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さた遊紀

アンヌ・ダムスの口癖は

作者: さた遊紀



「やぁ、お嬢さん。悪い未来(ユメ)でもみたのかい?」

 真っ暗な闇の中、溶け込みそうな漆黒のフロックコートを隙なく着込んだ男が、瞳を細めて妖しく笑った。何処にも光源はないはずなのに、青白い肌と真っ白な手袋はぼんやりと浮きあがって見える。何度会っても得たいの知れない雰囲気はまるで薄れない。気味の悪さが全身からにじみ出ているような気さえする。

「“視せた”のはあなたでしょう、ナイトメア。白々しく疑問系なんて使わなくても結構よ」

 呆れたように嘆息してみせてから、ツンケンと小慣れた調子で返すと、男は喉の奥でクツクツと笑った。その仕草がさらに怪しさを強調していて、幼い子供が偶然夢で彼に遭遇してしまった時に泣いてしまうのも無理はないと思えた。

「僕には視せる力などありはしないよ。ただ時刻(トキ)の残像を集めているだけさ。力がなければ、そんな破片が見えることはない」

 つまりはお嬢さん、(ユメ)をみるのは君自身の力であって、僕のせいじゃない。

 集めたモノをわざわざ見せ付けてくるくせに、にんまりと笑って責任を転嫁するその男に、アンヌ・ダムスは大きく顔を(しか)めた。

 物心ついた時から、先の世界が視えていた。初めは唯の夢だと思っていたから、アンヌは今でも視る先のことをユメと言う。そしてこの暗闇の中で会う男のことも、夢魔(ナイトメア)と呼んでいた。数年前に両親を亡くしてからは、彼が一番長い付き合いになるくらい、随分と前からアンヌの前に現れる不気味な男。毎晩、というわけではないけれど、かなりの頻度で嫌なユメばかり見せる。

「……納得いかないって顔つきだね。でも事実だろう?」

 ムスッとしたまま無言で返すと、夢魔がいつもの嫌味な表情で、その口が描く孤をさらに深くしながら、再びクツクツと笑った。

「残念なことに満月まではまだ随分とある」

 おどけたように肩を竦めて、夢魔が愉しそうに吐いた台詞に、アンヌはもともと顰めていた表情を限界まで渋くした。

「まさかそれまで悪夢続きなわけ?」

「さぁ? それはどうだろう」

 可愛らしくしたつもりなのか、小首なんぞを傾げてみせる夢魔に、アンヌはもう嘆息しか出てこない。

「お嬢さんは満月が待ち遠しいかい?――恐ろしいユメを視せる“夢魔”が決して現れない日が」

 いつもと何ら変わらず、人の神経を逆撫でするような笑みで、ニヤニヤと夢魔が訊ねる。けれども、いつも通りな筈のその態度の中に、アンヌはどこかしら違和感を持った。その違和感の正体が何なのかまでは、掴めなかったが。

「さぁ? どうかしら」

 心に若干しこりを残しながらも、アンヌは清ました表情で、夢魔と同じ言葉を返す。

 正直なところ、改めて訊ねられるまで、会いたいとか会いたくないとか、そんなことは考えた事もなかったから、それ以外に返答のしようが無かったのだ。

 ユメを視るのは当たり前。夢魔に会うのも当たり前。満月の夜だけユメを視ないのは自分の力の問題だと思っていたから、どちらかと言うともどかしさのようなものを感じてさえいた気がする。確かにユメは恐ろしい。幸せな先など視えたためしがない。けれども夢魔そのものを、恐ろしく感じたことはないと思う。憎んだり、遠ざけたいと思ったりしたことは、一度も無かったように思う。けれども、それを素直に伝えようとは思わない。

「願ったからといって、満月が早く来るわけじゃないでしょう?」

 現実主義者(リアリスト)気取りなアンヌの言葉に、夢魔は少しだけ意外そうに目を見開いて、またクツクツと笑った。

 そんな夢魔から視線を外して、アンヌは視界いっぱいに闇を広げる。

 さすがに見慣れた、真っ暗な世界。妙に生々しく瞼に映るユメの後には、とても静かに感じる空間。そこでいつも思うこと。

「……視えたからってどうしようもない未来を、どうして私は視てしまうのかしらね」

 夢魔が面白半分に視せているのではないのなら、どうして自分はわざわざそんなものを視てしまうのか。どうやったって変わってくれないのなら、そんな不幸な先ばかり、知る必要なんて全くないというのに。

「一人だけで先を知って、苦しむ人たちを笑えとでもいうのかしら」

 そんな残酷なことってない。アンヌが自傷気味に漏らせば、夢魔のつり上がった口角が、その高飛車な位置からゆっくりと降下した。彼がそんな表情(カオ)をしたのはアンヌの両親が亡くなった時以来だったが、アンヌはその時も今も、その変化に気付かなかった。彼女が俯いている時にだけ、夢魔は夢魔らしからぬ表情をみせる。だが勿論、この閉じられた闇の空間には彼と彼女しかいないのだから、彼女が気付かない限り、その事を知る者はいない。

 夢魔は瞳に滲んだだろう感情を余韻も残さず注意深く押し込めて、そして、ゆったり口を開いた。――そうすれば、アンヌはまた顔を上げる。言葉の一番始めの音が空気に載った時には、彼の口角は再び人を見下せる位置までつり上がっていた。

「変わってくれない、という表現ははなはだ誤っているんじゃないかな、お嬢さん」

 板についた嫌味な口調に、アンヌが尖った視線を上げる。それに彼は満足した。だからほんの少しだけ、彼女に助言を漏らしてしまおう。

「先が変わってくれないのではなくて、君に変える力がないだけだ。君の言葉に他人の意志が動かないだけ――そうだろう?」

 弧を描いた口のままで小首を傾げれば、恐らくは何かしらの否定を紡ごうとしたのだろう彼女が、出しかけた言葉を呑み込んで押し黙る。視線は未だこちらを強く睨んでいたが、どうやら投げかけられた言葉のどこかしらに引っ掛かりを覚えて、考え込んだようだった。

 それでいい。

「伝えることを恐れるのはよくないと思うけれどね、僕は。……それこそ視たものを独り占めしているんじゃないのかい?」

 僕が君に集めた破片を見せるように、君も誰かに、――僕の会えないその当事者達に、視たことをそのまま伝えてくれればいい。

 言葉の最後は作った表情の下だけで呟いて、彼はすぅと闇にその身を溶かした。

「――あっ、ちょっと、ナイトメア!」

 気付いたアンヌの、声も、伸ばした手も指も、彼を掴まえるには到らない。



「何なのよ、まったく……」

 不気味な上に気まぐれな男の、いつもの嫌味とは少し違う、違和感のある言葉だけが、闇の中に残っていた。

 自分に未来を変える力がないなんて事はとっくに分かっている。

 両親にだって、どれだけ出掛けないでと言ったか知れない。視た先をどうにか変えたくて、泣いて駄々までこねた。それでも彼等はアンヌに苦笑だけを残して出掛けて行き、そしてアンヌが視た通り、無言の帰宅を果たしたのだ。

 けれども夢魔は言う。

「視たことを……独り占め……」

 呟いてみて、気付いた。アンヌは両親に“伝え”はしなかったということに。

 今まで、そう、どんな時も、視たことそのままを話したことはなかった。誰に対しても。

「伝えることを怖れるのはよくない……」

 夢魔の言葉を、自らの口で繰り返す。あの癪に障る口調ではなく、自分の声で冷静に反復すれば、言葉の意味がすんなり頭に入った。

 ――あぁ、そういうことか。

 勝手に夢魔と呼び始め、愚痴を言って、喧嘩を売って、八つ当たりをして、随分長い時間を共に過ごして来たが、アンヌは彼について何も知らない。人なのか、そうでないのか。いつでも必ず、アンヌより少しだけ歳上の姿で現れて、基本的に嫌味しか言わない。でも何故か憎めない。その理由も一緒に分かった気がした。だからアンヌは彼を嫌いにはならなかったのだろう。

 嘲笑った仮面の下で、彼はどれだけヤキモキしていたことか。どれだけ視せて伝えようとも、そこで大切な伝言を打ち止めてしまうアンヌに対して。

「分かったわ、ナイトメア。あんたの言う通りにしてあげるわよ。……その代わり、それでも未来が変わらなかったら、今度は張り手じゃ済まさないんだから」

 小さく笑いながら呟いて、アンヌはゆっくり瞼を下ろす。



 このユメから醒める為に。








 アンヌ・ダムスという有名な占い師がいる。

 彼女の予見は外れたことがなく、巷では、王様でさえ彼女にこっそり伺いを立ててから動くのだとすら云われている。

 彼女には夫があったが、彼が目覚めているところを見た人間は極々僅かしかいなかった。

 それでも二人はそこらの夫婦となんら変わらず、毎日語らい、喧嘩をし、笑いあう。アンヌは親しい者達に、その内容を語って聞かせ、幸せそうにのろけて見せるという。

 周囲は不思議に思っていたが、彼女は毎日本当に楽しそうで、大変人当たりも良かったから、人々が不気味に思うことはなかった。

 アンヌは王都の大通りから一本外れた、たくさんの花に囲まれた家に住んでいて、訪ねて行けば、おいしいお茶を振る舞ってくれるらしい。

 そうして、決まってこう言うのだ。




「――運命は自分で選び取るものなのよ。何か迷っていることがあるのなら、今度は満月の日にいらっしゃい。そうしたら、私の夫がきっと答えを教えてくれるわ」




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