スパゲティ
幸盛が小学生だった頃は日本国民の大多数が貧しかった。
未だに記憶に残っているのはバナナが高級果物だった頃のことで、カレーライスの中の豚の細切れ肉を探し数えながら食べたことと、楽しみにしていた日曜日の朝の卵掛けご飯を一個の卵を妹と二人で分け合って食べていたことだ。
そのような時代に比べたらまあ、半世紀近くが過ぎた現代日本は豊かになったものだ。幸盛の子どもたちですら食事時に、長男はレバー、次男はとんちゃん、三男はゆで卵、四男は納豆、と苦手なものに箸を着けない。そんなとき幸盛は「アフリカの難民キャンプにでも行って来い、全世界では毎日二万人の子どもたちが飢えて死んでいるんだぞ」としばしば檄を飛ばしたものだが、幸盛の子どもたちは他に嫌いな物を聞かないからこの説教が功を奏したのかもしれない。
ということで、幸盛には好き嫌いがない。たぶん食えない物はないはずだ。仮に、トカゲやムカデなどのゲテモノ食いの店に連れて行かれ「食え」と言われれば、誰かが実際に食うところを見せてくれれば負けじ魂と人類皆兄弟姉妹精神で食べられるはずだ。同じ人間なのだから他人に食えて自分に食えないはずはないのだ。いやおそらくたぶんきっと。
さらに時は過ぎていま幸盛は、パチンコ店アルバイトの三男と大学二年の四男と八十三歳の母親との四人暮らしだ。妻は八年以上前に死んでしまったので夕食は幸盛が作る。母は朝と昼は自分の分だけは何とかしているが夕食は幸盛が作り終えるまで断固たる信念をもって辛抱強く待っている。必然的に子どもたちが食べる献立にするので肉類が多くなり負けじと食べる母親はぶくぶく太って足首が痛いと嘆くがそれは自業自得というものでおのれの餓鬼道の報いと思い知れコンチクショウ。
母親の話はさておき、我が子にはひもじい思いをさせたくないとの親心からすべての料理を多めに作り過ぎてしまいその結果残飯整理に勤しむことと相成ってついには堂々たるメタボ腹が出現してしまった。ノーベル平和賞を二〇〇四年に受賞したケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイさんが巨体なのもきっと三人のお子さんの残飯をMOTTAINAIMOTTAINAIと言って食べ続けたせいにちがいないと確信している。
ちなみに今週の献立を思い返してみると、日曜日は週に一度の「各人外食お願いデー」で月曜日はカツ丼で火曜日はパック入りの寿司を買ってきて水曜日は塩サバの油炒めと麻婆豆腐で木曜日は餃子と味付けとんちゃんにタマネギとピーマンとニンジンを加え炒めた奴で金曜日はスパゲティだった。全般に野菜が少ないのでそれを補うべく白菜と厚揚げとえのきとカットわかめをベースにしてタマネギや大根や自然薯やカボチャ等をもぶっ込んだ具だくさん味噌汁をほとんど毎食添えることにしている。
幸盛の作るミートスパゲティは手抜きながらもオリジナリティにあふれなかなかの一品だ。あらかじめムキエビとイカを茹でておきたっぷりの挽肉と刻んだタマネギとたっぷりのベーコンとミックスベジタブルを炒めて市販のミートソースと合わせてコテコテに混ぜ込む。各人食べる時間が異なるため、予め大皿に具だくさんパスタを山のように盛り上げラップしてテーブルの上に並べ置く。
そして今日、土曜日の夕食は何も作らずに済むことになった。というのも、昨夜は三男がガールフレンドと外食し、母は親せきの葬式で遠方に行ったまま帰らず、四男は連夜の朝帰りで前日の分を食べてから夜遊びに出て行き、あげくは幸盛も残飯整理で済ませたものだから、今朝の時点でスパゲティがそっくりそのまま四人分残っていたからだ。
ブランチとして幸盛はワクワクしながらスパゲティを平らげた、俺はなんて味付けがうまいんだろう。ところが九州まで葬式に行った母親が夕方になっても帰ってこないので同行している幸盛の妹の携帯に電話をかけてみるともう一泊してから帰るという。ゲゲッ、ということは母の分のスパゲティがそのまま残るではないか。しかしまあ、幸盛は休日に外出しないときはダイエットのため二食で済ませるから大丈夫まだまだ余裕で夕食にスパゲティをおいしく食べられた。
しかし、スパゲティの山盛り大皿は三男は帰ってきて食べたけれどまだ四男の分が残っている。しっかり者の四男のことだから外食などという余計な出費はせずにきっと家で食べてくれると信じてパソコンに向かっていると四男から携帯に絵文字入りメールが入った。
『すんません(正座した男がぺこぺこ頭を下げている)急に友達と(男の顔一つ女の顔二つが並ぶ)能登半島までドライブ(自動車の絵)に行くことになったのでスパゲティ(皿に盛った絵)はお父さん(ハンサムな若い男)が食べてください(正座した男がぺこぺこ頭を下げている)』
幸盛はボーゼンとなって天を仰いだ。たしかに俺が作ったスパゲティは世界一うまいが山盛りが三食続くとなると崖から飛び降りるくらいの覚悟がいるので翌朝「難民キャンプ難民キャンプ」と呪文を唱えつつ完食した幸盛のメタボ腹はいよいよ勢いよく前方に突き出て行くのであった。ゲフッ。
*「北斗」第564号(平成22年1月・2月合併号)に掲載
*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ http://12393912.at.webry.info/