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「第十四話」


「第十四話」


午後十時。

風呂から上がって、雪沙せつさのこしらえたインスタントラーメンで遅い食事を取った烏城麗那うじょうれいなは雪沙の提案により、雪沙の寝ている部屋で布団を敷いて寝る事になった。


それから四時間後の午前二時、屯野琢磨とんのたくまは雪沙達が完全に寝静まった頃を見計らい、誰にも気付かれないよう自分の家を出た。


着古きふるした黒の半そでTシャツにジーンズという普段通りの服装に身を包んで、屯野は夜の街灯だけが灯る人通りの無い道を、静かに歩いていた。

屯野は辺りの静けさに対して僅かに驚きを感じながら、鼻に意識を集中させ、屯野の体内の豚のトランスファージを活性化させる。

「周囲……Tファージ……反応無し、か」

屯野は辺りをはばかりながら小さく声に出し、集中していた意識を解いた。

「はぁ。しっかしなぁ……」

溜息と一緒にそう言うと、屯野は辺りを見渡す。

いつしか、五分ほど歩いてきた屯野の周りには駅前のロータリーが広がっていて、今、そこに駐車している車は終電からあぶれた会社員待ちのタクシーですら無く、同じく人通りも全く無かった。

「警察官の姿も無いってどういうことだよ? 町の皆は、昨日の事件があって出られないんだろうけどさぁ」

屯野がそう言った通り、周りには警戒中の警官の姿は全く無く、人の気配も物音も皆無だった。

屯野がここに来るまでの道のりで、昨日怪物に襲われたあの裏路地は検分中の警察官がいる恐れがあったので屯野は意図して警官と鉢合わせにならぬようその場所を通るのを避け、警戒しながら町を歩いてきたのだが、駅に来るここまでで、その警戒心は要らなかったと屯野は溜息をつきながら思った。

「ま、人が居ないんじゃあの野郎も襲いようがないから、今日はもう帰るか」

屯野はそう言って踵を返し、自分が歩いて来た方へ足を踏み出す。

屯野の事を心配する姉を半ば無視する形で家から出てきてしまった事で屯野には後悔があったが、自分自身やらなければならないことがある事も十分に理解していた。

誰もいない町の通りの一つを歩きながら、屯野は苛立ちのあまり無意識に掌に爪を食い込ませていた。

(俺がたった一人の正義の味方なんだから……あぁ、クソ。今すぐでもいいから出て来いよ……)

屯野は家を出るまで、怪人と戦う事に対して恐怖しかなかったが今ではそれは薄れ、人ならざる怪人と戦いに対する好奇心が自分の中で膨らみつつあるのに屯野は驚いていた。

屯野は昨日、牛頭人身の怪物の額から生えた一対の角に腹をかれて束の間、死の間際に立たされた。

それは屯野の中で戦いに対しての恐怖心になるかといえばそうではなかった。

むしろ、あれから時間のたった今振り返ってみれば怪人と争った事は屯野にとって、テレビゲームのように非現実的な事でしかなかった。

証拠に、屯野が風呂に入ったときには腹部は角に刺された跡すらなく、本当に昨日のような事が起こったのかと屯野は自分で再度、疑わざるをえなかった。

屯野は歩く途中で、ふと何気なく自分の片腕を前に突き出し、そこに意識を集中させる。

すると屯野の体内のTファージがたちまち活性化し、それらは屯野の腕の中で形を変え、やがて筋肉から骨格、皮膚に至るまで変化する。

屯野は前に出した腕が自分の意思によってバルーンアートのような膨れ上がった形に変化し、その先の掌の位置に豚の蹄のついた腕に変化したのを一部始終見終えた。

「Tファージ……か。こうして見ると魔法みたいだな」

屯野は自らの意思で変化した自分の右腕に特に驚きを覚えず、ぼんやりと呟いた。

そして、屯野は昨日のこの騒ぎの張本人である鵠沼の言葉を思い出す。

「俺みたいな力を持った奴がこの町にあと二人もいるのかよ……身内じゃ無いといいんだけどな。よし、早くそいつらブッ倒して終わらせるか」

「ひひ、威勢がいいコトで何よりだな」

「――!?」

誰もいない道を歩く中、屯野はすぐ隣で聞こえた声に思わず身を仰け反らせる。

「ワシだ、鵠沼くげぬまだ。そんなに驚かんでもいいだろうが」

鵠沼はどこから現れたのか、白衣を着た老人の姿で屯野のすぐ隣で立っていた。

屯野はそんな鵠沼の医者のような奇妙な格好で堂々と町の中にいるのはコスプレというより、異世界から来た人のように思えた。

「び、びっくりすんじゃねえか……! ――な、何だよ、蜂の姿でまた俺の後つけてたのかよ」

「ま、そうだな。ところで屯野。昨日の夜八時頃か? お前、随分良い事があったそうじゃないか」

屯野には鵠沼の言葉の意味するところが解らなかった。

「……何だよいいコトって」

鵠沼はサルのように突き出た唇を歪め、黄ばんだ歯を見せながら心底おかしそうにひひ、と笑う。

とぼけるなよ。随分の器量良しの小娘がお前の所へやってきただろうが?」

言葉の終わりと共に、屯野の背筋が瞬時に凍りついた

「な、何で麗那れいなさんの事を――――いや、どーせハチの姿かなんかでそれも見てたのか。この騒ぎといい、全く悪趣味な爺さんだな」

鵠沼は屯野の言葉を無視し、顎に指をかけ感心したようにうーむ、と唸った。

「あの小娘……器量だけでなく才女でもあるようだな。昨日の夕方、あの小娘がお前が入院しとったあの病院に訪ねて来おってな。話を聞けば、何とお前の知人というからワシは驚いたよ」

鵠沼はそう言いながら院長の嘉田にけ、烏城に近づいたときの事を思い出した。

「あれほどの男も知らなさそうな生娘は今の世じゃ中々おらん。昭和元禄を過ぎ、消え失せてしもうた大和撫子が生き残っておったのは感動じゃ。いやー、ワシもあんな女子おなごに惚れたかったわい……」

芝居がかった口調で年寄り臭く言い、どこか遠い目をする鵠沼に屯野は付き合いきれず、屯野は今日何度目かの溜息をつく。

ふと、鵠沼の言葉に気になる事があった。

「ちょっと待てよ。あんた……麗那さんと話したのか?」

「あの小娘、麗那と言うのか。名前で呼ぶとは随分親しそうじゃないか――そんな怖い顔をするな。えーと、質問だったな。ああ。確かに話したぞ、もっともあの小娘の方はあの病院の院長と話したつもりだろうがな」

普通ではありえないような事実を平然と語る鵠沼の言葉の信憑性は屯野自身、昨日鵠沼本人から老人から院長の姿に変身する技を見せ付けられたばかりでそれに関しては疑う余地は無かった。

「……」

屯野はそんな鵠沼の異常な態度に思わず押し黙ってしまう。

鵠沼はそんな沈んだ屯野の顔色を覗うように、目線を上げ自分より背の高い屯野の顔を見上げてくる。

「どうした。ワシはお前の事を気遣って、あの小娘をお前の家に連れてやったのだぞ? 感謝して欲しいくらいだ」

「感謝だって?」

「あの小娘にお前の家の住所を教えてやったのはこのワシだ。ワシがそれを紙に書いて『妙な事に巻き込まれ傷心しょうしんの奴に会いに行ってやれ』と言ってな。しかしあの小娘、その場で紙を受け取らずワシの提案をやんわりと拒否したのだが、ワシが紙を差し出していた数秒で住所をしっかりと覚えたのだろうな。念のためにつけさせていた蜂の報告であの小娘は結局、お前の家に向かいおった事が解った――小娘の拒否した態度は本物だと信じていたが、結果ワシを騙しおった。才女と言ったのはそのことだ」

「…………」

頭が混乱し、屯野には鵠沼の言葉の意味が解らなかった。

最大の黒幕と思っていたTファージの生みの親、鵠沼に屯野が気を遣われるなんて、屯野は思いもよらなかったのだ。

屯烏城麗那うじょうれいなの事よりも鵠沼のその気遣いの方が屯野にとってはより一層気になった。

たまらず屯野は傍にいる鵠沼にたずねる。

「何でそんな気遣いをするんだよ? お前はこの町に訳の解らないウィルスをばら撒いてる『敵』だろうが。そんな敵が何で俺の気を遣ったりするんだよ」

「言ったはずだ」

鵠沼の声は途端に重く冷たくなった。それは始めて鵠沼と病院で話をした時と同じ感情の無い機械のような声だった。

「ワシはTファージ感染者の監督役だと。お前が昨日の事で戦いを恐れ、力の行使が出来ぬのでは話にならんからな。感染者に対する心のケアも可能な限りではしておかんと――それにお前もあの小娘に慰められていい思いが出来たんじゃないのか」

「そっそれは……――と、ところでよ。爺さんにも話を盗み聞かない分別があったのか」

「ワシも姿を変えはするが、これでも現代人だ。『プライバシー』という言葉を知らん訳じゃない。ワシの蜂たちとてお前たちの動向全てを監視しているわけじゃないぞ。蜂どもの中にはワシに報告を終えぬまま急な体温上昇など外的要因で死んでしまったりするものもいるからな」

「どこまで監視してるかわからねーのもそれはそれで不気味だよ……」

鵠沼は呆れる屯野に悪びれた様子も無く、不気味に笑い、やがてその口元から言葉が出る。

「ところでだ。さっき屯野が自分で言っていたが。まだ戦う気はあるようだな」

鼓動が僅かに高まる。

「当然。早くあの牛野郎と、そのもう一人の野郎もブッ倒してやるよ。……まぁ、残念ながら今日はいないみたいだけど」


「いや、実を言うと内一人はもうんである」


「は――?」


車の無い真っ直ぐな二車線の道路。街灯の光だけが等間隔に並ぶその先。屯野は目を凝らすと、一人の人物が立っていた。

そのシルエットは紛れも無い人型で、屯野と同じかそれ以上かの大柄な人物だった。

屯野は瞬時に鼻に神経を集中させ、体内のTファージを活性化させ嗅覚を高める。――反応なし。屯野の鋭い嗅覚は目の前に立ち尽くした人物がTファージ感染者でないことを告げていた。

「でも、あの人は――」

Tファージの感染者ではない。そう、屯野が傍にいる鵠沼に言おうとした時だった。


骨を折るような不快な音があたりに響く。

それは紛れも無く目の前にいる大柄な人物から出ていた。


「え――」

反応有り。

はるか先にいる人物の輪郭が人でなくなる瞬間、屯野が発達させた鼻は瞬時にその人物から出たTファージの臭いを嗅ぎつけていた。

「ブオオオオオオォォォ!!!!!」

怪人と化したその人物が獣の顔で聞き覚えのある声で吼え、静かだった辺りの大気が咆哮の音で瞬時に満ち、震える。

屯野は耳を塞ぐと同時に思わず目の前から迫る危機に身構えていた。

変化を終えた怪人はゆっくりと屯野達のいる方へ近づいて来る。

その姿は黒を基調にした人間の洋服に身を包み、その上には額に一対の角を持った牛の頭がある。

昨日、無実の人を喰らい、更に帰宅途中だった屯野琢磨を襲った牛頭人身の怪人だった。

「ま、マジかよ……クソッたれ!!」

屯野は言いながら素早く先ほどまで歩いていた歩道と怪人の歩く道路を隔てていたガードレールをまたぎ怪人のいる道路に踊り出る。

すぐさま屯野は自分の体内のTファージを活性化させ、両腕と顔を除いた上半身を変化させる。

着ていたTシャツは弾けて破れ、体内のTファージで上半身が三メートル以上もある異様に大きい豚の体へ変化させた屯野は風船のように膨らんだ腕を動かし、自分の前でその手の位置にある両のひづめをバチンと重ね、打ち合わせる。

今、怪人を目の前にし姿を変えた屯野は目の前の怪人への闘争心が沸き起こってくるのを感じていた。

暴力的な感情が屯野の脳内で麻薬のように湧き上がり駆け巡る。

その中で恐怖は無く、ただ爆発しそうなほど煮えたぎる闘志だけが屯野の心を支配する。

屯野は前からゆっくりと近づいて来る怪人を見据え、残った人間の口を静かに開く。

「爺さん見とけよ。今からアイツをブッ倒してやる」

「ひひ、頼むぞ。いいか、やるなら派手にやれ」

両者が言い終わると同時に、鵠沼は着ていた服ごと体を何千匹もの蜂へと姿を変え空へ飛び、屯野は残った人間の顔を硬い鼻先を持つ豚の頭へと形を変える。

屯野は倍ほどに増えた豚の歯の付いた顎を噛み締め、自分の顔全体が変化した感触を味わった。

すぐさま屯野は口を開き、四メートルほど前にまで迫った怪人に向かって吼える。

「ブギャァアァアアアアアア――――――――ッ!!!!!」

姿を変えた屯野は人語ではない声で目の前の怪人を威嚇し、牛頭人身の怪人は僅かにたじろいだ。

しかし、屯野には怪人は突如姿を変えた屯野に対し驚いている様子は無い。――――この怪人と同じ力を持つ屯野の元へ呼びつけたと言う鵠沼の言葉通りと見て間違いなさそうだ。



(あーあ。正義の味方になったと思ったら豚の姿かよ……クソ――牛野郎が豚ナメんじゃねえぞ)




深夜二時十五分。屯野の姉、雪沙せつさの部屋で布団を敷いて寝ていた烏城麗那うじょうれいなは中々寝付けずにいて、月の光以外ささない薄暗い部屋の中再び目を覚ました。

烏城は寝返りをうって、そのまま何も無い空間をじっと見つめ、思いにふける。

(…………私……琢磨君を励ませた……のかな)

烏城は薄い夏用の掛け布団を蓑虫みのむしのように自分の身に巻きつけ、静かに横になっていた。烏城がこうして屯野の事を考えるのは自分でも何回目か解らなかった。

烏城は薄暗い雪沙の部屋で一人、ブルッと体を震わせた。

(……さ、寒い…………)

雪沙の部屋には七月下旬というのに、冷房がガンガン効いていた。

冷房をつけさせて、と言う雪沙の言葉を断りきれなかった烏城は今、猛烈に身を薄い毛布で覆いながら冷房が嫌いだと素直に言わなかった自分に激しく後悔していた。

しかし、その事でも後悔する一方で烏城はまた別の事を考えていた。

(思ったより、元気そうで安心したけど。……琢磨君、昨日何があったんだろう?)

屯野とは風呂上りにまた話をして、その中で屯野が入院する原因となった昨日の事について烏城はそれとなく触れたが、屯野はごまかし、それ以上何も答えなかった。

烏城もその話題については出来るだけ屯野に触れたくなかったのでその時は、それ以上の追及を諦めざるをえなかった

しかし、烏城は諦めきれず寝る前、屯野の姉である雪沙にも屯野が昨日の事について何か言ってなかったか聞いてみたものの答えは得られなかった。

(人には言えないようなこと……もしかして……)

烏城は屯野の秘密にする態度の理由を探す内に、ある事に思い至った。

烏城はそっと、寒い部屋の中、一人だけベッドで暖かそうな厚い布団をかぶってグースカ寝る雪沙に目をやる。思わず烏城の表情が暗闇の中でピクピク引きつる。

(…………わ、悪気があってやってるんじゃないよね……きっと……うん、見なかったことにしよう)

そうして烏城は体に巻いていた薄い掛け布団を解いて起き上がり、カーテンを開けた窓から入ってくる僅かな月明かりが烏城の着たピンク地に青い水玉の可愛らしいパジャマをぼんやりと照らし出す。それは風呂場に入った所の床に目立つように畳んで置かれていたのだ。妙に真新しいそのパジャマは雪沙が烏城のために置いたものだった。

(きっとこれも悪気がある訳じゃないのよ、ね……うん)

パジャマの裾に付いた薄いピンク色のフリルをひらひらさせながら烏城は静かに、部屋を出る。

部屋を出て、廊下に出ると夏の気候らしく廊下は暑く、烏城は体を抱いてその自然の温度に感謝した。

二階の廊下に出た烏城は改めて、目の前を見る。

そこには先ほどまで烏城が屯野と話していた屯野の部屋があった。

「…………」

烏城は扉をノックしようと恐る恐る手を上げて、そのまま俯く。

(琢磨君が誰にも……家族にも言えないような事を抱えてるなら……もしかしたら、私が力になってあげられるかもしれない)

やがて烏城は自分だけに聞こえる声で誰もいない廊下の中、静かに呟いた。

「『力』を持ってる私なら……」

烏城は屯野のいる部屋の扉をコンコン、とノックする。

「た、琢磨君? 私、烏城ですけど。ご、ごめんなさいこんな時間に……」

扉の向こうから返事は無い。

烏城は尚も声をかける。

「そ、その開けてもいいですか? その……琢磨君の事で話したい事があるんですけど」

永遠とも思える沈黙が流れ、それに耐え切れない烏城は扉に頭を押し付けた。

薄暗い廊下で時間が無為に過ぎてゆく。

十秒、二十秒、三十秒、――――一分、二分――屯野の部屋からは一向に返事は無く、烏城の扉に押しあてた耳からは何の音一つも聞こえ無かった。

「………………琢磨君?」

やがて、どこかおかしい事に気付き、烏城は思い切ってノブに手をかけ、そろりと扉を開ける。

すると――

「え――」

開かれた窓から夜風が部屋に入り込み、屯野の部屋の遮光性のカーテンを揺らす。そこに屯野の姿は無く、誰も寝ていない空のベッドがあった。

「たっ――――!!」

烏城は驚きのあまり思わず声を上げそうになったが、すんでのところで自分の口元に手を当て、声を出さずにすんだ。

「…………」

烏城は素早く周りを見るが、やはり屯野の姿は無い。

たまたまここにいないだけかも知れないと、烏城は出来るだけ音を立てないように家中を見回ったが、下のリビングにも手洗いにもいる様子は無く、途方にくれた烏城は再び屯野の部屋に戻ってきた。

屯野琢磨はこの十五分前に既に家から出ていた事を烏城が知る筈は無く、烏城はどこかへ行った屯野の身をパニックになりながらも案じた。

すると、ベッドの上に脱ぎ捨てられたスウェットの上下があるのに烏城は気がついた。

「これ……琢磨君が着ていた……」

烏城はその服を手にとって、その感触がまだ温かく、まだ屯野が出て行ってからはそう時間はたっていないと烏城は大体のあたりをつけた。

「よし…………」

そして烏城は窓を見つめると、真っ直ぐその開かれた窓に歩み寄り、そこから烏城は体を屈め外に出た。

窓から出たすぐ下には屯野の家の屋根があり、烏城はその滑らかな斜面のようになった屋根に慎重に足を踏み出す。何も履いていない烏城の足の裏に夜の外気の冷たさが伝わり、烏城はその上で僅かに身震いする。


月が白く輝く空の下、両足で真っ直ぐ立った烏城は目を閉じ、両腕を水平に開く。

体全体で十字を作った烏城はそのまま両手に意識を集中させ――――やがて水平に伸びたその細い両腕はたちまち形を変える。

烏城の腕から真っ白な羽が一本また一本と生えてゆき、そして腕全体が大きく、長く伸びる。数秒の後、烏城の体内に感染している『鶏のTファージ』は烏城の脳から発せられた指令を受け取り活性化され形を変え、烏城の両腕はいまや両翼長、計十二メートルの大きく白い翼へと形を変えた。

月の光を浴びる白い翼の生えた烏城の姿はまるで天使のようだった。

烏城は目を開いて変化した羽のついた前肢を動かす。

烏城は自分の意志で動くそれを見て、思わず顔をほころばせ、不安もあるのか僅かに引きつった笑顔を浮かべる。

(大丈夫……ちゃんと動く)

烏城は翼に付いた三本の指――羽についた第一指~三指までの短い指――を僅かに動かして変化した腕の感覚をつかむ。


「はぁーっ、はぁーっ……!」


眼下を見下ろす烏城の呼吸はどこか荒く、烏城でも自分自身が冷静でなくなっているのが解った。烏城はそんな自分の考えを他所よそへ振り払うように首を振る。

(……うん、大丈夫。大丈夫。べる。これならちゃんと飛べる……!)

その時――、人のものではない咆哮が二つ、夜の天見町に轟いた。

「――――ッ」

その瞬間、烏城は考えるより早く屯野の屋根から勢いよく前へ足を踏み出した。

飛び出した烏城の翼は上昇気流を捕らえ、宙を舞った。

烏城の一対の白い羽が月の光を浴び、羽ばたくそれは暗い夜の空の中で一際白く煌いた。

腕を白い羽へと変化させた一人の天使はその声のした元へ急ぐ。



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