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―参―


 一陣の風と共に、ふわりと嵐騂らんしつが降りた。その背に乗っていた私は彼の首を撫でると、とんっと飛び降りた。そばであとからついてきた焚之助が木の葉を散らして地に降り立った。


「葉瑠……」


 私は彼女の名前を呼んだ。

 目の前にはひっそりと並ぶ石墓。中でも彼女の墓は川岸の近くにあった。夢に出てきたあの岸辺だ。そこには白彼岸がたくさん並んでいた。以前来た時は、すべて赤だった気がするのに。

 私は彼女の墓前までくると膝をついた。そっと布に包んだ紅い曼珠沙華を置く。それが風に吹かれて揺れる。

 そして隣で黙って、焚之助が小さなお猪口に瓢箪に入った酒を入れて供えた。


「葉瑠……」


 私は石に彫ってある彼女の名前を指でなぞった。



 『安栖葉瑠此処二永眠ス』



 それは二百余年も前に、帰らぬ人となった私の妻。

 愛していた、今でも愛してやまない。

 私を包んでくれた蛍のような優しいあの人。

 涙がこみ上げて、私は口を押さえた。泣いてはいけない、少なくても焚之助のそばでは。

するとそばで黙ったままだった焚之助が、立ち上がると嵐騂と共に森の向こうへ歩いて行った。

 足音が消える。おそらく散歩でもしに行ったのだろう。毎年、彼はしばらくそうするのだ。

 そして彼がいなくなったことを確認すると、決壊したように涙が溢れた。

 私の心の渇きが癒えない。

 彼女を狂おしいほど欲する飢えが、止まない。



 やまない。


 ヤマナイ。


 ヤ マ ナ イ



 夢うつつか、不意に彼女の笑う姿が見えた。


「葉瑠」


 それに私は微笑みながら、手を伸ばした。

 けれど掴むのはなんの感触もない空。それでも、手を伸ばさずにはいられない。


「葉瑠」


 再び彼女を呼ぶ。

 声がかすれて、喉が渇く。

 ああ。こんなに呼んでいるのに、彼女は戻ってこない。

 戻っては、来れない。

 泣き叫びたくなる。気が狂ってどうにかなってしまいそうだ。


 なら……


 私は薄く笑った。

 そう、私が連れ戻したらいいのだ。

 きっと今はもはや冥府の王の元へ逝ってしまっているだろう。確か、仙術で死者蘇生の法があったはずだ。

 その手順で冥府の王に会わなければならない。王の所に葉瑠はいるのだ。

 ……少々、冥府の王とやりあわないとならないか。

 私は目を拭うと地面を見た。そこにはごろごろと石が転がっていた。私が歩くのに、邪魔な石。


「……冥府の王になど、やるものか」


 目をすがめ石を見ると、石が破裂した。

 邪魔をする者は、除去してくれる。


「白、露?」


 帰ってきたのか焚之助が手に水桶を持ってこちらを訝しげに見ていた。嵐騂も心なしか心配そうな目を向けていた。

 可笑しな顔をしている。


「如何しました?」


 ふっと私は彼らに笑いかけた。

 焚之助はなぜか強張った顔をしている。


「今、とても、いいことを思い付いたのですよ」

「白露っ」


 突然焚之助が私の両肩を掴んできた。水桶が落ちて、水がこぼれる。


「なんでしょうか?」


 優しく私は問うた。けれど、焚之助は怯えたように青い顔になっていた。掴まれた肩が、少し痛い。それに彼の手が震えている。まるで、幼い頃の彼のようだ。


「そんな顔をして……どうしたのですか」


 再び尋ねると、焚之助は私はを見た。


「白、露」

「はい」


 かすれた声を出す彼に、幼子に対するように穏やかに優しく聞いた。


「そっちに、行くな」


 絞り出すように発せられた言葉。

 彼はなにを言っているのだろう?


「私はどこにも行きませんよ? 焚之助はいつまでたっても子どもですね」

「師匠っ、お願いだ」


 私はくすくすと笑った。

 必死でこちらを見る焚之助。

 私はそっと肩を掴む彼の手に触れた。

 それにはっとする焚之助。私より背が高いというのに、本当に始めて会った日と変わらない眼差し。


「なにをおっしゃっているのかわかりかねますが、心配し過ぎです。まぁそんな貴方も可愛いのですが」


 私はこの、ひたむきで研ぎ澄まされたように清んだ瞳が気に入っている。

 私は優しく彼の手を握った。

 何かに怯えた瞳。けれど揺るぎない、視線。


 だが……


「ですが、いくら貴方と言えど邪魔立てするのは……」


 そっと彼の手を、包み込むように握る。

 顔を歪める焚之助。



「――――許さない」



 私は優しく囁きながら笑った。

 ただ――――目は笑っていなかった。



 風が、吹く。



 焚之助の手に力が入る。



「ワシは、ただ、白露は狂わないでほしいんだ」



 絞り出すようなその声。それを、私は遠くで聞いていた。

 ただ私は視線の先の砕け散った石を、笑いながら見つめていた。



― でも、はたして本当に砕け散ったのはなんだったのか ―



「私は、葉瑠を取り戻せるならどんなに汚れようと、堕ちようとかまわない。……それが、狂っているかどうかなんてどうでもいいんですよ」



 彼女の墓前に供えた曼珠沙華とも彼岸花とも呼ばれた花が揺れる。

 血のように紅い、花が揺れる。


 吐き出した言葉。

 けれど。


 それを見ながら、頭の片隅で私は思う。



――――『師匠っ、お願いだっ』



 ……ああ。



「……冗談ですよ」


 彼を見ずに呟く。


「私は、仮にも師匠ですよ」


 焚之助がいなくなれば、私は楽に狂えるのに。




 ――――果たしていつまでだろう。彼で喰い止められるのは。







※曼珠沙華(彼岸花)は触るだけでかぶれます。小説中みたいに対処も知らずに触らないようにお願い致します。色々と理由はありますが、彼らは人外なのでそのあたりは大丈夫ということで。


※ちなみに時代設定は大正あたり。これからしばらく白露は耐えます。安栖日和という子孫が生まれてくるまで。


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