失恋シュート
「このシュートが決まったら、俺と別れてくれないか?」
体育館のバスケットゴールを背に、彼は言った。
窓から差し込む夕陽を、目いっぱい浴びた表情は、真剣なようにも見えるし、どこか楽しそうにも見えた。
「普通、それ付き合う時のセリフじゃないの?」
私は恋愛漫画のシチュエーションを想起しながら訊ねる。
「そうかもなー」
彼は間の抜けた声で相槌を打つ。すでに脳内は、赤いリングにボールを通すということで埋め尽くされているらしい。
「わかった、いいよ。入ったら別れよ?」
結構、軽めに答えたつもりだが、彼は特に動揺もせず一度だけ頷き、身体を回転させる。
「そう言うと思ってた」制服の背中が、私に語りかけている気がした。
彼が構え、狙いを定める。小さな金属音が聴こえ始めた。無音特有の、あれである。
それから数秒で、耳の煩わしさは解けた。
彼は少しだけ膝を落とし、かと思えばそれを反動に身体を浮かせ、右手でボールを放つ。
くすんだ橙は弧を描き、上品にネットを揺らした。
「お見事」
試合ならスリーポイントだね、彼の立ち位置を確かめながら、小さく拍手をする。
「一発で決まった」
調子に乗って私にピースサインを向けて来たので「喜びすぎでしょ」と怒りっぽく返す。
「ああ、ごめん」はしゃぎすぎて親に叱られる子供のようだった。
「冗談だよ」
笑いながら、私はふと気になったことを口にする。
「『一発で決まった』って、もし外してたらどうしてたの?」
「あー……明日も呼び出してた、かも」
「え、わざわざ? 今日やればいいのに」
「一回外しといて、何事もなく『じゃあもう一回』はカッコ悪いだろ」
「明日に持ち越すのも充分カッコ悪いけどね」
変なこだわりだが、彼らしいと言えば彼らしい。
「じゃあこれで、私は正式に振られたわけか」
「そうだな」
「失恋って、こんなにあっけないんだね」
「そうだな」
周りの女子たちが失恋した時なんて、お通夜状態になるのが定石だ。それは決して大袈裟な比喩などではなくて、本当にお通夜と大差ない。「この度はご愁傷様です」と声をかけたことがあるくらいだ。
まあ正直に言って、私も彼と別れようと思っていたので、その結末がさほど暗くならないことには安堵している。
私がそれをそのまま告げると「え、俺なんかしたっけ?」と焦りだす。
「んーん、何も」
楽しさで自然と綻ぶ彼の表情は、春風のような温もりを纏いながら、単なるクラスメイトであった私の胸を貫いてきた。
——この人と一緒にいたら、楽しいだろうな。
そんな想いを抱いてしまった私は、羞恥を感じるよりも早く、彼に告白をした。
『僕でよければ』照れくさそうに頬を掻きながら、返事をする彼の姿を、今でも鮮明に記憶している。
「潮時、ってやつかな? 非があるとかないとか、そういう話じゃないから、安心して」
私の言葉を受け、彼は「それならいいけど」と呟く。少し安堵の混じった声だった。
常に優しく気配りのできる彼とは、一度も喧嘩をしたことがない。それに「付き合ってるから」という理由を掲げ、必要以上に干渉をしてくるタイプでもない。
一般的な『理想の彼氏』という定義があるなら、間違いなくその部類に、彼は収まるだろう。
けど私は、そんな事実など心底どうでもよかった。
たとえ性格が腐っていようと、どれほど執着されようと、彼が笑っているならそれでいい。
私が惹かれたのは、私が一番好きなのは、彼の笑顔だから。
でも、付き合ってから彼が見せる『笑顔』は、付き合う前の『笑顔』とは、何かが違った。
ただ、どこが違うのかと問われたら、きっと私は言葉に詰まってしまう。それほど些末なことなのに、彼への気持ちは次第に薄らいでしまった。
わがままな女だな、と心の中で自嘲する。
*
体育館を後にし、私たちは校門へと向かっていた。
「ねえ、一つ訊いてもいい?」
「ん?」
「別れようと思った理由。こっちも知りたい」
もし、彼に不満をもたらすような言動を私がしていたとすれば、きっちり謝罪をしておきたかった。
「ああ、実は他に好きな子ができてさ……その、天秤にかけちゃった」
打ち明ける彼の口調があまりにも軽かったので、私は噴き出してしまった。
「かけられるなら、二股より天秤の方がよっぽどマシだね」
痩せ我慢などではなく、本心からの言葉だった。
やがて私たちは校門をくぐり、互いの帰路を確かめ合う。
じゃ、と右手を挙げる彼を見て、私は咄嗟に声をかけた。
「ねえ、もう一つ訊きたい」
「なんでもどうぞ」
「……私と、これからも友達でいてくれる?」心なしか、声が上擦っている気がした。
「もちろん、当たり前だよ」
躊躇うことなく答えた彼は、私が愛する、あの笑顔を向けていた。
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作者の冨知夜章汰です!
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