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―壱―


「……そうですね、葉瑠の笑う顔が見れたのですから私も冥利につきます」


 ふっと笑うと私は葉瑠の頬に手を伸ばし、撫でた。

 彼女の慌てた碧と金色の瞳。

 それを見ると、先ほどの落ち込んでいた気持ちもなくなっていた。どこか、落ち込むと言う行為でさえ、今は贅沢なほどいたく、幸せな時間だった。


「だ、だから違うっ。いつも穏やかで包容力ありすぎな男をやっている『――』をっ。ちょ、ちょっと動揺させてやりたかったって、いう感じでっ」


 え?

 その言葉に私は彼女を見た。

 胸に焼けるほどの熱が駆け巡る。彼女は、なんと言ったのだろう。

 とても申し訳なさそうな彼女の顔。彼女は私が周りの一部の者に女々しいと呼ばれていることを知っている。それで、私が気にしていると気づいていたのだ。


「笑いたかったわけじゃないのよ。お、大人げなかった……よね。ごめん」


 今度は顔を赤くしながら必死で謝る葉瑠。

 この人はなにを言っているのだろうか。

 息が苦しくなるほど、胸が締め付けられた。

 こちらを向く彼女。恐る恐る傷つけてしまったのではないかとこちらをうかがう葉瑠の清んだ目。


 私の愛おしい人。


 私は彼女を引き寄せると、腕の中に抱いた。

 手が震えそうになる。


「それならよいのです」


 私は葉瑠のこととなると、いつも自分に自信がなくて余裕がないと言うのに。この人は、私を「いつも穏やかで包容力ありすぎな男」と思ってくれていた。

 男と思われてないなど私の杞憂だったのだ。

 心が震える。とてつもない歓喜で。

 切なさに、哀しいほどの愛おしさに私は彼女の額に口づけした。


「……あんたには負けるわ」


 まだ少し顔を染めたままの葉瑠の絹のような髪を、私は手にすいた。

 こんな一つの動作だけで私の胸が喜びで満たされる。


 それは、私が永遠を望んだ、とても何物にも代えがたいほど狂おしい時間。



『あの人にあげましょう』



 また、あの歌が聞こえた。

 それに再びずくりと胸が抉られるような疼きがやってきた。


 この疼きは知っている。これが何かを私は知っていた。


 それはひどく、私を不安にさせた。妙な焦燥感にかられて掻き込むように葉瑠を抱いた。

それに不思議な顔をする彼女。だが胸の痛みは消えない。それが消えるものではないことを私は知っていた。

 拭うことのできない虚ろな喪失感と、冷たく押し寄せる焦燥感。

 そしてそれは彼女に触れるほど、強く痛くなった。


「……それでは私も貴女へ」


 私は愛おしい彼女の綺麗な目を見つめると、片手を彼女から離した。本当はその離した手を少しでも彼女の元から離したくはなかった。ずっと触れて、見つめていたい。

 けれど、私は宙に何かを取った。彼女が喜ぶから、彼女の笑う顔が少しでも見たいから。

するとそれを彼女の頭に結った。そしてもう一つを彼女の手元に渡した。


「わぁ」


 受け取った葉瑠は、それを見るや否や花が咲いたように喜びで顔をほころばした。


「曼珠沙華」


 彼女の頭に結った白い、花が風に揺れる。多くは赤い、白い花。


「あたし、この花大好き」


 愛おしそうに手元の花を見つめる彼女。

 夕日に照らされた彼女の顔と、見つめる先の白い幽玄の花。

 葉瑠の碧と金色の双眸が、淡く光る。


 花を見つめる彼女は綺麗だった。


 けれど。



『星のように笑うから』



 まるでこの世の者ではないように、儚くも見えた。




 彼女がどこかへ消えてしまうという恐れが走る。


「葉瑠っ」


 強い不安にかられて、彼女を引き寄せると唇に自分のそれに重ねた。驚きながらもそれを受け入れる葉瑠。

 甘く柔らかな、快悦。

 彼女の存在を肌で感じて、しばしの安堵が胸に満ちる。しかし離れてしまうと、切ない疼きが再び押し寄せる。

 愛おしくて、嬉しくて、満たされたのにひどく哀しくて、もどかしくて、切ない。

 時間を戻せるなら、何度だって何をさし出したって私は構わなかったのに。

 胸の奥が切なさに気が狂いそうになる。

 私は彼女の持つ、白い花を見た。私があげた白い花。妖しく美しい花。


「鬼首草とも呼ばれますが……」


 ただ、黙ってはいられず紡いだ言葉だった。

 けれどその言葉に、むっとした顔をする彼女。葉瑠は空のように透明でいて、様々な顔を見せる。少しムカついた表情の彼女をよそに、私は痛いほどそんな彼女が愛おしかった。


「そんなのとても綺麗だから、浮世離れした美しさのあまり勝手に人がつけた名だっつーの」


 眉をひそめる彼女の指先が淡く光を帯びる。そっと彼女の人差し指が曼珠沙華に触れた時、ぼうっと光が花全体に淡く渡った。それに微笑みをこぼす葉瑠。まるで、自分の分身であるかのように、優しく彼女はその白い花を見つめていた。

 彼女はとてもこの花が好きだ。例え手元の花が、どんな所以を持つ花であってもそれは彼女にとっては、大切な花。そして彼女の大切なものは私が大切でもあった。


「ええ」


 私は笑った。今はただ、腕の中に葉瑠を感じていたかった。それが、儚く脆いものだなどと、考えたくもない。


「……確かに妖力の溜まりやすい花ではあるけど」


 花を顔に寄せると、彼女は微笑んだ。


「それに毒を抜けば饅頭にだってできる素敵な花よ」


 そして私を見上げると、葉瑠はふっと笑い私の腕から離れ川辺まで歩いた。

 突然温もりがなくなった、空いた腕。



『二人が笑うから』



 それに心の奥が冷える。まるで二度と戻ってこないと錯覚してしまうような、空虚。


「――」


 彼女が私の名前を呼んだ。呼ばれて、再び心の奥が震える。共鳴するかのように。呼ばれることが、こんなに大切なことだと私は今改めて知った。

 見ると彼女は川の岸辺にしゃがみこんであの白い花をさしていた。するとその周りの地面から同じ花がつぼみが芽吹くように生えてきた。

 川辺一帯に咲く、淡く光を放つ白い曼珠沙華。

 くるりと振り返る葉瑠。

 さらりと彼女の長い髪が、揺れる。彼女の頭で揺れる、白い花。


 幽玄で綺麗な、白い花のような彼女。


「好きよ」

「――――っ」


 彼女の笑顔に、瞳に、その声に、私の心が打ち揺れる。波紋のようにどうしようもない愛おしさと切なさが染み込む。


 私はわかっていた。


 もうすぐ、彼女には会えなくなる。

 だから……。


「……(あざなでもう一度、言っていただけませんか?」


 かすれそうになる声を叱咤して私は言った。その言葉に目を瞬かせると、彼女は首をかしげ、しばし考え込むと言った。


「――秀鷹(シゥユィン)?」

「そちらはあだ名ですよ」


 私はくすりと笑った。相変わらず首をかしげる仕草が、愛らしい。


「ん、じゃあ」


 葉瑠はこくりと頷くと、私の前に歩み寄ってこちらを見上げながら微笑んだ。

 

秀捷(シゥジェ)


 彼女の柔らかくて甘い、声が透り抜ける。


「……ああ」


 かろうじて答えると私は彼女を抱き寄せた。

 魂が震えると言う感覚があるとすれば、それが今の私を表す言葉だっただろう。

 呼ばれた瞬間、何とも言えない恍惚とした喜びが私を貫き、打ち震わした。


秀捷(シゥジェ)、大好きよ」


 そう言うと、彼女は私の顔に触れ、そっと顔を寄せた。

 それに私も言葉を紡ぐ。


「私も好きだ、葉瑠」


 唇に伝わる柔らかい感触。



『二人で笑えるから』



 そしてまたあの歌が聞こえた。




 今度は、心なしか音が大きくなって。







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