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―弐―

***




 天井。


 古く茶げた木目が目の前に飛び込んだ。


 障子から光が入ってくる。

 隣の部屋だろうか、歌が聞こえる。


 さっきから聞こえているあの歌だ。


「あ、白露。起きたのか」


 少し空いた障子の隙間から青年の声が聞こえた。体を起こすと、そちらを見た。

 食卓に箸が並べてあり、焦げ茶の長髪を一つにくくった二十代後半くらいの青年がご飯を盛っていた。

 弟子の焚之助(たのすけ)の姿。

 窓の外から、子どもの笑い声が聞こえる。あの歌の声の主だ。


 それはいつもと変わらない風景。


 穏やかな空気。ただ、私が望む一つを欠いた。

 ああ、私は……。

 私は片手で額を押さえた。


 私は、思い出した。


 先ほどの夢はなにか、今日が何の日かを。

 ふらりと、布団から立ち上がると私は障子を開けた。するとこちらを見る焚之助。


「……出かけます」

「おい、とりあえず何か食べてからにしろ」

「いりません」


白露はくろ!」


 外へ出ようとする私を大声で焚之助は呼びとめた。

 私の名。

 私は彼の方に振りかえった。

 「白露」は普段皆が呼ぶ名前。だから彼もそう呼ぶ。「秀捷(シゥジェ)」は彼女だけに呼ぶことを許した名だ。


「……五月蠅いですよ、焚之助」


 私が冷たく言い放つと、焚之助は目の前まで来て開いた引き戸をぴしゃりと閉めた。


「そんな情けない姿で行くつもりか? そっちの方が後悔するだろ。仮にも齢千年を超す神仙と謳われたお前なんだ。とりあえず食べろ」


 立ちふさがる彼に私は睨みつけた。


「私は……神仙ではありません。はぐれ仙人です」

「でも他の皆がそう呼んでるし、でなければ天仙だ。それに……葉瑠さんの命日なら尚更、ちゃんとした格好で行け」


 その言葉に私は眉を上げた。焚之助の口から葉瑠の名が、こんな形で出てくるのが不愉快だった。しかし、それを言わせたのも私だ。


「…………言うようになりましたね」


 彼を煩わしげに見ると焚之助は、ふっと息を吐いた。


「そりゃ八百年近くの付き合いだからな」


 淡々と話す焚之助に私は窓の外を見た。もうすでにだいぶ日が上がっている。寝過ぎたようだ。


「……もうそんなに経ちましたか」


 時間は過ぎる、望もうが望まなかろうが。


 とりあえず、席に着くと私は朝餉を食べることにした。今食べなければ、焚之助は無理やり口に詰め込んででも食べさせる。


「……」


 私は食卓に並ぶ朝餉を一瞥した。

 生きていれば何かを食べなければならない。

 私達仙人は人とは生きる時間が違う。しかし量は違えど、食べなければ生きていけない。

 そして老いる速さも異なる。白髪ではあるが見た目、今の私の姿はさしずめ二十代くらいだろう。実際は千歳近くの年月を生きている。焚之助は私より百歳くらい年下だ。

 私達にとって姿はあまり意味を為さない。私達くらいの天仙になると、姿の老い若きなど自由に変えられる。焚之助に至っては元々化け狸だったのだから変化など造作もない。


「……ご存じですか」


 私は口へと運んでいた箸を置くと、静かに呟いた。

 ほぼ独り言に近いそれに、焚之助が私を見る。私はただ、庭に咲く紅い花を見つめた。彼女が好きなあの花だ。


「白彼岸というのは、未練がなくなった者達が無事あの世へ行けたという証なのだそうですよ」


 白彼岸というのは曼珠沙華の白い花の名前だ。彼女はどんな色の曼珠沙華も好きだった。けれど特に白い花が好きだった。白い花をつける曼珠沙華は他の色よりも稀少だ。紅と黄色の曼珠沙華との間にしか生まれることがない、とても珍しい花。


「私は、夢の中で彼女に白い曼珠沙華をあげました。そして川辺に彼女はその花を用いて白い曼珠沙華を咲かせました」


 ひと間を置いてふっと笑うと、私は焚之助を見た。


「葉瑠はもはや未練がないということでしょうか。それとも……私が彼女に早く逝ってほしい思っていると言うことでしょうかね?」


 それに箸を置くと、焚之助はまっすぐ私を見つめた。


「葉瑠さんがどう思っているかなんて、ワシ達がわかるわけがない。ただ……白露は実際どう思ってるんだ」

「彼女に会いたいですよ」


 そう呟いた。


「きっと、葉瑠さんだって白露に会いたいだろうよ。ワシの居場所がなくなるほど愛し合っていたしな」


 苦笑する焚之助に私もふっと笑った。


「それは申し訳ありません」

「まぁ、葉瑠さんはワシにとって姉のような母親のような存在だったからな。迷惑じゃなかったよ」


 少し笑いながら言う彼。


「焚之助」


 私は立ち上がると彼を見た。それにうなづく焚之助。


「わかった。支度するよ」


 それを聞き届けると私は食器を彼に任せて庭に向かった。そしてそこへ行くために畳の部屋を通ると、私は着ていた寝間着を止めていた帯をするりと解いて放った。

 ふわりと衣が舞う。

 その次の瞬間には、私はいつもより少し整った白の上着と下に黒の着物に着替えていた。寝間着は布団と共にどこかにしまっている。

 風が吹き、さらりと私の髪を揺らす。

 畳を歩き目の前の障子を開けると、そこには縁側と庭があった。草履を履くと私は庭を見た。

 庭には葉ぶりのよい松や石が敷き詰められている他に、花が植えられている。元々ここは私達の所有物ではない。私のひ孫にあたる者が所有している家だ。

 仙界から人間界に戻ってくる時、私達は泊まる家がない。場合によっては百年に一度しか人間界に戻らないこともあるので、家を持てないのだ。だから彼らの物を使わせてもらっている。

 だからここにある花も彼らが植えたもの。そして彼らの家には必ず庭がある。その庭には、いつでも曼珠沙華がある。

 ――――それが彼ら一族を象徴する花だから。


 葉瑠の一族は、人であって人ではない。

 人の血と妖怪や精霊などの異類の血が混ざった一族。


 曼珠沙華が植わっている所まで来ると私は少し、それらを見た。

 美しく咲く妖しい花。しかし黄色や紅い花はあっても、白い花はなかった。種の意図的な交配があまり好きではないので、ここの持ち主は白い花を作るようなことはしていない。だからか、ここには白い花はなかった。


「……ないか」


 私は呟いた。けれど、彼ら一族が遺族に供える時の花は、紅い花。

 だから私は赤い花を数本手折った。

 ぷつりと、切れる音。

 それを袂から出した布に包むと私はそのまま表へ出た。

 そこにはすでに用意が出来た焚之助が瓢箪ひょうたんと風呂敷を持って待っていた。


「連れて来たぞ」


 その言葉に彼の後ろから体躯が獅子並みにある、鱗の生えた赤毛の馬が出てきた。嵐騂らんしつ――――私の仙獣だ。


「一緒に来ますか」


 私が嵐騂の首を撫でながら言うと、彼は少し嘶いて答えた。






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