫ですか?」

市ヶ谷の足元に落ちた鼻血の跡を見て、慌てて烏城が市ヶ谷に駆け寄り、体に触れる。――同時にそれが市ヶ谷の中での決定打となった。

「な、う、――――あっ、だああああああ!」

今の市ヶ谷にとって近寄ってきた烏城の魅力的な体はあまりに刺激が強すぎたのか、市ヶ谷は雄叫おたけびのような声を上げ、鼻から蛇口からでる水よろしくどぼどぼと血が溢れ出てきて、それは市ヶ谷の足元を更に紅く染めてゆく。

「いやあー!! 血が!! 血がぁ!!」

市ヶ谷から身を離し、半狂乱で叫ぶ烏城に、辺りにいた人が鼻血を吹き出した市ヶ谷を中心にして広がり、一斉にどよめく。

屯野は動揺しながらも市ヶ谷の方へ向かい、叫びながら鼻から血を吐き出す市ヶ谷を脇から抱える。

「れ、麗那さん! 足持って足!!」

屯野は市ヶ谷を抱えつつ、動揺しきっている烏城に叫ぶ。

「え、で、でもっ……!」

「い、いいから、ほら早く!」


そして、その後すぐにプールの事務所から騒ぎを聞きつけ駆けつけた救急係の手によって市ヶ谷は救護室へ運ばれた。

運んだ係の人の言葉では市ヶ谷は――とても信じられない事だが――特に大した事は無いとの事で、救護室のベッドについたときには意識は戻っていたらしい。

伊達に部活に入っている分、普段から体が丈夫と言うことなのか、と屯野はあれだけ鼻から噴水の如く血を出してなおショック死しない市ヶ谷の体に驚いた。

しかし、念の為市ヶ谷は三十分は安静にするようとの事で、屯野と烏城はベッドで幸せそうに眠る市ヶ谷を尻目にプールサイドへと戻る事にした。



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