第五話「守る覚悟」
俺が生まれてから、5年と少しの時間が経った。
そろそろ、二人との付き合いも1年が経過しそうになっていた。
俺たちの関係はどんどん進んでいき、今や気軽に遊ぶ中になっていた。
三人で遊ぶ時はローテーションで何をするかを分けている。
基本、俺は魔力の鍛錬、レオは体を使った遊び、リアは乗馬術などの貴族の嗜みのようなもの、この三つをぐるぐる回していた。
互いに互いの知らないことを共有するのは勉強にもなるし楽しかった。
特にリアに教えてもらった乗馬術、これは本当にためになった。
体格の影響で小さい馬でしか挑戦できなかったが、今や思いのままに馬を走らせられるようになった。
そんな日々が日常になってきた頃、俺たちは俺の家の二階、俺の自室に集まって今日は何をするか話していたのだが…
何やら二人の顔が怖い、とういうより、何かに追われているような顔をしていた。
空気もピリピリしているし、何か怒らせるようなことをしたのだろうか?
「二人とも、僕何かした?」
俺は意を決して二人に聞いてみることにした。
友達の悩みを聞くのも、立派な交友関係だ。
俺の唐突な質問に二人はかたをビクッと跳ねさせた。
「え、えっと…なんでもないよ?」
「お、おう、シノンはなんも気にしなくていいからさ」
二人は俺の質問をわかりやすすぎるほどにはぐらかす。
…怪しい。
絶対に何か俺に隠し事をしている顔だ。
「ま、知られたくないならいいけど
じゃあ今日は、どうする?」
「露天、回ってみない?」
「どうしたのリア、何か欲しいものでもある?」
「えっいやいいのがあったら買いたいなーみたいな」
曖昧だ。
二人が何を隠してるか気になる気持ちはあるが、ああり詮索するのは良くないか。
しかし、露天巡りか…
買い出しとかでいくことは増えたけど、自分の買い物で行くのは減ってたな。
そう考えていると首にかけたネックレスが目につく。
青い宝石に、凝った装飾、つけているといいことがありそうなので普段から首に下げているが、あまり効果という効果を実感したことがない。
こんな宝の持ち腐れになってしまうのなら、店の人にしっかり効果とかを聞いておけばよかった。
そういえば、この後にリアと出会ったんだっけな。
いや、出会った時も美しかったが、この1年で一層美しくなった。
これでまだ5歳なのが末恐ろしい。
「レオはそれでいいのか?」
「俺も問題なし!」
今日の予定を決めて俺たちは家を出た。
外に出ようとすると祖母に引き止められお金を貰った。
祖母はそのまま二人にも渡そうとしたが、二人は自分のお金があると言って断った。
二人は元々親からお金を俺たちと遊ぶ度に貰っていたらしい。
俺は祖母から貰った硬貨を見ながら外に出た。
思えば、この世界の硬貨をゆっくり見るのは初めてかもしれない。
露天の取引で取り扱ってくれるのは見ていたが…こうまじまじと見ると精巧な作りをしているな。
俺は手に取った硬貨を観察する。
表面にはこの国の象徴とされる大きな丸の周りに十二の小さな丸が置かれた不思議な形の太陽とその中心に置かれた盃に突き刺さっている剣の紋章。
裏面には大きな城が描かれていた。
「この硬貨に描かれてる城ってこの国のアヴォラーヌにある城なの?」
「あーそれはねぇ、意外なことにこの国の城じゃないんだよね」
「え?じゃあ他の国のなの?」
「そうでもないんだよね。
これにはいろいろな説があるんだけど、この国の前にあった国お城って説があるらしいよ」
前の国の城か…
なんでそんなものを国の象徴とも言える硬貨に描くんだ?
かなり思い入れが深い国とか?
「しっかしいいなーシノンのお婆ちゃん。
ベルウィック銀貨10枚もくれるなんてさ」
「これ、そんなに高いのか?」
「当然だろシノン、例えば一個のりんごを買うのに必要なお金はいくらだと思う?」
「……?」
「銅貨二枚だよ。
シノンもしかして硬貨のこと何も知らないのか?」
レオの疑問の目に俺は顔を背ける。
確かに、俺は硬貨に関する知識は全くと言っていいほどない。
しかし、今ここでそれを認めてしまったら…
レオより下のレッテルが貼られてしまう。
「シ、シッテルヨ」
「カタコトじゃねえか」
くそっ、レオの方が賢いことがあるなんて、なんて屈辱だ。
これはしばらくはいじられるな。
そういえば、さっきレオはどうか二枚でりんご一個が買えるって言ってたよな…
前の世界のりんごは確か…200円ちょっとだったはずだから、ここの銅貨は大体一枚100数円ってことになるのか。
思い出した。
どこかで野菜屋の人がりんご一個の支払いを銀貨一枚で貰った後、どうか八枚で返してたぞ。
つまり…俺のお婆ちゃん、5歳の子に遊びに行くだけで1万円渡したの?
実際の価格を知った瞬間俺の銀貨を握る手にとてつもない重量感が生まれる。
この銀貨は、大事に使わなくては!
「もしかして僕の家、お金持ち?」
「おじいさんが大量の本を買い込んでるし相当お金はあるんじゃないかな?」
「俺の母ちゃんも本はそこそこいい値段するって言ってたぜ」
「へーちなみにどれくらいの値段が?」
俺の疑問に、リアがリアが指を二本立てて答えた。
指を二本立てるジェスチャー…
つまりここから導いだせる答えは、
「銀貨二枚?」
「いや二十枚」
「え゛」
思わず変な声が出てしまった。
つまりは爺ちゃん、二万はする本をあんなに大量に買ってたのか…
どんだけ金あるんだよ。
そりゃ軽々しく孫に一万円渡せるわ。
「なんか、自分の家が恐ろしくなってきたかも」
「ま、まぁ気を取り直して露店回ろうよ。
毎年ね、この時期になると沢山のアクセサリーが売られるんだよ!」
テンションの上がったリアの案内の元、細い道を抜けて俺たちは中央広間につながる大通りに出た。
大通りに出るといつもより人の数が多いことに気づいた。
どうやら、リアの言っていたアクセサリー目当てで来た人隊が多いようだ。
「すっごい人の数、逸れないようにしようね」
「手でも繋ぐかシノン?」
「探知がある」
「だよな」
我ながらなんとという子供っけのない5歳だろう。
普通の5歳児なら、逸れないように手を繋ごうとか、そもそも親と一緒に来るであるはずなんだが…
ま、俺たちの方が異常なのは理解している。
「どうする?人が多すぎてもはやどこから回るべきかもわからなけど」
「探知使って魔力で読み取るか?」
「んーダメ」
「どうしてだよー!」
「魔力探知って自分の魔力で覆う範囲を広くしてるって原理だから、元を辿れば魔力を探知ができるものに変えてるわけではないんだよ」
「……つまり?」
「こんな広範囲に使ったら周りの人全員に反応しちゃうってこと」
ここが魔力探知の難しい点だ。
人が密集した場所で無闇に使えば全員が警戒してしまい混乱を招いてしまう。
俺が窃盗犯の相手に使った時はすでに混乱状態だったから問題はない。
密集地でも気づかれないように探知するなら、ものすごく探知能力は下がるが、展開する範囲を極限まで広げることで空間にある魔力を人が知覚できないレベルの濃度にすること。
普通に今のレベルじゃできるわけもないのでこれは論外だ。
「さてどうしたものか…」
「おっそこの坊主、もしかして…」
「?」
俺は聞き覚えのある声の方向に振り返る。
そこにいたのは、いつぞや俺にネックレスをくれた露天商だった。
俺の顔を見た露天商はやっぱりと言った様子で顔を髄っと寄せてきた。
「やっぱりあの時の坊主じゃんねえか。
どうしたんだこんなところで?」
「実は子供だけで来るにはここはちょっと人が多すぎまして…」
「なるほどなるほど、 今日は買い物か?」
「いえ、今日は見るだけです」
「それなら、俺の馬車に乗せてやるよ」
「いいんですか?」
「おう、そこからなら少しは見やすいだろ」
露天商のおじさんが明暗とばかりに提案する。
馬車から見て回るか…
確かに大通りは真ん中に馬車の通る道があるから、そこを使いながら見れるなら是非とも使いたい。
「いいんですか?」
「気にすんな、贈り物は受け取るもんだぜ」
「それでは、お願いします」
俺はおじさんに頭を下げ、提案を受け入れた。
そしておじさんの案内の元、俺たちは中央広場の噴水の前で待っていると、馬車を持ってきたおじさんが迎えにきた。
俺たちは順々に馬車の荷台に乗り、降ちない程度まで身を乗り出した。
「準備はいいか?」
「はい、お願いします」
「行くぞぉ」
おじさんが手綱で馬を叩くと、ゆっくりと馬車が進んでいった。
馬車の速度は俺たちが店を見ていられるくらいの速度で走らせてくれていた。
若干道路と店に距離があるので、魔力で目を強化しながら見ないと少し見づらいが、あまり問題はない。
俺は大して買いたいものがなかったので、身を乗り出す二人を後ろから見つめている。
それにしても、いい顔をするものだ。
目新しいものを見る子供の顔と言うのは純粋でいいものだと思う。
「坊主は見ないのか?」
「僕は、アクセサリーとかはあんまりなので」
「それでも、俺が渡したやつは持ってるんだな」
おじさんが俺の首元を指差す。
その指の先にはおじさんにもらったネックレスがかかっていた。
外に出る時はいつもつける。
俺にとってこれは、一種のお守りのようになっていた。
「なんだかいいことがありそうな気がするので、それに…」
俺は振り返って二人を見る。
身を乗り出しながら、見える景色に心を躍らせる。
そんな二人の笑顔が俺の今の大事なものだ。
「あの二人にも会えましたので」
「…そうかい、坊主、人との出会いは大切にしろよ。
俺は商人だから、当然人との出会いは多くある。
俺はその一人一人の出会いをしっかり覚えるようにしてる。
また店を使ってくれた時、どこかで会った時その出会いの記憶が役に立つからだ」
おじさんは前を見ながら後ろの俺に語りかける。
元の世界で当然のようにあって、当然のように失ってきた人との出会い、それは、この世界ではそんなに軽くないのだと、最近俺は感じてきた。
少しは、あの時から買われてると言うことだろうか。
その後は、大通りを三つ程回り、馬車を降りた。
リアは気に入ったものがあったら、途中で降りて買っていたのでいつの間にか手に何個か小さな袋を抱えていた。
「今日はありがとうございました」
「いいってことよ。
それじゃ、気をつけて帰れよ」
「はい、お元気で!」
別れの言葉に、馬車に乗ったおじさんは振り向かないまま手を振ってくれた。
買い物も終わり、夕暮れまで遊んだ俺たちはいつものようそれぞれの帰路に着いた。
いつの間にか、二人の顔も少し落ち着いたように見える。
買い物がしたかったのだろうか?
いやでも、レオまでそんなことを考えている訳ないし…
一人で考え込んでいるといつの間にか家に着いていた。
「ただいま帰りました」
「お帰りなさい、シノン」
「ただいま、母さん」
もう、この日常にもなんの違和感も抱かなくなった。
最初は、妹のいない生活に違和感を感じていたが、もうそんな思いも小さくなってきている。
この世界に馴染むに連れて、俺は元の世界を忘れつつある気がする。
差し込む光がない、暗い階段を登りながらそんなことを考える。
自室につけばすっぐにベッドに倒れ込み溜め息をこぼしてしまった。
あんなに妹と母親が中心だった生活が、変わっていくのは少し、悲しい気もした。
いや、俺が消えて、家族は助かったのかもしれない。
俺みたいに手を汚したやつは、いるだけであの世界では迷惑なんだ。
俺のせいで、母さんは…
「クソッ」
英雄とはなんなのか。
俺は死ぬ前に改めてそう考え始めた。
その答えは今も出ていない。
描いた理想は、あまりにも抽象的で存在が確定していないもの。
輪郭すらわからない、そんな理想。
誰かのためになりたかった。
誰かにとっての、何者かになりたかった。
何も持たない俺を、それでもいいと認めて欲しかった。
その願いは夢が砕けた後にできたもの。
少しでも沢山の人を少しでも多く、助けたかった。
夢を否定されてからも俺は、ただ手を差し伸べ続けた。
そうすれば、何か変わるんじゃないかと思ったから。
「なんも、変わんなかったけどな」
人一人の力では、世界は変わらない。
そんなの当然だ。
世界中のテロでどれだけ人を殺して訴えても、世界は変わりはしなかった。
世界を変える、それは世界でなければできないことだ。
たかが少年一人の行いで変わる程、優しい世界では決してない。
「あ〜だめだ、一人になったら変なこと考えちまう」
考えを振り切るためにベッドを起き上がり、一階に降りる。
一階に降りれば母さんが夕食を準備をしていた。
「あらシノン今から鍛錬?」
「うん、まだできそうだからやってくる」
「そう?無理はしないでね」
母さんに報告してから、壁に立てかけられた木剣を取って外に出る。
庭に出ると、そこには剣の素振りを行う姉さんがいた。
姉さんの剣は鋭くぶれのないいい太刀筋だった。
そういえば父さんが、姉さんがそろそろ剣鋭になりそうって言ってたな。
「姉さん、鍛錬ですか?」
「?、シノン!そうよ、もう少しで父さんとの手合わせだからね」
声をかけると姉さんは素振りをやめてこちらに来た。
そうか、剣鋭になるための試験がもう少しで…
姉さんはすごい。
努力を怠らない人でありながら、そもそものセンスが高い。
明らかに剣術の腕で言えば俺以上に伸びが早い。
「もう剣鋭か、姉さんはすごいね。
追いついたと思ったらすぐ先に行っちゃう」
「シノンもすぐにこれるわよ」
姉さんは、優しい顔で俺の頭を撫でる。
姉さんは今11歳、歳の差が広いせいで身長の差もかなりある。
いつもはブラコンで、俺を見たら見境なく突撃してくる姉さんも真面目な時は本当に真面目だ。
美しく、格好いい、俺の理想の一つだ。
「そうだシノン、実戦をしましょ」
「え?姉さんと!?」
「当然よ、お互い本気でやるのよ」
姉さんは剣を持ち、俺に向かって突き立てる。
明らかに、その気だ。
纏う魔力も、研ぎ澄まされていってる。
俺は姉さんの気迫に負け、自分も剣を構える。
「手加減しないわよシノン」
「当然だよ、姉さん」
二人は走り出し、木剣を激しくぶつけ合う。
互いの攻撃を正確に防ぎ、反撃を繰り返す。
強い、やっぱり姉さんの剣、重いし早い。
防ぎながらの反撃で手一杯、攻撃に意識を割くなんてできない…
近距離での戦闘に劣勢を感じた俺は回避に合わせた跳躍で、後ろ蹴り繰り出し姉さんのガードによる反発で距離を取る。
よし、距離を取れた。
最近父さんとの実戦が減ってたから試せる技も少なくなってきた。
ここは姉さんの胸を借りて、試させてもらう!
俺は剣を上に構え魔力を剣に圧縮する。
魔力の動きから違和感を感じた姉さんも俺の動きを警戒する。
俺は剣を素早く振るのと同時に凝縮した魔力を放つ。
剣を空に振ると同時に三日月の魔力が放たれる。
「魔力斬!」
「!?」
姉さんは驚いた様子をしたが、すぐさま剣で防いだ。
軽々しく防がれるも俺は怯まず何度も放つ。
剣で使える唯一の遠距離攻撃の手段。
魔力消費が多すぎて通常なら乱発はできないが俺の魔力量なら問題はない。
俺はタイミングを見計らって、魔力斬の着弾と同時に剣の間合いに入り込む。
魔力斬と木剣の同時攻撃、これなら!
俺は魔力斬に被せるように剣を振り、二重の攻撃を繰り出す。
しかし、姉さんは防御すらせず、剣を大きく振りかぶり勢いよく振り下ろした。
「くっ!」
凄まじい剣速と魔力の衝撃波によっての魔力斬はかき消され、俺の剣は受けられてしまう。
受けられた剣は逆に俺の剣をお仕返し、俺の体を弾き飛ばす。
くそ、出力を弱目にしたのはミスだったか。
でも、近距離ん言い続けるよりは距離を取れただけいい。
ここは居合で…
俺は居合を繰り出すために剣を腰に構える。
「シノン、私はあなたの居合、完璧に見切れるわよ。
初見でもない攻撃に遅れは取れないわ」
そんなことわかってる。
精度が低ければやることも早く突進するだけの単純な技、それを何度も食らうバカなんてそういない。
同じ技は、出さない。
俺は覚悟を決め、吹き込んだ足の力を解放する。
魔力出力は上昇したおかげで、前回より速く重い一撃が出せる。
しかし、姉さんの目では意味をなさない。
俺が剣を振り始める前に姉さんは俺の構えだけで攻撃のポイントを見抜き防御していた。
俺はそれをわかった上で防御した場所に剣を振る。
互いが集中し、時間の流れが遅くなる。
ゆっくりと剣と剣がぶつかりそうになるその一瞬、アリスの視界からシノンの剣が消えた。
「!?」
意識を剣同士の衝突地点に割いていたアリスは突然逆側から現れた剣に防御が間に合わなかった。
これが俺の切り札、姉さんの頭には居合の技が染み付いてる。
ただの居合に見せかけ、その集中を単純な技が出すとで油断に変える。
そして、油断した一瞬で飛び上がり、体を上下反転させ、逆側から打ち込む!
入った、ここからの防御はできない!
剣が顔の寸前にまで迫り、勝利を確信した俺を嘲笑うように姉さんは体を回転させ剣を受け流した。
えぇ…避けれるのこれ。
軽々といなされすぎてもはや冷静になってしまう。
俺の攻撃を避けた姉さんは回転の勢いそのまま、俺の脇腹に剣を捩じ込む。
と、思っていたが、その剣は少しこづく程度だった。
完全に攻撃を食らう気だった俺は軽すぎる攻撃に肩透かしをくらい地面に首から落ちる。
「ぐほぉ!」
「あっ大丈夫シノン!?」
姉さんは落ちた俺を持ち上げ、体についた埃を落とし、首元に手を当てる。
やっぱり、姉さんの剣術はすごかった。
魔力の操作精度なら、俺の方が上なのだが、それでも姉さんとの剣術の差は埋まらない。
最後も、意表をついたはずなのに星神剣にで受け流す思考に繋がるとは…
「よかった、怪我はないはね。
シノンに怪我なんて作っちゃったら、私、一生尽くさなきゃ…」
「姉さん流石にそれはやめて、本気そうなのが怖いから」
立派でありながら、家族への愛も忘れない。
弱さを見せず、手本になり続ける。
こんな人に俺はなりたかった。
姉さんをすればするほど、俺の中での尊敬は高まっていく。
「姉さんは、いつかこの街を出るの?」
庭に座り互いの剣を突き立てた前で、姉さんの横顔を眺めながら聞く。
姉さんは夕陽の先を見ながら俺の問いに答える。
「…そうね、いつかはここを出るわ。
でも、シノンの成長は見たいから、シノンが10歳になるまではいるかもしれないわ」
そう言って明るい笑顔を俺に向ける。
姉さんの笑顔は無邪気な子供のように見えたが、それ以上に優しさを孕んでいるように見えた。
俺は、今の家族が好きだ。
前の世界の家族と同じくらい好きだ。
毎日、全員で食卓を囲む度に今の生活への充実を感じる。
でも、守られる側なのは、未だ慣れない。
苦しそうな顔をしている姉さんを心配して声をかけても、大丈夫だと取り繕った笑顔で言われる。
その笑顔を見て、昔の俺を写し見てしまった。
父親の暴力に耐え、妹の心配にも不要だと答え妹の心配をする。
姉さんは俺よりも、シンよりも強い人なのに…
「シノン!」
「!?なっ何?姉さん」
「暗い顔をしてるわ。
悩みでもあるの?」
姉さんは見抜いたかのように俺に聞いてくる。
俺は、その言葉になんと返せばいいのかわからなかった。
でも、姉さんの目を見た瞬間俺の口は動いてしまった。
「姉さんは、守れていた気になってないも守れていなかったこと、ある?」
普通なら、こんな返しが返ってきたらまず何があったのか聞くだろう。
しかし、姉さんは何も聞いてこなかった。
俺の表情から、聞いてほしくはないのだと察したのだ。
姉さんはまた前を向き、顔を夕陽に照らしながら答える。
「あるわ。
私の友達はね、親にひどく扱われてたの。
思った通りの成果が得られないなら殴られるし、ただいるだけでも罵声が飛んでくる。
私は、その子を助けたくてその子の親に話し合ったの。
騎士団も家庭のことには手を出せないから動かなかったし…
よく考えれば、部外者の私が入るのなんてお門違いだった。
それで、話し合ったら彼女を受け入れてくれる家に預けるってことになったの。
その時の彼女はあ嬉しそうだったわ。
新しい生活に向かう彼女はすごく楽しみにしていた。
でも、その子は死んじゃったの」
気づけば、姉さんの瞳には涙が溜まっていた。
夕陽に照らされ、瞳の中の光が揺れる。
それでも、俺は遮ることなく姉さんの話を聞き続けた。
「引き取ってもらった家がね、もっと酷い場所だったの。
彼女は解放されたのに、そこより酷い場所に置かれた。
それで、耐えきれなくて死んじゃったの。
私、その話を聞いて思ったわ。
私のせいだって」
姉さんの瞳が溜めた涙を流す。
自分の正義感で人を救い、苦痛から助け出したはずなのに、さらに大きな苦痛を作っただけだった。
この歳でそんな経験をしてしまえば、どうなってしまうのか、俺は知ってる。
いつか、姉さんが一人で泣いていた夜があった。
きっとこの話はその時のことだ。
「私、自分がわからなくなっちゃった。
正しいことがわからなくなっちゃった。
正しいことをしても、それがいい方向に行くとは限らない。
じゃあ、私がこれまでしてきたことはなんだったのって、思っちゃったの…」
流れる涙が、より多くなる。
正義の形、正義の使い方、正義とは何か、それは人が種の一生をかけて考えるべきことだ。
姉さんは、自分の正義が人を殺したことの罪悪をずっと抱えている。
守れなかったのではなく、自分が終わらせてしまった。
俺と姉さんの間違いに差異はあれど自分の行いが間違っていた、何もできていなかった、その気持ちはよくわかる。
「姉さん、姉さんは間違ってないよ」
「え?」
「言い方は少し悪いかもだけど、弱者に手を差し伸べる。
それ自体、何も悪いことじゃないよ。
責任が伴うのも、その先が犠牲が出るかもしれないのはそうだよ、でも人を助けるっていうのはそういうことだよ」
一度は自分も直面したであろう、見たくない現実を突きつける。
嫌だろう。
見たくないであろう。
でも、そこに目をやらなければ、二度と姉さんは自分の正義と向い合えない。
「助けた後のその先は助けた人にもわからない。
その先は助けられた人次第だから、決して明るい未来じゃなくても、姉さんが抱え込む必要はないよ。
それでも、そのことを考え続けるのは仕方ない。
姉さんが助けた子にはまだ、自分で未来を作る力がなかった。
どうしようもなかった、これで終わらせるのは、嫌だよね。
でも、それでも言うよ。
どうしようもなかったんだ」
姉さんは、俺の言葉を聞いてバッと、俺に抱きついた。
そして、今まで貯めていたものを吐き出すかのように泣いた。
俺は泣き続ける姉さんが泣き止むまで、背中を摩り続けた。
しばらくの間泣き続け、姉さんは泣き止んだ。
涙で赤くなった目の下を腕で擦る。
涙を流しきって、吹っ切れた姉さんの顔はさっきより、明るい顔になっていた。
「私、負けない」
「うん」
「あの子に償うために、もっと多くの人を助ける」
「うん」
「…シノン、ありがとう」
何よりも報われたように笑う姉さんの顔を見て、俺はこの人を救えたように感じた。
その後の夕食でも、姉さんはいつもより明るく父さんたちと話していた。
ーーー
夕食を食べてからかなりの時間が経った。
ベッドで寝ていた俺は外の騒がしいに起こされる。
一階への階段を下ろうとすると、玄関の方から声が聞こえた。
父さんの声だ。
何人かの大人と話ている。
この時間にいったい何を?
「どうする、こんなこと日が登ればすぐに広まるぞ!」
「わかってる、騎士団全員を使って捜索を始めろ。
俺もすぐに出る」
騎士団を動かすほどの事件が来たのか?
今までもこのまちで事件は起きていた。
しかし、騎士団の全員が緊急で動くことは一度もなかった。
それほどの事件…
「早急に取り掛かれ!」
「タリア殿、新しい被害者の名前がわかりました」
「誰だった!」
「二名、エルフェリア・シルウェーヌとレオ・シグヴァルドです」
え…?
その名前を聞いた時、俺の思考が凍りついた。
視界が揺らぐ、耳鳴りもする。
誘拐?なんで二人が?
また…守れないのか?
そんな思考がよぎった時、父さんの言葉を思い出した。
二人を、守る時…
そう思った時、もう体は動いていた。
俺はリビングにある父さんから貰った剣を掴むと、音を立てぬようそっと庭へ出た。
今度こそ――大切なものを守るために。