5 変化
「随分と好き勝手にやられたようね」
朱雀院分家が所有していた屋敷が襲われたとの報告があり、その状況を確認するために、燐はその屋敷に訪れていた。
酷い有様だった。殆どが焼けてしまっており、何も残っていないような状態だ。微かに建物の土台部分や、池があったと思われる石の囲いがあるくらいか。
「如何なさいますか、燐様」
「朱雀院の方と、如月の者がこの屋敷には常駐していた筈。何人が犠牲になったか調べておいて。私はこの辺りの確認をしたら本家に戻るから」
「片づけておいても宜しいですか?」
「いいえ、まだ残しておいて。一連の襲撃事件にも関係があるかもしれない。何人かをここの保存のために常に残すようにして」
「畏まりました」
馴染みの使用人に指示を与えると、燐は屋敷があった場所に足を踏み入れた。
朱雀院家の人間が襲われたのは今回の襲撃で5回目になる。いずれも、その場にいた朱雀院家、如月家の血族と、使用人たちが惨殺された。最後には焔で跡形もなくなるまで燃やされている。朱雀院家に何らかの恨みを持つ者か、何かを目論む“はぐれ能力者”の仕業だろう。しかし、あまりにもやり口が残酷すぎた。
燐は唇を噛んだ。僅かに血が滲んだのか、鉄の味がする。
燐は基本的に、本家から出ることは無い。如月家の直系として生まれたため、朱雀院本家を守ることが決定されていたのだ。まさか、弓月と契約することになるとは思ってもみなかったが。
けれど、如月家の血族は皆、本家にやってくる。それは新年のあいさつであったり、報告などの任務の一環であったりしたが、本家に来たときは彼らと燐は対面していた。複数回会った者とは仲良くなった。
5回の襲撃の中で、朱雀院家の人間も如月家の人間も何十人と犠牲になっている。その中には燐と特に親しかった者も何人か含まれている。一族の人間が殺されただけでも許せないのに、燐の中では更にその思いが強くなっていた。
冷静にも見えるだろうが、それは弓月の契約者としてふさわしい行動をとるためである。
(朱雀院家と如月家の者に喧嘩を売ったこと、後悔させてやる)
そう考えながら、僅かでも襲撃者の痕跡が残っていないか屋敷を隅々まで探した。
時間が許す限り屋敷を探し回っていたため、本家に戻った時には既に日が暮れており、夜が更に深まろうとしていた。
一先ず弓月に報告に行き、それから龍源のところに行くべきだろうと思い、燐は廊下を歩き始める。しかし、廊下の角を曲がった瞬間、そこにいた人物を見て燐は表情を硬くした。
「弓月様……」
「遅い。何をしている」
彼にしては低い声で叱責され、燐は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「襲撃者の捜索はお前の仕事ではない。余計なことをするな」
「………ッ…」
燐は唇を噛みしめる。同胞の命を奪った輩の痕跡を調べることが、余計なことだと言うのか。
頭を下げたままの燐の視界に弓月の足が飛び込んできた。次の瞬間、顎を掴まれ力ずくで壁に押し付けられる。
「忘れるな。お前は、僕の契約相手だ。どんなにお前が嫌がろうと、それは一生変わらない。それを自覚しろ」
至近距離にある蒼い目が冷やかに燐を見ていた。
「…………………」
「返事もまともに出来ないのか、お前は」
苛立たしげに燐を見る弓月の顔を見ていることができず、燐は目を逸らして答えた。
「………畏まりました」
それだけを聞くと、弓月は燐から離れ、廊下を去った。
弓月の気配が遠のくまで、燐はその場から動かなかった。
龍源の元にも行くつもりであったが、すっかりその気は失せていた。
弓月が今回の襲撃に関して何も言わなかったということは、既に“影”―――間諜の役割を負っている―――の報告でも受けているのだろう。それを龍源が聞いていないとは思えない。燐の報告は不要である。
(………………随分と、変わられた)
押さえつけられていた壁に体を預けたまま、ぼんやりと考える。
あの事件が起きる前の、まだこの屋敷で過ごされていたときは、強引なことする方ではなかったし、あのように冷たい方でもなかった。
次期当主であると言われれば、必要な面であるかもしれないが。
(あの頃の弓月様は、もう、いないのかもしれない)
帰国されてから、幾度か言葉を交わした。けれどもそのどれもが、燐の知っていた弓月の言動ではなくて。契約を結ばされた後も、何故燐を契約相手として選んだのかが分からないくらい、燐は弓月のための行動を為せていなかった。辛うじて如月家の者として、朱雀院家のためになることを考え動いているくらいだ。だからこそ、今日も襲撃された屋敷に行っていたのだが、それも意味がなかった。
燐はずるずると床の上に座り込んだ。膝を抱え、顔を埋める。
一体何のために、どういう意図で弓月が動いているのかが、全く読めない。分からない。何のための契約なのだ。朱雀院家の方を様々な面から補助するためのものなのに。
(だから、契約なんて、嫌だったのに)
契約などなければ、ただ朱雀院家のために働くだけでいい。如月家本家の者として責任はあるが、こうも悩まずにすんだ。だが、契約によって主人を定めてしまえばそうはいかない。朱雀院家全体よりもどうしても主人のことが最優先になる。
燐でなくとも如月一族には優秀な者がいた。燐でなければ、契約相手としてうまくやれていただろう。
幼少時を親しく過ごし、あの事件以降破綻している燐と弓月の関係ではうまくいかないのは分かっていた。だから契約を拒んだのに。
「何故、私と契約したのですか………?」
小さく漏れた声は、誰にも聞かれることなく消える。
無理矢理注がれた弓月の“水”が、体内で僅かに波音を立てた気がした。